夜明けの出会い
まぶしい。
強烈な陽射しが顔を照らしていた。これじゃおちおち眠ることも出来ない。
真っ白な陽光は目覚めたばかりの瞳には痛いくらいにまぶしかった。仰向けに横たわった体は硬い地面の上でぞんざいに放られているが、不思議と心地が良い。
ふかふかなベッドはないが、柔らかく暖かい枕に頭を委ねているからだ。
ふんわりと懐かしい香りが漂っていた。
視覚が徐々に回復の兆しを見せる。焦点の合わなかった視点も、腕で作った影が顔を覆い、直射日光を避けたことで、すぐに回復していった。
篤志の目に飛び込んできたのは、可愛いらしい女の笑顔だった。
飛び上がるように起きた篤志の身体を、女は無理やり押さえ込む。
「まだもうちょっと横になったほうがいいにゃ。それに」
「それに?」
呆けた顔で女を見上げ、つられるように篤志が口を開いた。
「それに、膝枕は通常営業では彼氏だけの特権なんだにゃ」
盛大に起き上がろうとするがこれも先ほど同様に強い力で押さえ込まれた。
「だからまだ起き上がったらだめにゃ。もうちょっとだけこのまま待つにゃ。それとも何か急いでる理由があるのかにゃ?」
この一言で、篤志の脳裏に山羊の顔が表れた。女を貪り、玩んだ最悪のバケモノ。忘れるわけが無い。身体に風穴を空け殺した相手を。
篤志はギョッとして腹を抑えた。上着は見事に穴が空き、手や着衣は血で汚れているが、傷は見事に無かった。
「これは、いったい……」
「まぁ落ち着くにゃ。私がわかる範囲で教えてあげるにゃ」
女が優しく笑いかけた。そのとき改めて女の顔を見ることができた。亜麻色の髪は陽射しを浴び美しく輝き、漆黒の瞳が深い眼差しを篤志に向けている。何故か懐かしさに似た感情が沸きあがってきた。
「どこかで会ったことあったかな……」
「あらあら意外と大胆なんだにゃ。でも私は軟派は嫌いにゃ」
「いやいや、違う違う。そうじゃなくて単純に懐かしいっていうか、どこかで会ったことがあるような気がして……」
「こんないい女と出会って忘れるなんて罪深いにゃ。でもまあ、実際は今日始めて会ったにゃ」
女は笑顔崩さず応えたが、その笑みの底に、やはり哀愁を漂わせる何かを感じた。しかしどうしても思い出すことが出来ない。記憶に厚い膜が張られるような、もどかしい気持ちが高まるが一向に答えは出なかった。
「ごめん、勘違いだ。ちょっとまだ混乱してるようで」
「それもそうにゃ。お前は一度死んだようだからにゃ」
「死んだ……やっぱり……」
血まみれの腕、そして鮮明な記憶が蘇る。
「俺、自分が死んだときの感覚が鮮明に残ってるんだ。間違いなく腹をやられて死んだはずなのに……どうして俺は生きてるんだ?」
篤志は身体を抑えられているため、膝枕の体制を保持させられながらも懸命に尋ねた。
「まあまあ急がなくても私は逃げないにゃ。まずは、自己紹介からはじめるのが礼儀だにゃ」
どんな状況でも冷静に。
篤志が美雪によく言われていることである。自分を落ち着かせるためにも、一度ここで間を取っておくのがいいと思い、深呼吸を行うと口を開いた。
「俺の名前は岡留篤志。西親高校の二年だ。それで君は?」
「アリエ。私の名前はアリエにゃ」
落ち着きを取り戻したところで改めて篤志は思う。この体勢で自己紹介を行う自分がたまらなく恥ずかしい。紅潮する頬を隠す手立ては無いないに等しい。しかも驚くほど美しい容姿をした相手ならばなお更だ。
しかしそんなことはお構い無しにアリエは話を続けた。
「まあ、まず私が説明をする前に、アツシが見たことを聞かせてほしいにゃ。私の話は憶測が混じる部分があるから、出来るだけ前情報が欲しいのにゃ」
篤志は素直に頷いた。今は情報を集めて整理するのが先決だし、それに目の前のアリエがとても悪者にも見えなかったからだ。
「俺は昨夜……ちょっと待ってくれ。今日は何日だ?」
「昨夜で合ってるにゃ。アツシが死んだ夜から、さっき朝日が昇っただけにゃ」
腕時計の時刻表示を見ると午前六時に差し掛かったところだ、日付も言われた通りだった。思い出したくもない記憶だが脳裏に焼きついた光景がフラッシュバックする。できるだけ簡潔に、ことの流れを口にした。
「俺は親父がバスの行方不明事件に巻き込まれて、ずっと行方を捜してたんだ」
「うんうん」
アリエが合いの手を入れるように軽快に相槌を入れる。
「それで昨夜はこの倉庫で山羊頭のバケモノを見つけて、そしたら、あいつはここで、女の人を玩んで……」
「なるほどなるほど」
「そして俺はあいつに見つかり殺されたんだ」
「そっかそっか。それで他には何か見てにゃいのか?」
「俺が見たのは女の死体と、バケモノだけ……いや、男だ。男を見たんだ」
篤志の頭に倉庫街に入ってからのことが浮かび上がる。倉庫を順に捜索している途中に男を見つけて、そっと後をつけたこと。そしてこの倉庫に入っていったこと。
「俺は男を追いかけてこの倉庫に入ったんだ。そしたらバケモノが居た」
今思えば、誘われているような気がする。あの時は手がかりを発見したという興奮で考えもしなかったが、もしあの男が俺の存在に気づいていたのだとしたら。自然と篤志は思ったことが口に出てしまった。
「あの男が山羊頭のバケモノなのか……」
「多分違うにゃ。アツシが見た山羊頭のバケモノの名前はルペルカス。孤児と呼ばれる古い生き物の一人で悪趣味で有名にゃ。それで男の顔や特徴はあったかにゃ?」
どうしてそんなことを知ってるのだろうか。アリエの質問に答える前に篤志は口を挟むが見事に無視され、有無を言わさぬ圧力で答えさせられた。
「顔は見てない。分かるのは痩せ型で華奢な体型だったことくらいだ」
少しの間の沈黙。アリエは何かを思案しているようだった。
「なるほどにゃあ。なんとなく分かったにゃ」
篤志を置いてけぼりに、アリエはひとりでうんうんと頷いている。
「どういうことだ。それに君は一体何者で、俺はどうして生きてるんだ」
業を煮やした篤志はアリエの腕を振り払うと起き上がり、正面を見据えるように胡坐をかいた。
勢いに任せ矢継ぎ早に口に出してしまったことを少し後悔したが、それ以上に心は不安で一杯だった。
そんな篤志の気持ちを察したのかアリエは真剣な眼差しを正面に向けた。
「悪かったにゃ、アツシは不安だったのにゃ」
「いや、大声だして俺も悪かったよ……」
恥かしげに頭を下げた。こういった篤志の素直なところは家族や友人が認める彼の長所だった。
「まずアツシを蘇生したのは私じゃないにゃ。私が追っている男、アツシが昨夜みた男が蘇生を施してるにゃ。あいつがアツシをここに誘導し、ルペルカスに襲わせたのにゃ」
篤志は理解しようと懸命に頭を働かせるが、腑に落ちない点が多すぎて納得できない。その最たるものが、
なぜ俺を殺して、生き返らせる必要があるのか
理に適った行動とは到底思えなかった。
「ところで、アツシの親族で香坂って聞き覚えにゃいか?」
急に話題を変えられ、篤志は一時的に考えるのを停止した。どうせ今のような混濁した頭で考えても結論は出ないし、最終的にはこのアルエにすべての疑問をぶつければいいだけの話だからだ。
「こうさか……、そういえば、母方の家系に香坂家ってあったはずだ」
「なるほどにゃ。もしかしてアツシの母親の実家は宴路、楼、御橋の中にあるにゃ?」
「母さんの実家は楼だけど、どうしてそれを知ってるんだ?」
アリエはしばらく無言で何かを思案し、篤志の顔をまじまじと見つめ始めた。
「アツシは何も知らないようにゃ。まあ大事に育てられたのにゃあ」
アリエが呟く。
篤志はアリエの的を得ない言い回しや自己完結する会話の内容に再びフラストレーションが溜まり始めていた。
「遠まわしにしないでハッキリ教えてくれ。さっきからアリエの話は色んなところに飛びすぎて着いていけないんだが」
「まあ聞くにゃ。私はある男を追って五十年前に日本に来た」
「五十年?お前どう見ても俺と変わらないくらいじゃないか」
「黙って聞くにゃ。歳はどうでもいいにゃ。納得できないなら二十歳と思っとけばいいにゃ。」
それはそれで納得できないが、抗議しても意味がないことは、短い付き合いながら理解していた。ここは黙って耳を傾けるのが得策と考え口を挟むのをやめる。
「そいつは日本に流れ着いて、自分を六つに分けたたんだにゃ」
「六つ?身体を割ったのか?」
「違うけど、そんな感じにゃ。自我を一つに移して残り五つを封印したんだにゃ」
おいおいちょっと待ってくれ。またこれだ。話が飛躍しすぎる。
「まあ正確には封印させたんだけどにゃ。その五つは京都四家に納められ、二つを本家香坂家が、残りを宴路、楼、御橋家で一つずつ管理することにしたのにゃ」
楼の家は確かに古い。前当主が亡くなった時、実質に葬儀を仕切っていたのは香坂家の人間だった。盛大な花輪が外壁一杯に並んだが、それを用意したのは香坂家である。
「そして昨日。そのうちの一つ、楼家が管理していたものが消えたにゃ」
「昨日?」
「そのとおりにゃ。こうなったらあいつが何をしたいのか想像がつくにゃ」
「一体どういうことだ」
篤志が尋ねた。
「奴が奪った、いや……取り返したものは、アツシ。今お前の中にあるにゃ」
「俺の中?」
「そう。だからこそ、アツシは今、こうやって生きているんだにゃ。何か感じないか?私にはお前の中の巨大な力の塊がはっきりと見えてるにゃ」
正直、なにがその力なのかは分からないが、目覚めてから少し違和感のようなものを感じていた。これがそうなのだろうか。
「とりあえず、あの男はアツシに対して敵意をもっているわけではないのは確実にゃ。むしろ好意を持っていてもおかしくないにゃ。でもそれはアツシの人間性じゃなくて、香坂家に連なる能力についてのことにゃ」
「能力ってどんな力なんだ?」
「それは光と闇の力に対する耐性のことにゃ。私が知る限り、光と闇の力を同時に内包すると対消滅で跡形も無く消えてしまうにゃ。でもアツシの一族は別にゃ。稀にそういうことが出来る人間が生まれてくるんだにゃ」
「それが俺にも?」
「違うにゃ。まったくアツシにはその力はないにゃ」
「おいおい、だったらどういうことだよ。俺が選ばれる理由が全く無いじゃないか」
「アツシに在るのは、闇の耐性だけにゃ。だからこそあいつに選ばれたのにゃ。アツシの中にある闇の力を見抜いたからこそ、利用することにしたのにゃ。」
「闇ねえ。個人的な意見としては闇より光の方が正義の味方っぽくて好みではあんだが……。そういうレベルの話ではないのだろ?色々ぶっ飛んだ内容過ぎて、考えるだけ無駄のような気がして来たよ」
「まあ、手っ取り早くケリをつけるならアツシを今すぐ殺すことだけど、それじゃあ根本的な解決にはならないからにゃあ」
篤志の顔が強張り咄嗟に身構えた。
「冗談にゃ。そのつもりがあるならもうやってるにゃ。それにあの男の計画は根源からぶっ壊さないと意味がない。そのうちアツシ以外を使って同じことされるのが眼に見えるからにゃあ」
「それで結局俺はどうしたらいいんだ?」
篤志は今までの話を聞いた結果、考えても無駄なことが理解できた。
実はこの世界にはバケモノが居て、不思議な力が存在しているのも間違いない。死んで生き返ったのも事実だ。行方不明事件にもバケモノが関わっている。
それで目の前の彼女は体不明で年齢不詳。人の話は聞かないくせに、自分の話は押し通す。
言ってることは現実味の無い与太話だらけである。
普通なら聞く耳を持つだけ無駄だが、今は違う。こんなぶっ飛んだ話を受け入れることができるだけの非日常を身を持って体験した。何らかの事情で生かされたのならその理由を知りたい。それに、最大の目標は父の発見だ。アリエは信じるに足る人物だと篤志の直感が告げていた。
「何を協力したらいいんだ」
「私はアツシが探しているバスの場所を知っている。案内するから、そこに行ってほしいにゃ」
「本当か。バスの場所を知ってるんだな」
「私は嘘はつかないにゃ。そこに行ってバスを煮るなり焼くなり好きにするにゃ」
「ちょっと待て。行ってどうしたらいいんだ。好きにやっていいのか?」
「アツシが行くだけでいいにゃ」
どうやらアリエが何か企てているのは間違いなさそうだ。
「何か裏があるだろ。正直に言え」
「裏はあるにゃ。でも私がアツシにやって欲しいのはそれだけにゃ」
二人の視線が交錯する。アリエの涼しい眼差しとは対照的に、篤志は睨みに近い状態でアリエの感情を読み取ろうとするが徒労に終わった。アリエが悪びれもなく笑みを返してくるからだ。これでは対抗心も削がれてしまう。
「分かった、了承する。それに、バスの所にはどのみち最優先で行くべきの場所だからな」
篤志は父の安否が気になっていた。昨夜のバケモノを見る限り絶望的な状況だ。最悪の事態が予想される。そう考えると、自分が行ってどうにかなるのか?また殺されるだけだと思う。しかしこのまま黙って帰るという選択肢はありえなかった。
「そうと決まれば早速出発にゃ。すぐ着くから気を抜かないようにするにゃ」
「おっし!それじゃあ気合い入れて行くか」
アリエが立ち上がり、篤志の手をとり引っ張り上げる。痛みは感じなかった。試しにジャンプをするが問題は無い。
アリエは篤志に付いて来るように伝えると、まずは倉庫出入り口へ向けて歩き出した。
「ところで、ここにあった大量の女性の死体を知らないか?」
篤志の記憶が正しければ、束ねられ山になった死体が打ち捨てられていた。
「私が来たときには、そんなの無かったにゃ。あったのは雑魚の死体だけにゃ」
アリエが指をさした所に、大量の赤目のバケモノの死体が転がっていた。篤志にとっては二日ぶりであり、昨夜はこいつらには遭遇して居なかった。
「そっか……」
「そういえば、結局のところアリエは何者なんだ?」
数歩前を進むアリエが歩みを止めた。少しの間が空くと、勢いよく振り返った。
「正義の味方にゃ」
満面の笑みで答えた。
「正義の味方って……本当か?」
「本当にゃ」
アリエはただでさえ強調されている胸をさらに突き出し胸を張る仕草をとった。
場にそぐわない、妙に滑稽な仕草が篤志の笑いを誘う。
「はいはい。わかったよもう。アリエは正義の味方で、男を探してるんだな。それで見つけたらどうするんだ?」
「救うにゃ」
篤志にとって意外な答えだった。
「救うって、その男をか?」
アリエが今日見た中で一番の笑顔になった。