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Map Of Tresure

作者: 歩く楽しみ

『地図』『開業(開店)』『車』のどれか、或いは複数を使って書けという課題に沿って書きました。

 銀行員だった父が、喫茶店を開業することになったらしい。

「場所はねぇ、貴方も知ってるところよ。昔住んでたお家の近くだもの」

 それは、開業し店主となった父自身からではなく、母からの電話で知ったことだ。勿論、父が開業したからには、恐らく母も同じように責任ある立場として働くことになっているのだろう。

「ふぅん、まぁ、おめでとうでいいのかな」

 そういう事も踏まえた上で、まず俺が思ったことは『丁度良さそうだな』ということだ。

 定年までずっと、一つの銀行で真面目一徹に勤め、退職後には非常勤の仕事などをこなしてきた、まさに仕事人間である父は、歳を取ったからと言って素直に一切の労働を放棄することなどそう簡単には選ばないだろう。また、銀行員という、世間からも羨まれる職場で、そこそこの役職を勤め上げた身分としては、今更シルバー人材サービスなどに登録して『人の下で働く』というのも合わないかもしれない。ところが、自営業ならば自分の上に立つ者も居ないし、食うに困っている訳ではないのだから、趣味の店としてある程度働く時間や日にちに融通が利く。

 母もまた、父が勤めている間は専業主婦という立場に甘んじていたが、実際の所は他人と話したり、知り合ったりすることが好きな社交的な性格で、喫茶店の店員なんかは天職とも言えそうだ。

 未だ自らが生活するための労働に身を窶すことから免れられぬ俺から見れば、随分羨ましい。

 と、以上が母からの連絡を受けた俺が思ったこと。『ノウハウもないのに喫茶店経営なんて出来るのか』といった心配なんかは、自分でも意外な程に無かった。それは両親に対する信頼というよりかは、一種の無関心さからなのだろう。

 自分が独立し終えている以上、また恩返しが出来る程成熟し切っては居ない以上、ここまで育ててくれた両親に対して自分がどうこう言うようなことは、必要もなければ権利もない。何せ、二人の大人がそれなりに考えて決めたことなのだから。店を始めようかと考えている、なんて相談すらなかったことも含めれば、向こうも俺の余計な干渉など求めていないことが良く解る。

俺が、もしここで、その決定事項に対して良かれ悪かれあからさまな程に興味を示すとしたら、最早それは親の過保護と似た種類の興味として扱われる。そして俺は過保護な人間ではないので、そういうことは、当然しない。

 だから、母の次の言葉は、俺にはいっそ意外ですらあった。

「で、いつ頃来られそう?」

「はぁ? 来るって、何の事?」

「決まってるじゃない。お父さんのお店よ。全然休み取れないって訳じゃないんでしょ」

「そうだけどさ。じゃあ一応考えておくよ」

 まさか、息子とはいえ、ここまで無関心な自分が店に招かれるとは、夢にも思わなかった。しかしこれが父の意向ではなく母の独断である、と仮説を立てれば、しかし案外すんなりと受け入れることができた。いくら息子が無関心を貫き通そうとも、母親というものが、特に我が母というものが、そういう人間であることは、そう簡単に変わりはしない。

 一応細かい場所を聞いておこうと口を開いた瞬間、母は最後の言葉を残して、一方的に電話を切ってしまった。


「じゃあお仕事頑張ってね、社長さん」



「紙の地図なんて久しぶりに見たなぁ……」

 高速を出た直後に引っかかった、長くなりそうな信号の待ち時間。白い停止線の上で俺は助手席に置いた地図を手に取った。母からファックスで送られてきたものだ。市の名前が一番上に書いてあって、そこから目的地周辺までの目印といえば高速の降り口や駅くらいしか書かれておらず、知らない場所だったならまず間違いなく数度は迷うことだろう。

 しかし、その市の名前は、俺にとって全く馴染みのないものではなかった。というよりも寧ろ、懐かしさを以て思い出される類のものだ。何故かと言えば理由は簡単で、その市は、俺は少年時代の一部――年齢が二桁になるまでを過ごした場所だからである。

 父の出世に合わせて暮らすこととなったこの場所からは、その数年後、父の更なる出世と共に出て行くこととなってしまったが、それでも、自然と世間の様々なことが学べる、幼い時期の殆どを過ごしたという事の意味はそう浅くはない。

 お盆や正月に父の実家へ帰るときなどに通る筈で、一応、見覚えのある景色があってもおかしくない場所の筈なのだが、しかしそれらしきものは今の所見当たっていない。というよりかは寧ろ、地方都市の高速道路を降りた後なんて、皆似たような景色ばかりで、見覚えがありすぎて違いが見つからない、という方が正しいかもしれない。

きょろきょろと首を動かしている内に目の前の信号が青になって、俺はそのまま、横断歩道の上を走り抜けて直進した。

 結局地図とも言えない地図は、手に取っただけで中身を再確認するのを忘れていた。尤も、確認する程の中身もないというのが実情なのだが。方向音痴であるらしい母の作ったこの地図は、一般的に言われる地図よりも、宝の地図とか、そういうものに近い気がする。自力で目的地の近くまで行って、そこから細かく場所を探すためにようやく活用できるような、そんな地図だ。

 今時のカーナビならば、番地を入力することでその両方の役目を果たしてくれる筈なのだが、母はその技術の進歩を知らなかったのだろうか。或いは、息子に道に迷って欲しいのかもしれない。

 ところで、知っている筈なのに知らない場所を走るというのは、存外気分のよくないものだ。丁度、自分が卒業した後に大改装が施された母校の中を歩くような、そういう気分。それならば嘗てとの違いを比べられて楽しいじゃないか、という指摘を受けるかもしれないので敢えて自ら言及しておくと、実は、そもそも俺自身この街をそう好ましくは思えないのだ。

 正確を期すならば、この街が嫌いというよりも、俺は俺自身の少年時代が、余りいい思い出として記憶されていない、という表現が正しいのかもしれない。と言うのも、今思い返せば、俺は当時子供らしい満たされ方をしていなかったであろうからだ。そういう気持ちがあるから、それを思い出させるこの街を、好きになれない。

 そもそも何故、俺は自身の少年時代に対して未だに不満を抱いているのかと言うと、それは、まさに今日この場所に居る原因の半分、そして俺がこの場所で暮らしていた原因の全部である父のせいだ。

 ありのままに言ってしまえば幼いわがままのように聞こえるかもしれないが、俺は、俺の知る限り、小さい頃に父親に遊んでもらった経験など殆どない。生存競争、出世競争が激しいらしい銀行マンの世界の中で勝ち抜いてきた父は、当然それなりのものを犠牲にしてきた。仕事に熱中する者の多くがそうであるように、その犠牲とは、家族のことだ。

 母も母で、忙しい父のサポートや、父の同僚の奥様方との交流でやはり忙しく、俺に構う暇はあまりないようだった。

 そういう状況の中で、俺は何時からか、達観というか、冷めた子供というか、親という存在への期待を忘れてしまっていた。忘れざるを得なかった、と言うべきかもしれないくらいに。

 それでも本人達の健康だけは害することがなかった分マシかもしれないが、当事者としてはそう割り切れるものではない。

 もう戻ることのできない少年時代を、そういう冷めた感覚で過ごしてしまった後悔は、今でも尽きるものではない。当時の自分の言葉で言えば、何よりも寂しかった。諦めたフリをしつつも、やはりどうしてもそういう風に思う時期が、一年の内、数回は必ずあったのだ。

 寂しい、と一言に言いつつも、その寂しさにも様々な種類があった。一人なのが、寂しい。他の友達は遊んでもらっているのに自分はそうでないのが、寂しい。そういう寂しさもあったし、一方で、夏休み最終日のような寂寥感や、高偏差値な進学先を選んだのが自分だけであったときのような孤独感も、やはりあった。

 そういう寂しさの中で、当然のように、俺は父親を嫌いになった。それは、『そもそも期待しない』という選択肢を覚えるよりも、少し前までの事であったが、今でも嫌いという感覚は良く覚えている。

 それなりに優秀で、それなりに様々なことを上手くこなしていた自分の、数少ないどうにもならないことの、その何もかもの原因である、父。

 そんな父を、間違いなく、俺は嫌いだった。

(本当に幼いわがままだ)

 自嘲気味に、わざと言葉の形にして、俺はそんなことを脳内で呟いた。


 高速の出口からしばらく離れると、周りの景色が変わっていく。コンクリートから、自然の色へ。色んなもの、言い換えれば人工的な建造物ばかりが土地の所有権を主張しているのは、駅や高速の出口の周りだけ。都会ぶった田舎には、よくあることだ。

 ここまで来ると前や後ろに走る車もちらほらとしか見られない。先程よりも道が細いのに、運転はしやすくなった。そして同時に、ここで暮らしていた頃の面影も、徐々に見られるようになった。お婆ちゃんの家まで何時間だろう、とか、やっと家に帰れる、お婆ちゃんに貰ったお小遣いで何を買おう、なんてことを考えながらぼんやりと見ていた田園風景だ。あそこは段になっていて、あそこに小屋があって。そんな、実際に見なければ思い出さないような、細かい面影。

 嫌な記憶の感覚は忘れて、ただひたすらに懐かしいと思える。何もないようでいて、何もないからこそ、しがらみのない、思い出の想起としての、思い出の場所。そこを、車の後部座席ではなく、運転席から見直すことは、何よりも自分がその頃より大人になったということを実感させてくれる。

 そんな道を数分ばかり走ると、再び人が暮らし、人が生きている気配が、数キロメートル先の道の端に帯び始めた。

まず見えたのは――憚られるようではあるが、寂れたラブホテルだった。駐車場の許容台数と部屋の数が同じくらいなのではないかとも思わせる、田舎独特の広い駐車場。建屋本体も、周りの景観へのカモフラージュなど無く、外国の城を思わせる、派手な見た目となっている。

 そう言えば昔、ここがどういう施設かなんて全く知らなかった俺は、父や母に「どうしてお城があるの?」なんて質問をしてしまっていた記憶がある。どういう答えを賜ったか、記憶は定かではないが、しかし確か、その数日後に、そういった話題が大好きな、いわば下品な友人の一人から事実を教えられた、ということは良く覚えている。

 他にも、一般道沿いにあるのに『サービスエリア』を名乗る、何を提供しているのか解らない飲食店や、雑多なカーショップなども見えるようになってきた。止まって中に入ることなど全くなく、通過点でしかないそれらの数々は、意外な程に、子供の頃の記憶と合致している。

 それは、大学で一人暮らしを初めて、それからしばらくして久しぶりに帰ってきた実家(この街の、ではなく、この街から出て行った後に暮らした家だ)の自分の部屋が、出て行ったときと全く変わらない様子であったときのような安心感を想起させる。

 田舎は都会に比べて商売の寿命が長いんだな、なんて冷静でつまらないことも思うが、このノスタルジーの中では邪魔なだけなので、そんな思考は一旦閉まっておく。

 あっという間、具体的には時速六十キロメートル程で通過していく景色達。劇やドラマで言えば、脇役にすらなれないようなモブ。それでも、今なお記憶に残り続けているというのは、最早感動に値する。

 これがもし、家の近所だったり、歩いて通るような場所だったら、抱く感想ももう少し違った種類になるのだろう。しかし、車窓から覗く背景は、時速六十キロメートルの世界の中で、小さく確かな炎を燃やし続けているのだ。

 ――と、ここで俺は一つ、とあることに気付いた。

 昔後部座席から見た車窓の景色を、今運転席から見て思い出として想起できる。それは、それが思い出となる程に、その車窓を何度も何度も、見続けていたということなのではないだろうか。

 俺は、今の今まで、父が俺と遊んでくれたことなど殆どないと、そう考えていた。実際、学校の運動会や、父兄参観に父が参加したことは、事実としてゼロだ。自分もそういう父親になってしまうのが嫌で、欲を張らなければ、自分の努力次第で休みが作れそうな(他人の指示で動くのではなく自分の責任と采配で働くという意味で)、社長業を選択する程に、俺は父が嫌いだった。

 けれど、こうして考えてみれば、父と母、そして俺の三人で、車に乗って何処かに出掛けた回数というのは、そう少ない訳ではなかったように思えてくる。車で一時間程離れたショッピングモール、日帰り温泉、少し遠いけれど美味しいラーメン屋。今まで思い出すことのなかった記憶達が、次々に脳内へ浮かんで行く。

「あぁ、そうかぁ」

 ぼんやりと、俺はいつの間にかそんなことを呟いていた。

 キャッチボールや虫捕りのような、そういう遊びに付き合ってくれたことは、確かに無かった。お父さんと遊んだ、という、同級生の言葉がひたすらに羨ましかった。お父さんのことを褒める同級生の事が、全く理解できなかった。運動会で家族と弁当を囲む姿から、毎年目を逸らしていた。

 けれど、愛が与えられていなかった訳では、なかった。

 欲しい本は、直ぐに買ってもらえた。やりたい習い事はないか、と度々聞かれていた。つまらないと思っていた日帰り旅行も、存外身になっていたと大人になってから思った。

 そんな、覚えてもいない小さな事の数々が、きっと、父なりの愛情の注ぎ方だったのかもしれない。時間がなくて遊べない分、その代替を、いつも探してくれていたのかもしれない。

 ふっと、缶コーヒーが飲みたくなったような気がして、適当なコンビニに車を止めた。しかし、店の中には入らず、俺はただ、無意識の内に、助手席に置かれた、四つ折りの地図をもう一度手に取った。

 この辺りまで来たんだから、そろそろ役に立つだろう。そんな言い訳を、脳内だけで呟きながら。

 情報量の少ない、FAX用紙たった一枚の、書かれている部分だけで言えば、更にその半分程度でしかない地図は、よく見れば几帳面な直線を主体に描かれていた。定規をしっかりと当て、乱雑さを感じさせない筆致で引かれた線。それは、あまり母らしくないようにも思わせる。母でないとすれば、それは当然、消去法的に父によって引かれたものだということになる。

 電話で報せてきたのが母だったから、すっかりと地図も母が書いたと思い込んでしまっていた。尤も、その地図を母ではなく父が書いたからと言って、特別何かが変わる訳ではないし、意味があると断言できる訳でもない。けれども、その推察を、どうしても意味があるものと感じざるを得ず、また、胸に去来するものも、胸の内にだけは隠しきれなかった。

 定年退職をして、その後も自分が動ける限りは、とばかりに更に働くのを止めず、ようやく職場を気にせず生きていけるようになる、そんな年齢で喫茶店を開く程の仕事人間が、俺という息子を招待するために、定規とペンを持った。

 それだけのことを想像して、気付くと俺は、涙を流しかけていた。勿論、俺もいい大人だから、コンビニの前で、一人涙を流すなんて迂闊なことはしない。潤んだ瞳を何の気無しにハンカチで拭いて、何事もなかったように、コンビニの店内へ入る。それらの動きの流れは、元から知らされていたかのように自然で、何も意外には思わず、驚きはなかった。日常的で、当たり前のことのように。

 白を基調とした明るい店内は、都会のそれとは何処がどう違う、と具体的には言えないものの、田舎のコンビニ独特の雰囲気を醸し出していた。その雰囲気は、車の中から見た車窓等とは別の意味で、懐かしさを感じさせる。その懐かしさは、すっかりと先程の涙を忘れさせた。缶コーヒーを適当に選んで買って、数分もしない内に店を出る。

 寝て起きて日が変わったかのような爽快感に、俺は包まれた。缶コーヒーのプルタブを引いて、片手に持ったまま、もう片方の手でポケットから携帯電話を取り出し数回のボタン操作で登録してある番号へ電話をかける。母の携帯電話だ。

『もしもしー? ちゃんと着けそう?』

「今近くのコンビニ。あと十分もかからずに着けると思う」

『そう、待ってるから頑張ってね』

「はいはい」

 数言だけの会話を終えて、電話を切る。その後に缶コーヒーを一口喉に流し込んで、車のロックを解除した。コーヒーの苦みを包み込む独特な甘みが口の中に残っていた。そう言えば今から喫茶店に行くのに缶コーヒーを飲むなんて少し失礼だったかもしれない。

 そんなことを思いながらシートベルトを締めて、ブレーキペダルを踏みながらエンジンを始動させる。子供の頃(そう言えば、後部座席ではシートベルトを締める必要がなかった)は、親父のそういう仕草を、ぼんやりと、どんな意味があるのか考えもせずに見ていた。かっこいい、とも少しは思っていただろうか。

 昨日や出発時よりも、父と母が新たに開いたという喫茶店への期待を膨らませながら、先程見た地図と照らし合わせ、狭い道を走り続けた。ここまで来ると、カーナビなんてものは、いっそそもそも必要の無い物に思えてくる。

 電子音声に導かれるのではなく、地図を読んで、自分の力でここまで走ってきた。嘗てはただ後部座席に座っているだけだった道を、自分の握るハンドルで。

 何と言うべきだろうか。これ程、自分が成長したと実感できることは、中々ない。

 そんな気分で、俺は両親が開いたという喫茶店までの残りの道を、鼻歌でも歌いながら車を走らせたのだった。



「ここ、だな」

 地図の通りの場所には、確かに新規開店したらしい喫茶店があった。周囲を自然に囲まれ、というかそのまま山の中に建てられた、少し不釣り合いにも見える綺麗な店舗だ。場所自体は、昔暮らしていた場所から歩いて行けるような場所で、懐かしさのようなものを感じる。懐かしいと同時に、昔なかったものが今はあるという事実には、逆に寂寥をも覚えるのだが。

店舗の看板にはシンプルな字体で『喫茶 Treasure』とある。Treasure――トレジャー、宝物、か。喫茶店の名前というにも少し珍しい気がするし、何よりも、父がどんなことを思ってそういう名前を付けたのかという事も、俺には到底想像もつかない。俺が子供から大人に成長したのと同じように、親父にもまた、何らかの変化があった、というだろう。

しかし、変わったと言えば、やはりこの場所も相当変わった。喫茶店がある、ということもそうだが、何の問題もなく車で来られるように道路が舗装されているなど、暮らしていたときは想像もできなかった。

一般からはそう逸脱しない程度に男の子だった俺は、休みの日や平日の放課後、友達と特に目的もなくこの山に来ては、何が楽しかったのか日が暮れるまで遊んでいた記憶がある。それが今や、そこにあるのは無数の木々や植物、いつの間にやら服を汚す泥ではなく、コンクリートと白亜の城だ。

思い出、という意味では確かにトレジャーかもしれない。ただしそれは、ゴルフ場で自然を感じるのと同じ意味で。

 そんな皮肉を抱えながら、俺は『開店中』の表示がなされた扉を押し開いた。

「いらっしゃいませー!」

 カランカラン、という聞き慣れた音の後に、店の奥から、これまた聞き慣れた声が飛んでくる。勿論初めて見る光景だし、掛けられた声は「おかえり」ではなく「いらっしゃいませ」だったが、やはり実家に帰ってきたのと同じような気分だった。

 すぐにエプロン姿の母を見つけるが、店内には俺以外の客の影はなく、母以外の店員も居ないようだった。

「あら、もう来たのね! お父さんお父さん、ほら来たわよ!」

 母は俺の姿を確認し次第、直ぐに厨房があるらしい方向に向かって大声で叫ぶ。確かに他に人は居ないけれど、些か地に戻りすぎというか、仮にも店員としてそれはどうなのだろう、と思ってしまう。

「……おう、いらっしゃい」

 のそり、と店の奥から現れたのは、母とお揃いのエプロンをした、頑固なマスター然とした父だ。一応開店したばかりの筈なのに、貫録だけは四十年もの銀行員生活からか、十分にある。

「元気そうだな。座っていい?」

「煙草は吸わないだろうな。ブレンドでいいか」

「うん」

 シンプルな会話を交わして、父はまた、店の奥へと戻っていく。これもまた、今まで実家へ帰ったときと、全く似たような雰囲気だ。両親が喫茶店を開く、なんて、そうそう見られないシチュエーションの筈なのだが、こうして現場に立ってみると中々なんてことのないイベントのようにも思えて来る。

さて、どんな店を建てたのだろうか、ときょろきょろ店内を見回す。殆ど汚れのない、クセもない、シンプルで綺麗な店内だ。父の心理環境を表現したもの、と言われれば信じられるかもしれない。

 そんな店内には、所々に額縁に入れられた絵などが飾られている。どんな店でもありがちなものばかりで、数分後には何が描かれていたのかも忘れてしまうだろう。しかし、そんな何の変哲もない絵達の中に、思わず目が止まってしまうような一つが、店の真ん中、一番目立つ所に飾られていた。

「ふぅん……?」

 そこに描かれていたのは、画家によって描かれた絵というよりも、手書きの『何か』。それも、よく見てみれば、相当に下手なようだ。線はガタガタで、そこかしこに並んでいる抽象的な模様のようなものは、字であるらしい。店内や額縁の真新しさに対してあまりにも不釣り合いなそれに、俺は興味を持つ、父の淹れた(であろう)コーヒーが出るまでまだ時間があるだろうと当たりをつけ、俺はその絵を近くで見てみることにした。

「気付いた? それね、懐かしいでしょう」

「え、懐かしい?」

 立ち上がった途端に、母が微笑みを浮かべながら声を掛けてきた。どうやら、俺が例の額縁の中身に興味を抱いたことに気付いたらしいが、懐かしいとは、一体どういう事なのだろう。

 昔家に飾られていた絵か何かなのだろうか、と頭を捻りながら、ほんの数歩進んで、額縁の下へ辿り着く。そこで見たものは――

「……嘘だろ。どうしてこんなものが有るんだ?」

 確かに、懐かしい。いや、あまりにも旧い記憶過ぎて、懐かしいなんて言葉では片付けられない。

――こんなものを、そう言えば書いていたかもしれない。

 そう、額縁の中身は、俺が嘗て、本当に小さかった頃に描いた『たからのちず』だった。

「これねぇ。アンタが突然、私達に渡してきてねぇ……結局探しに行ってあげられなかったけど、見てると懐かしくって涙が出ちゃいそう」

 やたらと感傷的な母とは裏腹に、俺は冷静にその地図を見つめていた。

 地図の右上辺りに大きく記されたバツ印。恐らく、そこに『たから』があるということなのだろう。俺は一体、どんなものをお宝としてそのバツ印の下に隠したのだったか。自分が隠した宝で、自分が描いた地図の筈なのに、全く記憶にない。

 『ここ』と書かれたスタート地点――恐らく、当時の家から、迷路のようにゴールのバツ印までを目で追っていく。冒険だとか宝探しの旅を想起させる割には、それぞれの距離は短く、いかにも子供の作ったものらしい。

 さて、このバツ印は、一体何処のことだったであろう。俺は頭の中の、古い地図を広げ直す。子供に戻った俺は、当時の家を飛び出して、直ぐ近くで友達と合流して――尽きることのない体力で、あちらへこちらへ駆けていく。その道中を、地図に沿って走り直す。

 すると、数秒もしない内に、俺は一つの当たりをつけた。まさかと思いながら、ほんの少し前の記憶までも一緒に引きずり出す。この店の名前は、『Treasure』。そう、まさに『おたから』の意味だ。

「ねぇ、この地図のおたからって、もしかしてさぁ」

「うふふ、そうよ。このお店の事。――残念だけど、貴方が埋めたものはもう道路の下みたいだから、代わりにね」

「代わりって、この店が宝ってこと?」

 それはまた、随分と大仰なお宝を仕立て上げてくれたものだ、と皮肉混じりに俺は言う。すると、母は変わらず慈しむような瞳で「そうよ」と答えた。

「昔はお父さんも忙しくて、あまり貴方にも構ってられなくて……もう遅いのかもしれないけれど、今からでものんびりとした、お宝のような時間を作りたいって」

「ふぅん……詩的っていうか、良く思いつくな、そんなの」

「お父さんが考えたのよ? 意外でしょ」

 思春期のような気恥しさから、少し突き放すようなことを言ってみるが、母は更に見事な切り返しで俺の興味を引き付けた。興味というか、ただ驚いたという外ない。

「親父が? ウソだろ?」

「ウソな訳ないでしょ。貴方の描いたこれを見つけて、店の名前や場所をこうしようって決めたのも、貴方を呼ぼうって言ったのも、地図を書いたのも、全部お父さんよ」

「……へぇ」

 興味なさげな返事を返すも、内心疑問符が飛び交いっぱなしだ。地図を描いたのが父であることまでは先程予想していたけれど、しかし、まさかそこまで父がそこまでしていたとは、全く予想だにしていなかった。

 父が、俺が今よりもずっと幼かった頃に描いた『たからのちず』を見て。そこまでのことを。俺からの何かを受け取って、感じてくれたと。それは、意外にも意外すぎて、言ってしまえば開いた口が塞がらないというところだ。

「ふふ、なんだか不思議よねぇ。お父さんがこんな人だったなんて。長年連れ添ったけど、全然知らなかったわ」

「本当だよ」

「お父さんなりの罪滅ぼしなのかもねぇ。なぁんて、お母さんが勝手に言ってるだけだけど」

 罪滅ぼし、母はそう言った。その意味の全てを理解することは、俺には出来かねる。しかし、何となく言わんとしていることも、解る気はする。先程涙を流しておかなければ、今流してしまっていたかもしれないと、そう思ってしまうような、理解だ。

 全く不思議なもので、涙を流す理由なんて、ない筈なのに。

「おーい」

 そんな時、先程父が消えていった厨房の奥から、父の声が聞こえる。話が聞かれていたのかと一瞬驚いたが、どうやらコーヒーが仕上がったということらしかった。母が返事をして厨房の方へ入っていって、父と何言か会話を交わして、そしてコーヒーを持って、戻って来た。

「はい、うちのブレンド。お父さんったら、自分で渡せばいいのにねぇ」

「ありがとう。いいよ、別に、そんなの。顔は見たしね」

「うふふ、そう?」

 何やら含みを持たせた笑みを残して、母はテーブルから離れていく。離れるはするが、どうもこちらを見ているような気がする。他の客も居らず、手持ち無沙汰らしい。客の立場としては、落ち着かない。居間でテレビでも見ていてくれればいいのに、と思ってしまう。

 というかそもそも俺以外に客が居ないなんて大丈夫なんだろうか、なんて思いつつ、少し冷ましてからコーヒーに口をつける。親父の淹れた、コーヒーだ。

 何の変哲もない普通のコーヒーで、特段感想もない、と言った感じのそのコーヒーを飲みながら、俺は『たからのちず』が収められた額縁を見つめた。

 今日一日の、様々な、ほんの数十分の間に起こった事がクラシック曲のように頭の中を駆け巡っていく。総合してみれば、これからの俺の気持ちを落ち着かせてくれるような、そんな出来事だったかもしれない。

 こんなことなら、もう少し普通の道を進んでいればよかったな。と後悔するようでもあり、しかし、このままでも大丈夫そうだな、とも思わせてくれるような。

 父と母が喫茶店を開いた、という一大イベントは、そんな収穫を俺に残してくれた。

 明日からは、また仕事だ。ここに次に来ることになるのは、まだまだずっと先のことだろう。しかしそれでも、父と母は、この場所にずっと居る。コンクリートの下に埋まってしまった、中身も覚えていない宝のように。

 マグカップを大きく傾けて、まだ熱いコーヒーを流し込む。

 このコーヒーと、父と、母と。そして、恥ずかしながら俺の描いた『たからのちず』。それらが皆、この店の、この宝の行く末を見守って、見送っていくのだろう。

 悪くはないな。俺は、そう思った。


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[良い点] 共感を求める書き方は良さであり悪さでもあるか。 一人称作品でありながら情景が浮かんでくるような丁寧な描写は雰囲気をよくしている。 [気になる点] 展開はありがちというか驚きがないというか。…
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