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学園生活は魔女と共に  作者: あまねく
一章 日常へのアンチパスバック
10/24

女たちの会話

 時間は少しさかのぼる。太陽は斜に傾き始め、海面に照らされた夕日が橙色に輝いていた。三十分もしたら太陽は水平線に沈みこの街は夜を迎える。

 ここは北区本土からネオシティアイランドを繋ぐ大橋の上。さらにその大橋を支える巨大な鉄柱の頂きに二人は立っていた。

 「準備も概ね完了だな」

 ステラの金色の髪が海風に揺れ、真っ赤な太陽の光を浴び輝きを増している。

 「そうだねえ。なんとか見つけることが出来てよかったよ」

 そう応えた久万の黒髪も滑らかに風に揺れている。

 今二人は、北区本土側にある巨大な倉庫街を見つめている。昨夜は近くの駐車場で、四体の孤児オルファンを仕留めた。あれから捜索を続け、ついにねぐらを発見した。

 両名の瞳は魔力の力を帯び、ほのかに輝いている。この状態ならば一キロ以上離れた所にある百円玉も見分けることが可能だ。

 実は敵地を発見した後、そこを中心としてステラが直径十キロに及ぶ広域結界を張った。

 結界と言っても色々あるが、狭く限定された空間のみならば体内の魔力で結界を発動させる。一般的に元素魔術と呼ばれる方法である。昨晩彼女が使った爆炎の弾丸も同じ元素魔術に分類される。

 それに対して広域に結界を展開する場合は、自身の魔力のみで空間を区切るのはリスクが高く安定しない。そのため自身の魔力だけではなく、外部から自然界に溢れるエネルギーを集めるやり方がある。これを精霊魔術と呼んだ。

 そのためステラは触媒となるカードを市内要所に設置し、計算されたシステムによって結界を成り立たせた。今回のケースでは大規模な空間内の魔力を吸い上げステラに供給するための術式が展開された。この措置は対孤児戦を有利に運ぶための当然の措置だった。

 ステラは紅炎という字名の通り、炎の魔術を得意とする。炎を司るラナサハルの王の力を借りた魔術だ。

 大別して魔術元素の頂点は六つあり火、水、土、風、光、闇である。その中の火の頂点がラナサハルであった。

 すべての魔術はこの六つの元素のどれかに分類される。同様に各地の精霊や神々もこのいずれかに分類される。たとえば雷神は風の王に属す。魔術師の実力にもよるが、理論上は雷神の力を借りた魔術と、風の王の力を借りた魔術では、後者の方が効果が高い。

 しかしそれには深い魔術知識と体内の魔力キャパシティ、さらにセンスが要求される。また力を借りるとあるが、発動させる為の全エネルギーは自身の魔力か、外部から結界等で集めた魔力を使わなければならない。ここで言う借りるとは魔術の許可である。

 より深い魔術理論で現世から魔術の源である精霊や神々にアクセスをし、アクセスが完了した後、使用する魔術の許可を得て発動するのだ。

 しかし実際に魔術を使用するたびに各精霊や神々に直接許可を貰っているわけではない。創世樹ユグドラシルと呼ばれる端末に精神を接続し許可を取るのだ。その創世樹ユグドラシルの先に精霊や神々、さらに王が居るとされている。

 つまり術者は、創世樹ユグドラシルを介して魔術発動キーを取得後、魔力を消費して魔術を発動する。この一連の流れをより高位の神々に、高速で効率的に接続し発動できるか、これが魔術師としての実力を左右した。

 中には自らの魔力を触媒として、新たな魔術を生み出す術者も居る。朝霧久万も特殊な部類の魔術師に分類されていた。

 彼女は血と契約、魔力の力で、直接的に精霊や神々を自身に取り込んでいた。余程の術者でも耐性がない限り、拒絶反応で心身を傷めることになる。彼女は一族の中でも非凡な存在で、その耐性の高さは歴代最高と言われている。


 「この感じだとまだ第二世代は生まれてないようだ。明朝仕掛けるぞ」

 ステラの瞳がさらに輝きを増す。

 「そうだね。今からだと夜中に鉢合わせになっちゃうからね。でも逃げないかな」

 「気づかれてるならその可能性はあるが問題ない。奴は第三世代が何体殺されようが気にする奴じゃない。それに……」

 ステラはその先の言葉を発するのに躊躇した。それはイレギュラーな出会い。岡留篤志と偶然に出会ったことで、普段封印している気持ちが少しだけ蘇ったせいだ。

 「それに?」

 久万はその言葉の先の答えが何なのか十分理解している。同様の感情を秘めているからだ。しかしその上で久万は尋ねた。

 「奴はさらった人間を第二世代にしようとしている。他の遺孤児オルファンと違って奴は孵化に時間を掛ける。バスがさらわれたのは一週間前。確実にあと三日はこの街にいる」

 二人は来日する前から、バスの行方不明者の末路がどういうものか知っていた。それは行方不明者は喰われるか、新たな孤児オルファンとなるかの二択。

 孤児オルファンによって固体の増やし方は大きく異なるが、このルペルカスについては過去の戦闘と文献から手口は熟知していた。つまりあの夜、助けた少年が必死になって捜していた父の末路も同様に最悪の結末しか用意されていないのだ。

 数々の死線をくぐり抜けた二人もまだ十代の少女である。必要であれば人を殺し、そして見殺しにもしてきた。常に自分の利になることを選らび地位を固めた。魔術という不条理を扱って条理を曲げてきたのだ。

 しかし自らの心を偽ることは出来ない。努力が報われないのは当然の世の中でも、頑張った分だけその頑張りが報われて欲しいと考える。人が死ぬと悲しい。人を殺すのは辛い。そいういった感情は消えることのないまま心の奥で燻り続ける。機械のように、無機物のように感情を無くすことは出来なかった。

 だからこそ普段は自らの心に蓋をし、考えないようにしてきた。このまま刻が経てば現実の惨さもそのうち慣れる。しかし今はまだ習得してない処世術だ。

 二人は篤志の想いを浴びて複雑な、そして意識外に置いている感情が蘇った。遠い前から意識しないようにしていた「命」の重みを改めて思い知ることになったからだ。

 一時の空白ののち、久万が口を開いた。

 「なら今のうちに一休みして明日の朝、絶対に終わらせようね」

 久万の瞳に決意の灯がともる。同様にステラも少しの間、被害者に想いを馳せると、静かに闘志を燃やした。

 「ならば、最後にもう一仕事だ」

 相手は一度追い込んだとはいえ第一世代の孤児オルファンだ。手の内を知っているのは相手も同じである。狡猾で残忍、何を考えているのは分からない相手だけに念には念を入れる必要がある。

 「えー、もうおなか空いたし疲れちゃったから動きたくないよー」

 駄々をこねる久万にステラが視線を向けた。

 「うるさいあと少しの辛抱だ。黙って馬車馬のように働け」

 「やだやだやだやだ」

 久万は器用にも鉄塔の上で手足をバタつかせている。

 「ルペルカスとの戦いを楽に終わらせるためだ。結界張りを手伝え。拒否権は一切認めないし、そもそも意見を聞いてない。ぐだぐだ言ってないでやれ。命令だ」

 ステラの眼光は鋭く久万を睨む。

 「……でも私、結界張るの下手だよ?」

 涙目で久万が応戦した。

 「わざとらしい……。さっきと同じだ。上手い下手など無い。こいつを指定のポイントに張るだけだ」

 「こんなに一杯……。ちょっと酷いよ!」

 ステラは結界の基点となるカードを取り出した。サイズは名刺よりも少し小さい。しかし幾重にも重なった結果、親指程度の厚みがあった。

 「酷い?ならば私ひとりでやれと?その間お前は飯を食って風呂も入って一眠りか?それで疲れて帰ってくると、まぶしいから電気を消せ、テレビを付けるななんて言うんだろ?」

 ステラは彼女の性格をよく把握している。まさにその光景が鮮明に脳裏に浮かんだ。

 「わーさすがステラちゃん。よくわかるねえ。でも少し違うよ。テレビくらいはつけてもいいよ」

 満面の笑みを浮かべる久万をステラが一瞥し応えた。

 「もういいわかったOKだゴミムシ。お前に拒否権はない。さっさと行け」

 「うー……ゴミムシなんて酷いや」

 「なんだゴキブリの方が良かったのか?」

 「分かったよ。諦めて行くけど、それならちゃんとポイントを教えてよ。そうじゃないと闇雲に張っちゃうから」

 「わかってるよ。お前の持ってる地図にポイント書いてやるから地図をよこせ」

 「はいこれどうぞ」

 久万は地図を差し出すとステラに渡した。ステラは受け取った近辺地図に印をつけていく。その間久万はジッとステラの手元を見ていた。

 「ところで岡留篤志君って言ったあの男の子。かわいかったねー」

 急な会話の路線変更にステラは手を止めた。

 「あんなひ弱そうな男、私は嫌いだ」

 再び地図に印をつけ始めながらステラが答えた。

 「えーそうかなあ。私は結構好みな顔だったけど」

 「趣味わるいぞ」

 「でもでもステラちゃん。あのときの、ジッとステラちゃん見つめてお願いしてた姿は正直グッときたんじゃない?」

 「来るか」

 「いやいやステラちゃんグッと来てたよ。瞳が少し泳いでたもん。あれは間違いな乙女心をくすぐられてたね」

 「絶対に無い。私はもっと男らしいのが好みだ」

 正直なところ、実は少しグッときてた。本人も指摘された時にに自覚したのだが、ああいう一途な目をした男子は嫌いじゃない。しかしそれを久万に悟られるのは死んでも嫌だった。だからこそ否定した上で、普段なら話に乗ることの無い話題にあえて乗り、少しだけ理想を告げた。

 「男らしい?」

 「そうだ」

 「ステラちゃんの言う男らしいって?」

 「そうだな。まずは筋肉がないとダメだが、在りすぎるのはNGだ。気持ち悪い。適度な量の締まった筋肉が良い」

 ステラが饒舌に語りだす。久万は持ち前の洞察力と観察眼でステラの嗜好は心得ているが、恋愛観は別だった。今まで彼女の眼に留まるような男性は見たことなかったし、一貫してこの手の会話を拒否され続けた。ここぞとばかりに情報を引き出そうと久万は聞き手に徹する。

 「ふむふむ。なるほどなるほど」

 「それと男はワイルドでなければな」

 「ワイルド?どんな感じ?」

 まさかワイルドという単語が出てくるとは。久万はこの場に録音機が無いことを後々後悔する。しかしこのネタのお陰で、この先十年は美味しいご飯が食べれそうなのは間違いなかった。

 「それは決まってるだろ。鋭い眼光と決断力だ」

 ステラが胸を張り大仰に答えた。対する久万は思わず声が漏れる。

 「それはワイルドじゃないような……」

 「あとあれだな。私より強い男だな」

 どこの世界に孤児オルファン相手に一対一で戦いを挑み、仕留めかけた女より強い男がいるのだろうか。素手でもゴリラより強い。久万の師匠、父でもある朝霧家当主よりもステラの方が実力が上だ。

 「それギアナ高地の高台よりハードル高いよ……」

 久万の切れの無いツッコミが入りステラは我に返った。

 「って何言わせるんだ。男なんて私はいらん」

 「いやいや。さっきのステラちゃんは乙女の瞳だったよ。照れない照れない」

 「うるさい黙れ。乙女の瞳なんてしてないし、照れてない」

 「とりあえず話をまとめると、両手に骨付き肉を持った筋肉だるまが好みなんだね」

 「なんでやねん!」

 鋭い裏拳が久万の顔面にヒットした。

 「ステラちゃん……ナイスツッコミ!」

 久万は懸命に痛みに耐えサムアップ。しかし目には涙を浮かべいる。

 「いい加減この話題は終わりだ。邪魔するな筆が進まん」

 「それは私のせいじゃないよ……」

 かすかな呟き。

 「何か言ったか?」

 異論をすべて排除するかのような冷たい視線が飛んだ。

 「そういえば」

 久万が突如声高に口を開いた。反省した様子はない。

 「はぁ……もうお前はしゃべるな。ろくな事が無い」

 ステラの深いため息が漏れる。

 「違うんだよステラちゃん。アレだよアレ」

 「アレでもコレでもどうでもいいから、もうしゃべるな。口を閉じろ」

 全く聞く耳を持たない態度をとるステラを無視して久万が話を続けた。

 「だからアレだよ。この間の地中海の話。ヨヒアムおじいちゃんとナイトハルトちゃん達が無事に帰ってきたみたいだよ」

 「それは良かったな。はい終わり」

 「生きてて良かったよホント。でも違うの、私が言いたいのは回収物のこと」

 ステラの眉がかすかに反応した。

 二人の付き合いは長い。アカデミー時代からステラに久万が付き纏っている為、ぞんざいに扱われることには慣れているし、何よりステラの扱い、気の引き方や、会話の持って行き方は人一倍上手かった。

 「実は回収物が何か知ってるんだよね」

 今回の日本遠征前に群塔は、上位の魔術師を集めヨヒアムを筆頭に宝物の回収作戦を実施していた。当然、極秘の任務である以上、作戦に従事する者でも回収物が何なのか知らない者が居てもおかしくない。だが褒章授受者に至っては、ある程度の情報開示がされており、一定の作戦内容は把握可能になっている。しかし今回の作戦のような最優先課題物の詳細まで知ることは出来ない。

 「お前知ってるのか?」

 ステラがが思わず声を発した。

 「まあ私も色々あるからね。それに気になることは知っておきたいのが性分だから」

 久万はステラとは違い、特殊な能力を有しており、その能力を駆使することで塔内で褒章を授与されることになった。配下にした精霊や神の力を多重に行使し短期の時間移動を成功させたのだ。また、ステラ以外には知らせていないが、条件をそろえることで空間移動も行うことができる。その分、群塔からの圧力や制約も多いが、ステラよりずっと中枢に近い立場にいた。

 「そうか……、それで結局なんだったんだ?」

 「それが外典がいてんらしくて」

 「外典?清教会か?」

 久万が頷いた。

 「うん。そうだね。清教会の開祖が孤児オルファンのことを記した文書で、一六〇〇年前に教派争いが発生した時に消えたとされるものらしいね」

 どこの世界も孤児オルファンについては公式に認めていない。存在自体秘匿されて居る。教会も同様である。人間を堕落に誘う十七体の悪魔という記載が聖書にあるが、詳細な孤児オルファンの記述は一切無い。

 「それで外典に孤児オルファンはどういう風に書いてあるんだ?」

 ステラが思ったことを口にした。群塔には孤児オルファンを専門に研究する機関も存在している。群塔の現在の主要研究機関は孤児オルファンの異能の力を解析することに労力を費やしているが、起源や目的が判明したという話を聞いたことはない。

 「さすがに私は読んでないからねえ。そこまでは解らないけど、最後まで熾烈な追撃が続いて大変だったみたい。教会は当然として、レオネストのグングニルって特殊部隊がフィカレンタに入っても追いかけて来たらしいし……」

 フィカレンタとは群塔がある東欧国家の首都だ。もちろん群塔が管理する領域内であり、敵対組織が近づくことは死を意味する。

 「フィカレンタまで来るとは、余程欲しかったものらしいな」

 「そうだねえ。本物なのは間違いないみたいだね」

 久万が同意する。今までありえないことでは無いが、大規模な戦闘、宝物争奪の延長でフィカレンタに入られたのは初めてだった。

 「まあこれで少しは孤児オルファンのことが解るだろうさ。生態が解っていれば攻略も容易くなるからな」

 孤児オルファンとの戦闘において重要なことがある。それは相手の能力が個人でバラバラであること。共通の概念や理論をもっているとは思えない行動で、場所を特定するのにも苦労している。

 

 「それはそれは殊勝な心がけにゃ」

  声は不意に後方から響いた。

 瞬間、二人は体内の魔力を一気に練りながら踵を返した。

 背後を取られていたことに全く気が付けなかった。かなりの実力者なのは間違いない。どんな雑踏の中でも視線を感じ取れる二人が声を掛けられるまで気づかなかった。

 それは道路を挟んだ反対側の鉄塔上部に腰を掛けていた。顔で判断するなら年の頃合は二十代に見えるが、どこかあどけなさを感じさせる笑顔を浮かべていた。ライトブラウンの髪が風で緩やかになびいては左右に揺れている。瞳は吸い込まれるように暗い。

 ステラは右手を正面に突き出し、いつでも戦闘ができる体制を整えている。久万も同様である。

 「聞くまでもないが、一応の確認だ。貴様何者だ?」

 二人の力が充実し始める。

 「まあ、落ち着け人間」

 「質問に答えろ」

 ステラの手の平にはすでに魔力が溢れ、弾けるタイミングを計るように相手を伺っている。

 「孤児オルファンね」

 久万が告げた。

 「貴様らから仕掛けてくるとは意外だな。大人しくしてたのも一年たらずか、きつく折檻された子供のほうが聞き分けがよさそうだ。ルペルカスの第二世代か? よく出来た手下だが、笑えんな」

 その瞬間ステラの右手が弾けた。女は声を発すること出来ないまま、灼熱の炎に包まれる。小型の竜巻のような激しい風が炎を伴い燃え上がる。

 「奴に気づかれたということか……」

 二人は炎柱を見つめている。昨晩の爆炎の弾丸魔術よりもはるかに高位で強力な魔術である。しかも並の使い手ではなく、紅綬、紅炎の魔女が使う魔術だ。鋼鉄すらも溶かしてしまう威力を持つ。

 「そうだね。気づかれたのなら仕方ないよ。すでに第二世代は孵化したみたいだし、私達のことも気付かれてるなら、もう今から乗り込んじゃおうか」

 久万が軽い口調で応え、ステラが頷いた。ホテルに帰ったところで襲われてもつまらない。罠があるのは初めからわかっていたことだし、無傷で帰れるとは思っていない。体調は万全ではないが、普段から万全で争いに望むことの方が少ない。慣れたことだった。

 「いやいや、まだ気付かれてないにゃ。もしかするとこの爆発で気付かれたかもしれないけど、あいつは周囲の反応をうかがう様な出来た頭は持ってないにゃ」

 未だに燃え続ける炎の中から声が聞こえると、眼前の炎が一瞬にして消えた。煙もなく余熱すら感じさせない涼しげな表情で女が立っている。

 「とりあえず話を聞けよ人間」

 先ほどまでとは打って変わり低い声で女が告げた。場が女に支配される。二人は刺すような視線を浴び微動だにすることも出来ない。明らかに異質で強大な力の奔流を一身で感じた。数秒の時が流れる。額に冷たい汗がにじむ。ルペルカスの手下だと思った相手は、想像以上の別格であるのは間違いなかった。

 「落ち着いてくれたかにゃ?」

 ふっと二人にかかる圧力が消えた。気が付くと女の表情は元の笑顔に戻っている。

 「私は山羊の手下でもなければ、山羊本人でもない。アリエと名乗れば分かるかにゃ?」

 二人の顔が強張ったことにアリエは気付いた。それもそのはず、当然の反応である。アリエとは十七体の第一世代孤児オルファンのひとり。猫の孤児オルファンの呼び名であった。

 過去狂気で知られ、殺戮を繰り返した猿の孤児オルファンディゴリアスに致命の傷を与えた張本人である。

 群塔の討伐隊がとどめを刺したものの、実質瀕死の状態にしたのはアリエだった。

 他の第一世代孤児オルファンと違い目立った行動はその一回きりで、戦闘の記録も乏しいが、ディゴリアスの受けた傷は凄まじく彼女の実力が、蝙蝠こうもりや狼といった最強種の孤児オルファンに並ぶ力があるのは明白だった。

 「わざわざ絶滅危惧種レッドブックの最上位にきてもおかしくない希少な猫様がなんの用だ?日本製の缶詰でも買いにきたのか?だいたい語尾が〝にゃ〝ってバカにしてるのか。あぁ?」

 ステラが挑発する。しかしアリエに気にした様子は無い。

 「今日はお前達と戦いに来たわけじゃないにゃ。頼みがあるんだにゃ」

 「頼み?」

 二人は眉をひそめた。人類の敵で圧倒的な力の差があるアリエから頼みごとをされるいわれはない。あるとすれば殺し合いだけである。

 「お前達は私たち孤児オルファンがどうして生まれたか知ってるか?」

 意外な質問だった。有史以来、幾千、幾万の人間を襲い殺してきた孤児オルファンは絶対的な敵である。対話という対話はなく、彼らに決まった目的があるのかどうかは一切謎に包まれていた。

 「知ってるわけなかろう。はっきりしてるのは人類の敵。あとはムカつくバケモノってことくらいだな」

 「群塔や教会、騎士団で色々と諸説があるけど、はっきりしたことは分かってないね」

 ステラの悪態を無視して久万が応えた。

 「じゃあ元素の王、六神は知ってるか?」

 「馬鹿にしてるのか貴様」

 魔術を使うものなら誰しも知っていることだ。

 炎を統べるラナサハルの王、

 水を成すアイシチリミチの王、

 大地を護るクスムユルの王、

 嵐に棲むレセテネの王、

 月の王ファグナス

 太陽の王レミトリア 

 この六神が魔術元素の頂点にして王、世界を形創る者の名前だった。

 「それがあなたの頼みに関係があるの?」

 久万がアリエに尋ねた。そもそも孤児オルファンより遥かに劣勢な人間に頼みごとをする理由が無い。さらにアリエは孤児オルファンの中でも最強種に属している。ルペルカスよりも実力は上と見て間違いない。

 「それが関係あるんだにゃ。始祖については何か知ってるか?」

 「……始祖?」

 二人には馴染みの無い単語だった。

 「始祖って、教会の開祖様のこと?」

 教会は欧州西部及び南部を中心に栄える世界規模の古典宗教、清教会を指す。二千年の時の流れで教義の解釈の違いから数多くの教派を生み出しているが、その中でも大多数を占める教派を聖清教会ティマイアスという。清教会の教えは万物の創世神の下に六元素の王が集い世界を維持すると考えられている。六元素のことは神という立場ではなく、元素の王という位置付けをしている。開祖はギリシャ民族系マケドニア人と言われている。エジプトで栄えたプトレマイオス朝の王族末裔という説もあるが教会は否定している。

 「全然ちがうにゃ。まったく何もしらないんだにゃ。二万年も時間があってそんなことも知らないとなると、あと十万年経っても知らなさそうだにゃ」

 「貴様らの世界の常識が一般的と思うなよバケモノ。元来対話を求めず殺戮を繰り返してきた孤児オルファンの頼みごとなど……。遠回りはうんざりだ。殺し合いをするなら今から始めようじゃないか」

 試すような言い分にステラの根気は限界に達しているが、アリエに気にした素振りは微塵もない。

 「始祖とは二万年前に六神に仇をなした人間のことにゃ」

ステラの 挑発を流したアリエの声が辺りに響く。

 「元素の王を殺し喰らいし人間。二万年の時を経て健在。我ら孤児オルファンにかかる呪いの元凶」

 夕凪にそよぐ風が澄んだ声色を運ぶ。二人は唐突の告白に耳を傾けた。

 「存命する六神は一神のみ。そして現存する始祖は三人。火、土、風の王を殺し、始祖となった人物たち」

 一時の空白、それを壊したのはステラの怒声だった。

 「信じられるか。その話を信じるに値する根拠がない」

 「信じる信じないじゃないにゃ。事実であり真実の話にゃ。こう見えても二万年生きてきた年長者の話は信じたほうがいいにゃ」

 「アリエさん。その話が本当だとして今回の件と何か関係があるの?その始祖が黒幕ということなの?」

 久万はまくし立てる様に問いかけるが、アリエは笑みを浮かべている。

 「そう急かなくてもいいにゃ。逃げにゃいから順に答えてやる。始祖は今回の件には無関係で、何もしてないのは間違いないにゃい」

 「だったらどういうことなの?」

 「今回の件、ルペルカスはいつも通り自分勝手にやってるだけにゃ。誰の指図も受けてない。でも今回の件に併せて自分の都合を通そうとしてる奴がいるにゃ」

 「回りくどい。はっきり誰なのか言え」

 焦らされ続けることに我慢できないステラが声を荒げる。

 アリエは一呼吸おくとまっすぐ二人を見つめ口を開いた。

 「奴の名前はアイシチリミチ。水の王にして存命する最後の六神にゃ」

 二人の目が大きく見開らくがアリエは口を開き続けてこう告げた。

 「奴の目的は─」

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