【エピローグ】明日天気にしておくれ
葬式が終わった。
「陸人くん、ありがとう」
おじさんから頭を下げられる。きっと、朱里を連れて帰ってきたことに対して、ということだろう。一応こちらのほうがワガママを言った立場だし、何か気の利いた返事を……と思ったが、結局何も思いつかなくて、「こちらこそ」とだけ返した。
――本来遺族だけが入れる火葬場だが、俺も入っていいと、おじさんに言われた。
朱里の入った棺桶はエレベーターでどこかに運ばれていく。しばらく待合室で待たされた後、出てきた遺骨を職員が解説しながら、骨壺に足から入れていた。
「これは足の骨です。大変苦労なさったんでしょうね……」
「これが頭蓋骨。綺麗な形をしていますね、きっとお綺麗な女の子だったのでしょう」
骨を見ただけで身体の状態が分かるのか。俺はもはや朱里でなくなった朱里を眺めながら、そう思った。
「陸人くんだって辛かったろうに、説教してしまって済まない」
「いえ、俺のほうこそ……」
式場の駐車場で、俺とおじさんがお互いに謝り合っている。葬式というしんみりした空気のある場所だからか、人と言うものはいくらか素直になるらしい。そういえば、おじさんが前に比べて間を置かずにはっきり喋るようになったな、となんとなく思った。
遠目に、おばさんと青葉姉が話しているのが見えた。たぶん、俺とおじさんのように、色々と積もる話をしているのだろう。
「先に送ろう。車に乗りなさい」
「はい」
おじさんの車に乗り込む。普段はおばさんが助手席に座り、俺は朱里と後部座席に座る。が、今日は俺が助手席だった。
朱里がいる車内はいつもうるさい。一方で今日は、車の中は耳栓でもつけられたみたいに音がしなかった。
車の中で、おじさんに何かを手渡された。
「これは……」
てるてるぼうずだった。葬式の時にも置いていた、朱里をモデルにしたものだ。俺が作ったものだが、朱里が「最期の最期まで持っている」と言ってくれていた。
「これは、陸人くんが持っていなさい」
「でも……」
「構わない。私たちはこれから朱里と一緒にいられる」
おじさんが脇に抱えているのは、朱里の遺骨が入った箱。
それを改めて見た時、朱里はもうこの世にいないということをはっきり認識させられ、背中の先が悪寒に震えた。
おじさんが走らせる車に乗せられて、自宅へと帰ってきた。
だが、なんとなく落ち着かなくて、俺は喪服から着替えるのも忘れたままに外に飛び出した。
ぼんやりとした意識のまま、とぼとぼと歩く。
まるで俺の晴れない気分を映し出すかのように、空は曇っていた。
「はあ……」
ため息をつきながら歩いて、向かった先。
気が付くと、そこは公園だった。
思い出の公園。お互い、嫌なことがあると逃げこんでいた場所。朱里が入院しててるてるぼうず作りを始めてからも、赤也に出会ったりと色々なことがあった。相変わらず人はいない。俺がブランコを漕ぐ音だけが、周囲に響いていた。
俺は朱里のてるてるぼうずをポケットから取り出す。
雨は止まなかった。
でも、朱里は頑張ったんだ。最期まで。
もう、終わりにしよう。
「いいよな? 朱里」
空に呟いて、俺は懐からペンを取り出した。
完成していない左眼。
そこに黒のペンで、眼を描き込む。朱里の真似をして描いた。やけに丸っこい書き味に合うような形にするのは難しかったが、なんとかそれっぽい見た目になった。
「ふああ……」
完成して安心したからか、少し眠くなる。ここしばらく考え込むことが多かったから、疲れたのかもしれない。気づいたら俺はこくりこくりと舟をこぎ始めていた。
どれくらい眠っていたのだろう。
「りっくん?」
聞きなれた声が聞こえて、俺の意識は引き戻された。
目を開く。
「おはよ、りっくん」
奇跡だと思った。
俺の隣にすっと現れたのは。
首を傾げて俺の顔を覗き込む少女。
サイドテールにくりくりした目に、長い睫毛を持ち、やけに良いスタイルが映える、笑顔が眩しい女の子。
卯月朱里だった。
「だっさい喪服だなあ」
「俺だって着たくて着てるんじゃねえよ」
俺は癖で朱里の頭を小突こうとして、手を伸ばす。しかし……俺の手は朱里の頭をすり抜け、虚を掴んだ。
体が透けている。たぶん、実体ではないのかもしれない。
でもそこに、朱里はいる。俺の幻覚なのかもしれない、とか、そういうことを考えたりもしたが、そんなことはどうでもいい。最期に俺に会いにきてくれたのが、とても嬉しかった。
「ざーんねん、今日のぼくはおさわりNGだからさ。喋るだけで許してね」
「ああ……ああ!」
「へへ、りっくん、はしゃいじゃって……子どもみたい」
はしゃぎたくもなる。もう逢えないと思っていた朱里が目の前にいるのだ。
「にしても」
朱里はぐぐ、と身体を伸ばしながら天を仰いで言った。
「普通こういうシーンって、めちゃくちゃいい天気だよね」
「映画ではそうだな」
「曇ってるね」
空はどんよりとしており、パラパラと小雨まで降っている。大荒れとまではいかないが、お世辞にもいい天気とは言えなかった。
「大体、傘もささずにこんなとこまで来てさ。風邪ひくよ」
「いいんだよ、明日休みだし」
朱里は顔をしかめている。ところどころ心配も紛れているのか、それらしく腕まで組んで俺を睨みつけていた。
「そういうお前こそ、傘差さないと風邪ひくぞ」
「いいんだよ、もう死んでるんだし」
「それ、なんだよ」
「死体ジョーク」
「笑えねえ」
言いながら、俺は笑った。
「りっくん」
朱里が一歩近寄って、耳打ちした。
「幻の四番、歌える?」
「……もちろん」
俺は頷く。朱里の腕が伸びてきた。握り拳をマイク代わりに歌え、ということらしい。
てるてるぼうずの童謡、幻の四番。幻と知るやいなや、朱里が時々口ずさんでいた歌詞だ。
――てるてるぼうず。てるぼうず。
――あした天気にしておくれ。
――もしも曇って泣いてたら。
――空を眺めてみんな泣こう。
「朱里、好きだ」
「ぼくも、好きだよ」
告白し合う。俺と朱里は、広がる雲を見上げながら、二人で泣いていた。
でも、そっと朱里の横顔を覗き込むと、笑顔がこぼれている。笑いながら泣いている。それがなんだかおかしくって、俺も思わず笑い声をあげる。
「なに笑ってんのさ」
「いや、おもしろいなって」
「りっくんってば変なの」
「ははは」
「ふふ」
二人で笑う。
こんなに楽しく笑えたことって、今までにあったっけか。
多分、無かったと思う。少なくとも、部活をやめてからは。
ひとしきり笑い終えた後、朱里の身体が少しずつ薄くなり始めた。
「もう行くのか?」
「うん。そろそろかな」
「ああ。元気でな」
「りっくんこそ、ちゃんと朝起きて、ご飯食べるんだよ?」
「おかんかお前は」
何度目か分からない、朱里へのツッコミ。
しかし、朱里はおかんなんかではなく、幼なじみで、俺の好きな人。
生きていれば、たぶん、バカップルとして学校中で噂になったかもしれない。クラスの連中から、やっぱりな、なんか言われたりして。
それは叶わなかった。なぜなら朱里は、もういないから。
でも、いいんだ。俺は朱里のことが好きで、朱里は俺のことが好き。片思いのまま終わるより、よっぽど幸せじゃないか。
今、この瞬間、俺は世界一の幸せ者だ。そう、胸を張って言える。
「じゃあ」
「ああ」
「ばいばい、りっくん」
「ばいばい、朱里」
朱里の身体がさらに透明になっていく。
そして、ぼんやりと霧がかったと思うと、やがて消えた。
さすがに、またな、とは言えなかった。
空間に沈黙が戻る。
ふと、犬の鳴き声が聞こえた。ぱちん、とはじけるような感覚と共に、違う場所に来たような気分に陥る。慌てて目を開けたが、そこは変わらず公園だった。いつか神社に行ったときに見た野良犬が、俺の目前で尻尾を振っていた。さっきのは、夢、だったのだろうか?
けれど。
それが夢だったとしても、現実だったとしても。
俺の気持ちは変わらない。
「ありがとう」
虚空に向けて、俺はお礼を言っていた。もしかしたら朱里は姿を消しただけでまだ近くにいて、らしくない俺の姿を見て、爆笑しながら現れるんじゃないかと思って。
今度こそ、そんなわけはなく。俺の言葉には返事は来なかった。犬だけが、何度も吠えていた。
でも、とてもすっきりした気分だった。
心のつかえが取れたようだった。
足を前に進める。そのたった一歩が無性に誇らしくて、一人でガッツポーズを取ったりした。馬鹿らしくて、一人でゲラゲラと笑った。むせるまで笑った。
それから今度は一人で、空を見上げる。
「俺の心は晴れたよ、朱里」
一面の雲はゆっくりと割れ、小さく陽射しが覗いていた。




