赤い部屋
電車に揺られる男がいる。30代の会社員で残業の帰りだ。
いつも乗る時間にいつも乗る電車で揺られながら最寄り駅まで1時間半を移動する。
その日も高校からの仲の良い友人と愚痴メールのやり取りをしていた。
車内アナウンスが最寄り駅についたことを知らせる。慌てながらもスマホの画面を見たまま電車のドアをくぐり抜ける。
だからだろう、いつも通りに友人との会話に夢中になっていたため、男が気づくことはなかった。電車の中には自分以外の人影がないことに。
男が顔を上げた時には見慣れた景色など何一つ無い。例えるなら赤い部屋。しかし部屋と言うには欠けている物を感じ、始終赤い何かがうごめいているようにも感じる。可笑しい、確かに俺はいつものように電車を降りたはずだ。疲れて幻覚でも見ているのか?これは有給でもとらなきゃな。なんて考える余裕はまだある。
何かを考えるなら座ったほうがいいと、床に手を着こうとする。しかし感覚が違うのだ。本来なら触れるであろう床は触れずに足より下で空を切る。このまま座ったら落ちるのではないか。そう思うと怖くて座ることができない。
次に壁を探す為に歩き始める。壁に手をつき歩き回ればいつかは扉にたどり着くだろうと。しかしどれだけ歩こうと壁に手を置くことは叶わない。壁はすぐそこにあるように感じられる。しかし実際には無いのではないか、そんな考えが頭に浮かぶ。
そうだ、これは夢だ。現実でこんなことが起こるはずが無い。スマホの通知音が聞こえた。それを合図にスマホを確認すると、電車での友人とのやり取りが残っており、通知恩はそのやり取りの返信だった。それが嫌に喉を乾かした。
早く喉を潤そう。別の駅に行けばいいんだ。なんて考えながら焦り気味に後ろを振り返る。もちろん何もない。自分が降りたはずの電車のドアすらも。
俺はどうしちまったんだ・・・・・・
夢のような内容だ。これが夢なら良いのに。しかし喉の渇きがそれを否定してくる。試しに返した友人への返信が数分後に帰ってくる状況が現実味を持たせる。
メールの内容を確認した。晩御飯の写真が添付された何気ないメールだった。
「ふふふ・・・・・・」
ふと、笑い声が聞こえてきた。
「誰か!誰か居るのか!」
声を張り返事を要求する。
「ふふふふ・・・・・・・」
その返事は後ろから返ってきた。次は横、次は前、男、女、老人、老婆、そして子供。そう印象を持つことの出来る声が複数。まるで俺をあざ笑うかのような笑い声が四方八方と聞こえる。もしかして長いこと同じ風景、同じ時間を体験して、狂って言った人たちなのではと、そんな考えが浮かぶ。俺は相当疲れているようだ。いや、俺がこの状況に飽きているのかもしれない。どこに向かおうと赤い部屋、どこに向かおうと感じることの出来ない壁と床に。俺はそうはなるものか。入ることが出来たなら出ることも出来るはずだと自分に言い聞かせて、出来る限り笑い声が聞こえないと感じる方向に進んで行く。
だんだんと時間の感覚が無くなる。友人からのメールの返信は待つ時間が長かったり短かったりと不規則だった。そんな中、メールで友人に一つ話を振ることにした。内容は赤い部屋に居るんだがどう思う?返ってきた内容はひっかけか?なんていう疑りだ。不規則な返信を繰り返す中、友人は一つのメールを送ってきた。なんてことは無い、赤い部屋を検索してみた。という内容だ。曰く、とある日に
『赤い部屋には気をつけろ。出会ったら最後永遠を彷徨う事になるぞ。』
と言う内容が掲示板にぽつんと上げられたと言う話。誰も彼もが目に留めなかった、何百、何千文字の中にあった数十文字程度の内容。。他の都市伝説の作りが凄いのに対してたった1行で終わる内容。そんな簡単に終わる都市伝説が馬鹿にされるかのように今も残っている。作るにしてももう少し作りこめただろうと、友人は馬鹿にするように送ってきた。しかしその内容は俺を震え上がらせるには十分だ。なぜなら、今現在自分が居る場所こそが、その都市伝説なのだから。彼に返した最後のメールの内容は『ありがとう』の一言だけだ。
ふと腕時計を見ると、見えたのは早くなったり遅くなったりと不規則に動く針と、しわくちゃになった自分の手だった。悟った男は覚束無い手先で電話番号を入力していく。入社した時から切磋琢磨と腕を磨きあった同僚の番号だ。
翌日、男は会社に来なかった。1日2日と過ぎていくにつれ同僚も心配の色を濃くしていった。そして、5日後の休日に男の家を尋ねてみたが、男は家におらず、近所の人も見かけた覚えはないと。
同僚の一人のスマートフォンが鳴る。
男からだ、心配したが会社はどうしたなどの言葉を吐き出していく同僚に
「俺はもう無理そうだ。」
そう言葉を投げかける。
「何を言っているんだ!さっさと戻ってこい!」
せかすように、戻ってくるように男に言葉を投げかける同僚だが言葉が詰まっていく。なぜなら男の声は聞き覚えがあるが、聞き覚えがない声だからだ。
「なぁ…忘れちまったんだ。今は何年の何日だ…?」
そう、酷く疲れた様子の、嗄れた老人の様な声が聞こえ、同僚は言葉を失った。