#3-7
予想通り、朱里はそこにいた。
公園。
滑り台のそばに車椅子を停め、オレンジ色に焼け付いた空を見上げていた。
「朱里! なんでこんなとこまで出てきてるんだ!」
「りっくん……」
朱里の顔は暗く沈み、途方に暮れているのが見て分かった。疲れているのか、首が少し傾いている。今の弱った身体で、車椅子を病院からここまで押してきているんだからバテて当然だろう。むしろ倒れなかったのが奇跡なくらいだ。
俺は朱里に近寄る。……が、朱里に後ろめたいことがあることを思いだした俺が、朱里に駆け寄ってまず発した言葉は、
「……ごめん」
謝罪だった。
「いいんだよ。ああなったおとーさんとおかーさんは止められないから」
「嫌なのか? 引越し」
「……うん」
朱里は頷いた。
「ここから四国まで、いくらかかるのかな」
朱里は、スズメが忙しくはばたいているのを見ながら、そんなことを呟いた。
「東京からだと……まあ、飛行機で片道一万五千円くらいだろうな」
詳しくは知らないけど、出張の多い両親がよく飛行機の話をしてくれるから、それくらいだろうという採算を立てただけである。新幹線だともっと高くて、夜行バスだともうちょっと安いという話も聞く。
「来れる? 毎日」
「毎日は無理だろ。高校生だぞ、俺」
「知ってる。ぼくもそうだもん」
拗ねたような口調だった。というか拗ねていた。口がへの字に曲がっていた。
俺は理解した。寂しいのだ。俺と離れることを寂しいと思ってくれることは、少しだけ、嬉しかった。
「りっくん、一緒に四国に引っ越さない?」
「それは……」
少し考えた。
しかし、今は一人暮らし同然の生活をしているとはいえ、俺にはちゃんと両親がいる。そしてやはり反対するだろう。忙しい中仕送りまでしているのに、そんなワガママまで言うのか、と。
「毎日は無理だけどさ」
俺は慌てて手を振りながら、
「たまには行くぜ? 朱里の見舞いに行くって理由だったら、親父もお袋も数泊は許してくれるだろうからさ」
「そんな呑気なペースだったら、ぼくが死ぬ方が先だよ」
俺の言葉にぶっきらぼうに答えて、不貞腐れる。
「いやその」
「りっくんはぼくと会いたくないんだろ? いいよ、別に」
「そういうわけじゃ……」
「毎日顔を見るなんて鬱陶しいもんね」
朱里は言った。自分の意見に従わない俺を小馬鹿にしているかのような、そんな意志すら感じられる。
かちんときた。
「さっきからなんだよ、お前!」
俺は叫んでいた。
「ワガママだろ! お前の命がかかってるんだぞ!」
朱里の肩に掴みかかる。
「お前は死にたいのか!? 生きたくないのか!? ここにいて、雨が降ったら死ぬかもしれないんだぞ!」
俺だって寂しいに決まってる。でも、朱里に死んでほしくなどない。少しでも生きてくれるなら、それに越したことはない。現状を変えることができない以上、俺はおじさんとおばさんの言葉を代弁するかのように、吠えた。
しかし、その威勢も一瞬だった。
「死ぬかもしれなかったら、なんなの?」
冷ややかな眼。
思わず固まってしまった。
軽蔑と、憎しみさえも籠った眼差し。それはまるで、あの時のバスケ部の先輩がしていたような……。
「大人しくしてればいいの? 死ぬのは変わらないのに?」
朱里は車いすの手すりを握り締めながら言った。
「でも、おじさんとおばさんが……」
俺は震える声でやっと反論する。しかし、朱里はそんなことなどものともせず、言った。
「死ぬかもしれなくても、そうじゃなくても、ぼくはぼく。おとーさんやおかーさんのものじゃない。ぼくが残りの人生を生きる理由は、ぼくが決める」
朱里はぴしゃり、と言い切って、また空を見上げた。
長い付き合いだ。朱里と喧嘩をすることも、もちろんあった。でも、朱里は、どんなに俺が悪くても、必ずどこかで折れていた。だから俺たちは衝突は多かったが、絶交はしなかった。
今日は違った。絶対に譲らない。そんな意志すら感じられた。
「じゃあ、なんなんだよ。お前がそうまで引っ越したくない理由って」
「分からないの?」
分かるわけがない。
いつもだ。いつも朱里は、自分が言いたくないことだけは、頑なに言おうとしない。
俺は黙っていた。嫌な空気だった。息苦しささえ感じる。
その時だった。
そんな流れを断ち切るかのように。
朱里は言った。
「……好きなの」
「え?」
聞き違いだと思った。
十年間、殆ど離れることなく一緒だった、家族のような存在、朱里。その朱里の口から絶対に聞くことがないだろうと思っていたその台詞を。
それを幻聴だと思っていたのかと怒るように。
朱里は。
卯月朱里は。
まるで心が爆発したかのように、叫んだ。
「好きなの! りっくんのことが! 小学校で初めて同じクラスになったあの日から! 十年前からずーっと! りっくんの真似して自分のことをぼくって言ったり! 二人で秘密基地作ったり! 修学旅行で同じ班になりたいって思って、街中の神社にあるお守りを買って願掛けしたり! がんばって早起きして、りっくん家にご飯を作りに行ってたのだって!」
一息にまくしあげて、一度大きく深呼吸する。その熱に押され、俺は足も手も、口も、動かせずにいた。
「足が動かなくなって、お姫様抱っこしてもらった時、すごく恥ずかしいけど、嬉しかった」
車椅子が軋んだ。
「毎日のようにお見舞いに来てくれるのが、嬉しかった」
足に巻いていたブランケットが、地面に落ちた。
「てるてるぼうずを作ろうって言って、あちこち巡ったのが楽しくて、嬉しかった」
パジャマの袖の先についていたボタンが、握り締められた手の力に負けて弾けた。
「りっくんのそばにいるだけで嬉しかった。心臓が壊れるくらい嬉しかった。身体の痛みを忘れるくらい嬉しかった。もうすぐ死ぬかもって怖さが紛れるくらい嬉しかった。でも、りっくんがぼくのそばにいてくれるのは、幼なじみだから。ぼくが好きだって言えば、きっと関係は壊れてしまうと思ったから。今まで、十年間。ずっとずっと言えなかった」
壊れてしまうのがまるで朱里自身だと言わんばかりに、朱里は震えながら言葉を紡いでいた。
「でも、ぼくはもうすぐ死ぬし、死ななかったとしても、りっくんから離れることになる。だから言った」
満身創痍にすら見えるのに、朱里の眼にははっきりと光が宿っていた。
「ぼくは、りっくんのそばにいるために生きている」
対して、俺の視界はその光を拒むかのように、ぼんやりと歪んでいた。
「ただ生きたいわけじゃない。りっくん。和泉田陸人くん。ぼくはきみが好きです。だからきみのそばにずっといたい。引越しなんかしたくない。きみから離れることになるくらいだったら、ぼくは今ここですぐに自殺してやる」
「自殺なんて……」
やっとの勢いで、俺は口を開くことができた。
でも、それは朱里の言葉の数十分の一、数百分の一にも満たない、掠れるような声だった。
自殺なんて、やめろ。
俺がそう言いだそうとすることもできないまま、先に朱里が重い口調で呟いた。
「りっくんには分からないよ」
失望。
朱里の声色には、深い失望が乗っていた。
けど、失望されるということは、俺はむしろ最初は朱里に期待されていたのだ。
そんなことはすぐに分かっていながら、俺は。
――朱里に何と返せば良いのか、全く分からなかった。
「目標も生きがいも何もなくて、ぼんやりと生きてるだけのりっくんには、わからない」
そう吐き捨てるように言った後、朱里は自分で車椅子を押し、俺に背を向けて公園を出ていく。
車椅子のタイヤを自力で回して去っていく朱里は、相当に遅い。
今から俺が走れば、すぐにでも追いつけそうだった。
だが、俺は朱里になんと声をかけたらいいか分からなくて、足がちっとも前に進まなかった。
……俺は、朱里のことをどう思ってるんだ?
……俺は、朱里に胸を張れるような生き方が出来ているのか?
……俺は、朱里に生きていてほしいと言えるのか?
……俺は、朱里がどんな気持ちでこんな告白をしたのか、わかるのか?
……俺は――
身体が動かない。
俺は何時間も一人、公園で佇んでいた。




