命名は更生のあとで
行き当たりばったり感がありまして、かなり間が空いてしまいました。
作中主人公のクルスの行動だけでなく、作者の私自身の執筆も計画を大幅に修正することになり、どうしても難産となっておりました。
「先生、アデルの病気は……」
「たちどころに治るというものではありません。一日三回に分けて、朝、昼、晩……ちゃんと食べた後に、薬をきちんと飲んでください」
魔物の素材を使った防具作りを得意とする職人、ティモシー。
思わぬ幸運から最後の材料を揃えて、やっと作れた薬を妻に飲ませられた。
「ティモシーさん、大丈夫ッすよ。なんたってこれから、あの龍骨粉が使い放題ッすから」
「そう……そうなんだよな……うん」
評判の悪いごろつきだった、アーチ。
今はすっかり心を入れ替えて、態度を改めている。
この二人は。
「あなたのおかげです。本当にありがとうございます」
「あとは、兄さんの通り名をどうにかしねェと」
《龍血使い》クルスに心酔して、尊敬のまなざしを向けていた。
当のクルスからすれば、偶然が重なっただけではあるのだが。
「ティモシーさんの晴れやかな顔、まるで長ェ夜が明けたみてェな感じッすよ……そうだ。『夜明け』ってのはどうッすか?」
「ぅえ!?」
夜明けはダメだ。
なにしろ、クルスの生家であるアルバ子爵家の『アルバ』という名こそ、夜明けという意味を持つ。
そんな通り名で本名を簡単に類推できてしまっては、偽名として名乗る意味がない。
「ごめん……夜明けはダメ……」
「ダメッすか?……まあ、兄さんが嫌なら、仕方ねェッすね」
なるべく遠く離れた何か……
それでいて、名前として格好悪くも恥ずかしくもない何か……
考えがまとまらないクルスは、ひとまずそれを後回しにした。
「とりあえず、服もボロいのからは着替えたし、強獣防具もあるし……狩りに出るかな」
狩猟。
路銀に余裕があるとは言え、決して無尽蔵ではない。
それに、クルスはティモシーに相応の報酬を支払わなくてはならない。
病気の妻、アデルのための薬ができたのがクルスのおかげと言っても、それを恩に着せてティモシーの職人技を『買い叩く』のは品性下劣な行いと、クルスは考えている。
それは、子爵家長男としてこれまでに見てきた様々な、他の貴族……特に、公爵や侯爵といった上級の『反面教師』からこそ学んだ道徳だった。
「狩り、か……くっ……」
アーチは足に力を入れるが、うまく立てない。
なにしろ右足の脛から下がないのだ。
そんな体でこれから先、どうやって生きていくか……
クルスさえその気になればすぐにでも斬り殺せるという意味でも、自分で食い扶持を稼げないのではクルスの奢りに頼るしかないという意味でも、そして、クルスの庇護なしではたちまちこれまでの素行の『仕返し』を受けるだろうという意味でも、アーチの命は今やクルスに握られているも同然。
「くそォ、兄さんを襲った自分が悪いとは言え、この足ィ……!」
「うーん……」
そこで、クルスは考え直してみる。
襲われたのを返り討ちにして斬った足だから『謝る』というのはあり得ない。
謝ったところで治る足でもない。
しかし、クルス自身はティモシーの仕事を待ちながら今後もこの街に滞在するなら、アーチのことはむざむざ死なせるよりも舎弟として使えた方が得ではないか。
「ティモシーさん、報酬は別件として支払います。この……アーチに、歩けるようになる道具を作れませんか」
それならば、せめて歩けるようにはしてやらないといけない。
おそらく……いや、間違いなく……勇者一行はクルスを追って来る。
ティモシーに装備一式を作らせたら、この町を離れなければならないことだろう。
その時に、クルスの庇護が失われた時に、アーチが殺されてしまうのは仕方のないことかもしれない。
これまでの行いに対する報いと、誰も顧みないかもしれない。
だが、今はまだその時ではない。
クルスの『手足』となる舎弟として、生きて働かねばならないのだから。
「……まあ……あなたほどの恩人にそう言われるのなら……」
ティモシーは渋面。
露骨に拒否するほどではないが、気乗りはしない様子だ。
やはりクルスが現れる前、右足を失う前のアーチに煮え湯を飲まされたこともあるのだろうと、クルスは察した。
「ぼくが肩入れしてやれるのも、ティモシーさんが請けてくれるのも、今のうちだ。これからは反省して、まっとうに生きるんだよ」
「へい。兄さんの顔に泥を塗る真似はしやせん」
今回のことがいい薬になって《更生》して……心を入れ替えて真面目になるなら、それに越したことはないだろう。
あとはティモシーの腕を信じて、フォルトゥナを育てながら待つだけだ。
そしてまた町の外に出て、今は森の中。
また兎を標的にして、フォルトゥナに狩りの練習と食事をさせている。
精神的にも慣れさせて、もうすっかりフォルトゥナは小動物相手の狩りは覚えたようだ。
しかし『格下の相手を狩る』ことと『同格、あるいは格上の相手と戦う』こととは、まるで違う。
そこまでを期待するのは、まだ酷だろう。
「仮面は、あいつらに追いつかれたのでない限りは、一式できてから使うことにしよう。こっちの服と強獣装備は『クルス』のものということで」
仮面を使わない素顔と強獣装備。
仮面を着けた覇王魔龍装備。
覇王魔龍装備が出来上がった後はそれぞれを使い分けつつ、二種類の装備のうち前者を使う場合と後者を使う場合では『別人』として振る舞うことを思いついた。
「しばらくはどうしようもないか……ティモシーさんにもいろいろ頼んで、時間がかかるだろうから……」
兎以外にも、例えば猪あたりでも狩れるようになれば、また行動の幅が広がるはずだ。
フォルトゥナの育成は、何よりも重要な『最優先事項』だった。
しかし、ここで疑問点のひとつに気づく。
「と言うか、この仮面……付けやすいのはいいけど、材料をケチってる……?」
仮面の作りが、割と簡素なのだ。
直接顔に当たる裏地は、魔龍の革よりももっと肌触りがいいものを使った方がいい、というのは分かる。
受け取る時に確かめた通り、着け心地や視界に問題はない。
しかし『全身分の材料を持っていて、それらを全然使っていない』という在庫量を伝えたにも関わらず、使った魔龍素材はわずか。
ましてやこれを作ったティモシーには『素材の骨を削ったカスは、妻の病気を治す薬にするべく確保しなくてはならない』という事情すらある。
実際に会って話して依頼して、悪人という感じでも嘘を言っている感じでもなかったティモシーと、それらの事情と、この仮面の品質が噛み合わない。
何が起きている?
まさか、あのティモシーでも欲に目がくらんだ?
もしくは、せっかく目をかけてやったアーチが見込み違いだった?
狩りを切り上げて、クルスはフォルトゥナを連れて町へと急いだ。
人里を遠く離れた荒野。
暗雲立ちこめる空を突き刺す、灰白色の尖塔が六本。
その六本を従えるようにそびえ立つは、人間たちの間で、まさに『魔王』として恐れられる覇王魔龍が住まう城。
名を《羅刃城》と言った。
玉座に腰掛ける王の姿は、美女に見える。
場内に詰める者たちも皆、人間に見える。
しかしそれらは全て、秘儀《形態収斂》にて人間の姿に合わせた、いずれ劣らぬ強大な力と人間以上の知能を兼ね備えた魔物ばかり。
ただ野生に生きるだけの、知能のない魔物とは格が違う。
その一線を画した領域にいる者だけが、この城に出入りすること、または住まうことを許されるのだ。
その中でも一際、そこに入ることを許される者が少ない部屋の一つ。
謁見の間。
玉座に腰掛ける姿……魔王が、ひざまづく姿に声をかける。
「では、先代……父上が亡くなられたという話は、やはり本当であったのだな」
「さようでございます」
ひざまづく姿は、その長い銀髪を乱すことなく答える。
先代の魔王が死んだ。
それは事実だと。
しかし、当代の魔王であるこちらの覇王魔龍は、無事に代替わりを済ませた後だ。
魔王の力の源である《魔王輪》を受け継ぎ、新しい体制に移っている。
世襲と見くびっていた者はその実力をもってして黙らせては従えて、また、どうしても従わない者は『消して』きた。
先代が死んだと言っても、それだけでその新体制に影響が出ることはない。
その死後、先代が何も残してさえいなければ。
「先代は折に触れ、語っておられた。『いくら題目を述べようとも、最後は力が全て』だと……力及ばず敗れて死んだと言うなら仕方ない、先代の命運もそこまで、いずれは余も同じ末路、ということやもしれんな。余は、当代の魔王としてはそうとしか言えぬ」
だが、先代は娘に様々なものを残した。
魔王輪を。魔王の座を。羅刃城を。軍団を。
更に、魔王として立つ者の心得と覚悟を。
「だが、父上の娘としてはそれで終わるわけにはいかん。親を殺されて、それを仕方ないなどと、泣き寝入りなどしてたまるものか! 必ずや仇を取り、父上の……そして余自らの、無念を晴らしてくれよう!」
この場にいる他の誰にも、否やはない。
娘である当代の魔王はもちろんのこと、それ以外の者も全員がこれまでに受けた恩や目の当たりにした人柄から先代を慕っては、規範としている。
そうした恩義や徳といったものも、この羅刃城には残っているのだ。
「父上は誰に……何者にやられた……それを調べ上げ、万全の態勢を整えた上で確実に殺せ。それと」
そして、先代は羅刃城以外の場所にも、大切なものを残している。
それは……
「余の『弟か、妹』がどうなったか……それも調べよ。もし、生まれることすらなく卵のうちに潰されたなどということならば……その仇は生け捕りにせよ。余が直々に、命乞いどころか死を乞うほどに、後悔させてくれよう」
……卵。
今は卵から孵り、すくすくと育つ雛。
今まさに育っている雛。
クルス・アルバに転機をもたらし、その生を共にする《運命》こそ……
当代の魔王からすれば、血を分けた弟、あるいは妹なのだ。
ゆえに魔王は命じる。
その捜索を。
「其の方の知恵と洞察を当てにして……任せるぞ。《雷のくちばし》」
「承知」
命を受けた銀髪の姿、トニトルス・ベックスは立ち上がると一礼を返し、謁見の間を後にする。
その瞳に厳然たる決意を宿して。
「殊更言われるまでもない……大恩あるご隠居に狼藉を働き、あまつさえ死に至らしめた者共など……この我が、生かしておくものか!」
このトニトルスも、先代には様々な形で世話になった者の一人。
更に言えば、同族……《龍の血統の者》の一人である《銀雷閃龍》なのだ。
その憤懣、やるかたなし!
嫌な予感を抑えきれず、町に戻ったクルス。
少しの休憩すらも取らず、真っ直ぐにティモシーの店へ向かう。
中に入り、様子を探ると。
「あ、兄さん。お帰りなせえやし」
今日ここを出た時と同じ位置の同じ椅子、同じ姿勢、同じ態度。
そのままの状態で、アーチが腰掛けていた。
右足には……何も『ない』まま。
ティモシーが道具を作った様子もない。
「アーチ、ティモシーさんはどうした」
ティモシーの姿が見えない。
店を引き払った様子はない。
アーチと同じように、出た時のままだ。
そもそも、せっかく持った自分の店や工房、何より病身の愛妻を置いて、姿をくらますような男ではないはずだ。
だが、魔龍素材の価値に目がくらんで持ち逃げでもしたか?
あれをきちんと換金できれば、一生遊んで暮らせる金が手に入ってもおかしくない。
もしくはティモシー本人の意思でないなら、どこかから秘密が漏れて、誰かに狙われたか。
しかし、それなら店内に荒らしたり争ったりした形跡があったり、そもそもアーチもただでは済まなかったりするはずだ。
わからない。
得られる情報がうまく結びつかない。
「いや……ずっと工房の中ですぜ?」
アーチには何が何だかわからない。
変わった事など起きていない、クルスが何を慌てているのかわからない、という表情だ。
その温度差が、尚更クルスを混乱させる。
「はぁー……参ったな……」
そこに、当のティモシーが工房から出てきた。
表情が暗く、何やら思わしくない雰囲気だ。
「ああ、お戻りでしたか。いやはや、申し訳ありません」
「ティモシーさん? 参った……って、まさか奥さんが?」
最悪の事態の、もう一つのケース。
妻のアデルの容体が急変して、病死した場合。
その時は龍骨粉と言えども取引材料として意味をなさなくなるばかりか、ティモシーは気を落として仕事どころではなくなる。
そういう可能性も、クルスの頭に浮かんだ。
「いえいえ! おかげさまで、妻の方は持ち直してきまして。問題は……見ていただいた方がいいですね」
さすがに、そこまで最悪というほどではないようだ。
ティモシーが店のカウンターにあれこれと道具を並べていく。
工房で使っている工具たちだ。
しかし、様子がおかしい。
どれもこれも、刃が欠けたり先端が潰れたりと、使い物にならなくなっている。
「あの仮面を作っただけでも、切れ味も何もかなりガタがきまして……最初は龍骨粉が手に入るとなって浮かれて気づきませんでしたが、正直、うちの今の道具ではお預かりした材料を扱いきれない有り様です」
「……そうか、しまった……そうなるか……」
いくら腕のいい職人でも、いや、腕のいい職人だからこそ、その腕前を完全に発揮するには、適切な道具が欠かせない。
ティモシーには腕前も人柄も備わっていて、クルスから見れば貸しもある。
しかし、道具がない。
考えてみれば当然と言えた。
何十人もの《騎士》たちや《魔法使い》たちが束になっても敵わない、勝つどころか傷つけることすら難しい魔龍の皮革。
それが、防具職人が持つ品としてはいたって普通の工作道具で、どうにかなる方が変な話なのだ。
ここまで持ち前の機転と予測で死線をくぐって生きてきたクルスであったが、つまりはここに来てごく基本的な要素の見落としから予測を外してしまった。
「すいませんでした。盗難が怖いですから材料は引き上げと、道具の弁償をさせてください」
魔龍素材は、一介の町職人であるティモシーにとっては荷が勝ちすぎた。
クルスはティモシーに工具の弁償を申し出たが。
「そんな! これは龍骨粉欲しさに飛びついて安請け合いをした自分の失態です。龍骨粉を先に提供していただいたのに、更にそこまでしていただかなくても」
「依頼したのはぼくです。そういうわけにも」
ティモシーもティモシーで、受け取ろうとしない。
互いの人柄ゆえのことではあるものの、譲り合いに押し合いで話が進まなくなってしまった。
「ティモシーさん。ここは兄さんの顔を立てて、弁償してもらった方がいいですぜ」
見かねたアーチが口を開いた。
第三者としての、一歩引いた目線ゆえに見えたものがあったらしい。
「奥さんは持ち直してきたッつっても、まだ元気とは言えねェ。これからもティモシーさんは、金はいくらあっても足りねェくれェでしょうよ。なら、明日からもまた稼ぐためにゃァ、商売道具は欠かせねェ」
「た、確かに……」
「それに、俺の『足』も作ってもらわなきゃァならねェ。ティモシーさんが金なし道具なしじゃ、俺も困るんですぜ」
「そうだった。そう依頼されてたな」
そこまで説明されて、ようやくティモシーが折れることで話がまとまった。
クルスは当座の資金として、工具を修理したり新調したりしてもお釣りが来る額をティモシーに渡した。
ただし、その『お釣り』はアーチの『足』の製作費として充当される。
それと、もうひとつ置いて行くものをアーチに。
「こりゃ……最初に使ってたボロい防具? なんでこんなもんを?」
「これを使って、どうにか『ぼくが死んだ』ように見せかけてくれ」
この町に着くまで使っていた、みすぼらしい防具。
予想される追手……
ジンたち勇者一行を憎む魔王の手の者や、勇者一行そのもの。
それらに対して対象である自分が死亡したように見せかける『偽装』の証拠品として、捨てずに取っておいたそれが使えるはずだとクルスは思いついた。
「そこまでしなきゃァならねェとは……兄さん、よほどの事情ありなんすね」
「そういうことにしといて、頼むよ。無料でなんて言わないからさ」
アーチにも金貨を一枚握らせた。
魔王の配下はともかく、もしもジンたちが相手なら『ここにクルスがいた』ことはそれだけで示唆できるだろう。
『どうしてクルスが死んだか』を示唆するかは……アーチの腹芸に任せる形になる。
そういう話は正直、アーチの方が上手いだろう。
クルスは先読みと今後の予定を大幅に修正することになったが、それでもそれなりの手がかりはこれまでの旅路で得ていた。
「ということで、ぼくは東に行くよ。《妖精の工匠/Fairy Artisan》の噂を頼りに、ね」
フェアリーアルチザン。
一般の銅や鉄でなく、魔術の要素が強い希少な素材を加工して様々な道具にするという工匠の逸話。
その工匠が実在するなら、なるほど確かに魔龍の素材も装備品に加工できるだろう。
「……ティモシーさんの腕に不満なわけじゃないんです。仮面は、満足の出来映えですから」
最後にクルスは小骨を一つ、ティモシーに渡した。
魔龍の指の骨を一つだけ。
しかし、この一つに救われる命がある。
ティモシーはもう、どうあってもクルスに頭が上がらないようになっていた。
「……ありがとう……ございました……」
泣いて見送るティモシーの店を出て、クルスはまた歩き始めた。
この店に、この町に、次に来るのはいつになるか。
もう来ることはないのか。
風任せの旅路へ、クルスは……
……東門ではなく、来た時の南門でもなく、西門を出た。
アーチが偽装に失敗する場合や、ティモシーの妻であるアデルの容体から薬の原材料を類推される場合などを先読みして、生きて町を出たと知られることも考えておいたためだ。
それなりの理由を付けつつも、あえて違う方向を知らせておく。
典型的な偽情報作戦だった。
「フォルトゥナが賢くて助かるよ。大事な話の時は大人しくしていてくれるし」
そして今は街道を少し外れて、野営の準備。
急ぐように前の町を出たせいで次の宿場町に着く前に暗くなってしまったが、身軽な旅には急ぐ用事も大きな心配もない。
「こうして夕食まで取ってきてくれるし」
「キュ!」
狩りを覚えたフォルトゥナは、野犬程度ならもう狩れるようになっていた。
気のせいか、少し大きくなったようにも思える。
この日は野犬の肉を焚き火で炙り焼きにして夕食。
現地調達で賄い、保存食を節約したりフォルトゥナに経験を積ませたり。
自分の装備も良くなって、そろそろステップアップを考えたい。
野営で夜を過ごして、翌日は早めに宿場町へ。
「今日はここでのんびりするよ。後で少しだけ、狩りに行こうね」
「キュ、キュ!」
フォルトゥナは非常に聞き分けがいい。
ゆくゆくは人語を解するどころか高い叡知を行使するとは思っていたが、まだ生まれたばかりのこの段階でさえ、言うことをよく聞き分けて従ってくれる。
誤算は誤算でも、こちらはクルスには嬉しい誤算だった。
「こうなると、フォルトゥナに何をしてくるかわからないから……やっぱりジンたちにはもう会いたくないな。アーチがうまくやってくれると楽でいいんだけど」
クルスは今後の生活について、その計画を考え直す。
大まかには、近場の野生動物を狩って路銀を浮かせつつ、気ままに暮らす。
貴重品も何もかも、一式は《亜空間収納》の中。
外から見れば手ぶらの無謀な旅でも、その実態は準備万端。
普通の雑貨や所持金以外にも、勇者一行との旅で獲得して《鑑定》で正体を確認しつつも、それを誰にも明かしていないまま秘密の《魔法道具》が色々とある。
それらを《亜空間収納》から取り出さずに、本体は置いたまま効能だけを取り出せれば、あるいは《魔法使い》にも似た効果が得られるのではないか……
しかし、慢心は禁物。
どんな道具も能力も、材料も情報も、最後は扱う人間次第なのだから。
そんな暮らしをしながら、西へ、西へ。
フォルトゥナと出会ってから、一月が経った。
このあたりで、一人と一匹の生活にほんの小さな変化が、しかし今後を明確に示唆する変化が起きた。
「ごめんよ、フォルトゥナ。もう、ぼくの頭に乗るのはやめてほしいんだ」
「キュ?」
「君はぼくの予想よりも早く、きみが思ってるよりも大きく、体が育ってきてる。もう重くて、乗せてあげられない」
「キュー……」
残念そうに視線を伏せるフォルトゥナ。
可愛らしくはあるが、そう言っていられるのは今のうちだ。
「きみはこれから先、もっとずっと大きくなる。そうなったら、逆にぼくを乗せてほしいし、それに……」
言いかけて、クルスは改めて自分が請け負った《運命》の重さを思い知った。
これから先、フォルトゥナは更に大きく、強く育つ。
加えて、先代の魔力の大半をその身に受け取ってもいる。
とどまるところを知らないその素質は、そう遠くないうちに人々を恐怖に陥れるのではないか。
人前に姿を現すだけでも、国ひとつがまるまる揺れ動くようになるのではないか。
そして。
「……いつまでも甘えん坊さんじゃダメだよ、フォルトゥナ」
「キュ……」
人間の生涯では、ドラゴンのそれを見届けることはできない。
何か外敵に両者まとめて殺されるのでない限り、確実にクルスの方が先に死ぬ。
その時までに、フォルトゥナに様々な事柄を学ばせなくてはならない。
クルスは決意を新たにして、次の町に入り、酒場で軽食を頼み……
「よう。《手ぶら/Empty-handed》」
……エンプティ?
言われている意味がわからなかった。
確かに、自分に向けて言われているのはわかる。
声をかけてきた相手も、西へ移動する最中に何度か見かけた、普通の冒険者の一人だ。
名前は知らないが、その浅黒い肌の顔は知っている。
「お前だよ。だってお前、誰にも名乗らねえからよ」
それはそうだ。
勇者一行の追跡をかわすべく、手がかりになるものは残せない。
しかし、エンプティとは。
「宿でもどこでも気前よく払うわ、誰とも組まねえわ、何の支度もしてねえように見えて、金にも道具にも困ってねえ、手ぶらで出かけて手ぶらで帰ってきたようで、買取にはどっさり、大漁の獲物」
これまでの動向はそんな風に映っていたのか。
よく観察したものだ、と少し感心するクルス。
「で、誰とも組んでねえから買取金額がたんまり入っても堂々と総取り、それでいて盗もうにも受け取った次の瞬間には、そう! その金もどこへやら。んで、なくしたように見えても金はしっかり持ってて、気前よく払っては最初に戻る……しかし名前だけは決して誰にも言わねえから、ついたあだ名が《手ぶら》ってわけよ」
それでエンプティか。
説明されてようやくクルスは『エンプティ=自分』と理解できた。
「それならちょうどいいや。これからもぼくのことは《手ぶら》って呼んでくれ」
安直ではあるが、なんとも面白い《命名》だ。
《亜空間収納》を駆使して見た目が手ぶらに見える今のクルスには、ぴったりだろう。
「名乗れる名前がなかったんだ。ちょうどいい」
「そっちのおチビもかい?」
フォルトゥナが指差される。
頭に乗せるのはつらくなってきたとはいえ、まだまだ生後一ヶ月。
子犬よりは少し大きい、小動物と言って差し支えない体だ。
「いや、この子はフォルトゥナ。ぼくの相棒、ぼくの兄弟」
「よく慣れてんな」
「卵から孵るところから一緒だからね」
こうして話していると、悪い奴ではないようだ。
アーチのことを少し思い出す。
彼もいざ舎弟にしてみれば、決して悪いところばかりではなかった。
「俺はヤズィードだ。よろしくな」
ヤズィード。
さらに西の生まれだろう。
人懐っこい、なかなか面白そうな奴だ。
もちろん手の内を軽々しく見せられはしないが、軽い付き合いくらいは問題ないだろう。
ヤズィードと食事をしながら、雑談を続ける。
「お前はこの先、どうするんだ? ここからさらに西は砂漠だぜ」
「どうするとも決めてないよ。今のぼくの一番の目的はこのフォルトゥナを一人前に育て上げることだから、その目的のために動くだけかな」
それを聞いて、ヤズィードの目が輝く。
機会を見逃さない、熟達した冒険者の眼光だ。
「それならぜひ、俺と組んでくれよ。見た目通り、前衛は張れるぜ」
ヤズィードの装備に目線をやると、動きやすさを重視した防具。
腰にはそれなりの長さの両刃剣と、左腕には取り回しのよい丸盾。
なるほど、いかにも《剣士》の一式だ。
「ぼくの手の内や素性を詮索しないこと、そして秘密を守ること。それが『約束』できるなら、いいよ」
「ははっ、そりゃ誰でも嫌なもんだろ。わかった、約束する」
本名や亜空間収納といった、出身に直結する内容はできれば公に知られたくない。
この約束を破らない限り、ヤズィードはクルスの仲間だ。
「小指を出して」
「あ?……小指って、この小指か」
「お互いに自分から話されるのでない限り、相手の手の内や素性を詮索しないこと。見聞きしてしまったものは、秘密を守ること。『約束』を守る限り、ぼくたちは仲間だ」
クルスはヤズィードと自分の、互いの小指に魔術的な繋がりを作る。
過去にはあの勇者・ジンとも交わした《魔物使い》の契約を応用した『約束』だ。
「なんかしたってのはわかるが……ま、約束を守れば平気なんだろ? それより、話がまとまったってことで一杯やろうぜ!」
「そうだね。新しい繋がりに乾杯」
ヤズィードを仲間にしたクルス。
この先、クルスを待ち受ける《運命》や如何に……
今後は《亜空間収納》に持っている道具をうまく使う「ドラちゃん系俺TUEEEE」にするのもいいかもしれません。
そのあたりも含めて、布石を打つ回になりました。
説明多めとなってしまいましたが、ご容赦ください。
こちらの更新は不定期ですが、本筋にあたる拙作「ラヴァーズ・イン・ディスガイズ!」は、毎週木曜21時定期更新です。
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これに出るトニトルスも、今回は顔見世シーンを設けました。