クレープとオットセイ
昔、私は母親と二人で、よく水族館に行った。今ではすっかり行かなくなったけれど、小学4年生くらいまでは、ほぼ毎週どこかの曜日で、水族館に行っていたと思う。
その記憶は高校生の今となっては、だいぶおぼろげにしか覚えていない。
けれど、オットセイのことは、よく覚えている。
野球場よりは小さなドーム。観客の視線が集まる水槽の中央の白い陸地。開けた天井から差し込む光を浴びて、オットセイが器用に、赤い大玉にのって、右へ、左へ、ころころ、ころころ、動いている。
オットセイの演技が終わると、観客席から大きな拍手が巻き起こる。私も、小さな手で、ぱちぱち、と手を叩いていた。
オットセイ、すごいね。と私は母親に同意を求めて、母親を見上げた。でも、そこにあったのは、演技に見惚れているわけでも、感嘆の笑みを浮かべるわけでもなく、ただ、困惑したような表情でオットセイを見つめる、母親の姿だった。
お母さん?と私が声をかけると、母親は、ひとこと、こう言った。
「オットセイは、楽しいのかな」
あの時の私は、母親が一体何を思って、そんな台詞を口にしたのか、わからなかった。
けれど、今の私には、母親の考えていたことが分かるような、気がする。
クレープ動画。
人々の間で、そう呼ばれる動画がある。といっても、チョコレートや、生クリーム、イチゴやバナナを薄い生地で包んだ甘いお菓子を食べたり、あるいは作ったりするものではない。
ガシャ、ガシャ。
カメラの画面に、一人の制服姿の少女が映されている。RECと赤文字で示されている通り、これは生中継だ。
少女は、椅子に座らされている。手首と、足首には、銀色の手錠がかけられて、身動きが取れない状態にされている。制服は乱れ、スカートは捲り上げられ、黒いショーツが、あられもなく剥き出しにされ、ブラウスのボタンは全て外され、二つの肌色のふくらみが、ぽろんとはみ出ている。床には、無残に脱がされ捨てられたブレザーと、バラの飾り物が落ちている。
少女に、男子生徒が近づく。男子生徒は、カメラの手前の机に置かれた袋から、バナナを取り出す。皮を丁寧に半分ほど剥き、そして、少女の口に咥えさせる。
「舐めろよ」
そう男子生徒にいわれ、少女はペロペロと、バナナを口に咥え、舌を使って舐めていく。先端から真ん中まで、満遍なく、赤い舌が這っていく。その動きは、とても滑らかで、これを撮影している男子生徒たちは、下半身の昂りを感じずにはいられないほどだ。
そして、少女──私は、そんな自分を、どこか他人事のように、見ていた。視線の先には、口角を吊り上げ、下品な笑みを浮かべる数名の男子生徒と、彼らのおもちゃの置かれた机、そして、カメラのレンズと、わざわざ自分の方に向けられた、液晶画面があった。
クレープ動画とは、「グレーなレイプ動画」の隠語だった。性暴力犯罪の厳罰化の風潮が高まり、去年、刑法が改正されて、レイプ──強姦罪の量刑に死刑が加えられた。これによって、強姦罪による検挙は確かに減少した。しかし、代わりに強姦罪にならない程度の性暴力──強制わいせつ罪や痴漢などの軽犯罪が増えたのだった。そのような流れを経て、バナナやニンジンなどを性器に見立てて、女性の口腔内や性器に挿入する"擬似的な"レイプ動画がネットに溢れるようになったのだった。
私は、バナナを口に咥えたまま、上下に動かし続けていた。
あのレンズの向こう側には、きっと何百、いや、何千人かもしれないが、たくさんの男たちが見ているに違いない。彼らは、私のあられもない姿を見て、欲情を昂らせ、そして、私を見ながら吐き出し、そして、同時にこう思うのだ──「この女を征服した」と。
そう思うと、今咥えているこのバナナも、汚らわしいもののように思えて、とても不愉快だった。だが、こうなってしまっては、もう抵抗の余地はどこにもない。むしろ、抵抗すれば、かえって彼らを喜ばせるだけだろう。
私は、今や男たちの見世物だった。人間のつまらない欲望と、剥き出しのエゴの犠牲者。自分たちの見たいものだけ押し付けて、こちらの都合は一切無視。後味の悪い記憶だけ残して、そして彼らは嗤うのだ。
私は──惨めなオットセイ。
外からは、女子生徒だろうか。楽しげな笑い声が聞こえる。明るい声だ。彼女らは、まさか美術準備室の中で、一人の同じ女子生徒が、レイプ紛いのことをされているなんて、思いもよらないだろう。そのまま何も知らずに、友人や、先生や、両親と仲良く話したり、写真を撮ったり、ボタンを交換したりしながら、帰るのだ。
そういえば、今日は卒業式だったね──
私、長町香織は、今更のようにそのことを思い出したのだった。
この物語はフィクションです。
(当たり前ですが。)