猫の終身奉公 【大分弁版】
むかぁし、豊後ん国ぃ(今の大分県)孫三郎ちゅう男が居ったけん。
孫三郎は百姓ん三男坊やったきぃ、親が亡ぉなっちもぉた時も田んぼを継ぐ訳にゃあいかなかったけん、棚田にしようちしち失敗してもぉた山ん中ん畑を譲っちもろぉち、そん傍に掘っ建て小屋を建てち畑を耕したり、山ん幸を採っち売ったり、一番上ん孫太郎兄やん方ん田んぼを手伝ぉたりしながら暮らしちょった。
ある日、孫三郎は孫太郎兄やんとこん田んぼん世話ぁ済んで、明日かりゃあ自分んとこん畑ん世話せんち悪ぃきぃ、山ぇ戻る支度をしちょった。
そん時、孫太郎がやって来ち、こげな事を言うち来よったっちゃ。
「山ぇ戻んなら、ついでにタマを捨てて来ちくり」
タマぁ孫三郎達ん死んだお母やんが可愛がっちょった三毛ん雌猫で、もう六年以上も孫太郎達ん方で飼い続けられちょった猫じゃった。
「なっ!? 何言よんのかえ! どうしてタマが捨てられんといけんのかえ?」
と驚いて大声を上げた孫三郎に孫太郎はこげぇ答えよったっちゃ。
「年季明けじゃち。タマが家に来ち時、六年半の約束で飼ぉ事を認めちけんど、そろそろそん期限切れる頃っちゃ。
それにタマぁもう歳をとっちネズミも良ぉ獲れんごたるなりよったけん、頃合ぇじゃろう」
猫ん年季ちゅうんは何かっちゅうと、今ん若ぇ者は知らんじゃろうが、猫っちゅうもんな歳をとっちゃあ妖怪変化になっち人を襲ぉごつなるち言われちょったけん、そげぇこつなる前に家かり出て行っちもろぉため、飼ぇ始むる時に「お前を飼ぇるるなぁ何年だけ」っち予め期限を決めちょくんが慣わしだっちゃ。
「あんまれじゃ。
そげな惨い話しがあるかえ。タマが可哀そうっちゃ」
そげぇ孫三郎が訴ぇよっても、
「こん方ん主は俺じゃけん。もう決めちもぉたこつじゃち」
と言って孫太郎は耳を貸さんかったっち。
「もう良え! 兄やんがそげな分からず屋じゃっちたぁ知らんかった。
タマをこげんとこにゃあ置いちょけん。俺が山ぇ連れてっちゃる」
ちゅう訳で、孫三郎は山ん中ん小屋でタマを飼ぇ始むる事になったっちゃ。
「にゃああ」
小屋ん片隅でタマが鳴いちょった。
「よしよし、腹ぁ減ったかえ? 飯ぃしようかや」
と言って、孫三郎は麦飯を飯椀に注いで(=よそいで)タマん鼻先ぃ置いちみよるも、タマぁ一口、二口、口をつけよるだけで、それ以上食べようたぁせんかったんちゃ。
「どげえしたんタマ? 体ん塩梅でも悪ぃんかえ?」
そげぇ孫三郎が訊いちみよるもタマぁ
「んにゃあ」
ちゅうばかりじゃった。
孫三郎は心配しち麦飯ぃ豆を混ぜてみたり、カエルやら野ネズミやら獲っち来たりしよったけんど、やっぱタマぁちぃとしか食べんかったんちゃ。
次ん日も、そんまた次ん日も同じじゃっちもんで、孫三郎はどうにもこうにもならないと困っちめぇち、仕方なしぃタマん様子を見守っちょるだけじゃったけんど、ある日んコツ、小屋ん中かりタマん姿ぁ見えんごつなったっちゃ。
「タマぁ、タマぁ、どこに行きよったんかい」
と言って、心配しち孫三郎がなんぼ探し回ってもどこにも居らん。孫三郎はこのままじゃあ心配じ仕事も手に付かんし、どげえすすりゃあ良えかと困っちもぉちょったちゃ。
けんど、次ん日んなるとタマぁ平気な顔で戻っち来ち、これまでの小食さが嘘んごつバクバク飯を食いよったんちゃ。
「どこに行っちょったんじゃタマぁ? 心配しちもぉたっちゃ」
そげん孫三郎が訊いちみよるもタマぁ飯ぃ夢中でなぁんも答えんかったっち。
そりからひと月くれぇ経っち、タマが黒ぃ毛ん赤子を一匹連れち来よった。
「ぴゃぁっぴゃぁっぴゃぁっ」
ち鳴く小さな猫ん仔に孫三郎は頬を緩めたっちゃ。
「ちゃぁまぁ可愛いっちゃ。タマん息子かえ?」
ち孫三郎が訊いちみよるも、どこかかり獲っち来ち野ネズミを食うのに忙しいタマかりゃあ、当然んごたる答えが返って来るこたぁなかったっちゃ。
「そりぃしても猫は三、四匹くれぇ産むもんじゃけんど一匹しか居らんのかえ?
まあ、タマぁもう歳じゃきぃ仕方ねぇかえ。子を産めきれちだけで儲けもんちゃ。
一匹だけじゃあ大して腹も膨れんけん気がつかんかったけんど、子が腹ん中に居ったきぃ、ちっとしか食わんかったし、それで動くんもおっくうじゃっちけんネズミも獲らんかったんじゃのぉ。
こげん様子ならもう元気ぃなっちょるごたるけん、もう心配ねぇちゃ」
そん孫三郎ん言葉に応えちタマが一声鳴きよった。
「にゃあ」
まるでそんとぉりとでも言うちょるんかごたるだっちゃ。
そん声を聞いち仔猫がまた鳴き出し始みよる。
「ぴゃぁぴゃぁぴゃぁぴゃぁ」
それを見ち孫三郎はこう言うたっちゃ。
「そうかそうか、お前ぇもそげぇ思ぉかえ。
お前ぇん母やんな年季切れで前んとこ出んち悪ぃ羽目ぇなっちもぉたけんど、俺はそげぇ冷てぇこたぁ言わんけん、親子でいつまでもここに居りゃあ良え」
するち猫達も声をそろえち鳴き返すんだっちゃ。
「にゃあ」
「ぴゃぁっ」
孫三郎ん話を解っちょるんか居らんのか、兎に角嬉しそうな返事だったちゃ。
「そいじゃあいつまでも名無しじゃ塩梅悪ぃけん、名前を決めんちいけんちゃ。
よし、お前は小さくて可愛いけん今日かりお前ぇん名ぁコマじゃ」
ち孫三郎は笑いながら仔猫に名前を付けよったんちゃ。
「ぴゃぁっ」
コマも名前を付けちもろぉち嬉しいんか誇らしげに鳴くんじゃった。
ところがちゃ、コマぁ毎度いつまでも乳を吸っちょるっちゅうんに痩せちょっち、ひと月前に生まれていたにしちゃあちょっとばかり小さいかったっちゃ。
不思議に思ぉち孫三郎が良く見よるち、やっぱコマぁ年寄りなので、どげんも乳ん出が悪ぃごたるで、コマが吸いよるも口ん中に乳は大して入っち来んごつあった。
「こりゃぁちっと良くねぇかも知れん。どげんすりゃあ良えかえ」
考えち孫三郎は村に居る別ん雌猫に貰ぇ乳をしちもろぉ思ぉち、コマを連れち、あっちこっち村ん家っちゅう家を片端から訪ね回ったっち。
けんど、そりゃあ簡単なこっちゃねかったんちゃ。
「すまねぇけんど、家は猫ん赤子なりゃあ八匹も居るけんもう無理っちゃ」
「家ん猫はもう乳離れすませちょるけん乳なんちようけ出よらんち」
「家ん猫は雄だっちゃ」
ち猫ん貰ぇ乳をしてくれる家はなぁかなか見つからん。
村で猫を飼ぉちょる最後ん一軒になっち、ようやっと猫ん乳をやっても良えっちゅう家に巡り合えて、孫三郎はコマにそん家ん猫ん乳を吸わせちゃろうちしたっちゃ。
「フウゥゥゥ」
そうしたらそん猫はえれぇ剣幕でコマを脅しよったんちゃ。
こりゃぁいけんち思ぉち孫三郎はコマを抱えち引き下がったんちゃ。
村中ん家を回ったけれど、猫ん貰ぇ乳は出来られんかったち。
それでそん後、猫が駄目なりゃあち、雌牛を飼ぉちょる家かり雌牛ん乳貰ぉち来ちコマに飲ましちゃあみたけんど、腹を下しよるばかりで思ぉごついけんかったっち。
それなりゃあと言って、豆を水でふやかして、すりおろしちもんの煮汁を冷ましち、乳んごたるもんこさえてみたっち。
そうしたらコマぁ大して美味きゃあねぇごたる様子じゃっちけんど何とか飲んでくりち、腹も下さんごたるけん、孫三郎もまずは安心したっちゃ。
そりから半月くれぇ経っち、コマもタマたまが獲っち来よる餌を食べられるごつなったけん、孫三郎ぁ安心しち小屋を空けられるごつなったっち。
だから孫三郎はまた孫太郎兄やんとこん手伝に行ったんちゃ。
田んぼの隅で亀が捕まえちチンコバサミ(ミズカマキリ)齧っちょるんを尻目に、孫三郎達は鮮緑の苗を手にしち田植えしよったち。
そして仕事の合間の一服しちょる時に、孫三郎はタマん子ん事を話したんちゃ。
そうしたら孫太郎は、またこげな事を言うて来よった。
「それでそん仔猫ん尾っぽはもう切ったんかえ?」
猫は歳をとりゃぁ尾っぽが二又に裂けち猫又っちゅう妖怪変化ぇなりよるち言われちょる。
そして猫ん変化は飼ぇ主を喰い殺しち、飼ぇ主に化けち成り代わると言われちょるけん、そげぇこつならんごつ尾っぽを切り落としちょくんが慣わしだっちゃ。
けんど孫三郎はそれを笑ぇ飛ばしよった。
「またそげな話かえ。そげぇ可哀そうなこつなぞしちょるわきゃあねぇち。
そん言やぁタマん尾っぽは短かったけんど、ありゃぁ切られちょったからかえ。
なんぼ妖力んある化け猫になりよっても、飼ぇられちょったまんまの方が餌を貰ぇち楽しきるっちゅうんに、何故、仕事やら付き合ぇやらん面倒こつ沢山ある人になぞ化けち、わざわざ苦労せんといけないのかえ?
なんぼ畜生と言っても、そげぇ馬鹿な事をしよるわきゃあねぇっちゃ」
と言って、猫ん仔ん尾っぽを切れっちゅう孫太郎ん話に耳を貸さんかったっちゃ。
そりから一年くれぇ経っち、コマもすったり大人になっち頃、タマが自分の腹をしきりに舐めるごつなっちょった。
孫三郎がタマん腹に触ってみるち、乳ん所に痼りが出来ちょった。
「何じゃろうかえ? 悪ぃ出来もんじゃねきゃ良えが」
孫三郎が心配しち通り、タマん痼りは段々と大きゅうなっち行きより、また一年経っち頃にゃあ乳が赤ぉ腫れち膿むごつなっちょった。
孫三郎は村ん氏神さんの社やら、山ん中ん山神さんの祠やらに通ぉてタマが元気なるごつ願かけしたり、タマに精付けさせちゃろうと、ネズミやら、カエルやらウサギやらを獲っちきちゃぁ捌いち食わせようちしたりもしたっちゃ。
そいでもタマん塩梅やさっぱり良ぉならん。食欲もねぇんか食べやすぅ捌いち肉も大して口つけんかったっち。
だからと言って、近くん街んとこんお医者様ん方(家)ん戸ぉ叩いち門前払い食らっち時に、人ん薬は猫にゃあ毒になるやも知れんち言われちょったけん、滅多に薬を飲ませるこつも出来られんかったちゃ。
巣も作れん(「役に立たない」の意)たぁ思いながらも
「谷川ん、小堰ん水を、堰き上げち、落としちみりゃあ、みずかさもなし」(子供の口の周りに出来る吹き出物に効くとされる呪文。おそらくしこりに対しては無効)
ち、三回唱えちかり息を吹きかけちゃあみちけんど、やっぱ全然効かんかったち。
そげんこげんしちょる内ぃタマぁどんどん痩せこけち行っちまうんだっちゃ。
こりゃあもう駄目かも知れんち思ぉ始めちょったある日ん夜んこつ、小屋ん中で眠っちょった孫三郎は誰かが話しちょる声が聞こえち来よったけん目が覚めてもぉたっち。
真っ暗な小屋ん中で何者かがこげぇ事を言うちょったっちゃ。
「タマぁ、主は何しちょるんかえ?
もう時がねぇけん、早ぉそん人間を喰ろぉちまわんともう妖力も得られんごつなっちまうっちゃ」
それを聞いち孫三郎が驚いて飛び起きようとしち時だっちゃ。
「フシャアァァ!」
ちゅうタマん怒りたくじよる声が聞こえち来よった。
そうしたら
「好きなごたるすりゃ良え」
ちゅう声が聞こえち思ぉたら、それぎり声ん主ん気配は消えち、小屋ん中ぁ静けぇなりよったっちゃ。
「タマ、タマ」
ち孫三郎がタマを呼ぶち、タマぁ孫三郎にすり寄っち来よった。
「にゃあ」
まるで大丈夫だとでも言うちょるかごたるそん声を聞いち、孫三郎は妖が去ぬぅたち思ぉち安心したんだっちゃ。
(ジジッチリリリ チャッチャッ クワカカカ ツツピーツツピー キョキョキョキョ)
そりかりしばらくしち、小屋ん外かり山ん鳥共のしゃべくりまわす声が聞えち来よるごつなったっちゃ。
そん声で夜明けが来よった事を知っち孫三郎は雨戸を開け、白み始めよった空ん明かりを入れち、小屋ん中に変わりゃあねえか確かめたっちゃ。
そうしたらタマが床ん上で動かんごつなっちょったっちゃ。
孫三郎が慌てちタマん様子を見ちみよるち、タマぁもう事切れちもぉちょったんちゃ。
タマぁ見ちとこ傷も無けれりゃあ苦しんだ様子もねぇし、まるで眠っちょるごたるじゃった。
「あれが言うちょった『時がぇ』たぁタマん寿命んこつじゃったんか」
悲しんぢ孫三郎は、母やんの傍を離れたがらんコマをなだめながら、小屋ん近くにタマん墓を作ったち。
そん年んある秋ん日、木々ん葉が赤や黄に色付いち山々を錦んごたる美しく染む上げち頃、孫三郎が居る山ぇ嵐がやっち来よったんちゃ。
ゴオォォォ、ゴオォォォと暴風が吹き付けよると、せっかくきれいに色づいちょった葉はみいんな吹き飛んでもぉち、木々ん枝々もバキバキ、ボキボキとへし折れちもぉほどじゃったけん、孫三郎ん小屋でも戸や雨戸がガタガタ、ガタガタと揺れち、あっちこっちからギィギィち悲鳴ごたる音が聞こえち来よったっちゃ。
時折、雨戸や戸ん隙間かり青白ぇ光が閃くと、ゴロゴロゴロ、ガラガラガラと風ん音をかき消すごたる雷が鳴り響いち、小屋に閉じ籠っちょった孫三郎を魂消させよるんだっちゃ。
「酷ぃ嵐ち。畑ぁ大丈夫じゃろうかえ」
孫三郎は嵐ぃなる前に大根の葉が倒れんごつ土寄せを済ませちょったが、それでも畑ん大根が心配じゃっちけん様子を見ぃ行ったっち。
畑ん様子を見よるち、なんとか大根な無事んごたるだっちゃ。
孫三郎がそん事を確認しちほっとしち時じゃった。
一際眩ぃ光が閃めいたかち思ぉち、ガラガラガラズドドドオォォンともんの凄え雷が山中に響き亘ったんちゃ。
「こらぁどこかに落ちたっちゃ。大風も吹いちょるし、山火事ぃでもならんきゃ良えが。くわばらくわばら」
おっとろしぃ雷ぃ肝を冷やしち孫三郎はそげぇ言うち小屋ぇ戻ったっちゃ。
次ん日、嵐が過ぎ去っち後ん畑を見ち孫三郎はたまげちもぉたっちゃ。
夜ん間に強ぇ風でも吹いたんか、畑ん大根の葉ぁ殆ど折しょるちもぉちょったっちゃ。
「これじゃあ大根な育たんち。仕方ねぇ、まだ細っけぇけんど収穫するきゃねぇかえ」
仕方なしに人参くれぇの大根を掘りよる孫三郎じゃった。
大根を掘り終えるち、次ゃあ雨やら風やれぇ荒らされち畑を直さんきゃあならん。
そん上、やっぱ嵐ん荒らされちょった孫太郎んとこも手伝わなきゃあならなかったっちゃ。
米やら春撒きん麦やらぁ刈取りを済ませちもぉた後ん時期じゃきぃ、なんぼかマシじゃっちけんど、やるこたぁなんぼでもあったんちゃ。
ありゃあこりゃあで一息つけられるごつなったなぁ八日も経っちかりだっちゃ。
「けんどこれじゃあ蓄え心もとねぇち、どげんしよったもんかえ」
広ぇし日当たりも良え孫太郎兄やんとこん田畑と違ぉて、山ん中にある孫三郎ん畑は狭ぇし日当たりも悪ぃきぃ採れるもんも少ねぇけん、孫三郎んとこにゃあ食いもんの余裕がようけねかったっちゃ。
「やっぱ兄やんに頭下げち食いもん分けちもろぉきゃあねぇかえ」
ち孫三郎が考えちょった時だっちゃ。
孫三郎ん膝ん上に居ったコマがとつぜん飛び降りち、タマん墓に駆け寄よるち思ぉたら、なんもねぇとこ見つめち喉をゴロゴロ鳴らし始めよった。
昔っから、猫は人にゃあ見えんもんを見るこつが出来きるち言われちょるけん、孫三郎もコマに向かっちこげん尋ねちみよったんちゃ。
「どげんしちコマ? タマん幽霊でも居るんかえ?」
じゃけんど、コマぁ喉を鳴らしよるばかりだっちゃ。
ちぃとの間、喉を鳴らしちょったコマじゃけんど、不意に目で何かを追ぉごたる顔を動かしよるち思ぉたら、そんまんま山の方へ駆け出しち行きよった。
それを見ち孫三郎もコマを追いかけたっちゃ。
「よおーいコマぁどこに行くんかえ」
コマぁどんどん山ん中ん奥深ぇ所に入っち行きよる。村ん者も滅多にやっち来んごたる山ん中ぁ、スギやらシイやらん緑残しちょる木生い茂っち、お日さん隠しちょるけん薄暗ぇち、物陰かりゃあ獣やら物の怪やらが襲って来よったとしても不思議じゃあなかったっちゃ。
やがてあんとこまで来るち、コマぁ突然に立ち止まったっちゃ。
「みゃぁーお、みゃぁーお」
そして、そん場でコマぁ何かに呼びかけよるごたる鳴き始めよったんちゃ。
「こんな所にまで来よるなんちどうしたんかえコマ?」
と言って、ようやっとコマに追いついち孫三郎はコマを抱き上げたっちゃ。
コマを捉まえられて胸を撫で下ろしち孫三郎は、ふと辺りん様子を見ち思わず叫んでもぉたっち。
「ちゃあ、なんてこっちゃ。こりゃあ滅茶苦茶じゃ」
そこにゃあ古ぃクヌギん大木があったんじゃが、雷をまともに食ろぉたんじゃろう、あっちこっち黒焦げにしちクヌギん木が、真っ二つに裂けち上に根元から折しょち地ぃ横倒しになっちょった。
それを見ち孫三郎は喜んだ。
「クヌギなら板にも、柱にも、薪にも、こさえもんにも使ぇらるるけん、これを切って売りゃあ食いもんを買えるごつなるっちゃ。
山に生えちょる木を切るんなら掟破りでお咎め食ろぉこつなるけんど、勝手に倒れちょった木ならなんも問題ねぇ」
ち、孫三郎は思っちけんど、すぐにそげぇ上手ぇこっちゃあならんと気付いたっちゃ。
「こりゃあいけん。腐りかけちょる」
どうやらそんクヌギん木は立っちょった内かり半分枯りち腐り始めちょったごたるで、木肌ん半分が白ぇもんで覆われちょった。これじゃあ板にもこさえもんにも使ぇられんし、薪んしち売ろうにも値が付きゃあせん。
じゃけんどそこにゃあそん代わり、木ん他にも売れるもんがあったっちゃ。
「椎茸じゃち。こげぇ見事な椎茸が数え切れんほどどっせりあるっちゃ」
なんと、倒れちょるクヌギん木のあっちこっちから子供ん手くれぇもある立派な椎茸が何百本ち生えちょった。
こん頃ぁまだ椎茸ぁ高級品で、あらかたぁ長崎から唐ぃ(この場合は当時の中国である「清国」の事)送られちもぉばかりで、儂達ん口にゃあ盆か正月じゃなけりゃあ入らん代物じゃった。
「こりゃあやっぱタマん霊が導いちくりちょったんちゃ」
と言って、孫三郎は懐に椎茸を詰められるだけ詰めちから、コマを抱えち大急ぎで小屋ぇ戻るとすぐに大きな籠を背負って取っち返し、そん籠ん中に椎茸を零れるくれぇ目一杯詰め込んで小屋ぇ戻ったんちゃ。
そりから数日経っち、孫三郎は大籠に干しち椎茸を詰めち街ぃ売りぃ来ちょった。
売ると言っても街中で勝手に売り歩くっちゅう訳じゃあねぇ。椎茸ぁ領主さまが認めち仲買人にしか売っちゃあいけんちゅう決まりになっちょるごたるで、勝手に別ん所に売っちお咎め受けち者がおるっちゅう話もあるけん、そん仲買人の所に納めに行くんちゃ。
仲買人の所に孫三郎が着いち時、そこにゃあ偶々、大阪ん乾物問屋ん使いん五助っちゅうお人が訪れちょった。大阪ん乾物問屋ん人なんて普通はこげな田舎ん町ぃ来よるこつねぇもんじゃけんど、何でも五助やんは他ん問屋よりちっとでもようけに椎茸を仕入れるために、あっちこっち町やら村やら巡っちゃあ土地ん人間と話し合うっちゅう事をしちょったんじゃち。
「ひゃあ、これは立派な椎茸でんな。
あんさんが育てたんでっか?
へっ? 山ん中に勝手に生えとっただけ言わはるんでっか?
冗談はポイッやで。こないに粒が揃っとるちゅうのに人の手が掛かってない訳あらしまへんやろ。
なんか秘密があるんでっしゃろ? ここだけの話にしとくさかい教えてくれまへんか?
そん代わり、こん椎茸は高ぉ値で買わせていただきまっせ。
とりあえず、こないなもんでどうでっか?」
と言って五助は弾いち算盤を見せち来よったんちゃ。
大阪ん商人は口が上手ぇけん、孫三郎がまだ何んも言わん内に、いつん間にか仲買人の頭を越えち、五助に椎茸を売るこつなりかけちょった。
そん話を聞いちょって慌てた仲買人が口を挟んで来よった。
「ご、五助やんいかんちゃ。椎茸ん取引は儂達んごたる藩に認められち仲買人を通すんが決まりなんだっちゃ。
なんぼ五助やんとこが大問屋だと言っても藩の決まり事をないがしろにしちゃあ困るっちゃ。
な、兎ん角、そん椎茸ぁ儂がこん値で買ぇ取らしちもろぉが」
こんなに質ん良え椎茸じゃっちゅうんに、そん取引が自分を通さんで行われち、自分とこにゃあ一文の利鞘も出ねぇんじゃあたまらないのじゃろう。仲買人は必死で孫三郎ん椎茸を自分の所に売らせようとしよったんだっちゃ。
けんど五助も負けちゃあ居らん。
「これやから、お役人に使われとるお人はあきまへんなあ。
こないに良え品もん納めてくれはる人に相場より低い値見せてどないしなはるんでっか? そないな事したら、折角の上物の品に逃げられてまうかも知れへんで。
こうゆう場合には相場より良え値を付けて、良え品物を確保するのが定石や。
ちゅうわけで、わてに売ってくれはるんなら、この値で引き取らせてもらいまっせ」
と言って、更に高ぇ値を付けてきよった。
そげなやり取りがちぃとの間続いち、あれやらこれやらで結局、椎茸ぁ決まり通り仲買人が買ぇ取る事になったっち。但し、相場よりかなり高ぇ値が付けられちょるっちゅうおまけ付きじゃった。
それでも商人の五助は只じゃあ引き下がらんかったち。
「仕方ありまへん。今回は決まりっちゅう事で諦めたんやが、ほんまはもっと高い値を付けても構わんかったんや。
そやから、次は是非わてらの所に納品して頂きたいと思ぉとるんや」
けんど孫三郎ん答は今一つはっきりせんもんじゃった。
「高ぇ値で買ぇ取っちもれぇるっちゅう話しゃあ有難いけんど、なんしろ勝手に生えち来るもんのこつじゃけん、次と言っても有るかねぇか判らんち」
それを聞いち五助は孫三郎にこげん訊いち来よったんちゃ。
「ほんまに勝手に生えて来たもんなんでっか?
わても長い事、椎茸扱う商いをやって来たんやが、ここまで大したもんにお目にかかったのは数えるほどしかおまへん。
これほどの品っちゅうとなると、二つや三つなら兎も角、こないにぎょうさん採って来るなんてよっぽど運が良ぉないと出来へんと思うんやけど、あんさん一体どないしてこないに見つけて来たんでっか?」
それで孫三郎はコマっちゅう猫を飼ぉちょるこつ、嵐ん日ぃ雷が山に落ちたこつ、嵐で畑が駄目んなっちこつ、そしたらコマが雷で倒れちクヌギん所に案内しちくりちこつ、そんクヌギん木ぃ椎茸生えちょった事を正直に話しよったんち。
そげぇするち五助は孫三郎にこう訊いち来たっちゃ。
「ほんで、その倒れたクヌギの木ちゅうのはどこの山のどの辺にあるのやろか?」
孫三郎はこう答えたち。
「クヌギん木んこたぁまだ村ん者にも話しちょらんくれぇじゃけん、そりゃぁ秘密だっちゃ」
それを聞いち五助はこげな事を言うて来よった。
「どうしてもでっか? そらかないまへんなぁ。
でも、あんさんはその椎茸を取り尽くした後はどうしなはるんでっか? あんさんも次があるのか判らんちゅうてたやおまへんか。
それでや、万が一そのクヌギの木から椎茸が採れんような事になったら、またその猫にお願いして椎茸がぎょうさん生えとる別の木の所に案内してもらえば良えのと違うやろか?
ほんで提案なのやけど、その猫の首に鈴をつけてみたらどうでっしゃろか?」
椎茸ん話をしちょった筈じゃけんど、いきなり鈴ん話ぃなっちもぉちけん、孫三郎は話ぃついち行けんかったっち。
「鈴ですか?」
解っちょらん様子ん孫三郎にゃあ構わず五助は話を続けたんだっちゃ。
「南蛮のおとぎ話を幾つも集めた『伊曾保物語』っちゅう草子(本)が何十年も前に都で刷られて、それが今でもあちこちの国で流行っとるんやけど、あんさんも話くらいは聞いた事おまへんか?
ほんで、そん中に『鼠の談合の事』っちゅうネズミどもが猫の首に鈴付けたがる話が載っとるもんやさかい、自分とこの猫はそこらの只猫とはちゃうっちゅう事を見せたがっとる見栄っ張りなんかがその話聞いてそらお洒落やって思ぉて始めたんか、良えとこの家なんかで猫の首輪に鈴付けるのが流行っとんのや。
流行りもんやさかい猫の首に鈴を付けたっても、ちぃっともけったいな事ではおまへん。あんさんとこの猫も只猫とは違って、椎茸見つけてくれた偉いもんなんやから、その印として首輪に鈴を付けたったら良え。
そうしとけば、もしもこの次似た様な事があっても、鈴の音を頼りに楽について行けるっちゅう寸法や」
そげぇ言われても孫三郎はそんなこつが二度も三度もあるわきゃあねぇち思ぉちょった。じゃけんど、タマがコマを産むために姿を見せんごつなっち時んごたる、もしコマが居らんなったらち思ぉち心配でたまらなくなるんけん、孫三郎はコマに鈴買ぉちゃる事にしちょったち。
「ちゃあまあ! こげぇようけもろぉちもぉち本当に良えんじゃろうかえ? ゆ、夢っちゃ、こりゃあ夢に決まっちょるっちゃ」
椎茸を納めち孫三郎は仲買人かりお代をもろぉちおったまげぇちもぉたっちゃ。椎茸ん匁(昔の重さの単位)あたりなんぼになるかで言われち時は解らんかったけんど、藩札(正式な貨幣ではなく、地方の統治機構である藩が、領内で使用するために独自に発行する紙幣)じゃったもんの、何年も遊んで暮らせるくれぇの一財産じゃったっちゃ。
そこに仲買人が
「いんにゃ、夢じゃあねぇっち。そん金はお前んもんに間違げぇねぇ」
と言って請け負ぉたっちゃ。
更にゃあ五助も追従して来よった。
「そうや、あんさんの椎茸は格別立派やったさかい、こんくらい当然や。どうや、椎茸はもうかるでっしゃろ?」
それで孫三郎も本当んこつなんじゃろうちようやっと納得しよったんちゃ。
「そ、そげぇなら俺は本当に金持ちぃなったんじゃな。
これで田んぼじゃろうち屋敷じゃろうち何でも買えるっちゃ。毎日美味ぇもんも食うちゃるっち」
そげな孫三郎に向かっち五助はこう忠告したっちゃ。
「よろしゅうおましたなあんさん。
そやけど田んぼや屋敷までちゅうのは流石にちぃと銭が足らんと思いまっせ。
えらい大金手にして浮かれてまう気持ちも解らん訳ではおまへんけど、そないな時こそ気を付けんとあきまへんで。銭っちゅうもんは、なんぼ大金に見えても、贅沢したらあっちゅう間に無くなってまうもんなんや。
ここぞっちゅう時に使うんが銭の正しい使い道っちゅうもんで、無駄遣いやらなんやらやるもんではおまへんで。
後々のために田畑を買ぉ時の足しにするっちゅうのやったら兎も角、ただ毎日美味いもんを食うためなんかに使ぉとったら、あぶく銭んなって消えてまうだけでっせ」
そげぇ言われち孫三郎は我に返りよった。
「そげぇ言われりゃあそうちゃ。俺はどげんかしちょった。
こん銭で麦を買ぉち、残りゃあいざっちゅう時んためにとっときゃあ良えんちゃ」
それに五助も同意したんちゃ。
「その通りや。
せやけど、この前の嵐で野菜とかがあかんようになってもぉたっちゅうんなら、他のお百姓はん達もあんさん程ではなくても食いもんが足りんようになっとる筈やろから、村に帰ってから買ぉのはあまり良ぉないやろな。それに、あんさんが平気な顔して銭使ぉとるのを村の他ん人らに見られてまうと、あんさんが大金を持っとる事まで知られてもぉて、思わぬやっかみを受ける事になるやも知れまへん。
やから、荷物にもなるし、ちびっと高ぉつく事になるやろうけど、食いもんも街で買ぉてく事をお勧めしまっせ。
只、野菜が不足した分、皆も他のもん食うようになるやろっちゅうので、ここいら辺りの麦や米の値も上がり始めとるようや。せやから買ぉなら早めにしといた方が良えんとちゃうやろか。
後、さっきはあないな事を言うたけど、今日はあんさんが大儲けした日や。こないなめでたい日くらいはちぃとばかし贅沢したって罰は当たりまへんで。
とは言うても、御馳走食おうにも、この辺には水茶屋(食事処)みたいな気の利いたもんはあらへん様やし……
なあ、あんさんとこで大御馳走ちゅうたらどないなもんがあるんやろか?」
そういきなり聞かれちもぉち孫三郎はこう答えたっちゃ。
「そうちゃなあ、何年か前ん盆に食うた鱈胃(鱈の鰓や内臓の干物)かえ? ありゃあ喉を唄ぉち通るごたる美味かったっちゃ」
それを聞いち五助は嬉しそうにこう言うて来たっちゃ。
「鱈胃っちゅうたら干物の端くれやろ?
干物やったらわてにまかしとき。良えもん安う買えるようにしたったるさかい。
そや、他にも鈴やら麦やらも買ぉのやったな。
こらもたもたしとったら日が暮れてしまいまっせ。早よ買いに行きまひょ」
今日初めち会ぉたっちゅうんに、偉ぇ馴れ馴れしくしち来よる五助ん押しの強さに負けち、孫三郎は五助と連れだって買い出しのために街を回る事になりよったんだっちゃ。
まず神社で作り損ねち縁起物を安うゆずっちもろぉち、そりぃ付いちょる鈴と飾紐ぉ使ぉちコマん首輪作る事にしたっちゃ。
次に、街ん乾物屋で鱈胃をようけ買ぉた時も、五助ん口利きで、五助ん店かり乾物ん良え品を回しても良えっちゅう約束をする換わりぃ、鱈胃だけじゃあなく、立派なカマスん干物も安うゆずっちもろぉこつが出来らるたっちゃ。
そして穀物問屋に行った時も五助ん口ん上手さで麦やら豆やらぁ勿論、白い米まで安う買ぉこつが出来らるたっちゃ。
それで孫三郎は五助に礼を言うたんちゃ。
「おおきに五助やん。おかげで偉ろぉ助かったっちゃ」
じゃけんど五助はただの親切でこげぇ事をしちょった訳じゃあねぇんじゃった。
実は五助はこれまでもあっちこっちん椎茸を作っちょる者と親しくしち来ちょった。
それで椎茸ぁ3、4年ぐれぇん間、同じ木ぃ繰り返し生え続けるっちゅう事を知っちょったけん、孫三郎が見つけちクヌギん木かりも後何回も椎茸が採れるじゃろうち踏んぢょったんちゃ。
だからここで孫三郎に親切にしち親しくなっちょきゃあ、とても沢山の良え椎茸が手に入りやすうなり、こん後何年かぁ儲けらるるち考えちょったけん。
親しくなっち、孫三郎かり直に買ぉこつも出来るごつなるかも知れんち、例えそげなこつまでにゃあならんでも、こん街ん仲買人たぁ疾うに懇意ぃなっちょるけん、孫三郎が椎茸を採り続けちさえくりりゃあ、五助ん所に優先しち椎茸が入るごつなっちょった。
初め仲買人と競り合ぉち孫三郎ん椎茸ん値を吊り上げたんも、孫三郎に椎茸ぁ儲かるもんじゃっちゅう事を教えち、椎茸を採り続けとぉなるごつするためだっちゃ。
だから礼を言われち五助はこう答えたっちゃ。
「いやいやこんくらい大した事やおまへんで礼にはおよびまへんて。
あんさんが椎茸採って来てくれはったおかげでわてらの店も儲ける事が出来るんやさかい、むしろ礼を言うならわての方や。
おおきに孫三郎はん。もしまた椎茸見つけるような事があったらよろしゅう頼んまっせ」
そげぇ五助ん腹ん内なんか孫三郎が知る由ゃあねえっち、また例え知りよったちしても、五助が孫三郎ん得にもなるごたる考えてくれちょる事に変わりゃあねえっちゃ。
だから孫三郎は素直に喜んで、ほくほく顔で山ん中ん小屋へ戻っち行きよったっちゃ。
そげなこつがあっち翌年、爺婆(「春蘭」の事)が花咲かせ始めよる春、五助が村にやっち来よった。
表向きん訳はこん辺りん山で良え椎茸が採れるかどげんか調べに来たっちゅう話じゃったけん、孫三郎が見つけちょったクヌギんこたぁ村ん衆にゃあ知られんで済んだんだっちゃ。
だけれど、五助はそん後で、こそっと孫三郎だけに会いに来よった。
(チリリン)
見知らぬ人間に首ん鈴ぅ鳴らしちコマが身構えちょった。
「孫三郎はんお久しぶりやな。
おや、そこに居るんが椎茸んとこ案内してくれるっちゅうコマちやんやろか? なるほどほんま賢そうな顔した猫やなあ。
ところで椎茸っちゅうたら、例のクヌギにそろそろ新しい椎茸が生える頃やけど、今はどないになっとるやろか?」
と言って、五助は暗に次ん椎茸を採りぃ行っち来るごつ孫三郎にせっついち来よったち。
「そうっちゃなあ、ここんとこ何日かに一遍、クヌギん所に様子見に行っちょっるけんど、まだ椎茸ぁ生えちょらんかったっちゃ。
もしかしてもう生えて来んかも知れんちゃ」
ち孫三郎は答えたっちゃ。
そうしたら五助はさも当然ちゅう顔でこげぇ言うて来たんちゃ。
「今日わては、万が一、あんさんが採る時期逃して椎茸を腐らせてしまわんよう早めに忠告しに来ただけやさかい、未だ生えて来ておらんでもおかしくはないでっしゃろな。
大丈夫や、椎茸は間違いなくその内に生えて来まっせ。
ただ今回、わては野暮用でちぃとの間この地を離れなければなりまへんよって、あんさんのとこから直に買ぉ事が出来そうにおまへんのや。
せやさかい、採れた椎茸はこの前の仲買人はんのとこに納めるようにしてくれまへんか。あの人には、あんさんとこの椎茸はわてらの問屋に売るように話を付けておるさかい」
五助がそげぇ頼み事をしち来よるきぃ孫三郎はこげぇ答えちょいたっちゃ。
「そりゃあ椎茸ぁ領主さまが認めち仲買人にしか売っちゃあいけんっちゅう決まりじゃけん、どっち道、あんたんとこも含めち他んとこにゃあ売るこたぁ出来られんきぃ、あん仲買人の所に売るっきゃあねぇっちゃろぉが」
それを聞いち五助は意外ごたる顔をしよったっちゃ。
「へ? 直にわてに売るも何も、どっち道、仲買人はんにしか売る事が出来へん決まりやと思ぉとったんでっか。
それはちびっと違いまっせ。わても前に、仲買人はんの顔立てるために同意した事はあるんやけど、その決まりは藩から任されて椎茸作っとる人らとか、山師(鉱夫)や木こりのような山での仕事を生業としとりながら、ついでで椎茸作りもして良えっちゅう御許しを藩から得とる人らとかのためのもんで、必ずしも勝手に生えとる椎茸まで仲買人に売らなくてはならへんちゅう訳ではおまへん。
もっとも、わてみたいな大阪の乾物問屋の人間除けば、藩の仲買人はんくらいしか大口で買い取る者は居らへんさかい、儲けよ思うのやったらどっちかに売るしかないんやが。
まあそないな訳で、秋にでも椎茸が生えたらまた宜しゅう頼みまっせ」
と言って、五助は戻っち行っちもぉたっちゃ。
そん後、何日かして五助ん言うた通りクヌギん木ぃまた椎茸がどっせり生えよったけん、孫三郎は約束通りこん前ん仲買人の所に椎茸を納めたっちゃ。
次ん年ん秋、山童(河童が冬の間だけ山に移り住んだものとされる妖怪の一種)でさえ鬱陶しいと思いかねん程、ヤマワロウ(多年草の一つ「盗人萩」)のバカ(俗に「ひっつき虫」等と呼ばれる類の植物の種子の事)がしつこく引っ付いち来より、イカリバナ(錨花:彼岸花)が真っ赤な顔見せよる頃んこつ、孫三郎は小屋で使ぉ薪を割ろぉちしちょった。
(チリリン)
「にゃあ?」
孫三郎がいつも薪割りの台に使ぉちょる切株に近づくち、そん上で寝ちょったコマが目を覚ましてこっちを見上げちょった。
「コマぁ悪ぃけんどちぃっとそこを避いちょくり」
と言って、コマを避かせようとしち孫三郎はたまげちもぉたっちゃ
「おろろっ、こげな所に椎茸が生えちょるっちゃ」
なんと薪割りの台に使ぉちょる切株かり椎茸が生えちょったっちゃ。
良ぉ見るち、小屋ん外に積み上げちょった薪ん山ん中で下ん方になっちょった、前ん年かり残っちょった薪ん中ぁも、椎茸が生えちょるもんが二、三本ありよったっちゃ。
あんクヌギん大木かり生えて来よるもんと比べりゃあ貧相な椎茸じゃったけんど、孫三郎はこん椎茸も売れないものか、次に街へ行っち時んでも仲買人に聞いちょこぉち思ぉち、そん椎茸も干しちょく事にしたっちゃ。
そん数日後、採っち来ちょった椎茸を干しちょった孫三郎ん所に五助がまたやっち来よった。
「まいど孫三郎はん。
毎度良え椎茸を売ってもろて助かってますわ。
ちぃとの間御無沙汰してしもぉとったんやけどまた椎茸分けてもらお思ってやって来たんや。
今年の椎茸の生え具合はどないな様子でっか? また良えのが採れてまっか?」
ちゅうて来よる五助に孫三郎も挨拶を返したっちゃ。
「おりょ、五助やんかえ。元気じゃったかね。
そうきゃぁ、もぉそげん時期やったな。
椎茸ならぁ見ての通り豊作じゃち」
五助は春と秋ん椎茸が採れる頃になるたびぃこんな風に孫三郎かり椎茸を買いつけようとしち姿を現しよるけん、今じゃあメジロやら赤トンボやらちゅうたもんごたる季節ん風物になっちょった。
そんな五助に孫三郎が切株やら薪やらかり椎茸が生えたっちゅう話をしちところ、五助は大層興味深げにこう言うち来たっちゃ。
「ほならここは椎茸作りに向いとるのかも知れまへんな。
せやったらあんさん、ここはひとつ椎茸作り始めてみなはったらどないやろか?
椎茸がもうかるっちゅう事は御存じでっしゃろ?」
そげぇ言われても孫三郎にゃあ何故ちそんな事をせんといけんのか良ぉ解らなかったっちゃ。
「なんもわざわざ手間かけち作らんでも、椎茸ならこん通りあんクヌギん木かり採れちもんがようけあるじゃねぇかえ」
と言って、孫三郎は干し終えた椎茸を五助に見せたっちゃ。
そんな孫三郎に五助はこう言うち来よったんちゃ。
「良えでっか孫三郎はん。
確かに今んとこはあんさんが見つけたっちゅうそのクヌギの木とやらからぎょうさん椎茸が取れてはいるでっしゃろう。せやけど、同じ木からいつまでも椎茸が採れると思ぉとるんやったら、そらえらい間違いでっせ。
わてには他の所で椎茸を作っとる知り合いが何人も居るんやけど、その人らの話やとほだ木……ちゅうても解らんか、椎茸を生やすために使ぉとる木は五年もすれば腐りきって椎茸がよう生えへんようになってまうさかい、三、四年くらいで新しい木に取り換えなあかんそうや」
ち、椎茸作りの話を始むうた五助は、続けちこげぇ言うち孫三郎を諭したっちゃ。
「あんさんが椎茸採って来る木は大木やっちゅう話やから、ひょっとするともっと長い事持つかも知れまへんけど、それでもあんさんが生きとる間中椎茸を生やし続けてくれるっちゅう訳ではおまへんのや。
このままなあんもせんで居ると、これまで貯めた銭もいつかは尽きて、ちぃとばかしのつまずきで食いもんにも困る事になる様な暮らしに逆戻りするかも判りまへんのや。
もちろん、あんさんがどないな生き方しようとそらあんさんの勝手でっせ。
せやけど、もしあんさんが貧乏暮しに戻りとぉないのやったら、今から出来る限りの事をしておくべきやないのと違いまっか?」
そげぇ言われても孫三郎はまだ迷っちょったっちゃ。
「じゃけんど椎茸作りと言ってもどげぇしよれば良えんか俺にゃあ判らんで」
けんど五助はちぃとでもようけ椎茸を商えるごたるしちかったけん、簡単にゃあ諦めんかったっちゃ。
「椎茸作りっちゅうてもなあんもややこしい事はおまへん」
なんこ言うち孫三郎を説得しち来よったっちゃ。
「まず秋の終わりにクヌギやコナラ、シイなんかの木ぃ切って、それで丸太をぎょうさん作り、一旦乾かして枯らしとくんや。
この椎茸生やすための木をほだ木っちゅうんやけど、このほだ木を冬になったら水に二、三日漬け込んでから所々に刻み目を入れて、風通しの良え林の中に並べて寝かしておくと、上手くいったら椎茸が生えて来るっちゅう寸法や。
どや、簡単でっしゃろ?
そや、最初の内はほだ木にする丸太を買わなあきまへんけど、後々の事を考えたら自前でほだ木も用意出来た方が良えよって、自分とこに木を植えて育てるようにしとった方が良えやろな」
本当は椎茸作りっちゅうもんはそげぇ簡単なこっちゃねぇし、ほだ木を寝かしちょっても上手く椎茸が生えよるかどうかぁ博打んごたるもんで、上手く行きゃあ大儲けじゃけんど、失敗すりゃあ文無しぃなるこつも珍しかぁねぇ話だっちゃ。
そげな事を知る由もねぇ孫三郎は
「こりが前に五助やんの言うちょった『ここぞっちゅう時』なんかも知れん。
まだ銭ん余裕もあるし、椎茸作りの他にも使ぇ道がようけあるクヌギなりゃあ植えちみちょっても損はねぇけん、やってみようかえ」
ち考え、五助ん口車に乗せられち、椎茸作りを始むる事にしたっちゃ。
(チリンチリン)
林ん中かり鈴ん鳴る音が聞こえち来よった。
「コマ、ほだ木はお前ん爪研ぎじゃあねぇっち何べん言うたら解るんかなぁ」
草葉ん陰ん真っ青ぇ猫ん金玉(ユリ科の植物「蛇の鬚」の実)踏んづけながら、林ん中に丸太を並べちょった孫三郎が、そん丸太を引っ掻いちょるコマを見ち不平を言っちょった。
五助に勧められち孫三郎が試しに椎茸作り始めちかり二年が経ち、前ん年ん秋に初めち椎茸が採れるごつなっちょった。
ほだ木を並べちょっても椎茸が生えんで文無しぃなりよる者も居るっちゅうんに、孫三郎はよっぽど運が良えんか、二本に一本は椎茸が生えよったんちゃ
椎茸が生える頃の風物となっちょる五助も、ここまで上手く行くたぁ思っちょらんかったごたるで、品ん良し悪しゃぁ雷ぃやられちクヌギかり採らるるもんと比べりゃあ大したもんじゃあねぇっちゅうんに、椎茸作りに本腰入れるごつ勧めち来よった。
だから孫三郎はほだ木を買ぇ足しち、こんな風に並べちょるとこだっちゃ。
ほだ木と言えば、孫三郎はほだ木ぃ使ぉためのクヌギん木を、風よけも兼ねち畑ん周りぃ植えるごたるなっちょったけんど、こりゃあ植え始むぅちかり年月が浅ぉち小さいけん、ほだ木ぃ使ぉこたぁまだまだ出来んもんだっちゃ。
植えちクヌギん方はまだ子供でも、コマん方はそろそろ七つにも届きよる年寄りぃなっちょった。
じゃけんど、やっちょるこたぁ変わらんち無邪気なもんで、新しいほだ木が並べられよるたんびに「こりゃあ俺の物ちゃ」っちゅうとるかんごたる頭擦りつけよったり、ほだ木が古ぃもんか新しいもんかにゃあかかわりねく、爪研ぎしたりしちょったっちゃ。
そりかり季節は流れち、北風に遭ぉこつもすったり無くなった代わりぃ、カンタロウ(「シーボルトミミズ」の事)と出くわすようになった春ん山ん中を、孫三郎は椎茸が一杯入っちょる籠を背負って上機嫌で歩いちょった。
「こん春も椎茸が本当に沢山採れたっちゃ」
あの雷ぃやられちクヌギん大木に数えきらん程ん椎茸がまた生えよったけん、孫三郎も一遍にゃあ採りきらんと、小屋と山ん奥深くん間を行ったり来たりしなければならんかった。
(チリンチリン)
孫三郎が山ん奥かり戻って来よるち、先ぃ採って来ちょった椎茸にコマがじゃれついちょった。
「こりゃ! そりゃあお前のおもちゃじゃねぇっちゃ」
孫三郎が叱るち、コマぁ慌てち逃げち行っちもぉたっちゃ。
そしてそれぎりコマぁ夜になっても戻っち来よらんかったんちゃ。
「コマぁどげんしよったんかえ。あん時叱ったんが悪かったんかなあ」
心配ぃなっち孫三郎はコマを探しに出たんだっちゃ。
「よおーいコマぁ出て来ちくりぃ」
ち、孫三郎があっちこっち歩き回っち叫んでも、コマん姿が見えらるるどころか鈴ん音一つしよらん。
そのまま数日たっちけんど、コマぁとんと姿を現さんかったっちゃ。
「山ん獣にでも喰われちなどしちょらんじゃろうか」
ち、心配で胸がはち切れそうになった孫三郎は村ん氏神さんの社やら山ん中ん山神さんの祠やらに通ぉて、コマが無事戻っち来よるごつ願かけもしちょったっちゃ。
そげぇ所に風物の五助がやって来より、
「猫は死期を悟ると姿を消すと言われとるさかい、ひょっとすると……」
なんて縁起でもないこつ言い出しかけよったけん、孫三郎はちぃ叩いち追い返したんだっちゃ。
そりから半年くれぇ経っち、孫三郎も半分諦めかけちょったある日んこつだっちゃ。
(チリン)
聞き覚えんある鈴ん音に孫三郎が小屋ん入り口ぃ目を向けるち、小屋ん戸を開けちコマが入っち来よった。
「にゃあ」
ち一声鳴いちコマぁ、そのまま雪隠育ち(戸締まりがいい加減な事の例え)やと思ぉたら、上すらり(開けた戸を音も無く上品に閉める事の例え)と自分で戸を閉めてから、孫三郎ん傍に寄っち来たっちゃ。
見よるとコマぁ死にかけのカマキリのごたる酷く痩せこけちょっち、獣にでも齧られよったんか片方ん耳が裂けちょった。
「ほ、本当にコマかえ?
今までどこに行っちょったんかえ?
無事で良かったっちゃ」
と言って、孫三郎は嬉しいごつコマを抱き上げたんだっちゃ。
それから数年の年月が流れ、あの雷ぃやられちクヌギん大木かり生えち来よる椎茸ぁすったり少のぉなっち来よった。
そん代わり孫三郎が小屋ん近くん林ん中で始めち椎茸作りゃあ毎年豊作じゃったけん、勝手にクヌギん大木から生えて来よるもんを採っち来ちょった頃ほどじゃあねぇもんの、孫三郎は大儲けと言っても良えぐれぇ稼ぐこつが出来きるごたるなっちょった。
そんこつ知っち村ん衆ん中にも、近頃ぁ真似しち椎茸作り始むる者が出て来るごつなっちょったけん、孫三郎は五助に手助けしちもろぉち作り方を教えちゃるようにもなっちょったんちゃ。
じゃけんど他ん者がほだ木並べちみても何故か孫三郎んとこんごたる椎茸が生えて来よるたぁ限らんかったけん、中にゃあ銭払っち椎茸が生えるごつなるまで、孫三郎ん所にほだ木を置かせちもろぉちょる者も居ったっちゃ。
コマも変わらんち無邪気なもんで、野ネズミ追いかけよったり、昼寝しよったり、ほだ木で爪研ぎよったり、隠れち手拭いのほっかむりしち三つ拍子(鶴崎等では「左衛門」とも呼ばれている大分県各地に伝わっている踊り)踊ったりしちょった。
孫三郎ん小屋ぁ椎茸にやられち柱が腐れちもぉちけん、孫三郎は小屋を取り壊しちそん隣ぃ新しい家を建ちち暮らしちょった。
そげな幸せな日々が続いちょったある日ん夜んこつだっちゃ。
家ん中で眠っちょった孫三郎は、いつかんごたる誰かが話しちょる声が聞こえち来よったけん目が覚めてもぉたっち。
暗ぇ家ん中で何者かがこげぇ事を言うちょったっちゃ。
「コマぁ、主は何しちょるんかえ?
もう時がねぇけん、早ぉそん人間を喰ろぉちまわんともう妖力も得られんごつなっちまうっちゃ」
それを聞いち驚いた孫三郎が薄目開けち声が聞こえち来よる方を窺っちみるち、小窓かり射し込んで来ちょる月明かりぃ照らされち、尾が七つに分かれちょる仔牛んごたる大きな赤猫(毛色が薄茶の猫)が目の玉を爛々ち光らせち部屋ん隅に蹲っちょった。
孫三郎がそのまま様子を窺い続けちょると、また別ん声が聞こえち来よった。
そん声ん方を見よるち、コマが人ん言葉をしゃべっちょった。
「どうしてもそげぇせんち駄目かえ?」
そげぇ事を言うちょるコマに赤猫は諭すごたる言うんだっちゃ。
「只ん獣としての主ん寿命は今夜限りっちゃ。このままじゃあ一番鶏が鳴く頃にゃあ主は冷とぉなっちょるこっちゃろう。
そげん事になる前に人間を喰ろぉち、妖力をもっと増しちょくんちゃ。
そげぇすりゃあ力を使ぉて寿命延ばせるごつなるけん、何百年も生きれるごつなりよるし、うちのように猫ん王ん側で仕えるこつも出来きるっちゅうんに、何をためろぉこつがあるっちゅうんかえ?
ほれ、早よせんち主ん寿命が尽きちまうが」
コマが死ぬと聞いち孫三郎は飛び起きようどしよったが、金縛りに遭ぉたごたる動けんかったっちゃ。
孫三郎が聞いちょる事に気付いちょるんか居らんのか、赤猫ん言葉にコマぁこげぇ答えよった。
「阿蘇んお三姉やん。
孫三郎やんは俺ん育てんお父やんちゃ。
それにお母やんの乳が出んで俺が痩せこけちょった時にゃああっちこっち回っち貰ぇ乳してくれる相手を探そうとしちくりたり、そりが駄目やと判りゃあ乳ん代わりのもんをこさえちくりたりしたんちゃ。あんこつがなければ俺は渇いてもぉち生きちゃあ居れんかったかも知れん。
俺だけじゃあねぇ。俺んお母やんが体ん塩梅悪うしよった時も必死で看病しちくりたり、願掛けしちくりたりしたっちゃ。
猫は三日で恩を忘れるっち言われちょるけんど、俺は忘れん。
それになにより孫三郎やんは苦楽を共にしち来ちょった家族っちゃ。
そげな孫三郎やんをどげんしち殺すこつが出来きろうかえ。
わざわざ遠いとこかり御足労しちもろぉた姉やんにゃあ悪ぃけんど、俺は孫三郎やんを喰うつもりゃあ全くねぇけん諦めて阿蘇に戻っちくり」
するち赤猫んお三はコマを嘲りよった。
「人間なんぞのために命を捨てるっちゅうんかえ?
主ん母もそん道を選びよったけんど、死んだ後まで猫がめ(猫神、呪術によって使役される殺された猫の霊)ん如くそこの人間のために働いちょるっちゅうんに、人間を喰ろぉこつも出来きらんきゃあ、そん人間に気付いても貰らえんけん、贄を貰える猫がめと違ぉてただ働きっちゃ。
主もそげぇ母親んごたるなりてぇっちゅうんかえ? 親子そろっち途方もない愚かもんちゃ。
まあ、主がそれで良えっちゅうなりゃあ、好きなごたるすりゃ良え。うちにゃあとても理解出来きらん。
それにいずれにしても、もう時間切れじゃけん」
お三がそう言うた時だっちゃ。
(こっけこっこおぉー)
村ん方かり雄鶏ん鳴き声が微かに聞こえち来よったかち思ぉち途端、赤猫ん姿ぁかき消されちごたる見えられんごつなったっちゃ。
「コマ、ならんちゃ、死んじゃあならんちゃ」
孫三郎は慌てて飛び起きるち、コマを抱き上げたんだっちゃ。
じゃけんど赤猫ん言葉通り、コマぁもう冷とぉなっちょったっちゃ。
孫三郎は悲しんで、タマが眠っちょる隣にコマん墓を建てたっちゃ。
猫は死ぬ姿を人に見せんっち言われちょるけんど、自分ぬ命より人ん命を選んだコマぁ、大事ぃ思ぉちょった人間とこで最期を迎えたんちゃ。
そりかりも孫三郎んとこんほだ木にゃあ、いつん間にか猫ん爪痕んごたる傷が付きよるごつなったんやと。
(チリンチリン)
とどこかで鈴ん音が響いたっちゃ。
[了]
本作品は作者が本サイトに投稿した「猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ――」の原案(と言っても最初期の案ではなく、投稿前に二、三回程改訂を繰り返したものですが)です。
本作品は昔の豊後の国(非正規の設定ではありますが一応、十八世紀前半頃の旧岡藩領を想定)を舞台とした昔話の形式をとっておりますため、作中では同地域を始めとする、一部地域の方言に基づいた表現を使用するよう心掛けて執筆したものです。
しかしながら、その事に拘り過ぎて読み難くなってしまった感が少なからず御座いましたので、方言の使用頻度を減じたものを「猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ――」として別に投稿し、本作品は大分弁を解する読者向けとしてここに投稿させて頂きました。
尚、作者は豊後の国があった大分県出身の友人も居なければ、同地域に足を踏み入れた事も無いため、方言の用法等において、誤った表現を用いてしまっている恐れが少なくありません。
もしその様な類の間違いが御座いましたら、旧岡藩領における方言等に詳しい方から、御指導頂ければ幸いに思います。(尚、文章内の記述の全てに関して、方言を用いている訳では御座いません)
又、その他にも誤字、脱字、文法上のミス、等々が御座いましたら御指摘願います。
それから、作中において、化猫は人を喰わないと長生き出来ないとする描写がありますが、これは作者の創作です。
因みに、化猫になるのを防ぐために年季を定めたり、尾を切り落としたりする風習があったという話や、イソップ物語の影響で猫の首に鈴を付ける風習が出来たという話は実話ではありますが、十八世紀前半頃の旧岡藩領においてまで、これら風習が存在していたのか否かに関し、作者は確認出来ておりません。
又、栽培した椎茸を藩が定めた仲買人以外に売る事を禁ずる決まりが、十九世紀にはあった事は確かなようですが、十八世紀前半にも同様の決まりがあったかどうかや、人の手によるもの以外の自然に生えている椎茸の扱いがどの様になっていたのかという事に関して、作者は確認出来ておりません。