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「では、明日の朝を楽しみに」~砂宮の魔女と噛み噛み竜将軍、転生設計士の一夜逆転劇~

作者: uta
掲載日:2026/08/13

「セラフィナ! お前との婚約を破棄する!」


建国祭の夜。


まばゆいシャンデリアの下、王太子ジェラルドの声が大広間に響き渡った。


「お前は冷たく、心がない女だ。私はこの温かいミレーヌを選ぶ!」


貴族たちがどよめく。


継妹ミレーヌが、勝ち誇った潤んだ瞳でこちらを見上げていた。


(ふうん。三年間、一言も労いをくれなかった男が、今さら私を『冷たい』ですって)


私は――公爵令嬢セラフィナ・ヴァン・アシュフォードは、内心でそっとため息をついた。


前世で建築設計士として徹夜続きの末に過労死し、この剣と魔法の世界に転生した私にとって、この程度の理不尽は驚くに値しない。


納期が三日縮んだときのほうが、よほど絶望的だった。


ミレーヌが、わざとらしく目元を押さえる。


「お姉さま、ごめんなさい。でも……ジェラルド様は、わたしを選んでくださったの」


(涙ぐんでいるつもりね。あいにく、演技の粗まで見えているのだけれど)


瞬きの回数が多すぎる。涙は一滴も出ていない。前世で徹夜明けに鏡を見た私のほうが、よほどまともに泣けていた。


むしろ。


(やっと、解放されるのね)


私は銀灰の髪をゆらし、砂色の瞳を静かに伏せて、優雅に一礼した。


「かしこまりました」


怒鳴りもしない。泣きもしない。


ジェラルドが、拍子抜けした顔で眉をひそめた。


「……なに? 泣いて縋りもしないのか。やはり心のない女だ」


私は顔を上げ、ただ、微笑んだ。


「では、明日の朝を楽しみに」


「……なんだと? 明日の朝が、どうしたと言うのだ」


「いいえ。なんでもございませんわ。どうぞ、お幸せに」


ミレーヌの笑みが、ほんの一瞬、凍った。


「(なに、あの落ち着き……気味が悪いわ)」


気味が悪い、で結構。


この白亜の王城が、なぜ五十年前から一度も崩れずに建っているのか。


その理由を知る者は、この広間にただ一人――私だけだった。


***


自室に戻ると、古参の侍女コーデリアが待っていた。


「セラフィナ様……よくぞ、耐えてくださいました。あんな仕打ち……」


涙をこらえる彼女に、私は微笑んでみせた。


「泣かないで、コーデリア。これは私にとって、望んでいた終わりなの」


「ですが、あの方々のなさりようは、あまりにも……」


窓の外に、月光を浴びて輝く尖塔がそびえている。


壮麗な白亜の宮殿。誰もがその美しさを讃える。


だが、私だけは知っている。


「ねえ、コーデリア。あなたは、この城が何で出来ているか知っている?」


「何、と申されますと……白亜の、美しい石ではございませんの?」


「砂よ。ぜんぶ、砂で出来ているの」


「す、砂……⁉ この壮麗な尖塔が、でございますか?」


彼女が目を見開く。


「五十年前、初代『砂宮の魔女』だった祖母様が、魔力で砂を固めて築いたもの。柱も尖塔も、その正体は凝結させた砂粒の集まりにすぎないわ」


私は小さな砂時計を手のひらに乗せた。祖母の形見。


「そして、砂の城には維持が要る。毎晩、血族の魔女が捧げる『固定の祈り』。それが一夜でも途切れれば――」


前世で叩き込まれた理屈が、そのまま牙をむく。基礎、荷重、水分管理。魔力という接着剤が切れた砂の塊が、自重を支えられるはずもない。


「まさか……その祈りを、セラフィナ様がお独りで……?」


「七歳で祖母様から役目を継いで、十二年。毎晩、たった一人で祈ってきた。誰にも気づかれず、感謝もされず」


『愛想がない』『冷たい』。


そう嗤われながら、私は感情を殺してこの国を支え続けた。


祈りの夜は長い。夜通し魔力を注ぎ、朝には指先の感覚がなくなっていた。そんな私に、誰ひとり「おつかれさま」の一言もくれなかった。


「そんな……そんな尊い務めを、あの方々は何もご存じないまま……」


「ですが、もう決めたの」


私は砂時計を握りしめた。


「――今夜限りで、祈りをやめます」


コーデリアが息を呑む。


「では、この城は……」


「ええ。夜明けとともに、砂に還る」


静かに、私は荷物をまとめ始めた。


「……分かりました。もう、あなたさまを縛るものは何もございません。どうか、今度こそご自分のために生きてくださいまし」


「ありがとう、コーデリア。この砂時計だけは、持っていくわ。祖母様の形見なの」


***


夜が更け、私は最小限の荷物だけを抱えて城門をくぐった。


背後で、白亜の宮殿が最後の月光に輝いている。


もう二度と、あの城のために祈ることはない。


「――待っていた」


門の影から、低い声。


漆黒の角、深紅の瞳。隣国ドラゴニア帝国の竜人将軍ヴァルド・ドラクレア。


戦場で情け無用の『氷血の竜将』と恐れられる男が、なぜかそこに立っていた。


(この人……三年間、毎晩スープを置いていってくれた人だわ)


差出人不明の温かいスープ。祈りで冷えきった夜、それだけが私の心を温めていた。


私はとっくに気づいていた。この不器用な竜人将軍が、その主だと。


「その……行くのか」


「ええ。この国に、もう用はありませんから」


「……そ、そうか」


ヴァルドの角の先から、ぽっ、と湯気が立ちのぼる。


私は、ずっと確かめたかったことを口にした。


「ひとつ、伺ってもよろしいですか。差出人のないスープ……あれは、あなたですね」


「なっ……⁉ ど、どうして、それを……」


(角の先から湯気。分かりやすい人)


「祈りで冷えきった夜、あの温かさだけが救いでした。ずっと、気づいておりましたわ」


「……別に。ただ、その、寒そうだったから……それだけだ」


「ふふ。そういうことにしておきます」


彼は深紅の瞳を泳がせ、耳まで真っ赤にして、ついに絞り出すように言った。


「その、俺の国に……来ないか。城なら、砂じゃないやつを、いくらでも建てる」


(噛み噛みね。大陸中を震わせる竜将が、この有様)


「い、いや、変な意味じゃなくてだな……その、お前の力が、必要で……いや、力だけじゃなくて……」


耳まで赤かった顔が、今や角の先まで赤い。


大陸中を震え上がらせる竜将が、たった一人の令嬢を前に、可愛らしく狼狽している。


私は――生まれて初めて、心の底から笑いそうになった。


「ふふ。喜んで。あなたの国に、二度と崩れない城を建てて差し上げます」


「ほ、本当か⁉ ……いや、その、ありがとう。大事にする。城も、お前も……あっ」


言ってしまってから、彼は自分の口を手で押さえた。角から、いっそう勢いよく湯気が噴き出す。


(生まれて初めて、心の底から笑ってしまった)


「ええ。よろしくお願いしますね、ヴァルド様」


***


夜が明けた。


東の空が白み、朝日が王城の尖塔を照らす。


その瞬間――さらさら、と。


壮麗な尖塔の先端が、砂となって崩れ始めた。


「な、なんだ……⁉ 尖塔が、崩れて……」


寝間着姿のジェラルドが中庭に飛び出す。


目の前で、白亜の柱が音もなく砂山へと還っていく。


「そんな話は聞いてない! どういうことだ⁉」


崩れる壁。沈む床。逃げ惑う使用人たち。


「セラフィナ! 戻ってこい、セラフィナ‼」


だが、彼女はもういない。


継母オデットが、慌ててミレーヌの手を引いた。


「ミレーヌ! お前が祈りを継ぐのです、早く固定の魔法を‼」


「え……む、無理よ! やり方なんて知らない!」


「魔女の血を引くのでしょう⁉ さあ、砂を固めなさい、今すぐに‼」


ミレーヌが震える手を砂に向ける。


だが、魔女の血を継がぬ彼女には、砂粒ひとつ固められない。


「だから知らないって言ってるでしょう‼ お母さま、砂が、砂粒ひとつ固まらないのよ‼」


継母の顔が、みるみる青ざめていく。


「あの娘を……家の道具としか、見ていなかった。まさか、その道具がこの国そのものを……」


ジェラルドが、崩れゆく尖塔を見上げて、呆然と呟いた。


「『明日の朝を楽しみに』……あの女、これを……最初から、全部知っていて……⁉」


遅い。何もかも、遅い。


「どうして……わたしが選ばれたのに‼ わたしが正しいのに‼」


ミレーヌの勝ち誇った笑みは、とうに凍りついていた。


崩れゆく城の中、コーデリアだけが静かに佇み、遠い城門の方角を見つめていた。


「――『冷たい女』の本当の名を、教えて差し上げましょう」


彼女は誰にともなく呟いた。


「それは、感情を殺してまで、この国を独りで支え続けた者。その別名でございますよ」


王城は、一夜にして砂の海へと沈んだ。


王家は権威も居城も失った。


『砂上の楼閣』という言葉が、そのまま現実になったのだ。


***


ドラゴニア帝国。


晴れ渡った空の下、私は真新しい石造りの城壁の前に立っていた。


前世の建築知識と、魔女の魔力。その二つを融合させ、私は新たな役目を得た――『二度と崩れない都市』の設計者。


基礎はきちんと掘り、荷重を計算し、水はけまで設計する。当たり前のことを、当たり前に。砂の城とは違う、本物の城。


「セラフィナ」


背後から、ヴァルドが歩いてくる。手には、湯気の立つスープの椀。


「その……今日も、作った。甘いやつ」


「ありがとう。あなたのスープ、大好きよ」


「⁉ だ、大好き……っ、そ、そうか……そうか……」


角の先から、盛大に湯気が噴き出す。深紅の瞳が慌てて泳ぐ。


「ヴァルド様、角、噴いていますわよ」


「ふ、噴いてない‼ ……その、あまり、そういうことを、正面から言うな……心臓に、悪い……」


「あら。戦場では大陸中を震わせる竜将が、スープひとつでこの有様ですの?」


「う……うるさい。……でも、お前が笑ってるなら、いい」


(もう、感情を殺す必要はない。誰にも祈りを強いられない。ここでは、私はただの――幸せな一人の設計士)


ふと、荷物の底から、祖母の形見の砂時計が転がり出た。


崩れた王城の砂の中から、コーデリアが見つけて届けてくれたもの。


私は何気なく、それを手に取り、逆さに返した。


――ころり。


上の砂が、下へ落ちる。当たり前の光景。


だが、次の瞬間。


下に溜まった砂が、すう、と上へ逆流し始めた。重力に逆らって、砂が空へと昇っていく。


「……あら。この砂時計、逆さに返したのに……砂が、上へ昇っていくわ」


「は? ……砂が、逆流……⁉ おい、そんなこと、あり得るのか」


ヴァルドが目を丸くして覗き込む。


私は目を細めて、微笑んだ。


「ふふ。まだ、続きがあるみたいね」


「つ、続きって……なんの続きだ⁉ おい、セラフィナ、笑ってないで説明を……」


砂時計の中で、金色の砂が、静かに舞い上がっていた。


祖母様の砂時計が、逆さに流れる。


「――さて。今度は、いったい何を建てることになるのかしら」

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