序章 動乱の北関東 1話
北関東とは、文明の中心よりはるか彼方にある未開の地である。おおよそ三つの國に分かれており、互いに反目し、憎悪している。國が生まれて以来、合力背反を繰り返し、田畑は乱され、子女は拐かされ、家は焼かれた。途方もない程古くから続く争いに、誰もが疲れきっていた。人々は英傑を必要とした。終りをもたらし、新しきを拓く、そんな英傑を...。
それはもしかすると、この人物かもしれない。
常磐宗広は身が焼かれるような焦りとともに、馬で駆け出した。馬廻りは必死の形相で追いかけてくるが、徒はもとより、騎乗のものすら遅れている。それほどの迅さで、館から森に入り、薄暗い道を駆けぬけた。一本道なので、見失う事はないだろうが、役目上離れただけでも叱責ものである。自分の我儘の為に今日も叱られる家来を憐れに思いつつも、馬足は緩めなかった。
森を抜けると視界が別の國のように開ける。太陽は既に中天にあり、日差しが広大な田畑と、巨大な像に降り注いでいた。まるで戦乱とは無縁のような穏やかさに、職人たちの槌の音が響く。この音を聞いただけで、宗広の心は大きく膨らんだ。すぐさま下馬をし、像に近づいた。慣れ親しんだ棟梁が迎えた。
「これはこれは常磐の殿様、今日もこんな土臭い所へ」
「おう、棟梁殿。邪魔になるぞ。」
「わたしらは別に構いませんがね。そんなにこの像がお気に入りで?」
「そうじゃ。眺めているだけで心が生まれ変わるというか、年老いて老練になっていくというか...不思議な心地になる。」
「そんなもんですかねぇ?ま、海の向こうから来た神様みたいなもんですからね。それもご利益みたいなもんですかね。」
話しているうちに供の者どもがやってきた。無言で馬の手綱を渡す。
諦めた目をした従者がそれを受けとる。溜め息をつけるほど息は、まだ整っていない。
「なんでも昔の天皇さまだか公家方だかが、國の無病息災を願ってつくったんだそうです。これもそのうちの一つなんですかねぇ?」
「由来などどうでも良い。見て、感じて、心に響けばそれで良いのだ。」
実際、この像の巨大さは想像を絶する。
いったいどれ程の銭と、人と、時間を費やして造られたのか、誰にもわからないだろう。だがそれに見合うものではあるようだ。この巨像を前にすると、みな穏やかになる。
しばらく像を眺めていると、足元に幼子らが絡み付いてきた。いつもこの子らは泥だらけで、こちらも袴が大いに汚れる。そのまま館に帰っては妻に「子が産まれる前に、子の面倒を見ているようじゃ」と笑われてるが常となっていた。
「ときわさまーときわさまー」
「きょうは何しにきたのー」
「いつものようにあれを眺めにきたのじゃ」
「あそぶ子がいないのー?」
「こいち兄ちゃんとあそばないのー?」
この子らが口にした男は牛久小一郎という、従者頭である。小一郎は宗広から少し離れた場所で馬をみていた。遠くからこらっ!と叱る声が聞こえてきたが、この子たちは足元から離れようとしない。
左右それぞれに子らを抱いて頬を寄せる。髭が痛いだの、あたしも髭欲しいだの言ってケラケラ笑っている。幼子らの肩の間に、件の像の微笑んだ顔が覗いていた。