#4-6
『会いたい』
翌日。朱里に、それだけLINEで送った。殆どダメ元だった。
驚くことに、すぐに既読が付いた。
しかし、返信は来なかった。
朝にテレビでやっていた、『現代チャットツールの闇』というコラムを思いだした。読むだけ読んで無視する、という現代人のやり取りに対して、鋭く切り口を入れるというものだ。その番組での結論は「そんなもんいちいち気にするな」という、これ以上なく投げやりなものだった。結局、馬鹿らしくなってすぐにチャンネルを変えた。
朝飯はピーマンの野菜炒めだった。嫌がる赤也に無理矢理食わせながら自分も口に押し込む(すごく苦い)。今でもピーマンは嫌いで食べたくはないが、赤也にみっともないところを見せられなくて、ほとんど飲み込むように完食した。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。頑張ってきなさい」
リュックを背負って店先に飛び出した俺を、青葉姉は手を振って見送ってくれた。青葉姉と手を繋いでいた赤也は、空いていた右手で青葉姉を真似して同じように手を振った。
十一月に入ったのに、暑い日だった。
陽射しがギラギラしている。長袖を着てきたのは失敗だったかもしれない。そんなことを思いながら、病院へと向かう。通りすがったサラリーマンも上着は脱いでいた。もう冬に差し掛かっているのにこの猛暑はたまったもんじゃないが、雨よりはマシだ、と思った。
特別病棟の八階へ着き、まっすぐに受付へ向かう。
内心、どきどきしていた。この間面会謝絶を食らったのだ。今日もダメだと言われたら、何か適当な嘘をでっちあげて無理矢理にでも乗り込もうと考えていたから、そんな嘘が通じるのか、という心配があった。ところが今日は、どうぞと言われて通された。
俺は八○三号室の扉を開ける。ベッドの上には、朱里がいた。
窓を眺めている。いや、てるてるぼうずだ。今日のてるてるぼうずは……何の飾りもない、ただ布に顔を描いただけの、手を抜いたとも見えるようなものだった。そんな無味乾燥なてるてるぼうずを、一心不乱に見つめている。髪は結んでおらず、切っていないせいで胸下まで伸びた髪が、窓から吹く風になびいていた。
やがて俺の存在に気が付いたのか、こちらに振り返る。しかし、目が虚ろだ。俺ではなく、俺の後ろのドアでも見ているかのよう。視点のピントが合っていないように感じる。
「どうして、来たの?」
答える前に、俺は歩み寄る。遠くからでは分からなかったが、目元が赤い。きっと泣きはらしていたのだろう。それは何故? ……いや、いちいち自問自答せずとも、分かっている。俺が泣かせたんだなってことくらい、俺にだって分かる。
「お前に、言いたいことがあって来た」
「そう」
ベッドの隣まで来た俺に、そっけなく返してから、
「座ったら?」
感情の無い声で、そう促した。俺は手近にあった椅子に腰かける。
俺がすぐに喋り出さないのを見るやいなや、朱里はまたてるてるぼうずを眺め始めた。何か言わないと……。
「……その」
挙動不審になっていた。落ち着かなくて、左腕と右腕が勝手に動く。
「……えっとな」
言え。
言うんだ。
朱里が言ったんだ。
俺が言えない道理はないんだ。
「りっくん……?」
ずっと不機嫌だった朱里も、さすがに俺の様子がおかしいと思ったのか、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。それでも俺は、急に体が震えて、言葉が紡げなくなっていた。
もしかしたら、フラれるかもしれない。二度と顔を見せないで、と言われるかもしれない。今、朱里の気持ちが分かった。どうしようもなく怖い。青葉姉に後押してもらった背中すら、曲がってしまうほどに怖い。今すぐ逃げ出したい。逃げてしまえば、絶対に楽だ。
しかし、そんな俺の恐怖を抑え込むかのように。
朱里が、口を開いた。
「りっくんさ、何を言おうと思ってるか知らないけど」
知らないけど、と言っておきながら、全てを見透かしたような口調だった。幼なじみだからだろうか。多分、そうなんだと思う。
朱里は続ける。
「言わなきゃ絶対後悔するよ」
後悔。
朱里は、だからこそ言ったんだと思う。言う前に死んだら絶対後悔するから。そう思って、俺に告白したのだろう。
俺はすぐに死ぬわけではない。でも、朱里が死んだら、俺は気持ちを伝えることができないから。
朱里の言葉に、俺は曲がっていた背中を再び押された気がした。
「好きだ」
言った。
「愛してる」
一度言葉の蓋を開けてしまうと、後は楽だった。
「自分の気持ちに、嘘をつき続けてた」
まるで言葉が頭の中からあふれ出すように、俺の口からは恥ずかしい台詞が次々と漏れ出ていた。
朱里は黙って俺の言葉を聞いている。驚いた様子はなかった。やはり、分かっていたのだろう。かと言って、言葉にしなかったら伝わらない。相手の気持ちも。自分の心も。
俺は、朱里とどうしたい? どうなりたい?
答えは、明らかだった。
「俺と……付き合ってください」
俺は告げた。小賢しい言葉なんで要らないと思った。
「遅いよ、バカ」
朱里は赤くなった目尻から、再び涙を流した。
「ぼくは十年待ったのに」
「悪い」
「ま、いいけどさ」
朱里は笑った。たったの数日だが……まるで数年ぶりに見たような笑顔だった。
「あのね、りっくん」
朱里は俺の告白に応える代わりに、
「余命宣告、された」
そんな残酷なことを呟いていた。
「ここにいる限り、一年の降水率的に、あと二ヶ月が限度だろうって」
二ヶ月、という言葉を聞いて、俺は硬直した。
たったの二ヶ月? 今から二ヶ月となると、下手すると来年を迎えられない。余命ってそんなにギリギリに宣告するものなのか? 普通、もうちょっと早くに知らせて、せめて悔いのない人生を送らせようとするんじゃないか?
「詳細が分からない病気のせいで、伝えるのが遅くなってごめんなさい、だって」
そう、医者が言っていたらしい。
馬鹿みたいだと思った。
治療法が分からず、どんどん悪くなっていった上に、いざ余命を宣告されたと思ったら、その期間はたったの二ヶ月。命を何だと思っているんだ。俺たち遺される者にとっても、朱里にとっても、心の準備すらできやしない。
「でもね」
朱里は言った。
「四国に引っ越せば、五ヶ月は保つんだって」
二ヶ月、と宣言した時より、どうしてだか、悲しそうな声だった。
たった三ヶ月の差だが、四国に引っ越せば、倍は生きていられる。二ヶ月だと何もできないけれど、五ヶ月あれば、少しは思い出作りもできるだろう。
俺たちはまだ十七歳。世間一般的に見ればまだまだ子供だ。人生はこれからだ。やりたいこと、見たいこと、聞きたいこと……いっぱいある。今死んだら、未練なんていっぱい残ってしまう。
「……どうするんだ?」
だから俺は訊いた。もしかしたら、朱里は少しでも長く生きたいと思うかもしれないと思ったから。
しかし俺の質問に、朱里は考える素振りなど、見せなかった。
「決まってるでしょ」
力強い声。もう、朱里の中で答えは決まっているようだった。
「あと二ヶ月の彼女だけど、これからよろしくお願いします」
ぺこり、とお辞儀をする朱里。つられて俺も頭を下げた。頭を上げるタイミングがほぼ同時だったせいか、お互いの目が合う。しばらく睨めっこしていたが、やがて二人ともおかしくなって、笑った。朱里の「二ヶ月」という言葉が、彼女の固い決意を示していた。
――出会ってから十年。
俺と朱里は、恋人同士になった。




