#2-4
「いくつ作るつもりなんだ?」
俺はお礼を言うのが照れ臭くて、代わりにそんなことを訊いていた。朱里は予想外の質問をされたと言わんばかりに一瞬動きが固まったが、
「んー」
わざとらしく唸ってみせてから、
「一万個?」
素っ頓狂な数を並べ立てていた。
「お前、それ適当に言ってるだろ」
「いやー、807号室のおばーちゃんがさ、大事そうに千羽鶴を抱えてたからさ。千羽も鶴を折れるんだったら、一万個のてるてるぼうずを作るくらい余裕かなーって」
多分、一万もてるてるぼうずを作る前に死ぬんじゃないか。
そう軽口を叩こうとして、俺は黙った。いくら幼なじみ相手にだって、言って良いことと悪いことがある。親しき仲にも礼儀あり、という諺もあるくらいだ。
「一万個も作ったら、雨が降らなくて世界が滅亡するな」
代わりに、アホみたいな答えを返していた。朱里はちゃんと笑ってくれた。長い睫毛が美人の要素だって言われるのは、笑うと睫毛が目元を覆うからなんだな、なんてことを俺は考えていた。
「あー」
二人で空を見上げる。
夕焼けが眩しかった。
てるてるぼうずを作るまでもなく、空は綺麗な晴れ模様だった。
「なんかぼくたち、子供の頃の思い出の場所を巡ってるみたいじゃない?」
「そうかもな」
興奮して問いかけてくる朱里に対し、俺は淡々と相槌を打った。
「いじけたら、いつもここに来てた」
「あー……俺も」
「りっくんもなの? お揃いだね」
「そうだな」
そんなにべもない返答を交えたやり取りを繰り返していると――。
とぼとぼと、小学校低学年くらいの男の子が、公園に入ってくるのが見えた。それこそ、いじけると公園まで転がり込んでいた俺たちのように。
誰か人がいると話しかけたくなる性格の朱里は、例に漏れず男の子のほうまで車椅子を回し、近寄っていった。俺も後から追いかける。
「ぼく、どうしたの?」
少年からの返事はない。無口な子だった。朱里の問いかけにも応じず、黙って足元を押さえている。
「この子、怪我してる……!」
少年の右膝からはじわじわと血が噴き出している。擦り傷なので血の量は大したことはないが、赤い肉がむき出しになっていて見るからに痛そうだ。
「お母さんか、お父さんは?」
ぶんぶんと首を横に振る。
「お友達は?」
ぶんぶんと首を横に振る。
「うーん……困ったなあ」
朱里は本当に困ったといわんばかりのオーバーアクションで、腕を組んで首を傾けて口を曲げていた。これで困ってなかったら詐欺で訴えていい。
「消毒しないとね」
「でもこの公園の蛇口、昔っから泥水しか出ないよな」
「う……」
水管が悪いのか、この公園の手洗い場から出る水はいつも汚い。いい加減修理してくれてもいいと思うのだが。
「りっくん、そのお茶貸して」
朱里は俺が右手に持っていた緑茶のペットボトルをひったくり、黙ってキャップを開ける。
「お茶で洗っちゃえば大丈夫だし」
「お茶には殺菌作用があるっていうしな」
「りっくんが口をつけたからばい菌だらけだけどね」
「失礼な」
実際、どんなに綺麗に歯磨きしても、口内には菌は残ってしまうらしい。まあ、そんなことを言っている場合でもないが。
「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」
朱里は手慣れた動きで少年の足の傷にお茶をかける。俺も朱里自身もよく怪我するもんだから、すり傷の手当ては慣れたものだ。お互いもうちょっと大人しければよかったのだが。
「何か押さえるものは……」
朱里はポケットをごそごそと漁り、
「あ」
何やら良くないことを思いだしたように呆けてしまった。
「ハンカチ忘れたんだった……」
「おいおい、使えねえな」
「そういうりっくんはそもそもハンカチ持たないでしょ」
「よく知ってるな」
「えばらないの」
怒られてしまった。
少年は心ここにあらず、と言った感じで固まっている。人見知りする子なのかもしれない。まるで昔の俺みたいだ。
「どうしよう……さすがに剥き出しはよくないよね」
ううん、と朱里は頭を抱え込んでしまう。何かを探しているようだが、ガーゼも絆創膏も、今は持っていない。
他に傷当てになるようなものなんか……あ。
「朱里、これなら……」
俺はリュックを開け、中に入っている布きれからひと際長いものを取り出した。
「それだ!」
朱里は俺の手に握られた布きれを速攻でひったくり、少年の足にあてがう。ちょうどいい長さだったようで、足を一周させて縛ることができた。正しい用途ではないので多少不格好だが、応急処置には十分だろう。
「はい、あとは」
朱里は指先でぐるぐると円を描きだす。何をやるかと思えば、
「いたいのいたいの、とんでけ~」
少年がジト目で朱里を見つめていた。
「お前、子供舐めすぎな」
「えー、だってりっくんはこれやんないと泣き止んでくれなかったじゃん」
「ばっ、いつの話だよ!」
そんなことまで覚えていたのか。とっくに忘れてると思ってた。
俺と朱里のやり取りを見ていたのか、喋りもせずにぶすくれてるだけの少年の顔が、少し綻んだ気がした。
「帰ったら、お母さんに診てもらうんだよ」
少年はこく、と頷く。相変わらず喋ろうとはしないが、傷の手当ては終わったのに、動き出そうともしない。何かを訴えるように、朱里の顔に目線を合わせ続けている。
朱里が訝し気に首を傾げると、少年はポケットに手を突っ込んで、何かを引っ張りだす。そして、それが乗った手のひらを、そのまま朱里に突き出した。
「ぼく、どうしたの? それ、お姉ちゃんにくれるの?」
少年の首が縦に動く。
「ん、ありがとう」
朱里は少年から、それを受け取った。何を貰ったのだろうと、俺は朱里の手を覗き込む。
少年から手渡されたのは、二振りの鈴だった。キーホルダーにできるほどの紐がついている。朱里が軽く振ると、ちりんちりん、と小さく柔らかい音がした。
「ばいばい、気を付けて帰るんだよ」
朱里が手を振ると、少年も手を振り返し、ついでに俺の方を一目見てから、とてとてと走っていった。やはり傷が少し痛むのか、少しぎこちない足取りだった。
「たぶん、助けてもらったらちゃんとお礼しなさいってしつけられてる子だったんだろうね」
見えなくなっていく少年の背中を見ながら、朱里がそんなことを呟いた。それから朱里は、受け取った鈴のうち片方を、俺によこした。
「これ、てるてるぼうずの飾りにちょうどいいね」
鈴は、少し色褪せていて、ちょっと安っぽい見た目だが……本当に、人形の飾りにするにはちょうどいいサイズだった。太陽に掲げてみると、鈴が夕陽を反射して、光が俺の目に飛び込んでくる。
「採用!」
採用のようだった。
「布が鈴になったね」
「本当にわらしべ長者みたいになってきたな」
とはいえ、物的価値はそう変わらないのだが。
「これで布、飾りまで集まったわけですが」
朱里はわざとらしい口調でそう言った。俺はと言えば、こいつのこんな口調は中学の時にやってた文化祭実行委員の経験が生きたんだろうな、とどうでもいいことを思っていた。
「あと、足りないのは何か分かるかな?」
なんでそんなに上から目線なんだ。
「分かるわけないだろ」
俺は首を振った。
「ふふーん。全然分からないりっくんのために! このぼくが! 教えてあげよう!」
いいから早く言え。
「中身だよ!」
「中身?」
「そーう! 最後のミッションは、中身になるものを集めることです!」
派手な紙吹雪でも散りそうなほどに、朱里は堂々とそう宣言した。
「布や飾りは見える部分だから分かるけどさ」
俺は言う。
「中身なんて誰も見ないだろ。中身なんだから」
「あまいっ!」
敵の攻撃を見切ったヒーローみたいな切り返しだった。
「いわば、てるてるぼうずの脳味噌! ここをおろそかにしちゃったらダメに決まってるでしょう!」
「そんなもんなのか」
「そんなもんなのです!」
正直、こいつの頭と同じくらいすっからかんでもいい気がするが。
「あ、今、こいつの頭と同じくらいすっからかんでもいい気がするって思ったでしょ」
「……なんでわかるんだよ」
「十年越しの付き合いだよ? そりゃ分かるよ」
朱里のこと、分かりやすいと思ってたけど、俺も案外単純な性格してるのかな……。
少しだけ不安になった。
「ふふーん」
何やら自慢げに鈴の紐に指を通し、くるくると回している。そんなに乱暴に扱っていると飛んでいくぞ。
「わっとと」
言わんこっちゃない。
朱里がわたわたとよろめいて、その拍子に鈴を落とした。
そしてそれを。
通りがかった野良犬が。
咥えて。
走り去ってしまった。
「あーーーーーーーーーーーっ!!」
朱里が大声を出して、身体を前に倒す。
もちろん、今の朱里は車椅子だから、朱里が前のめりになっただけでは身体は進まない。よろけてしまった朱里を慌てて引き戻すと、朱里は激昂したまま、
「りっくん! 追って! アクセル全開!」
「お、おう!」
俺は朱里の乗った車椅子、そのハンドルを握り締め、足に力をこめて走り出した。