それぞれの想い
壮絶な戦いを制したのは水の王アイシチミリチだった。
始まりから両者は全力で争った。
ものの数秒で二人とも片腕を失い、一歩も引かず、一片の迷いも見せずに攻撃を続けた。
そんな次元の違う戦いの中でも少しずつ優劣が現れ始めた。
優勢に立っていたのはアリエだった。
彼女は爪による攻撃で果敢に攻め、水の王の体勢を大きく崩した。
その瞬間を見計らい超重力魔術を叩き込んだ。
高重力場を展開し、対象物を押し潰す闇系の魔術の中でも、高高度に分類される魔術だった。しかもアリエが放った魔術は通常のそれとは桁違いに強力で、近くに居るだけでも無慈悲な惨状を生み出す代物だった。
しかしそれが仇となった。
水の王が体勢を崩したのはブラフであり、相手の隙を誘う罠だったのだ。
隙を狙って飛び込んだアリエに横殴りの衝撃が襲った。
水で出来た超高水圧の銛が無数に体に突き刺さる。
横に倒れたアリエに、さらに追い討ちの銛が数え切れない量で打ち込まれ、そのまま地面に縫い付けられる。
それに対し水の王は、アリエの重力魔術が身体を掠め半身が無残に潰れていた。
しかしこの場を制したのは水の王だった。
「六等分しておきながらそんなに強いなんて反則にゃ。勝てると思ってたんだけどダメだったにゃ」
水の王が相変わらずの無表情でアリエに近づいて来た。
「ではさらばだ」
水の王は片手を失い、もう片方の腕も拉げてボロボロになっている。静かに口を開くと、とどめの言葉を告げた。
「やめろぉぉぉぉぉぉ」
篤志が生み出す暴風が止み、同時に水の王の動きが止まった。水の王が振り返り篤志を直視する。
「ファグナスでは無いな、なぜ貴様が現れる。本来ならば時を待たずして、ファグナスが顕現したものを」
「ファグナスが俺の中に居るのは確かだ。だがあいつは言った。この世界をもっと見たいと。俺を通じて見た結果で世界のこれからを判断するってな」
「戯言を」
「そんなんじゃねえ!あいつは自分の憎しみの結果を後悔していた。孤児の存在を後悔していた。でもな、あいつはある孤児に救われたんだ。そいつが見せてくれた人間の営みや愛を尊いものだと感じたんだ。だからあいつは今は外に出ないと言った」
篤志が全力で水の王を睨んだ。
「認めん。認めんぞファグナス」
「だけどこれがファグナスの意志だ」
「ならば、貴様ではなく直接ファグナスに問いかけるまでだ」
崩れた半身の影響など感じさせない動きで、アイシチミリチが迫る。
残った右腕が篤志に伸び、首を捕らえた。
「がっ……は、離せ……」
ぎりぎりと力がこもり、苦しくなる。
腕や足で抵抗するが、ビクともしない。
「貴様からファグナスを引きずりだしてやる。貴様はすでにファグナスを内包した卵の殻のようなものだ。私がこの殻を叩き割ってやる」
捕らえられた篤志の首から、アイシチミリチの水の魔力が皮膚を破り体内へと入りこんでくる。
それは全身に激痛を伴うものだった。
篤志の叫び声があがる。
彼の属性は闇、その体内に水の魔力を吹き込むことは毒を注入するようなものである。
先ほどのルペルカスとの戦いの際、篤志は外因性の衝撃で瀕死に陥りファグナスが一時的に現れた。この方法を再現するのは篤志が死んでしまう危険性が高い。意図して行うには非常に高度で刹那的なタイミングが必要であり、アイシチミリチとしてはリスキーな手段であった。
それは篤志が死ぬと、ファグナスの復活は振り出しに戻ってしまうことになるからだ。
しかしこの手段は違う。
篤志への過剰な苦痛と負荷、それを内部から限界ギリギリの意識を失う寸前まで与えることで、死を強く意識させる。
篤志は一度死んだ身である。
一日も経っていない今ならなお更なのだ。
死への感覚は鋭く、アレルギー反応のように過敏に影響を及ぼし、ファグナスの意志とは無関係に現世へと顕現させることになる。
「さあ出てこいファグナス。同志である貴様にこのような苦痛を与えるのは本意ではないのだ」
篤志の絶叫が絶え間なく鳴り響く。
アリエは躯を縫い付けている水の銛から、必死で脱出しようともがいているが絶望的だった。ステラと久万はアイシチミリチから放たれる強力な魔力の波に近づくどころか動くことも出来ないでいる。
絶叫が響く中、篤志の腕が強くアイシチミリチの腕を掴んだ。
「何っ」
「がああああああ、負けねえええええええ、この世界をっ、、残された家族をっ、、護るんだああああああっ」
篤志に内包された闇の魔力が、改めて開放された瞬間だった。
水の王の腕を掴み力に任せて振り投げた。
荒々しく篤志の体を覆う黒い霧状の魔力。
もう一般人であろうと視認できるほどに密度を増している。
「きぃぃぃさぁぁぁまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
倉庫の壁に飛ばされたアイシチミリチが激昂し声を荒げた。
「アイシチミリチ。俺はお前を認めない。お前がこの世界を壊すのなら、俺は全力で止めて見せる。この世界は誰のものでもない。今のこの世界が真実だ。ファグナスっ、見てるか。俺はこの世界を護る。これが俺の意志だああああああ」
篤志の周りの魔力が密度を増すと、サッカーボール程の球体が篤志の右手に集中した。
さらに密度を上げる魔力の球体。
それは時を待たずして針の先ほどの点となった。
「このような魔力の圧縮を行うとは、闇の王の力はさすがだが、それは貴様のような人間が使っていい力ではないぞおおおおお」
アイシチミリチが超高圧の水の銛を振り上げ篤志へと跳躍した。もはや跳躍ではなく瞬間移動のような速度で迫った水の王の突きを身を屈め避けると、同時に篤志は右手を相手の腹部へと押し付けた。
「きさまっ」
「弾け散れえええ」
超高圧の闇の魔力が一気に開放された。
それは瞬間的に空間の歪みまで発生させ、水の王を襲った。
漆黒の衝撃波をモロに浴びた体が高く宙に舞い天井を突き破る。
闇の魔力の残滓を引いて落ちてきたのは十秒ほど経過した後だった。
倒れるアイシチミリチのそばに篤志が歩み寄る。
「ファグナスが力の使い方を教えてくれた。アイシチミリチ、考え直してくれないか」
もはや見るに耐えないほどに傷ついた身体を引きずり上げた水の王が、静かに篤志を眺める。
「もう勝負はついた。お前ももう限界じゃないか。だから……」
視線が交錯する。程なくしてアイシチミリチが高らかに笑い出した。
「本当にこの世界は思い通りににはいかないらしい。まあ良い。今日のところは引いてやろう。だか忘れるなよ。私は私の計画を諦めるつもりは無い。残りの王の復活の時も間近だ。そのときは少年、そしてファグナスよ、お前達に選択の余地は無い。それまで愛しいこの世界とやらを存分に堪能しておくことだ」
「おい、待ちやがれ」
篤志が止めようと腕を伸ばすが、水の王は身を翻した。
「アリエ。昔のなじみで今回は見逃してやる。だが次は無いぞ」
水の王は一瞥も無く歩みだすと、音も無く姿が風景に溶け消失した。
アリエを釘付けにしていた水の銛が形を失い、ただの水へと変る。
彼女の拘束が解けた。
ゆっくりと起き上がる姿は、風穴が空いた後とは思えない優雅な動きだった。
「アツシ大丈夫にゃ?」
「ああ。俺は見ての通り大丈夫だ」
篤志の服はルペルカスに殺された時の出血で血まみれであった。
篤志はその事をすっかり失念している。
「それよりお前は大丈夫なのか?」
「私はほっとけば治るにゃ」
「そうか。なら安心だ。ステラと久万はどうなんだ?」
「貴様に心配されるほどでは無い」
「私もこれ位すぐに治るよ」
久万が右腕で力こぶを作ってみせるが、どう見ても彼女の姿は痛々しかった。
「ステラは大丈夫そうだけど久万は結構ヤバイんじゃないか?どうみても血が……」
「あー、問題ない大丈夫だよ。修行中はもっとひどい怪我を一杯してたから慣れてるよ」
これより酷いってどんなだよというツッコミを我慢しつつ篤志が苦笑いを浮かべ、無意識に辺りを見回した。
「そうだ。父さんっ」
篤志は父の存在を思い出し、壁際に横たわる父に向かって駆け出した。
すぐに父親の元に辿り着いた。
ぐったりとしている。
恐る恐る篤志が父を抱きしめた。
一見した父は頭部からの流血に、打撲が多数みられた。
顔色も悪い。
しかしまだ温かった。
耳を澄ますと、かすかな息遣いも聞こえてきた。
『生きてる』
「父さんっ、父さんっ」
篤志が何度も声を掛ける。すると父がかすかに口を開いた。
「あつしか」
「そうだよ俺だよ。大丈夫だ。今救急車を呼ぶから頑張るんだ」
そう告げると、篤志の父は再び目を閉じ意識を失った。
ステラが見たところ、酷く消耗している状態ではあったが、気を失っただけということだった。
電源を切って入れておいた携帯電話をポッケから取り出すと、急いで電源を入れ、救急に連絡した。
あわてて情況を話す篤志。
多くの人が倒れていること。そしてこの詳しい場所を告げると、警察にも連絡して欲しいと伝えて電話を切った。
「篤志。親父さんのことはすまなかった」
ステラが頭を下げる。
「私はあの時はもうだめだ見限ったんだ。親父さんが助かったのは篤志の力だよ」
「いや、あの時は仕方なかったと思う。だから頭を上げてくれ。気にしてないから」
篤志がそう告げると、ステラは頭を上げ、ありがとうと呟いた。
「ところでどうして親父たちは元に戻れたんだ?」
「私にも詳しくは分からないが、ルペルカスが死んだことで、その支配から開放されたとしかいいようが無いな」
ステラが告げると、久万も同意見のようだった。
「それについては私が説明するにゃ」
アリエが急に口を開いた。
「わかるのか?」
「お前達より魔術にも、孤児にも詳しいにゃ」
滑稽な当て振りで胸を張るアリエ。自信満々の顔をしていた。
「一体何がおきたんだ?」
「初めてアツシの力が暴走した時、アツシの怒りの感情が引き金となってファグナスの力が一時的に開放されたにゃ。その時放出された闇の魔力がルペルカスの魔力に染まった人間を洗い流したんだにゃ」
「ちょっとまってアリエちゃん。でも篤志君の魔力もルペルカスの魔力と同じ闇の力だと思うんだけど」
久万が口を挟んだが、当然の疑問点だった。
「その通りにゃ。でも根源が同質というだけで、別物にゃ。簡単に言うと、油で油を洗うようなものだと思えばいいにゃ。例えば、べとべとの重油で汚れた手を灯油で洗えばしつこい重油は油に溶け簡単に落ちるにゃ。一時的に手は灯油で汚れるけど、それなら余裕で落とせる。まあ今回についてはこれと似たようなことが起きたんだにゃ」
「なるほどそういう事だったのか」
篤志が他人事のように感心した。とりあえず頷いてはいるが、良く分かってないのは確実だった。
「まあルペルカスが死んだことも一因なんだけど、一番はアツシ、お前の力で救ったんだにゃ」
言葉が出ない。
篤志は数日間の苦しみが、この一言で報われたような気がした。
「ところでアリエ。どうして篤志が依代にされたんだ」
ステラがアリエに尋ねた。アリエが少し呆れた顔で口を開いた。
「そんなことも知らないのか。アツシの家系は元を辿れば、私たち孤児に近い存在なのにゃ」
「孤児に?」
「そうにゃ。そもそも私たち孤児はその昔、光の王レミトリアを殺し力を得た始祖が、闇の王ファグナスをも手にかけた。だけどひとつの存在に光と闇の力を、内包させることは不可能だったにゃ。この始祖は二つの力が引き起こす反発力で、全ての力を振り撒きながら消滅したにゃ。光の力は大地を潤し、闇の力は動物に降り注ぎ、孤児を創った」
「へ~そうやってアリエが生まれたのか」
篤志の感嘆の表現は軽いが、ステラと久万は言葉にならないほどの衝撃を受けていた。
「世界に光と闇の力が飛散した際に、運悪く両方の力に触れてしまった人間がいたんだにゃ。普通なら消滅するはずが、その人間はある理由でこの二つの力を内包することができたんだにゃ。しかも光の力のおかげで孤児にならず、そのまま人として生きることができた。その末裔が篤志の家系にゃ」
「だったら篤志も光の力を持ってるのか?」
ステラが疑問を口にした。
「持ってないにゃ。アツシの家系でも数人だけが先天的にその力を持ってるのみにゃ。でもアツシは片方だけ、つまり闇の素質だけもっていたにゃ。だから水の王に狙われたんだにゃ」
「なるほどな、そういうことだったのか。じゃあアツシがファグナスと繋がった原因もそこにあるんだな」
「そうにゃ、水の王はアツシに王の力を移植したにゃ。純粋な王の力はアツシの闇の魔力に染まることでファグナスを呼び出す触媒、依代になったにゃ。アツシの一度目の魔力の開放がそのトリガーになったようにゃ」
「とりあえずなんとなくだが、俺の状況は理解できたんだが、これからどうしたらいいんだ?」
「そうにゃあ……まあ立場で言えば不完全だけど始祖になったわけにゃ。ということは」
「ということは?」
篤志が真剣な眼差しでアリエを見つめる。
「ということは、つまり孤児に狙われるだろうにゃ」
「マジかよ……」
篤志の顔に絶望の色が浮かんだ。それもそのはずである。ルペルカスのような相手がこれからわんさかやって来るというのだ。考えただけで気が滅入ってくる。
「安心するにゃ。力を使わず静かにしてればある程度大丈夫にゃ」
「本当か?」
「まあ、多分大丈夫にゃ。私はこれからも水の王を追うから何かあればその時は手を貸すにゃ」
「ありがとな。助かるよ」
「感謝する必要はないにゃ。こっちは勝手にやってるついでにゃ」
「それでもいいよ。ありがとう」
篤志は純粋にアリエに感謝した。
「じゃあ私はもう行くにゃ。魔女達にも一応礼を言うにゃ。ありがとう。助かったにゃ」
「別にかまわん。この借りは必ず返すからな」
「アリエちゃん。こちらこそありがとう。色々助かったし、孤児にもいい人がいて嬉しいよ」
アリエは魔女達の言葉を受け取ると、ニッと笑顔を作り二人に返した。
「おいアリエ。そういえばファグナスから伝言があるんだ。お前が見て来てた世界、人の喜びの世界を知ることが出来て嬉しかった。自分が原因で孤児が生まれ、時が経つにつれ後悔するようになったけどアリエから伝わる感情だけは、唯一の救いだった。そう言ってた」
「なんか照れるにゃ」
そういって去って行ったアリエの瞳は少し赤みが挿しているような気がした。
「そろそろ私達も行くことにする」
遠くでサイレンの音がかすかに響いている。
じきに到着するのだろう。
二人が長居し警察に見つかると厄介だ。最悪犯人に仕立て上げられる可能性もある。
「ありがとう。お陰で無事に帰ることができるよ」
久万が右手を差し出し握手を求めてきた。篤志もそれに応え、しっかりと握り返した。
「俺の方が助けられたよ。本当にありがとう」
篤志が深く深くお辞儀をすると、ステラが一枚のメモを渡してきた。
「私の連絡先だ。何かあれば遠慮なく電話しろ」
ぶっきらぼうな態度を取っているが、彼女なりの気の使い方なのだ。篤志にとっては短い付き合いだったが、初めて会った時のきつい印象は、今はすっかり感じられなかった。
篤志はメモを受け取ると再び二人にお礼を言った。
「じゃあ二人とも達者で」
篤志がそう告げると二人は背を向けすっかり夜が明けた倉庫の外へと歩き出した。
久万の弾んだ話し声と、それをあしらうステラの声がいつまでも耳についた。しかしそれも段々と大きくなるサイレンの音に流されていった。
篤志はとりあえず終わったことに安堵していた。
それに父が生きていることは本当に幸運だった。
ルペルカスに殺された人は数知れず、目の前で死んだ人たちも大勢いた。
助けることが出来なかった。
しかしそれは当然のことだと思う。
たった一人を助けることも運任せの自分が、その全てを救えることは不可能なのだ。それはもう仕方の無いことで受け入れるしかないが、それでも亡くなった人たちには心から申し訳ないと思った。
篤志にはその全てを弔うことはできないが、久万やステラ達の協力で仇は取ることが出来た。だから今は静かに眠ってほしいと切に願った。
篤志が倒れている人たちを抱き上げる。
可能な限り平坦な場所へと移動させるのだ。それくらいしか今はすることが無い。
黙々と作業を続ける篤志には目下最大の問題が二つ残されている。
ひとつが、この状況をどう警察に説明するかである。
ありのまま言って信じてもらえるとは思えない。だからと言って嘘をいうことも出来ない。観念して道化を演じるか。しかしどう演じればいいのかすらも分からなかった。
もうひとつが携帯電話に続々と入ってくる不在着信とメールの山だ。これは美雪と母からのものである。
篤志は怖くて見ることが出来ない。こればっかりはどんな言い訳をしても許してくれない気がしたのだ。
篤志の脳裏に『絶望』の二文字がよぎった。
覚悟するしかない。
サイレンの音はもうすぐそこまで来ている。パトカーに救急車、消防車の音まで聞こえる。パーフェクトな布陣だった。
これくらい強固な捜査体制で早期解決をして欲しかったものだが、それは強請りすぎだと自覚した。篤志はけたたましいサイレンの音に日常への繋がりを感じて、安堵すると倉庫の外に駆け出し、救急車の誘導に努めた。