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雑文2

作者: nyannyan

 人間は生きることの困難さと向き合ってきた。そして俺もその共同体の一員だ。ならば、俺も生きること、普通に生きるということ、人生を生きるということ、それと向き合って苦悩して、そういったことができるはずだ。人類の歴史を振り返って先人たちを見よう。彼らはあまりに偉大すぎるが、それでも俺も同じように生きることに正面から向き合えるはずだ。俺は学問でこれを処理したくない。人生をいきるということ、これ自体でそれを味わっていきたい。学問の俎上にのせたくないんだ。言い訳か、まあ、いいわけでもいいよ。生きることは不安だらけだ。何が最も良い選択なのかはわからない。私がどういう振る舞いをして、どういう価値にコミットしていきていくべきなのか。そう、取り返しのつかないこと、不可逆な結果に陥ることを過度に恐れるのだ。なぜなら、今はまだ選択できるから。自由があるから。腹が定まっていないとも言える。選択における、勇気と自由はトレードオフか。今何をすればいいのか、そのためには何に、どういう価値にコミットすればいいんだ。わからない。もっと良い選択ができたはずだという後悔に苛まれている。後悔という病巣。深刻な病。それはゆっくりと時間をかけて、俺が大人になるに連れて、だんだんと懐胎してきた。こういった後悔は真剣に向き合うべきか。つまり、俺が行っている後悔に対する対処、後悔をふさわしさで覆い隠すということ、これは馬鹿にしていいのか。ただ、ふさわしいかどうかなんてわからないじゃないか。あのとき、俺はああいう選択をした。そして今、それを後悔している。ただ、しかし、あの選択は俺にふさわしかったのだ、と言う。ふさわしいとはなんだ、そんなのは後出しじゃないか。それは循環しているじゃないか。つまり、なにがふさわしいのだと問うたときに、あのような選択が、と答えるしか無いじゃないか。そんなんでいいのか。いや、そうじゃないというところもわかる。俺には何か一貫して性格というか、雰囲気というか、そういうのがある、漠然とね。だから、そういったものに適合することが、ふさわしいということなんだよって。まとめてみようか、これまで生きてきた俺を。俺はふさわしさという価値にコミットしてきた。ただそれを信じられなくなった。なぜだ?なぜなら、ふさわしさなんていうのは、人生に厳粛に向き合っていない証拠だと思ったからだ。理由は上記の通り、ふさわしさ、なんてのは説明できないのだ。少なくとも説明困難である。これは自分らしさという概念への懐疑が根底にある。じゃあ、人生をいきるとはなんだ。それは何なのだ。俺は何を求めているのだ。どう生きればいいのか。どんな価値に、どんな世界に身を委ねたらいいんだ。これが知りたい。生きるということ、これは何なのだ。何なのだ、教えてくれよ。生きるとは何か。ああ、俺には説明ということへの信奉があるな。俺は人生を説明しないと気がすまないのか。説明への信奉か。そうだな、これは性格だ。説明可能な世界に生きるか。ただ、そんなのはどこにあるというのだ。過去を意味づけないと気がすまないという習性も、これだな。俺は過去に拘る。説明とは過去を言語化する作業なんだ。反省のことだ。これは、悪癖だろ。子供に理由を説明せよ、なんて教えるべきじゃない。後悔しかしない人間が生まれるぞ。説明するということは、未来志向的じゃない。ああ、ミネルヴァの梟というやつだな。なんだ、そんなことは、みんな知っているらしい。悲しいよ、言葉を捨てたいな。本当に申し訳ない。俺は言葉とうまくやって行けないのかもしれないな。悲しい。君を裏切るようなことを言ってしまうなんて。苦悩は知的な作業か、そりゃ笑えるな。あまりにもありきたりなジョークじゃないか、センスを疑うよ。やっぱさ、人類は何千年もかけて言葉を積み上げてきたじゃない。それでさ、それって人類の中でもとびっきり賢い人達がやってきたじゃん。彼らが命をかけて、世界を説明しようとしてきたじゃないか。でもさ、誰も納得できる説明を与えていないじゃない。そう考えると、人生を意味づけるとか、無駄なのかなって。言葉なんて無いほうがいいよ。苦痛しか産まない。うまく説明できないという苦しみだよ。こんなのはな、無いほうが良かったのかな。てことはさ、生きるということは言葉の線上にあるべきではなくて、行為の線上にあるべきだと、俺はそうおもったんだ。つまり、思考停止だよ。頭空っぽにして取りえず生きようってこと。原点回帰だね。遠い、本当に遠い遠回りだったよ。人生を四年間ぐらい消費した。ただ、一つ良かったのは、自分の習性に気づくことができたということかな。たぶん、そうだろうな。当たり前のことだけど、それでも、当たり前なのかもしれないけれども、私だけの経験だ。自分に向き合ってきたか。まあ、な。そうだな。それもありなのかもしれないな。生きるということはそういうのも許してくれるだろう。

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