幸運は訣別のあとで
拙作「ラヴァーズ・イン・ディスガイズ!」に対する前日談、外伝に位置しますが、これ単体で成立させます。
剣と魔法と冒険の次元。
我こそ勇者たらんとする冒険者、異界よりの来訪者、漂流者、あるいは侵略者、そして……
大部分の人々には関係のない『魔王を倒す』『世界を救う』といった、使命の星回りのもとに生まれた勇者。
その勇者は、今。
「おい! よこせって言ってるだろ!」
人里離れた山の中、中腹あたりの森の陰。
夜営中に戦利品の取り分を巡って、仲間同士の言い争いを繰り広げていた。
目玉となっているのは、一本の剣。
「それは……ダメだよ。これを見つけた時、最初に約束したじゃないか。ぼくはこの剣だけもらえれば他は全部いらない、その代わりこの剣だけは絶対にぼくの取り分だって。それからずいぶん経つのに、今になって……」
気弱そうな少年が抱える剣を、もう一人の少年が狙う。
こちらの少年はまるで対照的なほどに強気だ。
それもそのはず。
「クルス、あんたさぁ、ジンの言う通りにしといた方がいいよ?」
「そうそう。ジンくんは《勇者輪》を持つ《勇者》なんですから、ネ?」
強気な少年……ジンは世界にただ一人の勇者。
人々の期待を一身に背負い、その証の勇者輪を輝かせて戦えば、これまで敵なしの強さを発揮してきた。
共に旅をしてきた《魔法使い》と《女僧侶》の二人の女性が、ジンの肩を持つ。
弱気な少年、クルスは三対一の劣勢に立たされていた。
この場にはもう一人……《剣士》の女性もいるが、見張りを交代するために今は眠っている。
よほど仲間を信用しているのか、あるいは単に疲れているのか、それはわからないが、この騒ぎにも起きて来ない。
「タリーも、ミウも、みんなしてそっちの味方なんだ……」
魔法使いのタリーと、女僧侶のミウ。
勇者であるジンに寄り添うように、それぞれがジンに近い位置に立つ。
「《魔物使い》の名門の出だって言うから期待してたのに、どんな魔物とも契約できない落ちこぼれの味方なんて、誰がするのよ?」
「戦闘以外での能力は高いから、ジンくんもここまであなたを連れて来てくれましたけれども……ネ……」
そう、クルスの本業は魔物使いである……はずだった。
しかし、これまでの旅路で出会ったさまざまな魔物と《契約》を試したものの、種族や強弱の如何を問わず、一匹たりとも成功したためしがなかった。
そのため魔物使いとしては戦力になれず、戦利品の目利きをする《鑑定》と、鑑定した戦利品を本来の体力以上に持ち運ぶ《亜空間収納》の能力でパーティーの裏方として貢献してきた。
しかし、ジンたちにはその苦労がわからない。
『命を賭けた戦いを自分たちにやらせて、安全になってからしか働かない奴』としか認識されていなかった。
「……お前! 鑑定で調べて、すごい業物だから欲しがってんだろうけどな! 剣だぞ、剣! お前みたいな落ちこぼれより、オレの方がよっぽど使いこなせるんだよ!」
もちろん、ジンもこれまで旅をしてきた中で、名剣と呼ぶに相応しい業物を得て、腰に提げている。
しかしクルスが今抱えているそれは、そんな『並みの名剣』とは違う。
最初こそ衰えつつあった能力を隠していたが、クルスの目に止まり、クルスの手で魔物の血肉や魔力を吸い上げていくうちに、次第に全盛期の艶と輝きを取り戻しつつある『黒い魔剣』だった。
「これさえあれば、ぼくだってかなり戦えるのに……誰がここまで甦らせてきたと思って……」
しかしまるでその輝きと引き換えたかのように、クルスの瞳は今、急激に輝きを失っていた。
世界を救う勇者という立場を別にしても、これまで共に死線をくぐり抜けてきたと、仲間だと思っていた。
それなのに剣一本で目の色を変えて、まるで泥棒か何かのように責め立ててくる。
必然、そのまなざしには失望が先に立ってしまう。
「はぁ? あんたにできたんならあたしにでも、この中の誰にでもできたわよ! バカじゃないの?」
タリーの侮蔑が、冷徹な視線と共に飛ぶ。
まるで大したことでもないかのように、クルスの働きを矮小化する。
「それにな、これから戦うドラゴンは……隠居したとはいえ、先代の魔王! 今の魔王の父親の《覇王魔龍》だぞ! それこそ、オレがその剣で戦うべきだ!」
「ジンくんの言う通りですよ。さあ、クルスくん。それをこっちに。ネ?」
ジンは目指す相手である覇王魔龍の強さを自らの論拠とし、ミウがそれに追随する。
クルスにしてみれば、寄ってたかってという構図だ。
到底承服はできないが、かと言って仮に力ずくとなれば勝機はない。
この勢いではそれこそ、最悪の場合はクルスを殺してでも魔剣を奪い取るだろう。
「……もう終わりだね。ぼくは抜けるよ。覇王魔龍とでも何でも、きみたちだけで戦えばいい。ぼくも、この剣もなしで」
しかし、クルスは見た感じのままの気弱な少年ではない。
勇者の仲間として死線をくぐって鍛えた胆力と先読み、単純な戦闘能力以外の様々な利点がある。
ゆえに希望は、勝機はまだある。
魔剣を渡さず、この場を切り抜けて、勇者一行からも抜ける算段が。
「だから! 戦うからそれをよこせって言ってるんだろ! 誰もお前に来いとは言わねえよ! 抜けたきゃ抜けろ。でもな、それを置いてから消えろ!」
ジンは、本当に『この魔剣を欲しがって』いる。
その欲望こそが、クルスの勝機。
「さっさと……うぐっ!?」
突然、ジンが右腕を震わせて苦しみ出す。
小指がひきつり、おかしな方向に反り始める。
「ジンくん!?」
「勇者ともあろう者が、約束を破るの? 確かにぼくと『約束した』よね?」
慌てたミウがジンの手袋を外し、その小指を見ると、指輪のような紋様が浮き出ていた。
クルスも右手を見せると、小指に同じ紋様がある。
「この剣を欲しがらない、これはぼくの分け前、って『約束した』のに破ろうとするから、そうなるんだよ」
「お、ま、え……何を、したぁ……!」
激痛に苦しむジンは右利き。
これではとても、剣を握るどころではない。
しかし同じ紋様が浮き出ているクルスは何の影響もなく、普通にしている。
「約束するのに、魔物使いの契約を応用しただけだよ? 約束を破ったらこうなるって……なんとなくでやってみただけだったのに、まさか本当に約束を破ろうとするなんて」
魔物使いが結ぶ契約は、いくつもの呪文が複雑に重なっている。
クルスは魔物と契約して使役するという『実技』こそこれまで失敗続きだったが、その前提となる呪文の構築と、そのまた前提、基礎……そういった『座学』には人一倍、真剣に取り組んでいた。
それを応用したのがこの約束であり、クルスの切り札だ。
「ぼくがなんともないのは、ぼくが約束を守っているからさ。誓ってぼくは、この剣以外『欲しいと思ってない』から」
そして、クルスの勝機はこれだけではない。
もうひとつの切り札を、見えない所に持っている。
「あんたねえ、いい加減にしなよ! ジンは戦えなくても、あたしの呪文があるんだよ……さっさと詫び入れないと、殺すよ?」
その切り札が見えないタリーが、焦りのあまり悪手を打ってしまう。
だが、殺害をちらつかされたとしても。
「ぼくを殺したら、これまで散々稼いでたっぷり溜め込んできたお宝やお金は、永久に亜空間収納から取り出せなくなるけど?」
「ぐっ!?」
「タリー、ダメよ。ネ」
それは今までの稼ぎの放棄と同義。
三人とも亜空間収納の便利さをいいことに、かさばる財宝や貨幣はほとんどクルスに預けてしまっていた。
その不覚を呪いながら、タリーは思いとどまる。
「って、あんたもそれを欲しがったら! 約束破りなんじゃないの? 返しなさいよ!」
「うん。いいよ? 誓ってぼくは、欲しくも惜しくもないから」
クルスは両手を掲げて、亜空間収納の出入口である穴を開け……次の切り札を見えるように出した。
タリーの頭上に。
「なっ!? あ痛っ! こら!」
降り注ぐ財宝。
それこそ、タリーの下半身が埋まってしまうほどの量が、亜空間から取り出された。
しかもまだ全部ではない。
あまりにも量がありすぎるせいで。
「く、クルスくん! 出すのやめて! ネ! 落ちてる! 坂を転がって落ちてるから! ネ!」
ミウが慌ててクルスを止めにかかる。
山の斜面を伝って、財宝の一部が落ちて行っているのだ。
人里離れた山の中ではともかく、人間の街の中で売りに出せばどれもこれも高値がつく財宝の数々。
クルスはそれらを、言葉通り惜しげもなくばらまいているのだ。
山中の森で、しかも明かりも道もない、夜の闇の中に!
「へえ、そう? 面白いから、もっと落とそう!」
更にクルスは穴を操作して、向きを傾けた。
坂の下側に向けて、物が……財宝たちが出ていくように。
「お前! ふざけんなよ!」
剣どころではなくなったおかげで、右腕の激痛がひとまず消えたジンが怒鳴る。
これ以上ばらまかれたら、大損どころではない。
それ以前に、既にばらまかれた分が回収できなくても、それだけで大損だ。
「誓ってぼくは、ふざけてなんかいないよ? いたって真面目さ。もうきみたちとはお別れだから『約束通り』に『欲しがらないもの』は、ここで全部置いていくんだ」
ばらまかれる財宝の勢いが落ちて……ようやく止まった。
そこに今回の騒動の原因となった剣を入れて、クルスは亜空間を閉じた。
「それじゃぼくはもう行くけど、追いかけて来ないでね。まあ、ぼくよりも落ちて行ったお宝を追いかけた方がいいと思うけどさ」
「こ……っ、殺す!」
「生きて帰れると思ってんのか!」
してやったり、という晴れやかな顔で去るクルス。
その背中に向けて、タリーは呪文の狙いを、ジンは抜いた剣先を、それぞれ向けて怒鳴りつける。
「待って、二人とも! ここはクルスくんの言う通りよ。早くお宝を拾わないと、ネ」
「……でないと大損、か」
「他の人とか魔物とかに拾われたら面倒よ……急いで探さなきゃ」
こうしてジンたちが財宝を優先させたおかげで、クルスは安全にその場を離れる時間を稼ぐことができた。
欲に目がくらんだ俗物など、いくら勇者一行と言えども命を預ける気にはなれない。
これからは一人旅だ。
「ってか、なんでルイスは起きて来ない! 起こせ!」
「ルイス! 大変なのよ! あんたも手伝って!」
「ルイスさん、お願いします! ネ!」
「うう……ん?」
寝入っていたために結果として中立の姿勢となった女剣士、ルイスは三人に叩き起こされた。
これから夜通し探し物をして、三人分の尻拭いだ。
「なんだか知らないが、後で説明しろよ」
ルイスを含めた四人が、財宝が落ちて行った方向へ動く。
クルスの思惑にまんまとはまる形で。
(よしよし。やっぱり、あっちに落としたのは正解だった。道がなくて、川がある)
それを見届けたクルスは、別の方向から山を下りていく。
こちらは元来た道がある方で、麓には来る前に泊まった宿場町もある。
路銀も装備も心配はない。
心の中ではすでに、今後についての思案を巡らせている。
(バカがすっかり忘れてるみたいだから、お金はあんまりばらまかずにおいたんだよね。どうせぼく任せで、総額だって把握できてないでしょ)
クルスは換金が面倒な財宝をほとんどばらまいた一方で、ジンたちがそっちに気を取られている隙を突いて、貨幣はかなりの量を温存していた。
もちろん例の約束に引っかからないよう、何を売っていつ得た金かを別々にしていたから、約束に引っかかる金は全部ばらまいている。
それもこれも、日頃の運搬や管理から、果ては換金の交渉までも全部押し付けられていたおかげとも言えた。
結果としてはかなりの額を吐き出した上に喧嘩別れにもなってしまったが、それでもまだまだ稼ぎが残っている。
他人が手出しも知覚もできない亜空間収納の中という点も考えれば、当分は安定して暮らせるだろう。
そして、毛布や保存食といった旅の必需品も亜空間収納の中。
重さを感じることも、盗まれる心配をする必要もない。
(魔物との契約はできてないけど、こればっかりは修行しててよかった……あの家に生まれてよかった)
亜空間収納は、元々は魔物使いが使役している魔物の餌を運ぶために編み出された能力。
大型の魔物はそれだけ、食べる量や回数も多い。
当然、食料の調達と運搬が問題になる。
それを解決するためにこうして、餌を亜空間に保存して運ぶのだ。
亜空間には、入れた餌が傷むのを遅らせる遅延効果もある。
原則として生き物は入れられず、無理に入れても亜空間の中では死んでしまうという欠点はあるが、生き物でなければこれほど便利な運び方はない。
(さて、今後はどうしたものか……勇者と喧嘩別れしました、魔物とは契約できてません、じゃ……姉さんの所には顔を出せないな)
そして、それら魔物使いの技を覚えた生家には、姉。
クルスには姉がいる。
同じ両親から生まれ、巨鬼と契約して使役する《巨鬼使い》として名高い姉、バレンティナ・アルバ。
初代アルバ卿が賜った爵位と、その初代が持っていた魔物使いの技、そして『夜明け』の意味を持つ家名を受け継ぐ、アルバ子爵家の長女だ。
(まあ……アルバ子爵家は……姉さんが婿を取ればいいでしょ)
そして同じ家に生まれたクルスは、アルバ子爵家の長男。
跡取りとして将来を嘱望され、だからこそ『勇者の仲間』として経歴に箔をつけたいという家の思惑で送り出されて、今に至る。
しかし、この結果では箔どころか、家名に泥を塗ったと言って差し支えないだろう。
(不出来な放蕩息子は、家を捨てて気ままに暮らしますよ、と)
勇者一行にも、アルバ子爵家にも、どうせ未練はない。
それらと潔く《訣別》して、クルスは歩く。
順調に宿場町に戻り、一人でいることについては聞かれても適当にはぐらかしつつ一泊して、早々に退散。
(勇者一行でさえなければ、魔王討伐なんか目指す必要はないんだから)
そして、今まで行ったことのない道へ。
勇者もアルバ子爵家も関係ない、行ったことのない国を目指して。
クルスはひたすら歩いた。
気ままな一人旅を数日間続けて、そう大きくはない村を目の前にしたところで。
「なんだ、あの鳥……大きい……いや、鳥じゃない? かな?」
大空をふらふらと飛ぶ、大きくて黒い何かが目に入った。
最初は大きな鳥かと思ったが、どうも違うらしい。
黒く、大きく、禍々しく、しかし弱々しい。
そしてそれは、次第に降りて来て……いや、落ちて来ている!
「えええっ!?」
轟音と土煙を大きく上げて、村のすぐそばに落ちた、黒い巨影。
それは。
「黒い……ドラゴン……」
それこそは、かつて魔王として名を馳せた覇王魔龍。
しかし、その命脈は今にも尽きる寸前。
緩やかに終焉を待つばかりの死に体だった。
(暴れられたらこのくらいの村なんて全滅だ……なんとかしなきゃ!)
怯えて何もできない村人たちが遠巻きに見守る中、クルスは駆け出した。
魔龍に近づき、なるべく刺激しないようにそっと、両手で触れる。
【ぼくは、クルス・アルバ。魔物使いの技で、あなたに働きかけています。ぼくの声が、聞こえますか】
そして、そこから自分の意思を声にして通す。
言葉が通じない相手とも意思を交わすための、魔物使いにとっては基本にして重要な技能。
クルスの心が、修行の成果を経て魔龍に伝わった。
【聞こえる。ワシは《孤独なる黒き者》……おまえたち人間が、覇王魔龍と呼ぶ存在】
【あなたが、あの覇王魔龍!】
もはやほとんど体を動かせない魔龍だったが、これに意思を……声を返すことはできた。
孤独なる黒き者、ソルム・ニグルム。
【おまえの心からは、悪意を感じん。それに、そもそもこうして意思で直接語りかけてくる。おまえは、ワシをこうして傷つけた人間どもとは違うようだな】
【あなたほどのドラゴンを、ここまで傷つけた人間……?】
魔龍を傷つけた人間ども。
その言い回しに、クルスは勇者一行の姿や能力、そして性分と言動を思い出した。
記憶が直接、魔龍に伝わる。
【まさか!】
【うむ、知っておるのだな。いかにも、ワシを傷つけたのはその者たちだ】
『しまった!』とクルスは焦った。
もう仲間でもないのに、仲間だと思われて怒らせてしまったら……
魔物使いの技能が、そんな焦りも一緒に伝えてしまう。
【案ずることはない。おまえが……おまえが奴らと組んでいたことがあったとはいえ、奴らとは別の道を選んだこともワシに伝わった。ワシはおまえのことは責めん】
【ありがとうございます】
最悪の事態は避けられるようだ。
自身や村の破滅を回避できたことに感謝して、安堵のため息を漏らす。
【もっとも、責めたところでワシにはもはや何もできん……この深手では、ワシはもはやこれまで……しかし、最期を看取るのが……おまえでよかった】
【ぼくで、よかった?】
おまえでよかった。
そう語る魔龍の真意が、クルスには想像もつかない。
【おまえが身につけた技と、おまえがおまえ自身でまだ気づかぬ力と……そしてワシと通わせたおまえの心根を見込んで……頼みがある】
魔龍が傷だらけの体をよじり、どうにか片腕を伸ばす。
その手の中には丸いもの。
卵が、そっと包まれていた。
【ワシのねぐらにあった人間の道具や金銀など、別にどうでもよい。だが、ワシの体や魔力、そして……この卵は、奴らには……渡せん】
【ぼくに、何かできるんですか?】
クルスが卵を見ると、もうヒビが入り始めた。
今にも何かが生まれそうだ。
【ワシの子が……ここから生まれる。おまえの技……魔物使いの技で、この子と契約するのだ】
【契約!? でも……】
今まではどんなに弱い魔物とも契約できなかったクルスに、雛とはいえドラゴンと契約しろと言い出す魔龍。
クルスの驚きは今日一番だ。
【誓ってぼくは、今まで一度も魔物を従えたことがありません。どんなに弱い魔物でも、絶対に契約が失敗してしまうんです】
【それはおまえの才能に……性質に、おまえが気づいておらんからだ】
クルス自身が気づいていない性質とは。
こうして意思を交わしている間にも、卵のヒビは広がっていく。
【この際に、ワシから教えよう。おまえは……我ら《龍の血統の者》としか……『ドラゴンとしか契約できない』性質……魔物使いの中でも、言わば《龍血使い》……これまで契約に失敗してきたのも、そのせいだ】
【ドラゴン……テイマー!?】
誰も教えてくれなかった。
当たり前だ。
誰も、クルス自身さえも気づかず、試そうと考えたことすらなかった可能性。
【そろそろ……ワシももたん……さあ、契約して見せてくれ】
【……はい】
その可能性が、魔龍の言葉と卵と共に、クルスにもたらされた。
クルスは魔龍から離した両手で恐る恐る卵に触れて、魔力を込めた契約の言葉……呪文を紡ぐ。
【今、ここにクルス・アルバが、その名にかけて誓い、願う。魂の契約を結び、我が力となれ】
乾いた土壌が恵みの雨を吸い込むように、卵が……その『中身』が、クルスの魔力を受け入れていく。
拒まれることも弾かれることもない、クルスにとっては初めての感覚。
呪文が紋様を生み出し、卵に刻まれる。
その紋様を吸い取った中身が、殻を破って……
「キュ!」
……生まれた。
父親にそっくりの黒さを持つ、ドラゴンの雛。
その腹にはクルスとの契約の紋様がある。
「契約に……成功……した?」
「キュイ♪」
可愛らしい鳴き声を上げる雛を撫でながら、その意思を探る。
契約して使役する魔物なら、触れればおおよそわかるはずだ。
【おなか すいた たべもの】
「成功だ!」
生まれたばかりで自我を形成できていない魔物や、成長しても知能が低い魔物によくある反応。
食事や睡眠といった本能からくる欲求が、噛み砕かれて断片的な言葉になって伝わった。
……契約に成功した証拠としても。
「っと、食べ物? ええと……なに食べさせたら……」
片手を魔龍に触れて、訊ねる。
待っていたとばかりの返事が来た。
【うむ、まずは卵の殻を食わせよ。それにもワシの魔力が残っている】
言われた通りに殻を食べさせると、雛はあっという間に平らげてしまった。
まだ足りない、とばかりに鳴く。
「キュ……キュイ」
【ここからが重要だ。ワシは、残る魔力を全て……この子に渡す。そうしてワシが死んだら、この体を捌き、肉を食わせるのだ】
ドラゴンの巨体を捌く。
気が遠くなる大仕事だ。
でも。
【皮や骨は、おまえがこれから何か道具を作る時、またとない素材となるだろう。もちろん、売っても高い金になるはずだ】
どのみち、この巨体をただの死骸として放置したままでは、肉が腐って悪臭を放ったり、それを食べに来る獣を呼び寄せたりして、村に大きな害を与えてしまう。
それなら選択肢はない。
幸いにして、魔物使いの技能……亜空間収納があれば、捌いて一本ずつにした骨や丸めた皮なら、楽々入れて持ち運べる。
売る必要や意味はないだろう。
貨幣はまだまだ十分ある。
【あとは、この子を……育ててやって、くれ……】
そうして考えを巡らせているうちに、魔龍は残りの魔力を雛に注いだ。
あとは搾りカスのような命が、最後の言葉を述べるだけだ。
【……頼んだ、ぞ……】
こうして、先代魔王たる覇王魔龍は崩じた。
ゆっくりはしていられない。
おかしな輩が……それこそ、この事態の原因となった勇者一行が来る前に、魔龍の遺言を実行に移さなくては。
巨体を捌くための刃物は、生半可なものでは捌くどころか傷もつけられない。
しかし。
「まさか……こういう使い方をするなんてね。やっぱりあいつに渡さなくてよかった」
喧嘩別れの原因となった魔剣。
それが魔龍の皮も肉も断つ包丁代わりとして、クルスの手の内で踊っていた。
その切れ味で剥がされた皮を亜空間収納に放り込み、雛が肉を食べる。
「ほら、お食べ」
「キュエ、キュエ」【おいしい おいしい】
残った骨と、爪や牙も亜空間収納へ。
村人は皆、死骸や雛と言えどもドラゴンが恐ろしくて手を出せない。
分け前を主張されたくはなかったので、最初から手出しをさせる気はなかったクルスにとっては、むしろ都合がよかった。
取り分で喧嘩になるのは、もう懲り懲りだ。
「旅のお方、こちらを」
「ありがとうございます。助かりましたよ」
その代わりにクルスが要求したのは、半分ほど酒が入った樽。
貨幣を惜しみなく積んで買い込んだそれを、いくつも用意させては。
「心臓、肝、胃袋、毒袋、目玉、舌、あとは頭の中も……」
重要そうな臓器を酒漬けにしていく。
どれも薬や珍味として研究されてきた、価千金の素材だ。
これらは雛に食べさせるのではなく、酒漬けにして保存。
もちろん、いつまでも保存しておけるわけではないが、亜空間収納の本来の目的……餌の運搬という理由に合うよう作られた遅延効果と合わせれば、当分はこれで大丈夫だ。
「キューゥ」【おなかいっぱい】
「きれいに食べたね。いい子だ。こっちも素材がいっぱい」
まるで小山のようだった巨体が、一人と一匹によって全部片付けられた。
落ちた時の衝撃で荒れた地面は仕方ないが、魔龍の体に関する物はもう血痕しか残っていない。
それなら自然が持つ浄化作用で、放っておけばきれいになる。
落ち着いたところで、クルスは改めて村人たちと話し合うことにした。
「皆さん、偶然が続いて驚かれたと思いますが、ぼくもどこかで一泊だけさせてもらえればすぐに出て行きます。どうかそれまで、あと少しだけご辛抱を」
せっかく、人生で初めて魔物との契約に成功して、ようやく本来目指した道に……魔物使いの道に戻れるきっかけと、その餞別とも取れる希少素材が大量に手に入ったのだ。
現地の住民から私刑を受けて破滅、などという無様は避けたいクルスは、つとめて丁寧に村人に接する。
これは、子爵家の長男として教えこまれた作法。
「いえいえ、辛抱だなんてそんな! 今年は不作でしたが、あなた様が酒を高く買ってくださったおかげで、どうにか納税や生活ができそうです。皆、このご恩に感謝しております。仇で返すような真似は決して!」
村長から話を聞くと、今年は全体的に不作で、質も量も例年に劣る中での納税に困っていた矢先だったと。
減税の嘆願に出ようかという案も出ていたところにドラゴンが落ちてきて、クルスが通りがかった。
どうなることかと思っていたら、不作でいつもより味が落ちる酒を、しかも樽に半分で、例年の倍額で買ってくれると言うではないか。
『両替すると両替商に手間賃を取られるけれど』と注意しながらも、村の誰もが滅多に見ない金貨を惜しげもなく積むクルスに、まるで救いの神が現れたかのようにすがる村人たち。
「お互い運が向いてましたね。ただ、余所者にはあまり話さない方がいいかと」
クルスにとっては、魔龍の臓器を入れる保存容器としての買い物。
口に入れた時の味ではなく、酒であること自体が必要だった。
樽に半分というのも、臓器を入れた分で溢れないようにするためのこと。
例年の倍額というのも、事態の緊急性と素材の希少価値が酒の相場よりずっと優先されるということ。
いずれも単に自分のためでしかなかったのが、結果として村人たちへの施しにもなっただけだ。
迷惑がられるどころか、村長宅で手厚くもてなされて、一泊。
「それでは、ありがとうございました」
「キュイキュイ♪」
村人たちが総出で、クルスを見送る。
頭に乗せた雛も、村人たちに翼を振る。
「お達者で!」
暖かく送り出され、そしてまたクルスは歩き始めた。
しかし、もう一人旅ではない。
幼くて頼りないが、可愛らしくて将来が楽しみなドラゴンの雛が一緒の、龍血使いの旅路だ。
「ぼくの相棒、ぼくの兄弟……名前をつけてあげないと」
「キュ?」【なまえ?】
慌ただしかった事態の中で忘れていたが、雛には餌は与えても、名前は与えていなかった。
その雛にクルスが与える名前は。
「この幸運への導きに感謝して……君は《フォルトゥナ》だ!」
フォルトゥナ。
《幸運》の意味を、名前にこめて。
世界観の中におけるいくつかの用語は、拙作「ラヴァーズ・イン・ディスガイズ!」と共通します。
あちらのキャラクターも、長命な者は何人かが登場する予定です。