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前説 其の5

「あ…や…安田くん…」


伊藤の後ろから可愛らしい女性の声。二人が目線を向けた先には、伊東の背後にすっぽりと収まってしまうくらいの小柄な女性が、物怖じ気に立っていた。


「ん…?」


150センチ半ばくらいの身長ながら、全体的に丸っこく、健康的な丸みの頬。ロングヘアーを両肩で束ねた、地味な風体。そしてこれまた地味な縁無し眼鏡の奥にある、目尻の下がった大きめの瞳がうるうると焦点を定めていなかった。


「なんだ?コウ、この子知ってんのか?」


「いや…」


見知らぬ…とはいえ、クラスメイトであろう女性を伊東が素性を見極めんと覗き込むが、女性は目を伏せたまま、覗き込んだ距離と同じだけ後ずさりした。


「ああ、遠野さんか」


「遠野?」


首を傾げる安田に伊東は呆れた。


「やっさん、クラスメイトの面子ぐらい覚えておけよな」


「俺、人の顔覚えんの苦手なんだよなぁ。フルネーム知ってんのコウと吉川ぐらいだしー」


「自慢げに言うなっての。えっと、遠野由里さん…だったよね?」


「あ…は…はい…遠野です…」


遠野はさらに頬を赤くしながら、ぺこりと丁寧に頭を下げた。


「おう、んで、俺に用か?イビキかいてたら悪かったな」


冗談交じりに笑いながら、安田は軽く右手を上げた。しかし遠野はそのままもじもじと落ち着かずに黙り込んでいる。


「何だよ。用があるなら早く言ってくれよ」


はっきりしない遠野の態度に、ほんの少しイラつきと不信感を覗かせる安田。そんな安田の態度に遠野はますます沈黙を深めて言った。


「エリっザベスっ!!」


そして次の瞬間、安田の頭頂部によく覚えのある衝撃が走った。


安田は再び頭を抱えながら、瞬時に走った怒りを少しも隠さずに、衝撃の出所を思いっきり睨みつける。


「いじめ、カッコ悪いよ」


案の定、無表情の吉川が右手をぴんっと硬直させたまま立っていた。


「吉川ぁ!んだよ手前はさっきから!!後、その掛け声なんなんだよ!?」


「ゆっちーイジメちゃ、ダメ」


「ゆっちー?」


吉川が向いた先を追うと、吉川の突然の登場に驚いている人間がもう一人。


「遠野の事か?仲良いんか、お前等?」


「そう」


吉川はゆっくりと、事態を把握できずに驚愕したまま固まっている遠野の真正面に立ちふさがった。


「初めまして」

「初対面かいっ!?」


頭を下げる吉川に、遠野はようやく我に帰って、慌ててお辞儀をし直した。


「初対面でさっそくあだ名付けんなよな」


呆れた安田に、吉川はきりっと振り向くと、さも文句を言いたげな表情で安田を睨んだ。


「ゆっちーはねぇっ」


意味ありげな、そして珍しい、感情を表した吉田の表情に安田は思わず身を引いた。


「……??」


「入学当時からっ」

「お…おう?」

「『ゆっちー』って顔だなって思ってたのよね」

「そりゃ思いっきりお前のフィーリングだよな!?由里って名前じゃなかったらどうしてたんだよ!?」

「たとえ彼女が美紗子という名前でも、あたしは今、彼女をゆっちーと呼んだね」

「それじゃあ誰のことだか解らなくなるよな」

「もしくは『髪の毛肩のトコで束ねたツインテールちゃん』」

「見た目あだ名にすんな!あと、長えよ!」

「『ヒルダ・フォン・ユッチーシュタイン』」

「完璧に別のドイツ人じゃねえか!シュタインとか、どっから持ってきたんだよ!?」

「『マヤガネン・ポポゴン・ゾドブラ・ユッチーノ・ガ・ラ・ニャホタマクロー』」

「訳わかんねえよ!何人かも想像つかねえよ!」

「コートジボワール外務省外交通商局南米及び中米・カリブ諸国担当部貿易審議課海上貿易通商担当係長代理補佐心得事務官の名前に決まってるでしょ?」

「嘘つくな!何でコートジボワールの役人がここで出て来るんだよ!あと、長えっつーの!!」

「やっさん、コートジボワールの役人に知り合い居るの?」

「お前から言ったんだろうが!」


二人の漫才を見て、遠野は唖然とするしかなかった。

がなる安田と、物怖じしない吉川。目の前で一見、罵り合う男女を目の当たりにし、ただうろたえるしかなかったのだ。


その横で伊東が笑いながら遠野の肩を叩く。


「いつもの事だから、気にしない方がいいよ」


「はあ…」


何かを言い尽くし、やや興奮冷めやらぬ様子で安田はどかっと席に着いた。


「こんなことしてる場合じゃねえ!瀬戸際なんだよ!俺は!」


ガリガリと頭をかき、その弾んだ勢いのまま今度は遠野の方を向いた。


「んで!?遠野は何の用だって!?」


不意に向けられた粗野丸出しの反応に、タダでさえ上擦っていた遠野は、顔を一気に紅潮させ、冷や汗を浮かべながら目を潤ませてしまった。


「あ……」


一変した空気に安田は絶句した。


遠野を恫喝する気はさらさらなかった。吉川とのやり取りと切迫した時間が、勢いとなって遠野に跳ね返ったのだ。


泣き出さんばかりに立ちすくむ遠野を伊東が宥める。


「ごめんね遠野さん。やっさん、課題が未提出なんで気が立ってるんだ。別に食って掛かる奴じゃないから気にしないで」


「そそそ。礼儀を知らないだけなの。やっさんは」


伊東と同じように遠野を宥めようとする吉川。


「お前が言える言葉じゃねえぞ」


安田は訝って見せたが、伊東と吉川の冷静な視線を浴びる。


すっかり悪役にされた安田は、拗ねた様に一瞥をくれ、再びレポートを書き始めた。


「んで、実際のところ、安田に何の用だったの?」


「あ…」


ようやく肝心の本題に触れ、遠野は一息吐き出して話し出した。


「別に…ちょっと…でも課題って、基礎看で課題なんて出てたっけ?」


「先週の解剖生理の課題だよ。提出期限、今日じゃん」


「あ…三島先生の……」


遠野は少し考えるように黙り込んでしまった。しかし、すぐに少しだけ前に出て、自ら安田に話しかけた。


「あの…私…私は…先週課題…出したんだけど……その…コピー取ってあるから……参考になれば……」


押し出すような遠野の言葉に、安田は筆を止め、一気に目を輝かせながら遠野を見た。


「遠野…マジか!?」


「うん…ごちゃってしてるけど…私ので良かったら……」


「っっありがてえーっ!助かるーっ!!!」


歓喜を打ち出す安田。飛び跳ねるように遠野の前に立ち、


「悪いな遠野!お前は恩人だわ!ホントにありがとな!」


そんな安田の豹変に少し慄きながらも遠野は持っていた鞄からバインダーを取り出し、その中のルーズリーフの一枚を外して安田に手渡した。

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