都立アンノウン・バイスタンダーズ
東京二十三区の外れには、一ヵ所不思議な場所がある。そこは埋め立てによって生まれた人工的な緑地でありながら、市政に見放された海浜公園の成れの果てのような場所だった。草は伸び放題、治安があまりよろしく無いこともあり、廃車に、廃品、廃材の不法投棄場として機能しているような有り様なのだが、東京都が管轄しているある集団が、そこに事務所を構えていた。その名は都立アンノウン・バイスタンダーズ。その荒廃した土地にある廃墟の中に、彼らは、いや、僕たちはいた。
「すいません、都立アンノウン・バイスタンダーズ様の事務所は、こちらでよろしかったですか?」
たどたどしい丁寧語で伺いたてながら、怯えた様子で少女がその名前を口にする。『都立アンノウン・バイスタンダーズ』。何と胡散臭い響きだろうか。こんなに訳のわからない団体も今時珍しいものだ。にもかかわらずそれを訪ねて来る、と言うか、それに頼らざるを得ない依頼者がやって来るというのだから驚きだ。
「ああ。合っている。何の用だ」
一人の男がぶっきらぼうに、要件だけを訪ねる。この男は煩浄助救という。僕たちはハンターというニックネームで呼んでいる。彼は余計なことを言わない。必要な言葉だけを選んで用いる。多分それはニックネームの由来である、彼の前職による癖みたいなものなのだろう。
「あの······えっと」
「まぁまぁ、お嬢ちゃんが怯えてるじゃないか。さあ、この椅子に掛けてくれるかな」
「はい」
「それで、何があったのか話してくれるかな?」
この物腰が柔らかそうな、好青年然とした男は慈憐仁慈憐仁。僕はJJと呼ぶ。やっぱり、依頼者が女性だと、こいつは強い。童顔イケメン、甘いボイス、高身長。基本拒絶されることはない。
「実はこの二週間で、友人が二人も行方不明になってしまって」
「行方不明か。警察には行った?」
「行きましたが、警察も、二人の家族も、二人のことを全く覚えていないみたいなんです」
「なるほど、ね······何か心当たりはあるかな?」
「いえ······でも皆さんなら、何か分かるんじゃないかって思って」
「うん。何とか出来ると思うよ。この依頼状に名前と住所、電話番号と、詳しい依頼内容を書いてくれるかな」
今回の依頼者、櫻崎咲良。十八歳。じぇーけーという完璧で高尚な存在だ。まばゆい若さという輝きを持っているはずの目の前の少女も、今は恐怖にくすんでしまっていた。まぁ、何を血迷ったのかこんなところにまでやって来てしまうのだから、余程の事があったと考えるのが妥当か。だとしても、この辺りは治安があまり良くないので、女子高生一人というのは心配になる。
「じゃあ次はフィールドワークの時間だね。神田、運転をお願い」
僕のことを神田と呼んだ彼女は、六茶沼六華。ロクサーヌというナイスセンスなニックネームを僕が名付けた。ロクサーヌは、こうして男臭い職場にいるからなのか、男勝りなところがある。彼女がこの都立アンノウン・バイスタンダーズの副リーダーぐらいのポジションを務める。因みに、リーダーはこの僕、神田逍遙である。さらに付け加えておくと、僕自身にはニックネームがない。名前からしてニックネームのインスピレーションを掻き立てられる感じではないのと、ニックネームの名付け親がほとんど僕であることが原因なのだろうが、他の三人にあって僕にだけ無いというのは寂しさと疎外感を感じずにはいられない。
「あの、私は何をすれば?」
「依頼者の仕事はもう終わったよ。あとは僕らの仕事だから任せておいてくれ」
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「おいJJ、彼女を最寄り駅まで送ってあげて」
「アイアイ、キャプテン」
今回の依頼者は、そうして事務所を後にした。ここで僕は、今一度、この団体の名前の由来から説明しなくてはならない。「都立」はいいとして、「アンノウン」は未知の、「バイスタンダーズ」は傍観者達。つまり、僕らは未知の傍観者軍団ということになる。ならば、何故ゆえに僕らは傍観者であるのか。次はそれに納得してもらう必要がある。元来怪奇現象は、幽霊だとか、怪談だとか、この世のものでは無い何かである。則ち非存在だ。そうした非存在は、存在していないのだから、観測されることは無く、害を為すことも無いはずなのである。しかしながら、この町では怪奇現象が起こる。しかも従前のやり方では対応できないときた。非存在を取り締まるには、非存在を非『非存在』状態にしなくてはならない。そこで僕らの出番だ。僕らが非存在を観測することで、非存在の存在を証明する。そうすることで、非存在は純粋な存在として実体化することができ、取り締まることが出来るようになるのである。そして、僕らが傍観者なのは、名目上ではただの東京都職員だからである。僕らの仕事は、警察にも、消防にも、救急にも、自衛隊にも含まれることはなく、説明の仕様がないものだ。だから、皮肉にも世間からすれば、僕らの方が非存在として存在していることになる。というわけで、名目上は何も手を出せない傍観者を名乗っているということなのだ。
「依頼者の情報によると、この辺りだわ。こんな感じだと、一番疑わしいのが神隠しね」
ロクサーヌが助手席で、紙とにらめっこしながらそう言う。僕らアンノウン・バイスタンダーズの所有する社用車はオンボロで、四人で乗るにはあまりにも小さく、鮮やかな赤で目立ってしまうという致命的な問題を抱えていた。
「なるほど、神社か······厄介だな」
「この辺りを歩いて帰宅中に、二人は行方不明になったらしいわね」
「入ってみるか? どうするロクサーヌ」
「面倒なことになりそうな予感がするけど、やるしかないでしょう」
僕とロクサーヌは、神社の鳥居のすぐそばに駐車したオンボロ車と、自分の胴体とをロープで繋いだ。これは外界と接触し続けるためであり、神社の結界に阻まれて出られなくなるのを防ぐためである。事実、結界は時に囲い罠の如く、生き物の出入りを妨げることがあるのだ。時に鳥居の先へ行けなくなり、また時に鳥居から外へ出ることが出来なくなる。だから、僕らは用心に用心を重ね、こうして体が完全に神社の境内に入ってしまうことを防ぐ。
「神隠神社だと? 聞いたこと無いな」
鳥居の額束にはそう書かれている。神隠神社だなんて、「私が神隠しの犯人ですよ」と言っているのと同じじゃないか。しかし、それ以外にはいたって普通の神社で、町の一角に佇んでいても違和感は無い。
「神田、入ってみるか?」
「ここで足踏みしていても仕方がない。入るか」
僕たち二人は、何事も無いように鳥居をくぐり、参道を通って手水舎で手と口を清め、拝殿に向かう。大分規模の小さい神社だ。すぐに拝殿へと辿り着く。そして、ポケットの中にある適当な小銭を投げて、二礼二拍手一礼して、参拝完了だ。
「おい、ロクサーヌ。それは神社の参拝方法じゃないぞ」
「一礼して合掌が基本じゃないの?」
「違う、それは寺の参拝方法だ。ここは神社だぞ」
「細かいこと言うなよ、そんなんだから女にモテないんじゃないの」
「それを言ってくれるなよ。僕は魅力的な人間がいないから恋愛をしないだけだ。もしそういう人間が目の前に現れたら今すぐにでも」
「はいはい。それはもういいから」
「っておい、お前の参拝方法について注意していたのに話をすり替えられてしまったじゃないか」
「ま、お賽銭入れておいたし、大丈夫でしょ」
「それが原因で出られなくなったら、覚えとけよ」
「さっ、調査よ調査」
とりあえず一番気になるのは本殿なのだが、大抵の場合、神社は本殿に一般人が立ち入ることは許されない。とすれば、宝物殿があったので、そこを調べてみるほか無い。あと境内にあるのは、神社を取り囲む無数の針葉樹だけだ。
「鍵が掛かってるな」
「当たり前だろう」
「いや、ここではそう言う反応ではなくてだな、どう宮司に怒られないように鍵を開けられるかを考えてほしかったのだが」
「針金なら持っている。私はこれでも経験があるからな。こんな南京錠の一つや二つ、開けて見せよう」
ロクサーヌはやけに自信満々に、意気揚々と鍵を開けようとしているが、針金を使って鍵を開ける様子は、盗人と何ら変わり無い。
「よし、後少しで······」
「ロクサーヌ、締める方法も考えてあるんだよな?」
「えっと······まあ、無くはないな」
「今の沈黙は何だ。開けっ放しだったら、きっと強盗に入られたと勘違いされて大事になるぞ」
「あの······この神社に何かご用ですか?」
「えっと、あの、少し探し物をしていまして、もしかしたら何かの弾みでこの中に入ってしまったのではないかと思い、調査をしていました」
我ながら天晴れと自画自賛できるレベルで完璧な回避だ。一番怪しまれる無言の時間を作らず、高圧さとは無縁の好青年然とした柔らかい丁寧な口調で、簡潔でありながらも詳細にここにいた理由を述べるなんて。安月給から昇給しても良いくらいの頑張りだ。いや、待てよ。ここは東京都職員ですと言った方が信用を得られたのではないか? やっぱり、僕はまだまだだなと実感させられる。まだ回避スキルが低いな。
「でしたら、宮司の私が調べましょうか?」
「ここの宮司さんでありましたか、これは失礼しました」
「それで、何をお探しですか?」
「えーっと、熊のキーホルダーです。これくらいの茶色いやつです」
宮司さんは、僕がでっち上げた茶色い熊のキーホルダーを探し始めた。この人はお人好しなのか、馬鹿なのか。第一キーホルダーがこんな所に入ってしまう訳がないのだ。それに僕みたいな男がそんなキーホルダーを持っているなんて考えにくいとは思わないのか。本当にそのまま十分ほど探し続けて、やっぱり見つからなかったようで、申し訳なさそうに出てきた。
「お力になれず、申し訳ありません」
「あ、いえ、気にしないで下さい」
「あの、宮司さん、本殿を見ることは出来ないのでしょうか?」
「本殿ですか? 特に問題はありませんが」
不安になってきた。この宮司は、何で一番大事な本殿に躊躇もなく人を立ち入らせようとするのだろうか。この場所に神隠しの疑惑がある以上は、疑ってかかる必要があるだろう。
「少々お待ちください」と言い残し、宮司はどこかへ消えた。五分ほどが経っても戻ってこないので、手持ちぶさたな状態で退屈していると、あることに気が付いた。腰に巻き付けたロープの抵抗が無くなっている。引っ張られる感じがしなくなっていた。
「おい、ロクサーヌ。ロープを引っ張ってみろ」
「いやに軽いわね······まさか」
「ロクサーヌ、出口まで走るぞ!」
僕たちは全力で鳥居まで走った。小さいとは言って百メートルはある参道を、陸上選手さながらに駆けた。
「クソッ、駄目だったか!」
鳥居の外へは出られなくなっていた。完全な結界が張られて、完全に僕らは閉じ込められた。恐らく、依頼者の友人二人も同じように閉じ込められたと考えていい。つまり、行方不明の二人はここに居る。この神社は、こうした形で自白したのだ。自分が二人を隠した、と。
「こうなると、ますますあの宮司が怪しい」
「大体、本殿に躊躇なく入れてくれる時点でどうかしてるわよ」
「僕もそれは思っていた。って、ほら、お前が参拝の作法を守らなかったから閉じ込められたじゃないか」
「え? この結界のせいでしょうが」
「いや、違うね。その無礼がここの神様を怒らせたんだ。それでその腹いせに僕たちを閉じ込めやがったんだぞきっと」
「分かったから、行方不明の二人を探すわよ」
ロクサーヌは氷の女らしく、冷たく冷静に僕の言葉をかわした。僕が、この辛辣な状況を、少しでも和ませようとしたことを汲み取ってくれないなんて、なんて酷いヤツ。
まあ、それはおいておくとして、結界が厄介なのは、どれだけ叫んでも声が外に漏れないことと、携帯電話の電波が阻害されることである。つまり、外部と接触できない。結界を消すには、結界を張った本人に土下座して「お願いします結界を解いてください」と頼み込むか、結界を何らかの道具で無力化するか、結界の力の元凶を消すしかない。
前者二つが駄目なら、殺すしかない。