郡塔の魔女
ここは東欧の一国、フィカレンタ。
首都はフィカレンタシティ。
国土は狭く、主な産業は鉱山から少しだけ出土するレアメタルと、夏場の気候を利用したリゾート観光業だ。
もともと社会主義国家として、独裁政権が統治していたが、三十年ほど前、国内での反社会主義思想が高まり大規模なクーデターが発生し民主化に成功した。
圧政からの解放、これからの発展を願わない国民は居ない。
しかし多くの祝福の中産声をあげたこの国も、現在は都市部と地方で貧富格差が激しく、現状でEUに加盟できるほどの民度と経済力は無かった。
首都から北を見ると、すぐ近くには雄雄しい山脈が連なり、深い針葉樹の森が広がっている。国土の八割は深い山々で、地元の山岳ガイドでも足を踏み入れることはない。
しかしそんな険しい山々の奥に、それは存在した。
山の隙間を縫うように広がる森の中に、数十メートルは在るような巨大な塔が数多く建っていた。
漆黒の塔、紺色の塔、黄色の塔、紫色の塔、紅色の塔、長い年月の為、外壁はくすんではいるが、色とりどりの立派な塔が建っていたのだ。
その中の一つ、赤く塗られた塔の最上階で声が聞こえた。
「ステラちゃーん。見つけた見つけたー」
若い女性の声が響く。
木製の重厚な扉がノックも無く開かれた。
「うるさい、黙れ。あと勝手に入ってくるな」
部屋の主はぞんざいに呟くが、侵入してきた女は気にせず話を進める。
長い漆黒の髪は眉と背中に掛かっているが、地面と水平に切り揃えられた前髪、そしてその下に爛々と輝く大きな瞳から受ける印象は天真爛漫。全方位へ向けられる笑顔は小動物を思わせる愛くるしさがあった。
手にはノートパソコンを所持している。
「ステラちゃん。これこれ。このニュース見て欲しいんだけど」
ステラと呼ばれた女性は中央の丸テーブルで紅茶を飲みながら本を読んでいる。
透き通るような白い肌に、真っ赤に輝くルビーの瞳。長いブロンドの髪を飾り気のないリボンで一つに束ねていた。
女はステラに近づくとパソコンを広げ、あるニュースサイトを開いた。
ステラは深く溜息をつくと、本から目を逸らすことなく口を開いた。
「誰の許可を得てここに入って来たんだ?そもそもお前はいつもそうだ。入り口は封印されているから普通は入ってこれないはずだが?」
「いやいや、ステラちゃん。そんなことより、これだよこれ」
「うるさい久万。何度言えば分かるんだ。お前もそれなりの立場があるんだから、軽々しく、この塔には近づくな」
怒声が部屋に響くが相手に臆した様子はい。
「いや、だから今日は遊びにきたんじゃなくて」
「うるさい黙れ、しゃべるな。お前は回れ右して自分の塔へ帰れ」
まったく聞く耳を持たないステラに久万は再度口を開く。
「山羊」
一瞬の空白。
「山羊と言ったか?」
「聞きたい?」
久万はにっと笑うと、ノートパソコンの画面を見るように促した。
「この事件日本で起きてるんだけど、どう思う?」
少しの沈黙、食い入るようにステラ画面を覗き込んだ。
「私は日本語は読めないんだが」
「あっはー。そうだったねぇ。それじゃあこのサイトは読めないねぇー」
二人が揃ってアハハと笑った部屋を、気まずい沈黙が支配した。
「訳せ」
「えぇー面倒だよ。ステラちゃん、精霊魔術使えるでしょ?自動翻訳できるんだから自分で見てよ」
「うるさい。黙れ。そもそもお前が持ってきたんだから責任もってお前が私に伝えるべきだ。それに私はそっち系は使えるがあまり得意じゃない」
強気にステラが反論をするが、久万に理屈は通用しないことは周知の事実である。叱っても堪えない彼女にはアメを与えるのが効果的だった。
「確か、先週買ってきたブカレのチョコがあったなあ」
「ステラ様、何なりとお申し付けください。とりあえずこのページの翻訳だね☆」
一気に久万が下手にでる。
ステラは現金な久万を、かわいそうな子供を見るような目で見つめたあと、しっかりと隅々まで翻訳させた。
「つまり、お前の母国で、失踪事件が相次いでいるのか。しかも事件から二週間以上たったが何も進展がなく、さらに先日、大型バスが行方不明になったと」
ステラに確信に似た想いが募る。
手口が奴にそっくりだったのだ。
彼女が知っている奴の手口はこうだ。
人を襲い栄養を蓄えると、人間を原料に第三世代と呼ばれるバケモノを作り出す。
その後は時間をかけ強力な第二世代と呼ばれる手先を増やすのだ。十分に第二世代の数も揃い成長すると、本人は行方をくらまし新たな場所へと移動する。
その場に残った二世代三世代のバケモノ達は今までの巧妙さを捨て、一気に街を侵食していくのだ。
いままで廃墟になった村や町は数多くある。
原因は孤児と呼ばれる悪魔の中で、最も意地汚く醜悪で狂気じみた性格をした、快楽主義者の下衆であった。
ステラは以前、この山羊と呼ばれる孤児と大規模な戦闘を行ったことがある。
町に残った第二世代以降の孤児は全て駆逐したものの、人口三千人のほとんどが餌食となった。
もともと彼女は結界術式のエキスパートであり腕には自信があった。急場ではあるが、可能な限り万全に敷いた結界内で半身をもぎ、山羊を取り押さえたのだ。
しかし山羊は余裕の表情で別れを告げると、生首だけで逃走した。さすがにそこまでの行動は想像出来ず、取り逃がしてしまったのだ。
あれから一年、ずっと山羊を探していた。
「日本か。よし」
勢いよく立ち上がるが、久万が行く手を阻む。
「多分、許可はでないと思うよ?」
「何故だ?」
ステラの表情が歪む。問われた久万は、チョコを頬張りながら応えた。
「知らないの?」
「知らないから聞いたのだが?」
睨みを利かせるが、久万は全く意に介していない。
「ステラちゃん。全然連絡メール見て無いんだねえ・・」
呆れ顔の久万に、ステラは不機嫌そうに再度理由を求めた。
「別の場所が大事になってるんだよ。まぁ詳しくは中央に行っておじいちゃんに聞いてみようねえ」
ステラは久万では話にならないとばかりに、勢いよく部屋を飛び出した。
「あぁ~ちょっと待ってよステラちゃーん。私も一緒に行ってあげるよー」
階段を下りはじめたステラを、久万が追いかける。
「いらん。ついてくるな」
「いやいや。絶対にステラちゃん一人だけなら許可でないって。でも私ならこういう時の交渉術は得意なんだから。私にまかせた方がいいよー」
「根拠は?」
ステラは一度立ち止まると後ろを振り返った。
「世の中は情報戦を制したものが、勝つのだよワトソンくん!」
ステラの目が細くなる。間違いなく久万が口に出した情報戦というやつを疑っている目だった。
「私、これでも紺綬の魔女だよ」
久万は大きな瞳で見つめ返しステラの睨みに応えた。
「中央まではついて来てもいいが邪魔はするなよ」
根負けしたステラが告げた。
「わ~い。やっぱりステラちゃんはやさしいねぇ」
子供のようにはしゃぐ久万を尻目に、ステラは再び階段を降り始めた。その後ろを久万が一方的に話しながら、群塔の中央部、漆黒の塔へと向かった。
ご多忙の中ご拝読頂き本当に有難うございます。