#5-1
幼なじみは、次に雨が降ったら死ぬ。
「ねえ、りっくん」
「なんだ?」
「次降りる駅まで、どれくらい?」
「あと一、二時間ってところじゃないか?」
俺と朱里は、電車に揺られていた。
東京駅から、電車を使って東北地方を抜け、北海道へ。それが今回の俺たちの旅の道筋だった。
新幹線や飛行機なら北海道まではすぐだが、どうせなら電車であちこち寄り道したいと朱里が言いだした。俺は「そんなに悠長にしてる暇はない」と反論したのだが、
「目的地に着くまでは死ねないって思った方が、長生きできそうじゃない?」
そんなめちゃくちゃな理論に押されて、結局電車で行くことにした。
車両の端にある優先席、座席には俺が座り、車椅子用の広めのスペースに朱里がいる。車内はやや混んでいるが、俺と朱里が座るスペースはあった。
「電車に乗るとさ」
朱里が車椅子の上で俺に視線を合わせた。何を言い出すんだろうと黙っていると、
「りっくんが電車で酔って吐いたことを思いだすね」
「な……」
暴露話だった。
「小学五年の時だったっけ?」
「だったっけ? じゃねえよ」
隣町まで新作ゲームを買いに行こうという話になり、二人で人生初の電車に乗った時のことである。車酔いに弱い俺は、初めての電車でも思いっきり具合を悪くしてしまい、ゲロを床にぶちまけた記憶がある。苦い思い出だ。
「ゲロゲロ吐いたあげく、しゅりー、どうしよーって泣いちゃってさー」
「そりゃ子供だからびっくりするに決まってるだろ……」
「泣き虫だったもんねー、りっくんは」
朱里はけたけたと笑っている。朱里の声は通りが良く、おまけに声量を絞るということを知らない奴だから、周りにいる乗客にも筒抜けだろう。何人かが俺たちの方を注目している。こっ恥ずかしい。
……だが、朱里が俺の黒歴史を知っているということは、同時に俺も朱里の黒歴史を把握しているということでもある。
「俺だって覚えてるぞ、朱里」
反撃といわんばかりに割り込み、俺は言う。
「その後やっとの思いで隣町のゲームショップに着いたのに、お前がションベン漏らして何も買えずに帰ったよな」
「う……」
朱里がたじろぐ。
「だってだって! りっくんの面倒見てる間ずっと我慢してたんだもん!」
「まだあるぞ」
俺は間髪置かずに続けた。
「お前、噂になってたぞ。放課後に教室に忍び込んで好きな奴のリコーダーをこっそりと吹いてたってことをな」
「えっ」
朱里の肩がぴく、と震える。カマをかけたつもりなのだが……反応から察するに、噂は本当だったらしい。
朱里は小学校でも人気者だっただけに、当時は男子の間でそれなりに話題になった。こいつが小学生時代に好きだった男子って……
……。
「あれ、俺?」
「そーだよ! りっくんのリコーダーべろべろ舐めてたよ! なんか文句あるか!」
「道理でたまにリコーダーが無くなると思った……」
こいつの仕業だったのか。朱里が顔を真っ赤にしているのを見るとこっちまで恥ずかしくなってくる。
「というかさ!」
朱里はぷりぷりと怒りながら、
「ぼくは一個しか暴露してないのにりっくんは二個とか、ずるいぞ!」
「数の問題かよ」
朱里は唸っていた。俺の恥ずかしい話を何か思い出して仕返ししようとしているらしい。
「りっくん、嫌いなピーマンが給食に出た時、こっそりポケットに隠して水道に捨ててただろ!」
「夜にトイレに行くのが怖すぎて、絶対おばさんと一緒じゃないと行けなかったくせに」
朱里が暴露する話に対し、こちらも一つ返す。ネタならばお互い尽きない。
「中学生の時に痛い呪文とかいっぱい書いたノート作ってたし!」
「自分も魔法少女になれると思って家でバトンの練習してたな」
「先生のことをお母さんって呼んだ!」
「授業中に教科書で隠して漫画読んでた」
息を切らすほどに言い合う。まるで小学生の口喧嘩みたいだ。一度深呼吸を挟んだところで、俺たちは周囲の空気が変わっていることに気づいた。
電車内にいる乗客のほぼ全員が、俺たちのほうを見ているということに。
「……」
「……」
完全に沈黙してしまった俺たちを乗せて、電車はガタンゴトンと音を立てて進んでいた。
◇
「海が見たい」
電車で走っている途中、朱里がそんなことを言い出した。
途中の駅で降りて、バスで東を目指した。結構距離があったが、二人で暴露大会の続きをしていたらすぐだった。海が見えてきたところで降りて、のろのろ歩いた。
太平洋が、目の前に広がっていた。
「わあーっ!」
海と言えば夏だが、冬の海もなかなか風情があった。
潮風は凍えるように寒い。波も強く、とてもではないが穏やかとは言えない。
それでも、海はどこまでも広がっている。終わりのないその大きさに、俺たちはどうしてだか、心を奪われて魅入っていた。
「海岸でバーベキューとかしたら楽しそうだよね」
「ほんとお前は食い物の話題ばっかだな」
「だってもっと色んなものを食べたかったんだもん」
「ま、気持ちは分かるけどさ……」
おばさんから受け取った簡易注射器を朱里の腕に差しながら、俺は言った。
朱里の身体は、もはや心臓より下が動かない。つまり胃腸なんかもダメになっているわけで、もう、普通に飲み食いすることもできない。その点この注射には、延命をするだけの栄養分と痛み止めが一緒に入っているとかなんとか。そんなものは作れるくせに、朱里の病気を治すことはできなかったのか、と悪態を吐くと、
「仕方ないよ」
朱里はそんなことを言うのだった。諦めの混じった表情だった。少し前の朱里だったら、一緒になって文句を垂れていただろう。対して今のこの諦観っぷりは、自身がもうすぐ死ぬほど深刻な病状だと言うことをよく理解しているから、なんだろう。俺はそのことを思い、どうしようもなく悲しくなった。
冬の海は人が少ない。この時期の海に飛び込む奴なんて、頭のネジが取れた奴か自殺志願者のどちらかだろう。俺たちの他には、ブルーシートを砂浜に敷いて震えながらビールを飲んでいる大学生くらいのカップルくらいしか見当たらなかった。
「あ、お酒買いたい」
そんな様子を見ていたのか、朱里がそんなことを呟いた。
「前にやった時、失敗したんだけどな」
「今度は行けるよ。あの時より老けたし」
たかだか三ヶ月でそうそう老けてたまるか。
「飲むのか?」
「ううん、ぼくは飲まないよ。飲むのはてるてるぼうず」
「てるてるぼうずが?」
「そ。童謡の二番を歌えば、分かるよ」
言われるがまま、俺はてるてるぼうずの二番を歌った。正面が海だからか、意外にも、気分が乗った。
――てるてるぼうず、てるぼうず。
――あした天気にしておくれ。
――私の願いを聞いたなら。
――甘いお酒をたんと飲ましょ。
――そういうことか、と思った。
俺たちは手近のコンビニへ向かった。店員のやる気のない挨拶を聞き流しながら、まっすぐお酒コーナーに向かう。
「あまい酒ってどれだろ」
「ビールは甘くないよな、多分」
飲んだことがないから、どれが苦くてどれが甘いか分からない。酒は苦いからこそ美味い、なんてのは聞いたことがあるけど。
「チューハイとかなら甘いんじゃない?」
「チューハイか。それでいいんじゃないか?」
適当な本数カゴに突っ込んで、レジへと向かった。
少し緊張した。
年齢認証ボタンに触れてください、という画面表示が出たので、それに従ってボタンを押した。思いっきり嘘だけど。でも俺たちは飲まないから見逃してください。そんなことを思いながら、代金を支払った。記念にと、レシートは貰っておいた。
「買えたね」
「買えたな」
「乾杯しとこっか」
「俺たちの旅路に、乾杯」
コンビニのすぐ外で一本ずつチューハイを持って、開けずに缶を当てあった。
「成長したね、ぼくたち」
「老けただけだろ」
朱里は思いっきり缶を振って俺に向けて開けた。チューハイが俺の服目がけて飛んでくる。一本、無駄になった。




