1章 友部内乱記 第2話
一室をあてがわれた。庭の意匠が自分好みであるし、縁側から吹く夜風が肌に心地よい。夕げを食べながら、宗広はそう思った。その趣と正反対な語気で小一郎がブツクサ話し出した。
「全くまるで国難の様に大袈裟に話おって・・・我らとて仕事は山積しておると言うのに・・・」
しばらく眺めていると、ズゾッと汁を吸ってから小言を言い、沢庵をポリポリかじっては愚痴を言い・・・。小一郎の口は休むことを知らない。この男は呼吸の代わりに小言を言っているかもしれない、と本気で思っていた時期もある。
「しかし、面倒なことになりましたな。」
「そうでもない。」
「なにゆえでございますか、あの中から本物を見つけ出すことは」
「みんな偽物じゃ。」
宗広の言葉を肯定するように柳葉が揺れる音がした。小一郎は目を見開き、納豆をかき混ぜる手が止まり、その糸がふわりと手の甲に垂れた。
「その根拠はおありで?お戯れではありませんな?」
「訛りが違う。似せてはおるが。」
小一郎の瞳の色が変わった。訝しむ顔が一気に引き締まる。
「調べればわかるであろう。背後を辿れば緒大名か豪族に行き着く。少なくとも笠間にはな。」
「ふむぅ。千葉や栃木も絡んでおるやもしれませんな。」
「狙いはもちろん、友部家での発言権。」
「さらには、友部から始まり笠間、ひいては水戸をも乗っとる策やもしれませぬな。」
水戸は南北を繋ぐ要衝の地であり、水戸の不安は補給の不安に直結する。水戸と連密な動きをするこの地方も極めて重要な地である。宗広が直々に現れ、小言を良いながら小一郎が逗留したのも、そういった背景からだった。
「そなたは何か知らぬのか?」
給仕の婦人に声をかけた。ビクッと肩を震わせてから静かに述べた。
「さぁ、噂程度にしか。」
「それで構わぬ、申せ。」
さっきまで漂っていた、不安げな気配が消えた。その代わりに気合いが満ちていくのがわかる。何か腹から深い言葉をはきそうな、そんな表情である。とても噂話をする下女の気迫とは思えない。
「奥方様は動乱の折りに、笠間家にひっそりと匿われたそうでございます。両家の難しい関係の中で恩を作ってしまい・・・・」
「まともには戻れぬのでは、と?」
給仕がコクりと頷く。確かに母親に恩ができれば笠間の存在は一層重くなり、元服した後も、当主は傀儡の主となってしまうかもしれない。それでは何のための内乱だったのか、何のために多くの血を流したのかわからない。
「話はわかった。もう下がって良い。」
平服した給仕の手が少し震えていた。その手には大きな古傷と火傷の痕があることを、宗広は脇目で見ていた。
夜が明けて、宗広は広間に赴いた。晴れ渡った空とは異なって、広間の空気は澱んでいる。そして眼前には、昨日の記憶と寸分のズレもなく、四人が居並んでいる。幼い当主は悩み疲れたのか、ぼんやりと呆けてしまっている。家老は静かに座り、拳を握りしめて床を見つめていた。
この馬鹿馬鹿しい騒動を早く終わらせてやろう。健気に生きようとする友部家を後押しするような気持ちで、宗広は声をあげた。
「昨晩の下女を連れて参れ。」
早くも茶菓子が食えると、女達はニヘラとおぞましく笑った。碧眼の女など、すでに豆をゴリゴリ削り出した。
ほどなくして下女がやってくると、宗広は場を制した。下女が狼狽えているのがわかる。自分の役目を見つけられないでいるのだろう。
「急に呼び立ててすまぬ。ちと女の意見が聞きたくての。」
「あのう・・・」
「もし仮に、そなたが母であったとしたら。」
下女は表情を変えなかった。ただじっと宗広の眼を見据えてきた。やはり、ただの下女ではなかった。この状況でのこの言葉に、動揺を見せないということは、何らかの覚悟があったか。それとも平民では及びもしないほどの胆力があるか、である。
「母であったとしたら、現状をどう思うか。率直に申せ。」
「宗広様」
「回りの者への気遣いは無用、よいな?」
相手の言葉を遮って、言葉に少し覇気を籠めた。すると下女はゆっくりと廊下に座り平服した。想像以上の威厳と覇気が感じられ、周囲は圧倒されている。宗広はその手の火傷の痕を見つめながら言葉を待った。
「ご当主様のご心痛は余りにも重く、私めでさえ身を裂かれるような想いでございます。もし私めが真の母親であれば、事をなるべく早く済ませるよう、自ら辞退を申し上げるでしょう。」
平服したまま整然と声を発していた。顔は見えなかったが、手の僅かな震えが雄弁に語っていた。すると間髪をいれず端から
「私は母ではございませぬ。」
「私は母ではござりませぬ。」
「私は母以外の女に過ぎませぬ。」
「私はァ、マミィじゃナイよ。」
と、同じ芸を四人が披露した。これはしたり。宗広は手を叩き、声を張った。
「聞いたであろう皆のもの。ここに居る女人は母ではなかったようだ。早々に引き取ってもらえ。」
屈強な兵達がそれぞれをガシリと掴んだ。一瞬呆気に取られていた女達は我に返り、顔は般若の如く、口々に罵しりながら門外へと消えていった。
辺りが静まってから、いまだに呆気にとられている幼い領主に声をかけた。
「よいか、友部殿。そなたの母御はもういないと思え。だが案ずるな、側に良き者が居る。」
皆の視線が集まる。その当人は依然として平服したままでいる。身じろぎ一つせずに、視線の重圧に耐えていた。
「あの者を母と思え。確かに仁の心を持った女人である。」
やがて圧し殺したようなか細い泣き声が聞こえてきた。それは回りを刺激して、家老や領主に涙が伝播した。長い間耐えていた分、それは溢れ続けるのであろう。溜め込んでいたものを、すべて吐き出してしまえば良い。
それでも場には悲壮感などなく、一つの区切りが着いた気配になっていた。