#1-4
朱里の診断が終わった。
結果から言うと、入院沙汰だった。
「大丈夫か?」
「いやあ、まさかぼくが入院することになるなんてねえ」
朱里は俺に車椅子を押されながら、笑って言った。
受付で借りた車椅子は、そのまま使っていいということだった。俺も一度膝を怪我したことがあったが、その時は片足だったから松葉杖だった。つまるところ、朱里の足が動かないのは両足ということである。
骨折ではないらしい。神経がイカれたらしく、痛みを感じないのはそのせいだったようだ。原因も症状もよく分からず、ひとまずはしばらく様子を見よう、ということだった。
「りっくんも入院したことあったよね?」
「ああ、二週間だけな」
去年の話だ。膝の怪我の時に、入院していた。大した怪我でもなかったのでその二週間で退院したが。
「入院って退屈だった?」
「そうだな……」
俺は思い返す。
清潔感を演出しているといわんばかりに白い壁。白いベッド。白い棚に白い床。天井も白い。何もかもが白すぎて、世界から色が無くなったような感覚。そんな中に自分がいる。退屈だとかそういう感想よりも、どちらかというと……
……恐怖、が近いだろうか。
色鮮やかな日常から突然、モノクロの非日常へと移される。事実、いくらでも時間があるにも関わらず、俺はロクに眠れなかった。そういえば、支給された服――病衣というらしい――だけがピンクだったのをよく覚えている。
そう振り返りながら、朱里の病室に辿り着いた。何人かの患者が横になっている。相部屋だ。やはり、同じように何もかもが白い。病人たちの視線が一斉に集まる。朱里が深々とお辞儀するのに合わせて俺も頭を下げる。その動きを確認すると、病人たちはそそくさとそっぽを向いた。
「でもお前、毎日来てただろ」
俺は扉を後ろ手で閉めながら言った。
「りっくんがいないと暇なんだもん」
「俺離れしろよ。俺が死んだらこの先どうすんだ」
「いーやー」
上半身を横にゆらゆらと振って拒否反応を示してみせる朱里。小さな子供みたいで見ていて恥ずかしい。他人の振りしよう。
「りっくんも毎日お見舞いに来てよ」
無視してたら、朱里が突然止まってそんなことを言い出した。こいつがこんなに甘えたことを言ってくるのは珍しいな、と思った。
「気が向いたらな」
「気を向かせてよ」
無茶苦茶なことを言う。
「退屈すぎてぼくが死んじゃったら、困るでしょ」
「どんな死因だよ」
「暇死」
「そんな死因があるかよ」
吐き捨てて、俺は看護師さんの代わりに朱里を抱きかかえ、ベッドに降ろした。不機嫌そうに寝そべる朱里。天井の模様を見ているらしい。そのうちその模様も見飽きてしまう。そうなると、自分が非日常にいるということを、急激な速度で認識してしまうのだ。そんな幼なじみのことをなんとなく想像すると、さすがに不憫に感じた。
まあ、どうせ俺も特にやることはないわけだし。
お見舞いくらいには来てやってもいいかな、と思った。
それからは、言われた通りに病室に毎日通った。その日学校で起こったこと、ゲーセンやショッピングモールに寄り道したこと、晩飯は何を食べるのかということ、そして……退院したら何をしたいか、などをとめどなく話す。
そうしているうちに日も暮れてきてしまうので、看護師さんが夜間電灯をつけたあたりで病院を後にする……そんな生活が続いた。
面会中、たまに検査で朱里が連れ出されるので、その間に買ってきていたゴキブリの模型をベッドに滑り込ませておく。戻ってきた朱里が、
「きゃああああああああああ!」
なんて、らしくもなく女の子らしい悲鳴をあげるので、俺はにやにやしながら眺めているのだが、直後、俺の顔面へとグーパンチが飛んでくる。グーはないだろうと思う。もちろんその後、同室の人たちに頭を下げるまでが一連の流れだ。
好奇心の塊みたいな朱里だが、病室暮らしでもそれほどストレスは溜まっていないようで、俺が来るたびに、病室でのことを話してくれる。
同室の人たちとも仲良くなっているようで、お互い身体の調子がいい時にはオセロや将棋なんかをやっているらしい。なんだかんだ言って、そこそこ楽しんでいるようだった。
――しかし、朱里の脚が良くなることはなかった。
いや。脚だけなら、まだ良かった。
一生車椅子とかだったら怖いね、ってこぼしていた俺と朱里。
俺も朱里も知らなかった。
その「一生」の終わりが、すぐそばまで迫っているということに。
◇
数週間後。朱里の病状がまとまったということで、病院に呼び出された。
俺が幼なじみということで、おじさんとおばさん――朱里の両親も、俺の立ち会いを許可してくれた。
俺とおじさん、おばさん、そして朱里は、待合室のような場所に連れてこられた。
狭い部屋の中心に、真っ白なテーブルが一つと椅子が四つ。それがら部屋の端にもう一つ小さな机があって、ノートパソコンが載っている。医者は先にパソコンの前に腰かけ、それから俺たちにも座るように促した。俺は車椅子に乗っている朱里のために椅子を一つ退けて、それから俺も座った。
空気が重かった。
なんというかこう、この狭い部屋からどんどん空気が抜けていって、そのままペシャンコにされてしまうんじゃなかろうかと思うくらい重い。
心臓なんか万力で右から左から押しつぶされているような感覚だ。なんでかって、医者が一言もしゃべらないんだ。だから俺たちは黙り込むしかなくて、息を呑んでいた。
「単刀直入に言います」
医者が言った。
「朱里さんの身体の、細胞が固くなっていっています」
「細胞が固く……?」
俺たちが一様に訊き返す。どういうことだ。
「ただの脚の病気じゃないんですか?」
「違います。もっと酷い……命に関わる病気です」
「命に……?」
「データを見るとですね」
医者はノートパソコンの画面を俺たちに見せてきた。レントゲン図のようなもの……なのだろうか。人型なので、当然これが朱里のものだとはすぐに分かった。
「見ていただければ分かると思うんですが」
医者は人体図の足元を指差した。身体の他の部分は綺麗な白なのに、ふくらはぎから下が黒ずんでいる。
「次にこちらを」
医者はマウスをクリックして、次の画像を表示した。さっきの画像から日付が進んでいる。
最初の画像ではふくらはぎまでだった黒ずみが、膝の上まで覆い被さっていた。
「見ていただければ分かる通り、病気が進行していますね」
「これは、なんなんです……?」
俺が口出しすると、医者は真顔のままで、
「壊死と見ていましたが、朱里さんの身体から分泌された毒素によって、細胞がぐちゃぐちゃになっているみたいなんです。どんどん毒素は増えていっています」
「……毒素とかいうのが、そのまま溜まっていくと、どうなるんだ……?」
普段は無口なおじさんが呟く。医者はそれを訊かれるのだろうと分かっていたかのような苦々しい顔で、
「このままいくと、脚が動かなくなって、腰が動かなくなって……」
「その後は……?」
「心臓に、到達します」
空気が、凍り付いた。




