#3-5
翌日は、病院の敷地を散歩しながらてるてるぼうずを作ることになった。
痛みを帯びてしまったために、病状はセカンドステージに進行したとかなんとかで、病院の外に出るのは禁じられてしまった。元々病院の外に出ること自体入院生活では特例だったのだが、原因が不明なだけにストレスも関係するかもしれない、ということで今までは許可されていたのだ。それが今では、病院の敷地内のみに制限された。サードステージにでも進んだら病室からすら出られなくなるんだろうなと思うと、ぞっとしない話だった。
「ねえりっくん」
「なんだ?」
池の縁にあるベンチに座って石を投げ込んでいると、
「てるてるぼうずの童謡のさ、幻の四番ってあるの知ってる?」
「幻の四番?」
首を傾げた。俺が知っている限り、てるてるぼうずの童謡は三番までしか存在しない。音楽の教科書か何かに載っていたのも三番までだ。俺は「お前は知っているのか?」と訊く代わりに、朱里の顔を見た。朱里が知っていてこの話題を振ったことは、そのドヤ顔で一目瞭然だった。前にもこんなことがあった気がする。
「……聞かせてくれよ」
「よしきた!」
もうお前、最初から歌うつもりだっただろ。そうツッコむのも面倒だった。
朱里はいつもの音痴な調子で歌い出した。
――てるてるぼうず。てるぼうず。
――あした天気にしておくれ。
――もしも曇って泣いてたら。
――空を眺めてみんな泣こう。
そういう歌詞らしい。やはりというか、聞いたことはなかった。
……聞いたことはないはずなのに、どうしてだか、懐かしさにも近い哀愁を感じた。
「なんで消されたんだろうな」
ふと、疑問に思ったことを呟いた。
「なんか雰囲気的に暗かったからじゃない?」
そう朱里は言うが、腑に落ちないことが一つある。
「だったら三番とかさ、首をちょん切るんだぜ? そっちのほうがよっぽど嫌な歌詞だろ」
「あー……確かに」
しかも脅すように言うのである。子供が笑いながら首をざっくりいっているところを想像すると、とてもじゃないが穏やかな気分になれない。三番を残してまで四番を消した作詞家はサイコパスか何かなのだろうか。
「でもさ」
俺が作詞家の精神性を勝手に疑っていると、朱里が言った。
「この歌詞の通りにいくと、雨が降ったら泣かなきゃいけないんだよね」
「泣かなきゃいけないって難しいな」
「演劇部の子が言ってたけど、嘘泣きで涙を流すには、今までに起こった悲しい事を思いだすと良いらしいよ」
「悲しいこと……」
何があるだろうか。今までで一番泣きたくなったことといえば……俺が必死こいてレベル上げしたRPGのセーブデータを朱里が上書きしてしまったこと、だろうか。確かに、泣けそうな気はした。
「でも、そこまでして泣かなきゃいけないなんて面倒だな」
「だから消したんじゃない? 四番」
「……かもな」
雨が降ったからって、悲しい事を思いだしてまでわざわざ一緒に泣くこともあるまい。失敗したら失敗したで、前向きに生きれば良い。そう朱里は言う。案外、一番的を射ているのかもしれない、と思った。
「で、今日は何のてるてるぼうずを作るんだ?」
俺は訊きながら石を投げ込む。池の中にいたカエルが、驚いたのか飛び跳ねた。カエルが苦手な俺は一緒に飛び跳ねてしまう。
嫌な予感がして朱里の顔を見ると、朱里は閃きを伴った笑みをたたえていた。
「カエルのてるてるぼうずを作ろう」
やっぱり、と俺は肩を落とした。
◇
数日が経ち、俺が病室に行ったときに、朱里が不在ということが多くなっていった。
検査である。
朱里の場合は新病だから、サンプル採取も兼ねて頻繁に検査を行うらしい。まるでモルモットみたいだなと思った。検査を終えて病室に戻ってきた朱里の顔がいつもぐったりしていることもあって、俺が検査に抱くイメージは良いものではなかった。医者曰く、これからたくさんの人を救うために大事なこと、らしいが、その「たくさんの人」の中には、きっと朱里は入っていない。
俺が一人で不機嫌に病室で待っていると、やがて朱里が帰ってくる。そして、今にも眠ってしまいそうな疲れ果てた顔をしてるくせに、その眼だけはきらきらと輝かせて、
「今日もてるてるぼうずを作ろう」
と俺を誘って、てるてるぼうず作りに励む。それが日常のサイクルと化していた。
朱里のてるてるぼうず作りの技量はどんどん上がっていった。手先が器用なので、新しい試みを次々行っては、人間らしい造形に近づけていく。一方で俺は全く進歩せず、ガタガタのてるてるぼうずを作っては朱里に笑われてばかりだ。少しはその器用さを分けてほしい。
身体はどんどん悪くなっていくのに、てるてるぼうずを作っている時の朱里は何よりも真剣だ。それは一見素晴らしいようのことに思えて、その実……ますます人間らしさを伴うてるてるぼうずに反比例するかのように、身体が加速度的に悪化していく。
――まるで、てるてるぼうずに魂でも吸われているようだ。あまりにも皮肉な光景に、俺は戸惑いを隠しきれなかった。
それでも、日常は廻り続ける。朱里がてるてるぼうずを作り続ける限り、俺の日常は破壊されることはない。そんな安心感に縋るように、俺は毎日、朱里のいる八○三号室でてるてるぼうずを作り続けた。
しかし。
その日常は、たった一言で破壊された。
「正確な病状が、判明いたしました」
以前と同じ、白くて狭い待合室。俺と朱里はそこに案内された。しばらくして、おじさんとおばさんも部屋に入ってくる。医者は以前と同じくパソコンを弄っているが、この間のような顔の暗さはない。
「今回分かったのは、朱里さんの病気の進行条件です」
おじさんもおばさんも、黙々と医者の話を聞いていた。二人からしてみれば、もしかしたら朱里が助かるかもしれないという、一縷の望みになるだろう。対して朱里は、そのことを両親に公表したくないらしかった。この土地から離れたくないから、みたいなことを言っていたが……。
朱里は少し震えながら、固唾を飲んで医者が話を切り出す様子を見守っている。もしかしたら朱里は、医者が的外れな事を言うのを期待しているのかもしれない。
けれど医者は無情にも……真実を口にした。
「雨です」
俺と朱里は顔を見合わせる。ついにばれたか、と顔に書いてあった。まるで、昔やったイタズラが大人に見つかった時のような、そんな面持ちだった。