#4-8
しかし、俺たちが幸福を膨らませるのとは裏腹に、朱里の病状はただ悪くなっていくばかりだった。いつも口先だけは元気だった朱里も、気力すら奪われているのか、突然黙り込んだり、作りかけのてるてるぼうずを放り投げて横になったりしていた。毛布にくるまって震えている日もあった。十二月になっていた。朱里の余命は、一ヶ月を切った。
とある日、朱里は久々にてるてるぼうずを作りたいと言った。ここ一週間ほどてるてるぼうず作りを中断していたので、俺はやっと調子が良くなったのかと安堵し、材料を取り出す。それから黙々と二人でてるてるぼうずを作りだした。流石の俺も、少しは技術が上がってきたと思う。
「りっくん」
「なんだ?」
朱里が二体目のてるてるぼうずを作りだしながら言った。
「てるてるぼうずの由来って、晴れ請いの生贄らしいね」
「!」
何の脈絡もなく、淡々と言ってのけた朱里に、俺は驚いて持っていたゴムを落としてしまった。
「お前……知ってたのか?」
「まあ、スマホで調べたときにね」
初めててるてるぼうずのことを調べた時に、朱里には黙っていたことだ。連日豪雨の村を守るために犠牲になった少女を弔うための存在。てるてるぼうず。後代にこうやって弔い人形を祀る文化が生まれて、少女は少しでも報われたのだろうか?
「りっくんって、雨は好き?」
「好きか嫌いかって訊かれたら……嫌いだよ。じめじめするし」
俺は言った。風情がある、というのは分かるが、やっぱり濡れると気持ち悪いし、洗濯物も干せないし、いいものではない。
「じゃあ、ぼくが生贄になってさ」
生贄、という残酷な言葉を発しながら、朱里は笑顔だった。
「ぼくが死んだら、晴れてくれるかな?」
「お前、何言って……」
その、刹那の事だった。
突然、雷が鳴った。
背中が震えて、カーテンを開ける。
――雨が降っていた。
無慈悲なまでに、しとしとと音を立てて、空が泣いていた。
俺は咄嗟に振り返る。笑顔で起き上がっていた朱里の姿はそこにはない。朱里は既にベッドに突っ伏している。
「……ぁぁぁ……!」
来た。
朱里の唸り声を聞いた瞬間、俺は直感的にそう思った。
俺は咄嗟に痛み止めを探した。朱里の枕元に錠剤が転がっている。封を開け、近くにあったコップに水を注いで、朱里の口に押し込んだ。これで、きっと大丈夫……
「ううううううううう……!!」
大丈夫、では、なかった。朱里の苦しみは止むどころか悪化した。あまりの痛さに朱里が身体をもんどり打っているせいで、腕に刺さっている点滴の管が外れてしまった。
いくら待っても、朱里の様子が落ち着くことはなかった。
「薬……効かないのか!?」
錠剤が入っていた袋を何度も確認する。確かに痛み止めで間違いない。分量も正しいはずだ。それが効かないという事実が意味するのは……痛み止めすら意味をなさないほどに、悪化したということだった。
「朱里……!」
足を押さえてじたばたと暴れる朱里に呼びかける。
「死なないよな!? まだ生きたいよな!? まだまだ、てるてるぼうず、作りたいよな!?」
俺は朱里に、声を絞るようにして叫んだ。手を握る。朱里の手がはっきりと握り返してくる。まだ生きたいと。なら、それを叶えるのが彼氏の俺の役割だ。しかし……病気の事ばかりは、俺ではどうしようもない。難しいことは、専門家に頼るほかない。
ナースコールで朱里を呼ぶしかないと思った。
しかし、今ここで看護師さんを呼べば、俺が無断で面会していたことがバレてしまう。
「う、うう……痛い……痛いよ……りっくん……」
でも、苦しんでいる朱里を放ってはおけない。
俺は意を決して、ナースコールを押した。
ばたばたと看護師さんが走ってくる。痛みに呻いている朱里の姿を見るや、担架を持ってくるよう、他の看護師さんに指示していた。そして、俺と目が合う。「あなた、なんでいるの」と言われんばかりの形相だった。俺は無視し続けた。しばらくそんな小競り合いが続いたが、今は朱里の病状の方が大事だと判断したのか、朱里の足を擦り始めた。
届いた担架に朱里が乗せられる。一目散に担ぎ出されていったかと思うと、残っていた看護師さんに、病室を追い出された。改めて、名前を訊かれた。
俺はすべてを悟った。
◇
八○三号室は、完全に面会を拒絶していた。
八階の中でもとびきりの問題児ということで、朱里の部屋の前には簡単な監視がついた。警備員が巡回するようになった。他の階の見回りも兼ねた一時間ごとの交代制らしく、いつ見ても警備員のおっさんが歩いているが、いつ見ても違う人だった。
仕方ないので直接の会話は諦め、スマホを通してやり取りすることにした。もう一週間はそうしている。
九日目の朝、突然こんなメッセージが来た。
『たぶんね』
勿体ぶった書き回しだった。
『ぼく、もうすぐ死ぬよ』
『どうしてそう思うんだ?』
俺は自室のベッドでスマホだけを見ながら、返事を送る。
『最近すごく眠かったり、息苦しかったりするんだ』
『それはやばいな』
『でしょう?』
その後に、絵文字がいっぱいついている。ほとんどが笑っているやつだ。あまり笑えない話だが、本人からすればもう深刻ぶるような事でもないらしい。
『あのさ、』
点がついているのを見て、途中送信したんだなってことは分かった。
『お願いを聞いてもらっていい?』
『ああ』
しばらく返事が来なかった。既読はついている。何かを考えているのかもしれない、と思って、俺はリビングに牛乳を取りに行った。
戻ってきてスマホを見ると、通知が来ていた。
『雪が見たい』
確認してみると、そう書いてあった。
『雪?』
『そう』
矢継ぎ早にメッセージが飛んでくる。
機械音痴の朱里らしくない、ものすごく早い返事だった。その後で、いくつか雪景色が広がっている画像が貼られる。どこも見たことがない。恐らく、ネットで拾ってきた画像なのだろう。そして数枚画像が貼られた後に、再び文章のメッセージが届いた。
『北海道に行きたい』
それからすぐにもう一文が届いた。
『どうせなら、雨より雪に包まれて死にたい』
そう、書かれていた。
生きたい、ではなく、死にたい。
それは、朱里の最後の願いだと察した。
『分かった』
俺は返事を送った。すぐに朱里から返ってくる。
『自分でお願いしておいてなんだけど、病室、入ることも出ることもできないよ』
『関係ない』
俺は自分の不安を否定するように、メッセージを入力する。
『必ず、迎えに行く』
俺はそう送って、早速荷支度を始めた。




