漆黒の塔
ここは数多くの塔がそびえる進入不可侵の場所。ここを知るものからは群塔と呼ばれ、そこに住まうもの達を群塔の魔女と呼んだ。
険しい山間に数多く建てられた塔は二十以上ある。その群塔は中央にある漆黒の塔を中心として配置されていた。
この群塔には目的がある。それは異能研究にあり、最終的には世界そのものの真理を探究することにあった。
綺麗な理想は掲げられてはいるが、実際は他の武装組織と秘宝を巡った対立や、オルファンと呼ばれる異形との戦いを繰り返し、多くの血を流している組織だ。
そんな組織ではあるが、身を寄せるにあたり幾つかのメリットがある。
まず世界に十億人以上の信者が居るといわれている、清教会からの弾圧を逃れることができること。
魔術の能力行使を表向きには一切認めない教会側は、魔術師を拘束し、再教育の名の下に監禁し洗脳する。また適応外とされたものは例外なく葬られた。
中には群塔に所属しない者もいるが、教会からの追っ手を避けるか、退ける力が必要だった。
次に研究費用が出るということ。
魔術の力を用いて世界の真理を探求する命題に望むに当り、莫大な資金が必要になってくる。研究に没頭できるだけの財力があれば別だが、多くの人間はそうはいかない。
通常では手に入らない宝石や宝物を入手するための資金が必要だった。そのために群塔は人材をレベルごとに区別し、仕事を割り振っている。
定められた期間において一定以上の仕事を請け負うことで、資金と研究設備を享受することが出来た。当然、仕事の難度や危険度が高くなるほど見返りは大きくなっている。
特別に多大な功績者については理事会により褒章が授与されていた。
褒章を授与された者は、群塔内において発言権や地位が高くなるだけでなく、個人へ塔の所持が認められていた。
また全ての魔術師が戦闘的な術式を行使できるわけではない為、そういった魔術師のためにデスクワーク専門の仕事もあった。
その最たるものが、アカデミーの教諭職である。群塔が近年において重視していることは人材の発掘と育成である。他勢力の拡大に備え、組織強化を図っていた。
その成果は顕著に表れており、若い才能が数多く発掘されている。
余談だが、群塔の魔女と称されているこの場所は、創立者が高名な魔女であったからだ。実際には多くの男性が所属している。
ジークステラ・フォン・ハインリヒは十三歳で群塔のアカデミー全工程を修了し、稀有な才能を見せ、十六歳で紅綬褒章を得た。
ドイツ門閥貴族の時期当主であり結界術式のスペシャリストでもある。炎の魔術を多用するため〝紅炎の魔女〝という通り名がついている。
しかし、反ステラの人間からは鉄火面と称され、沸点が低いことを例に挙げて標高一万メートルの、テンサウザンドと揶揄されていた。
性格は冷静沈着でクールな人間と本人は思っているが、周りからはクールに装っているだけの、短気者という認識になっている。
眉目秀麗、雪に溶けてしまいそうなほどの白い肌に、紅炎の名に相応しいルビー色の瞳。長いブロンドの髪を飾り気のないリボンで束ねていた。
非常に美しい容姿とは裏腹に好戦的な性格で、気質が浸透すればするほど少なくなってきた求婚者を、選定と称し血祭りあげてきた過去がある。
幼い頃より実績を挙げてきたことで嫌がらせを受けたことも多々あり、基本的に孤独を好み独りで過ごそうとしてきた。しかし同期の朝霧久万に阻まれ、振り回されてきた。
紅綬褒章を授与されてからは、アカデミーの学生からは羨望の対象となり、何かとこそばゆい感覚を抱いている。
朝霧久万もステラ同様、十代で褒章を得た一人だ。彼女は日本人であり、十一歳で群塔に所属しアカデミーの学生となった。
もともと魔術的な才能と家柄に恵まれ素質が高く、基礎魔術は理論ともに完璧。生まれ育った地元の霊峰、白神岳に棲まう神々を摂り込み使役している。
また世界各地に封印されている精霊や神々を、自分との適応相性だけで選び次々と摂り込んでいる。無駄に相性値の高いものを選択しているため、かなりの数を使役しているが、本人を含め誰も数を知っている者はいない。神々との契約に於いては、死後の肉体及び魂を差し出すことを約束し、契約を成立させている。
また実績においてはステラに遅れること一年で、ある実験を成功させ紺綬褒章を得ることになった。
優雅な立ち振る舞いで神々を使い戦う姿から、〝群青の鬼姫〝と呼ばれている。
非常に明るくマイペースである。よく言えば天真爛漫。興味が無いと人の話は全く聞かない性格で、他人に侮られがちであるが、実は思慮深く、物事の本質を突くことが多い。
アカデミー時代初期は可愛いらしい容姿からリラックマと呼ばれていたが、周りのステラへの態度を見るや憤慨し、武力を持ってやめさせようとしたため、後にグリズリーと呼ばれるようになった。ちなみに本人はまったく気にしていない。
「何故日本に行くことに許可がでない!」
部屋にステラの声が響いた。
相対するのは群塔を統べる老齢の理事会委員長、ベリガンダル・ドライアードその人だ。
「なぜか?と問うたが、おぬしはヨヒアムらの状況を知らんのか?」
「知らん」
「ステラちゃんそこは胸を張るところじゃないよ」
隣の久万が口を挟む。
「じいさん。老い先短いからって若さに嫉妬してんのか?どうでもいいから許可を出せ。出さないなら勝手に出て行くぞ」
老人は大きくため息をつくと口を開いた。
「こないだ地中海のある島で、宝物がみつかってのう」
「ほう、それで?」
「それがまたえらいもんでのう。どうしても回収がしたかったからヨヒアムと何人かで取りに行ってもらったんじゃが」
「失敗したのか?」
ステラが口を挟んだ。
「いやいや、まだ失敗はしとらんよ。ただあれが欲しかったのは、うちだけじゃなくての。清教会と救世騎士団が絡んで来て三つ巴になったんじゃ」
「なるほど、つまり、奪い合いで未だに帰ってこれないんだな」
老人は首を横に振ると続けて口を開いた。
「実は続きがあっての、この状態でさらにどこぞの軍隊が介入してきて、現在四つ巴の大激戦状態じゃ」
ステラは目を開き呆然としている。予想以上にひどい状況のようだ。
「しかしよっぽどのモノが出たんだな、じいさん。それで軍隊はどこの所属だ?」
「レオネストだよ」
久万が答えた。
レオネスト。世間では軍事カンパニーレオネストとして有名である。
「あのエルダ共和国で民間軍事会社やってるあのレオネストか?あそこがこういったモノを集めているなんて初耳だが」
「まさにそのレオネストが来て現場は大混乱。急きょヨヒアムおじいちゃんの援護の為に、ナイトハルトちゃんが現場に行ってるんだよ」
ステラは久万の発言を聞くと、口に手をあて考えるそぶりを見せた後、老人に向けて告げた。
「ナイトハルトが行ってるなら問題ないじゃないか?ヨヒアムのゾンビジジイが死ぬことはないだろうし、運がよければその宝物も持ち帰ってくる。結局、今回の紛争が私の日本行きに、さして影響しているとは思えないが?」
「防衛はどうする」
反論することを予期して居たかのように落ち着いた口調で老人が応えた。
この群塔が他勢力と争っているのは事実であり、覆すことの出来ない事である。現在勢力図では清教会が圧倒的に秀でており、人材面でも圧倒している。お互いの本拠地は知らないことになっているが実は周知しているし、監視もしている。
しかも現在はこの群塔界隈に防護結界を張った張本人であり、緑綬褒章授受者のヨヒアム・ブル・シュナイダーは前線へ出ている状態である。
今回の件についてベリガンダルは当初、ヨヒアムを現地に向かわせることに反対をしていた。しかし宝物の性質や、真贋を確認するためには、七百年の歳月を生きたヨヒアムの知識が必要だった。
拠点の防衛を優先させる為、群塔に所属し近隣に居たものをすべてを召集させ待機をさせていた。ちなみにステラはその連絡を確認してなかったようだが……
もしもヨヒアムが死んでしまった場合、防護結界が失われてしまう。その時点で新たな結界を張らなければならないが、それも時間が必要である。その間の防衛人員が念のため必要だったのだ。
「防衛って、ナイトハルトが現地にいったのなら、ヨヒアムは死なないだろうし問題ない。ガタガタ言ってねえで許可だせ。許可。ホラホラ」
ステラの言葉遣いが荒くなってきている。
「なんと言おうと、ダメなものはダメじゃ。あきらめて塔に帰るか、暇ならアカデミーに顔でも出せ。たまには後輩を指導してみるのもいいもんじゃぞ」
老人はステラの態度に臆することなく、自分のペースでステラに告げた。彼女は確実に怒りのゲージが溜まってきている。
「あんだとコラ。人の話をきかないじいさんだなオイ。いま日本には確実にあいつがいる。あの汚らしい孤児が何人殺したのか知ってるだろ」
「知っとるよ。おそらく創生から現在まで数万人は殺したはずじゃ」
変わらない口調で答えた。
「だったら行かせろよ。今までに無い大規模な都市部に棲み付いてるんだぞ」
「わしから言わせたらだから何だ。ということじゃ。もちろん人殺しは捨て置けないが物事には優先順位があるもんでの。今、群塔の魔女における最優先事項はなんじゃ?」
おそらくこの口論でステラはベリガンダルに敵うことは無いだろう。最優先事項は、塔の安全だからだ。ステラもそれは分かっている。分かっているが、最悪の事態になることはほぼ百パーセントないと思われた。そこについてはベリガンダルも同じ意見だろう。しかし、組織として、ステラを防衛から外すことはできなかった。
口論は白熱している。おもにステラが一方的に熱くなっているだけだが。子供のわがままをあしらっている年寄りの構図がそこに出来ていた。
「おじいちゃん。一つ聞いていいかな?」
突然久万が口をひらいた。ステラは悪態をついていた口をようやく閉ざした。
「なんじゃ?」
老人が簡潔に応えた。
「今話していた防衛の人員についてホセさんと、エイプリルは含まれてるの?」
非常に長い沈黙が流れた。沈黙は金とはよく言ったものだが、この場においては銅以下だったようだ。
「なるほどね。やっぱり二人は含まれてないんだねえ」
久万は微笑みながら視線をステラに移し、再度正面を向いた。
「どうしてなの?この二人が防衛も参加すれば私たち二人分の穴を埋められるでしょ?」
「ちょっと待て二人分ってなんだよ」
ステラは思わず叫ぶが、久万がすかさずく口を挟む。
「ステラは黙ってて!」
急に声色を変えて話すのは卑怯だ。調子が崩れてしまう。ステラは一瞬気おされ口をつぐんだ。
「あの二人はだめじゃ。到底人の話を聞くような連中じゃない」
群塔の長である老人が諦めた口調でそう告げた。
「それを何とかするのが権力者でしょ?それに私知ってるんだよ」
彼女の目が細くなり、瞳の黒さが増した。口は怪しく吊り上り、本物の魔女の様に笑う。
「なんのことじゃ?わしを脅すのか?」
明らかな躊躇いと焦りが見える。
「しらを切るなら構わないよ。言いたくはないけど言っちゃうから。先月ホセさんに多額の資金を提供し、特注の人形を」
「わかった!わしの負けじゃ!」
老人は一瞬で観念したようで、久万にこの件に関して、今後一切それ以上の発言を禁じた。
ステラは腑に落ちない顔をしている。老人の秘め事についてもそうだが、久万に借りを作ってしまった。しかもうるさい荷物が、いつの間にか一つ増えることになってのだから。
「わかった。もうお前たちの好きにさせてやる。ただし、十分気をつけるんじゃ。相手は第一世代の孤児だからの。逃げても構わん。しかし折角行くんじゃから、仕留めることを願う。さらにその死体を絶対に持ち帰ることじゃ。わかったか?」
ステラは軽く頷いた。老人は念を押すように口を開いた。
「もちろん、ステラよ。絶対に久万同伴でいくんじゃぞ」
この後この件で口論が再開した。ステラは頑なに拒否したが、これについては憂さ晴らしとばかりに、一切の反論は認められなかった。
隣では久万が満面の笑みで二人を眺めていた。
それから二人が日本に到着したのは丸二日後、日本では土曜日の午前中のことだった。
鉄道と飛行機を乗り継ぎ、やっと日本に来たが、今度は日本国内を移動しなければならない。国際空港からさらに数時間かけての道のりにステラは憔悴していた。
「日本は遠いな……」
ステラが呟く。
「日本が遠いんじゃなくて、群塔の立地が悪いだけだよ。だって飛行機に乗ってる時間より鉄道の時間が長かったくらいだし」
「だいたいなんで、ヘリが出ないんだ?群塔からフィカレンタまで下道で何時間かかったと思ってるんだよ」
「それはステラちゃんの自業自得ってやつだよ。おじいちゃんに執拗に絡むから嫌がらせで飛ばしてくれなくなったんだから」
久万はステラの問いに的確に応えた。
「そんなこと言わなくても分かってるよ。愚痴だ愚痴。あのジジイいい年こいて陰険なことしやがって」
二人は新幹線のホームに佇んでいる。これが最後の移動であり、愚痴とは言え、先ほどまでは終始無言で仏頂面だったステラが口を開くようになって久万は嬉しかった。
「それにしてもステラちゃん日本語全然OKだねえ。もう完全にネイティブの発音だよ」
「そうか?自分では全く意識できて無いから分からんが、お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
彼女は日本に到着して早々、魔術によって自分の脳に魔術でブースターを取り付け、精霊魔術によって言語の自動変換を行っている。比較的一般的な魔術で、行使するために制限はあるものの、非常に実用的だ。上手い者がこの魔術を掛けると数年はその効果が発動したままになる。緑綬褒章授受者のヨヒアムが創った魔術でもある。
「それで、新幹線とやらはいつになったら来るんだ?」
ステラが口を開いた。
「もうすぐだね」
久万は簡潔に答えた瞬間、ホームに到着を知らせるベルが鳴り響き、流線型をした白い新幹線が入ってきた。
「これか。なかなか美しいデザインだな」
ステラは呟くと、扉が開くのを待ち、我先にと乗り込んでいった。
すぐに指定された席は見つかった。久万が窓側、ステラが通路側だった。
ステラは無言で荷物をトランクへ仕舞うと、窓側に座った。
「あーステラちゃん。そこ私の席だよー」
久万が不満を述べる。
「何か問題でもあるのか?子供でもあるまいし、どっちに座っても一緒だろ」
「一緒じゃないよ。私は窓側が好きなんだよ。それにずっと気になってたけど、移動中もずっと窓側だったよね?どうして?意図的に座ってたとしか思えないくらいだよ」
「うるさい。黙れ。私が窓側に座っていようが通路側だろうが、それは偶然なんだよ。大体お前も小さいことで騒ぎすぎだ。それでも紺綬か?もうすこし落ち着いたらどうなんだ」
ステラは久万の不満を一蹴すると、窓に目を向け、足を組んだ。不動のサインである。
久万はその後も言い続けたが、ステラは一切聞く耳を持たなかった。
二人が鷹城市に到着したのは午後をすこし回った後だった。
まずはホテルに荷物を置くと、あらかじめ調べておいた情報を整理し、孤児が潜んでいそうな場所を当っていくことにした。また久万の式神の力を借りた広域捜索も同時に展開することにした。
久万は自身の足元に手を沿え、身体の内に潜む者の名を呟く。
「Psyche」
そのとたん彼女の足元から大量の影が表れ、宙を舞い美しい蝶の姿となった。
「闇の孤児、山羊の孤児を探して」
久万の指示を確認すると蝶は一斉に舞い上がり空へと消えていった。
「よし、あとは私たちも捜索に出るぞ。久万準備はいいな?」
ステラは両手の指すべてに輝く指輪の位置を整えながら尋ねた。
「いつでも大丈夫だよ。この市内の広さなら遅くても二日あれば結果が出る。絶対に逃がさないんだから」
久万が応えると、二人は高城市北区へ向けて歩き出した。
新街にあるビジネスホテルを出た二人は、北区北部へ到着すると、南下するように倉庫街や工場跡地を調べた。
かすかに魔力の残滓を感じるところはあるものの、具体的な発見は何一つなかった。
今回二人が探している孤児は山羊の化身、通称ルペルカス。
放っておくと強力なバケモノを生産する。
過去顔をあわせているステラによると、具体的な目的は感じられず、ただ人間をおもちゃのように扱う快楽主義者という認識をしていた。
そもそも孤児と呼ばれるバケモノが何故居るのか、目的は何なのかは解明されていない。ただ、有史以来確認されているだけで、十七体存在している。そのうち四体は現在までに駆逐された。
蛇のオルファン、メデュエル。
西ヨーロッパの一部地域を拠点としており、数多くの人や街が破壊され、殺戮された。
三十年前に、救世騎士団による大規模な討伐作戦が成功し、街が一つ犠牲になることで駆逐することができた。その際、騎士も多くの人材がが屠られ、一時的に弱体化することになった。メデュエルの死体は、救世騎士団が回収し管理している。
蟷螂の孤児、プロフェット。
食べた人間の数だけ卵を産み大量の第二世代を生み出してきた殺戮者だった。
孵化した第二世代、プロフェットジュニアに思考能力はなく、ただただ人間を喰らうバケモノだった。
詳細な記録は残こされていないが数百年前に大地の力を操る英雄に討伐されたことが、清教会の記録に残っている。
猿の孤児、ディゴリアス。
人間を最も嫌っていた孤児で、多くの戦争を引き起こした。
定かではないがユーラシア大陸を蹂躙し、数多くの虐殺を行った張本人とも言われている。
第二次世界大戦中に戦時下にまぎれて東欧の街を襲ったのだが、その場所が別の孤児が拠点にしていた街であり、返り討ちにあった。ディゴリアスはその時点で生きていたものの、群塔の魔術師が隙を突き急襲。見事討ち取ることに成功した。その死体は群塔で管理されている。
鶏の孤児、コカトリス。
約二三〇〇年前に、現在のエジプトで討伐されている。
退治したのは、かの大王であったが、原住民からは大王の異教徒狩りという偽の風評が広まり、現地での大王に対する反感を高めてしまう要因となってしまった。
ちなみに救世騎士団は大王によって創設されたもので、王国崩壊後も次々とパトロンを換え、現代までその組織を継続させてきた。
時刻は深夜二時を過ぎている。二人は可能な限り北区の工場地帯を探索するが、この日の収穫はゼロだった。
翌日、日曜日の朝を向かえ、二人は朝食を済ますと、さっそく北区へと向かった。
久万の式神による捜索はまだ結果が出ていない。
昨日の調査で、確実に山羊がいることを感じることはできたが、具体的な証拠は見つけることはできなかった。
現状で北区北部の捜索は完了している。今日は北区中部から南部に掛けて調査を行う予定である。
「ステラちゃん。この北区には人工島があるみたいだけど、どうする?」
久万が尋ねた。当然このことはステラは承知している。
「あぁ、分かってる。今日から明日に掛けて北区本土はすべて調査を行い、その後に人工島を調べる。まぁそれまでにお前の式神から情報が入れば別だがな。」
ステラが珍しく丁寧に答えた。
一度戦闘経験があり追い詰めたとはいえ、久万の力に期待しているのだ。
本来ならば、人間がオルファンを独りで倒すことなど到底できない。基本的な身体能力が違いすぎるからだ。爪は鉄を引き裂き、脚は軽く数メートルを跳躍する。
頭も賢く、狡猾で思慮深い。
それでもステラが前回の戦いで終始イニシアチブを取れたのは、彼女の結界術式の精度の高さと、強力な爆熱の魔術で相手を翻弄したからだ。
また、相性も良かったといえる。山羊の孤児、ルペルカスは人間の魔術で傷をつけることができる相手だったのだ。
しかしステラはオルファンとの戦いの感想をこう漏らしている。
〝戦車に拳銃で向かっていくようだった〝
それだけ、基本能力に差があるということである。
それから二人は日が沈むまで、一つずつポイントを調査していった。
時計は夜の十時を過ぎたところだ。日曜の夜の工場地帯は人気が極端に少ない。
今日の最終目標地点に足を踏み入れようとした時、久万の前に一頭の蝶が現れた。
久万が手を差し出すとそっと指に降り羽ばたくのを止め、そのまま指の上で数秒静止したのち、すっと消えていった。
「久万、何か分かったのか?」
「うん。ここから近くの大橋のところに、何体か居るみたい」
「本体か?」
ステラが尋ねる。
「多分、本体じゃない。第三世代だと思う」
久万が答えると、二人は魔力を身体に駆け巡らせ、一気に駆け出した。
すぐに大橋が見えた。
久万が先導している。
橋の脇の小道を海沿いに進んだ時、誰かの悲鳴が聞こえてきた。
二人は倉庫街に入るが、疾走を緩める気配はない。
「久万。お前も感じたか?」
ステラは走りながら叫ぶ
「感じたよ。間違いくこの先に居る」
久万が答えたところで、先に駐車場と街灯が見えた。
車が一台停まって、何かに囲まれている。
間違いなく孤児だ。
右腕に魔力を充実させ、過去多くの異形を焼き尽くしてきた灼熱の魔術を唱える。
その瞬間、ステラは視界の端に、もう一体の孤児の姿と、若い男の姿を見た。
殺される。
ステラは瞬間的に状況を理解すると、右腕から一気に灼熱の弾丸を解放した。
放たれる紅球は、空を切り裂き、ヒュンという甲高い音を鳴らしバケモノのこめかみにぶつかった瞬間、灼熱の炎をまとい弾けた。
孤児はそのまま頭を吹き飛ばされ転がる。
即死だ。
標的は自身の死を感じることなく葬られた。群塔稀代の魔女の力は一年前よりはるかに強くなっていた。
ステラは呆然としてる男に向かって告げた。視線は自動車に群がる三体のバケモノを凝視している。
「ぼうやはそこでじっとしてな」