#2-7
「俺が作ったやつはどうするんだ?」
俺が訊くと、朱里は、
「んー……今は飾らないでおこう」
スマホの画面を滑らせながら、そんなことを言った。
「一度にいっぱい飾っちゃだめなんだって。力が薄れるから」
そんな約束事もあるのか。俺は相槌を打った。
「たぶん、子どもがいっぱい作りすぎないようにっていう親目線の方便だとは思うけどね」
「なるほどな」
方便なんて言葉を朱里から聞くと少し頭が痛くなる。
「だから、りっくんのはまた今度ね」
俺のてるてるぼうずは戸棚に仕舞うよう指示された。言われた通りに片づけてから朱里のほうに向きなおると、朱里は窓を眺めていた。
「晴れると良いね」
「そうだな」
朱里が作った少年のてるてるぼうずが、窓から吹き込む風に揺られていた。
◇
それからというもの、朱里は毎日てるてるぼうずを作り続けた。
適当に作っているわけではないらしく、毎回コンセプトを決めているようだ。商店街のおっちゃんだったり、高校の担任だったり。大体の場合、知り合いをモデルにしていた。
あと、神社まで走っていったあの犬をモチーフにしたこともあった。てるてるぼうずで犬を再現しようというのは難しいと思ったのだが、朱里は一本の割り箸を何本かに折って四本足と耳を生やし、犬だと言い張った。前足が少し短く、頭が地面に擦りつくような形だった。
「売れない芸人の土下座みたいだ」
そう俺が茶化すと、朱里は懐からもう一本割り箸を取り出して俺に投げてきた。
ある日、てるてるぼうずの童謡の二番に従って、酒を買いたいと言ってきた。
――てるてるぼうず、てるぼうず。
――あした天気にしておくれ。
――わたしの願いを聞いたなら。
――甘いお酒をたんと飲ましょ。
こういった歌詞である。そういうわけで酒屋に行ったのはいいのだが、朱里があまりにもきゃあきゃあはしゃぐものだからすぐに未成年だとバレ、買わせてもらえなかった。
そうそう、メイドのてるてるぼうずが作りたい、と言い出したこともあった。その日はメイド喫茶に二人で行った。そこまでする必要があるのかと俺が訊くと、
「現物を見てクオリティを高めたい。写真じゃイヤ、絶対」
などと職人じみた拘りを見せるもんだから、俺はしぶしぶ頷くしかなかった。別に俺がメイド喫茶に行ってみたかったなどということはまったくない。全然。
メイド喫茶がショッピングモール『やまむら』の地下でひっそりと営業しているのは知っていたので、早速乗り込んだ。いや、俺は少しは躊躇ったんだが、朱里はこういうキラキラした店に来てもまったく戸惑うことがない。そういう肝っ玉はある奴だ。
いらっしゃいませご主人様ーなんていう、お決まりのフレーズで出迎えられた。
席に案内されてメニューを手渡されるなり、
「カノジョと一緒にメイド喫茶なんて珍しいですね」
なんて言われた。
「いや、彼女じゃないですし」
「あ、そういうこと言うんだー」
いや、何を言っているのだろう、こいつは。
「酷い! ぼくとは遊びだったのね!」
店内がざわつく。そこそこ高い声だからよく届くのがまた迷惑だ。
「じゃあ」
明らかに困った顔をしてキョロキョロしている俺に向かって、
「さっき頼んだオムライス、あーんってしてくれたら許してやろう」
「そんなの、メイドさんにしてもらえばいいだろ」
そういう店なんじゃないのか。メニューにも「メイドさんのあーん♡コース +800円」と書いてある。
「いや、女の子同士はちょっと」
「いいだろ別に」
「そういう趣味なの?」
「全然」
否定しておいた。
「じゃあ、あーんしてくれるよね?」
「嫌って言ったら?」
「持てる力の全てを使って絶叫する」
「誠心誠意ご奉仕させて頂きます、お嬢様」
俺がメイドみたいだった。いや、男だから執事か。
数分ほど待つと、オムライスが届いた。
「オムライスって食べていいのか?」
俺は何のオプションもついていない、ケチャップでハートマークが描かれただけのオムライスを眺めながら訊いた。
「オムライス食べてきますって、看護師さんに言ってきた」
「抜かりないな、お前……」
相変わらず自分の悪だくみに関してだけは手回しがきっちりしている奴である。
「じゃあ」
朱里が大口を開けた。そしてその状態のまま、ぴくりともせずに待っている。とどのつまり、俺のあーんを待っているのだろう。
朱里が美少女であることを百歩譲って認めるとして、アホみたいに口を開けて食べ物を待っているという図は、たとえ美少女であっても間抜けな光景だなと思った。
オムライスの代わりに、追加で置いてあったケチャップを朱里の口に注ぎ込む。
「ぶっ」
勢いよく吐き出して、俺の顔面に吹き付けてきた。無言でフォークを両手に構え、ビームでも出そうな勢いで睨んでくる。
「悪い! 悪かったって!」
さすがにやりすぎた。ちょっと涙目になっている。ケチャップだけ食べると結構塩辛いからな。
「じゃあ、早く」
さっきより不機嫌な様子で、朱里はまた口を開けた。
スプーンでオムライスをすくう。閉じ卵から出てきたチキンライスが、仄かに湯気を立ち昇らせている。
「あーん」
わざとらしい口調で、俺はスプーンを近づける。
「あーーーーーー」
俺のスプーンに吸い寄せられるように、ぱく、と食べた。中のチキンライスが熱かったのか、しばらくはふはふさせた後で、
「うれしい」
そんなことを言っていた。
「おいしい、じゃなくてか?」
「んー」
朱里はもがもがと呑気に咀嚼している。しばらく噛んで飲み込んだ後、
「おいしい」
そう言い直した。なんだったのだろう。まあ、幸せそうだからいいかと、俺も勝手にオムライスをつついて食べる。
言ってしまうとなんだが、普通だった。
まずいと言うわけではないが、絶品と称賛するほどでもない。こげてこそいないが、少し火が通りすぎてしまっているのか、卵特有のトロトロ感が失われてしまっている。それこそ、朱里が作るオムライスの方が、遥かに上だった。
なんで朱里はうれしいなんて言ったんだろう、と思いながら、ぼんやりと朱里の食べる姿を眺めていた時だった。
「あの……」
一人のメイドさんに話しかけられた。
店でも一番若いであろうメイドさんだ。トレイを胸元で握り締めながら遠慮がちに、
「メイド服、着てみませんか?」
そんなことを訊いてきた。年長者と思しき先輩メイドさんたちが、カウンターの奥でニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ている。恐らくは、先輩たちに指示されてのことなのだろう。
「俺?」
ぶんぶんと首を振っている。いやまあ当然なのだが。
「……もが?」
最年少メイドさんの熱い視線は、口いっぱいにオムライスを頬張っていた朱里に対して注がれていた。
「お着替えの手伝いは私どもでさせていただきますので……いかがでしょう?」
「んー」
朱里は何やら考え込んでいる様子。スプーンを咥えながらってのは行儀が悪いと思う。
「りっくんはどう思う?」
「どうってなんだよ」
「いや、アンチメイドさんとかじゃないかなって」
メイドに嫌悪感なんて持ってたら、ここに入った時点で卒倒していると思うのだが。
否定の意思を示さなかった俺を見て、
「じゃあ、やる」
朱里はこくりと頷いた。
「では、こちらへ……」
朱里はメイドさんに連れられて、「STAFF ONLY」と書かれたプレートが貼ってあるドアの先へと消えていった。俺は朱里が残したオムライスを完食し、これまた微妙な味の「メイドリンク(イチゴ味)」を飲みながら待つ。
大体10分ぐらいだろうか。スタッフルームから出てきた朱里は、
「……おー」
それなりに様になっていた。
フリフリのヘッドリボンに、派手なピンク色のドレス。トレードマークのサイドテールはツインテールに結びなおされている。明らかに浮世離れしたその恰好は、朱里自身が人形なんじゃないかと錯覚させるほどだった。
……年長のメイドさんたちは、まるでパパラッチの如くスマホのカメラを連写していた。次々に光るフラッシュライトなんて、ニュースの中継以外では初めて見た。
「ねえ、かわいい?」
「そうだな」
「羨ましい?」
「羨ましく……はないな」
「りっくんも着る?」
「着ねえよ」
男がメイド服を着ることのどこに需要があるのだろう。
それから、朱里はことあるごとに「かわいい?」と訊いてくるのだった。可愛いのは確かにそうなのだが、あんまりしつこいので、店員さん……もといメイドさんを呼び出して脱がせてもらうよう頼んだ。ただ、メイドさんに褒められてにやけている姿を、こっそり一枚撮らせてもらった。それくらいは認められていいだろう。
ちなみに、お勘定で一万弱は取られた。二度と行かねえ、と誓った。
◇
そんなこんなで、時間は過ぎていった。
多分、楽しかったんだと思う。時間がすごくあっという間に感じた。
朱里は今までとまったく変わらずに、俺を好き勝手連れ回しては、わいわい騒いで帰ってくる。まさしく俺にとっての日常であり、朱里にとっても日常だったのだと思う。
ベタだが、こんな時間がずっと続いてほしいと思った。
そうして二週間が経ち。
――雨が降った。