学生の白衣は意外と丈夫 1
久々に投稿です。仕事の合間が長すぎますね。
今回は「実技」がテーマです。一番最初の基本から、ちょっとした実話まで、拙い文章で面白まったり書ければな、と思っています。
もし間違いがあれば、指摘していただければ幸いです。
でわ。
今年は空梅雨だという。
確かに、6月ももう後半だというのに、雨の降った日は数えるくらいしかなかった。それで居て風だけは、露のそれに相応しく、じめっと肌にまとわり付く。
蝉ももう幾許か声を鳴らし始めている。夏だった。
空を流れる雲は灰色に濁っていた。それでも、雨の気配を見せない夏空が所々で顔を覗かせ、容赦ない日差しが途切れては照りつける。
「あつ………」
安田は、そんな空をぼうっと見つめながらいつもの公園でいつものショートピースを吹かしていた。
半そでのTシャツには、相変わらずの意味不明な模様。七部裾のカーゴパンツにサンダル素足。相変わらずのアウトロー丸出しな風貌を異ともせず、仏頂面を添えてタバコを呑む姿には、当然ながら寄り添う人影は見えない。
夏は好きだった。
何かしら胸踊る季節。
その暑さが、どことなく自分の背を押し続けるようで。
何より、着る服を選ばなくても何とかなるし。
タバコを銜えた仏頂面は、それでもどこか柔らかかった。
平和な夏。
それはいつもの様に破られた。
「ポン酢飲む?」
安田は何もたじろぐ事なく、声のほうをちらりと向いた。
それはいつもの風景。
「ポン酢飲む?」
黒いブランド物のTシャツに、細身のジーンズをはいた吉川が、何も持たずに、ただそこに立っていた。
「……あんのか?」
「何が?」
「ポン酢」
「バリーがどうしたって?」
「ボンズじゃねえよ。お前が今言っただろが」
「何を?」
「『ポン酢飲む?』ってよ」
「やっさん、ポン酢なんか飲むの?舌おかしいの?」
「だから!お前が聞いてきたんだろうが!」
「死ぬの?」
「お前が死ねやっ!!」
「私はまだ、死ねないもの」
「何かのヒロイン風に言うな」
「お願い、私の代わりに……死んで!」
「お断りだっつーの!最悪なヒロインだな!」
「連帯保証人になって!」
「ヒロインが借金かよ!」
「臓器売って金作って!」
「どんだけ非道なヒロインだよ!」
「心臓1コでいいから!」
「普通1コ取ったら死ぬだろうがっ!!」
「大丈夫…あなたは死なないわ」
「だからどっかのヒロインみたいに言うなっつーの!あと、確実に死ぬし!さっきまで死ねって言ってただろーが!!」
「お礼にポン酢飲ませてあげるから!」
「いらねえし!」
「ポン酢だよっ!?」
「意外?みたいな反応すんな!埋め合わせにもなってねーっつの!」
いつもの漫才。安田は一気に草臥れ、ベンチにどかっと凭れ掛かった。
「暑いんだよ……もういいわ」
「どーもー、ありがとうございました」
冷めた吉川の一言に、更に肩の力が抜ける。
最近、安田の万事がこんな調子だった。前回のレポート騒動の後、吉川は安田に良く話しかけてくるようになった。
尤も、その内容は、状況の脈絡など全く無視した突拍子の無い会話が殆どで。
「やっさんてズラ?」
明らかにボウズなのに。
「今日は授業参観」
いい青年の集まりである看護学校にそんなイベントがあるわけも無い。
その都度、ツッコミを返す安田の奇妙な律儀さにも聊か問題があるのだろうが、そんなことを一ヶ月も続けていればいい加減慣れる、というか、諦めにも近い脱力感が安田を包み込んでいた。
「んで、今日はナンだって?」
ちらりと横を向くと、吉川は安田の隣に座り、持っていたポーチからタバコを取り出して徐に火を付けた。
「タバコ……吸いに来た」
吉川はタバコに火を付け、ゆっくりと煙をふかす。
妙に様になる画だった。
安田から見ても、吉川はたいそうな美人に見えた。ほとんど化粧をしていない様子だったが、肌は程よく白く、アイラインは濃く、目鼻も整って唇も血色は良い。そして安田には忌々しさを感じるくらいの身長も、細身の体幹や、すらりと長い手足と充分にマッチして、厳つさを見せないでいる。
着ている物は質素で洒落っ気も無く、いかにもユニクロ纏め丸出しだったが、そのモデル顔負けなスタイルが、そんな地味さを裏返してシャープなイメージを醸し出している。
まるでモノクロ映画のヒロインのような。
街中に居れば声をかけられる事請け合いだろうに。
それでも、安田は見蕩れるどころか、吉川に対して疑惑にも似た目線をくれていた。
そこにある、確かな違和感を見逃さなかったのだ。
「お前、タバコ…チェリーなんな」
「うん」
とても若い女性が口にするタバコではない、その一点が吉川のイメージを程よく崩していた。
いつでもそうだった。
この女性の行動はどこかずれていた。
親しく話をするでも無し。誰かとつるむでも無し。入学当初は彼女に近づく女性も多かったが、その後、特定の友達が居るようには見えなかった。
教室ではだいたい一人。だが本人はそんなことを気にする様子は微塵も無く、一人で居ることが当たり前の様にすら見えるくらい、平然としている。
だが、なぜか安田には、先述の様に話しかけてくるのだ。
唐突に、しかも脈絡も無くズレた内容。
いくら美人と会話出来るといっても、こう毎回この調子では辟易してしまうのだろう。
変なヤツだ。
安田の脱力は、そんなやり取りを積み重ねた結果であった。