#4-4
「なんで、そんなこと……」
「朱里ちゃんと絶交した今なら、チャンスだなって思ったの」
冗談を言っているようには見えなかった。顔が真剣だった。その空気に、俺は呑まれてしまった。
「昔から、いいなとは思ってた。ちゃんと周りを気遣える優しい子だから。ちょっと歳は離れてるけど、まあ、好きになったら誤差だしね」
五つ差くらい、と青葉姉は頬を染めながら笑った。
「陸ちゃんには朱里ちゃんがいたから、ちょっと諦めかけてたけど」
踊るようにくるくると回って、
「陸ちゃんが朱里ちゃんを諦めたなら、私が陸ちゃんを奪ってもいいわよね」
青葉姉は息がかかるほどの距離まで顔を近づけてくる。小悪魔、という例えがあまりにもよく嵌りすぎていて、悪魔に心を取られそうになっている自分に恐怖すら覚えた。
「私をどうするかは、陸ちゃん次第よ」
それから青葉姉は、どういうわけだか、パジャマの上着を脱ぎだした。下に着ていたキャミソールが露わになる。剥き出しの肌は、朱里と同じくとても白い。雪のようだった。
「私のことが好きなら、好き勝手にしていいよ。今すぐ私に襲いかかって、抱いてもいい」
どさ、と青葉姉がベッドにもたれこむ。艶やかな唇、開いた胸元、すらりと伸びた足。思わず目を背けても、ほんのりと甘い香りが俺の鼻をくすぐる。青葉姉の何もかもが、俺を誘惑している気がした。
……でも。
心の中の何かが、俺に踏みとどまるよう、ささやいている。
青葉姉はすごく魅力的だ。スタイルもいいし、美人だし、気立ても良くて頭も良い。仕事もある。なんで、俺なんかを好きだと言えるのか分からない。いくらでも男を選べるはずなのだ。裏を返せば、男なら誰でも、青葉姉に惹かれるはずだ。俺だって例外じゃない。こんな女性を自分のものにできるのなら、絶対に飛びつきたくなる。
なのに、どうしてだろう。
……そのまま流されていいのか。
そんな考えが、頭の中に響き続けている。
「待ってくれ」
俺は苦し紛れに手を突き出した。それからすぐに、その行動そのものが青葉姉を拒否するような、失策であったことに気づいてしまった。
「何も気にしなくていいって言ったら?」
青葉姉は上半身を起こし、寂しそうに両手を伸ばした。
俺は、何故だか初めて作ったてるてるぼうずのことを思いだしていた。『童貞を捨てたい』というくだらない願いが、もしかしたら今ここで叶えられるのかもしれない、なんていう、とんでもなく低俗な考えが、頭の中を数辺巡った。
「それでも、ダメだ」
俺は否定する。それは本当に好きな人としなければダメだ、と俺の良心が警鐘を鳴らしていた。
しかし、青葉姉はなおも訊いた。
「朱里ちゃんだったら、抱いた?」
「……!」
想像してしまった。
もし、同じようなことになって、朱里だったら? 俺はこの場に流されていたのだろうか? 朱里のことを抱きしめていただろうか?
自信が、ない。
「……分からない」
「はあ?」
青葉姉は目を見開いた。しんっじられない、と呟いて、握っていた枕をぶん投げた。
「陸ちゃんは、自分の気持ちが整理できてないみたいね」
事実その通りなので、俺は何も返せずにいた。
「朱里ちゃんを誰かに取られたくないって思ったこと、ある?」
「……ある」
「自分以外の誰かと喋っていて、気持ちが落ち着かなくなったことは?」
「……あるな」
「隣にいて、笑顔を見ていたいって思ったことは?」
「……それも、ある」
「それ、好きって感情よ。間違いなく」
青葉姉は呆れながら言った。
「その感情は、幼なじみかどうかなんて関係ない」
俺はただ、青葉姉の言葉を聞いていた。
「家族だったり、人間じゃなかったりしても、それも愛。障害は多いけどね。その点陸ちゃんと朱里ちゃんは普通の男女なんだから、何の問題もないでしょ?」
愛、と青葉姉は言った。さすがにその意味は、俺でも分かった。
ライクじゃなくて、ラブとして。
自信はなかった。自覚もなかった。けど、認めざるを得なかった。確かに俺は、朱里のことが、好き、なのかもしれない。
「何が不安なの?」
俺の不安。まるでガラス瓶の中のように心を覗かれて、俺はぞくりと体を震わせる。もう、何を隠しても無駄だと思って、俺は口を開いた。
「今更どうしていいか、わからない」
朱里は面会謝絶。会うことはできない。それに俺は、朱里の告白に返事を出せなかった。ショックに決まってる。
「本当は」
薄々気づいていた。朱里は俺のことが好きなんじゃないか、ということも。でも、そうだとしてどうするんだ、と目を背け続けていた。
「俺は怖いんだ」
バスケ部の時のように。
最初は必要と言われていても、少しトラブルがあっただけで、不要な存在に成り下がることが怖い。あの冷ややかな目。お前はもう要らないから出ていけという無言の訴え。それが朱里から向けられたら、と思うと、怖い。怖い、怖い、怖い。
「俺は朱里に必要とされたい」
朱里のことが好きだけど。
きっと、今の関係のままでも朱里は俺のことを頼ってくれる。でも、付き合ってしまえば、ふとした瞬間に、嫌われてしまうこともあるかもしれない。
愛情と憎しみは表裏一体。憎まれるくらいなら、愛情は心の中に隠しておきたい。
「要らない、って言われたくない」
怖い目に遭うくらいならば、いっそのこと、このままで。
俺は震える腕をぐっと握り締め、そう告げた。
そこまで聞いて、青葉姉は――
一瞬だけ微笑んでから、
「甘ったれたこと言ってんじゃねえ!」
鬼のような形相で、思いっきりビンタしてきた。




