#5-4
――トンネルを抜けると、そこは雪国だった。
国語の教科書かなにかで読んだ小説の冒頭文を思い出すような、見事な雪景色だった。
宿で時間を潰した後、宣言通りに最終便に乗った俺たちは、夜の新幹線から見える景色を楽しんでいた。
俺はあらかじめ買っておいたバニラアイスを少し削り、朱里に押し付ける。
「ほら、やるよ。雪だぞ」
「ちょ、冷たいんだけど! りっくん!」
そう笑う朱里の顔は、頬の赤らみが薄くなっており、それこそ雪のような肌色になっていた。まるで、死に化粧のようだった。
雪の降る場所に足を踏み入れても痛みを伴わぬよう、朱里は残った薬を全部打ってほしい、と言い出した。最期の景色を楽しむのに、苦しみながらでは嫌だ、ということだった。当然、許容量を超えた薬を使うのは毒以外の何物でもない。しかし朱里は言う。
「もう、後の事なんて考えなくていいから」
俺は言われた通り、今持っている注射を全て朱里に使った。
今、朱里は死に場所に向かっている。この列車が止まって、少し歩いて、雪原に辿り着いたら、朱里は……。
――。
新幹線を降り、アテもなく彷徨う。さすがに人はまばらだった。終電で乗ってきた新幹線だ。クリスマスイヴの夜更けに道路をフラついているカップルなんてそうはいまい。
朱里が見たいのは、一面の雪景色。探していると、案外簡単に見つかった。誰もいない公園があった。しかしそこは、俺たちが通い詰めていた地元の公園より何倍も広い。公園というよりは、広場だった。
人通りがないせいか、さらに分厚く雪が積もっている。この雪では車椅子を走らせられないと思い、俺は朱里を二本の腕で抱きかかえた。
「お姫様抱っこだ」
朱里は弱々しく笑った。
「どこまでもお供しますよ、お姫様」
俺は冗談でキザっぽく言った。
でも、分かっている。どこまでも、なんて、長い旅路ではない。
もう、終点はすぐそこだ。
しゃく、しゃく、しゃく。
俺の足音だけが公園中に響き、冷えた空気が震えていく。
「女の子の身体を堪能できるなんて幸せ者だねえ、りっくんは」
「うるせえ、もっと痩せろ」
「これでも十キロは痩せたんだけどなあ」
分かっている。脚は脂肪だけじゃなくて筋肉まで削げ落ち、ほとんど骨と皮だ。もともと肉付きの良かった以前の朱里とはもはや別人で、今にも折れてしまいそうな細さ。しかも、もし折れてしまったとしても、朱里は痛いとは感じない。折れたことにすら気づかないだろう。もはや一人では歩くこともままならない朱里が、行きたいと言った場所。見たいと言った景色。感じたいと言った空気。
しゃく、しゃく、しゃく。
俺の足音だけが公園中に響き、冷えた空気が震えていく。
「寒くないか?」
「ん、だいじょぶ」
「そうか」
公園の真ん中まで歩いていく。中央にある柱時計が静かにたたずんでいる。俺はその傍に朱里を降ろした。胸から下が動かない朱里は座り続けることすらできないので、俺が背中に手を回し、背もたれになる。
「なにか敷かなくていいのか」
「ううん。どうせ冷たいかどうかも分かんないし」
「……わかった」
ならばせめて、と、俺も雪じゅうたんに直に座った。尻が死ぬほど冷たい。でも、別にいい、と思った。
その時、ポケットに入っていたスマホが震えた。
日付が変わるとアラームが鳴るように設定していたのだ。
「メリークリスマス、りっくん」
「ああ……メリークリスマス、朱里」
俺と朱里は見つめ合う。ガラスのように透き通った瞳が俺を捉えている。俺だけを、捉えている。
恥ずかしくなって、キスした。
軽い口づけを終えて唇を離すと、今度は朱里からキスしてきた。
ムキになってやり返そうとして、狙いがズレて頬にキスしてしまった。二人で笑った。
「クリスマスプレゼントがあるんだ」
「プレゼント? ぼくに?」
「お前以外に誰がいんだよ」
俺はリュックから、とあるものを取り出した。
「わ」
朱里が感嘆の声をあげた。
「ぼくそっくりの……てるてるぼうずだ」
隅から隅まで眺めるように、てるてるぼうずをゆっくりと回している。
「いつ作ったの?」
「昼の宿で、お前が寝た後」
俺は朱里が寝た後、てるてるぼうずを作ることを決めた。
今まで一緒に作ってきたてるてるぼうず。いろんなことを試した。いろんなものを使った。朱里のてるてるぼうず作りを、ずっとそばで見てきた。だから俺でも作れると思った。持てる技術と、残った材料をすべて生かし、朱里が作りたかったてるてるぼうずを仕上げてみせようと思った。幸い、モデルの女の子はすぐそばで寝転がっていた。
サイドテールは糸を何本も重ね合わせて再現してみた。針金を通して補強した手足は、朱里のものより不格好だが、なんとか形には出来たと思う。首にはもちろん、二振りのうちもう片方の鈴が付いている。
頭の中には願い事――てるてるぼうずを、もう一度。
朱里本人に「自分そっくりだ」と認識してもらえるくらいには、俺のてるてるぼうず作りも上達したってことだ。
「ありがと」
俺が渾身の思いで作ったてるてるぼうずを、朱里は笑顔で受け取り、
「最期の最期まで、持ってるね」
それを、そっとポーチに仕舞った。
「それで、持って来たてるてるぼうずはどうするんだ?」
俺は朱里の代わりに握っていた、大きな袋を地面に置いて訊いた。
「てるてるぼうずってね、晴れたら川に流すんだって」
朱里は言う。
おまじないにおいて、処分の方法は様々ではあるものの、かなり厳しい。厄を溜めこむ性質があるからか、処分の手順を一歩間違えると、逆に災いを引き起こすそうだ。てるてるぼうずの場合、藁人形などと同じように川流しが正しいらしい。もっとも、環境的な意味合いで現代では川には流さないことが多いが。
「でも、川じゃなくて、雪に流したくて。溶けたら流れるでしょ?」
「作法としてありなのか? それ」
「まあ、水なら全部一緒でしょ」
最後の最期まで、朱里は適当な理論で物事を起こすやつだった。
「それで、みんなをここに置いて行ってあげようって思うんだ」
みんな、とは作ってきたてるてるぼうずたちのことだろう。
「これを辺りに置いていくの。今までありがとね、ってね」
「手伝おうか?」
「いいよ、自分でやりたい」
朱里は断って、袋から一つ一つてるてるぼうずを出しながら、何かを囁いていた。
「これはりっくんと初めて作った、赤也くんモデルのてるてるぼうず」
「神社で会ったワンちゃんモチーフ」
「商店街のおっちゃん」
「それと、それと……」
今までに作ったてるてるぼうずのことを思い出しているようだった。一言一言声をかけてから、朱里はてるてるぼうずを雪の上に置いていく。置くとは言っても腰が動かないから、半ば落とすようにして、ではあるが――。俺はそれを、ただ見守っていた。
そうして、朱里の周りにはどんどんてるてるぼうずが増えていく。
最初は正面一列だったてるてるぼうず。
横にもずらりと並んで。
最終的には、俺たちの周囲を囲むかのように、てるてるぼうずが雪絨毯を踏んだ。
「いっぱいだね」
「いっぱいだな」
「クラスが一つ作れそうだね」
「いや、もっといるだろ」
「野球ドームくらい?」
「さすがに盛りすぎだろ」
「コンサート会場くらいかな?」
「……ま、それくらいだろうな」
コンサート、というほど派手ではないだろうけど。
「ふほーとーきになっちゃうかな?」
「不法投棄……だろうな」
「怒られるかな?」
「怒られるだろうな」
「りっくん、代わりに怒られといてね」
「ふざけんなよ」
笑いながら、朱里の頭を軽く小突いた。




