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第7話 休日が、始まって、続いて、終わる

 陽花里の告白を受けいることをしなかった週末の翌日。

 私は一人きりの日曜日の朝を迎えていた。


 窓の外が黒から白へとゆっくりと変わっていく様を、私はベッドに横たわりながらぼんやりと眺めていた。

 鳥の声がする。

 都会にも鳥がいるんだ、と思った。私が高校の頃住んでいた街には、海があった。だからあの頃の朝といえば、うちよせる波の音と鳥の声がよく混じっていたものだけど、今はもう波の音は聞こえない。


「…おなか、すいた」


 あんなことがあった後でも、食欲が消えることはなかった。人間の欲求というものは、かくもあさましいものでもあるし、だからこそ、人と言う種が絶滅することなく今日まで生き残ってこれたんだろうな、とも思う。

 私はベッドから降りて、食パンをトーストにいれる。そして待つ。パンが焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。お腹が鳴って、陽花里を受け入れることのなかった私のくせに、自分の欲求だけには忠実なんだ、と少し自己嫌悪に陥ってしまう。


「…バター」


 一人しかいないのに、自分だけに言い聞かせるようにぶつぶつ呟きながら、私はトーストにバターを塗りこんでいく。十分に染みわたらせ、溶けてしなびるくらいにたっぷりと吸い込ませた後、口にする。


「…美味しい」


 口内一杯にひろがる味を楽しみながら、口を動かす。

 視線は窓の外に向けたまま。白い光はだんだんとその面積を空に広げていっており、部屋の床に窓枠の形をいびつなかたちで残していっていた。


 朝ごはんを食べ終えると、私はふらりと壁際に歩いていった。

 本棚。

 参考書が詰まっている棚。小説が並べられている棚、漫画が並べられている棚。

 私が手を伸ばしたのは、そのどれでもなく、一番下の、手製のアルバムがたくさん並べられている棚だった。


 思い出は頭の中にずっと入っているし、スマホの中にもたくさん詰まっている。

 けど、私は、スマホのデータとしての写真よりも、わざわざ印刷して自分で選んだ写真を並べたこういうアルバムを作るのが好きで、見返すのが好きだった。


 楽しかった時、悲しかった時、いろんな時、その感情と表情の一瞬が切り取られた写真を眺めていると、忘れていた思い出が何度も瑞々しくよみがってくるのだった。


「…懐かしいなぁ」


 中学の時の写真は、まだ数が少ない。

 冊数が多くなってくるのは、高校に入ってからだった。

 …とはいえ、私のアルバムのほとんどを占めているのは、未来の写真だった。

 未来。

 星野未来。

 昔から私がずっと好きで、大好きで、今も好きで、そしてついに私に届くことは無かった失われた恋。


「…」


 目を閉じると、いつだって、あの子が笑いかけてくれる。

 あの子は純粋で、まっすぐで、そしてずっと恋をしていた。あの子の恋の相手は私ではなかったけど、私が恋をしたのはそんな恋を決して曲げない子だけだった。


(やっぱり、忘れることなんて出来ない)


 忘れる必要なんてない。

 私はこの想いをずっと抱えたまま、生きて、過ごして、そして死んでいくんだ。


 アルバムをめくる。

 何冊も何冊も、アルバムをめくる。


 そして高校時代のアルバムが終わり、大学に入ってからの思い出が始まり。

 もう、アルバムの中に未来が出てくることは無くなった。


 最初は、風景。

 東京の風景。人の写真。人がいない時の写真。ビルの写真。大学の写真。変な犬の写真。無機質。


 突然、華やかになる。

 暖かくなる。

 光に包まれる。


(友達)


 大学生活始まって、1冊目のアルバムの途中から、陽花里の写真が増えてくる。

 ビルの写真は、ビルの前で笑う陽花里の写真に。

 大学の写真は、キャンパスで私に気づいて走り寄ってくる陽花里の写真に。

 変な犬の写真は…これは変な犬の写真のまま。犬のお尻。


(陽花里)


 笑ってる。

 ほほ笑んでいる。

 手を振っている。

 全身ではねていて、アイスクリーム食べていて、少し眠そうで。


(この写真の、いったいいつごろから)


 私のことを、好きでいてくれたんだろう。

 カメラのレンズ越しに、その気持ちは分かるだろうか。変化は見えるだろうか。

 

(分からない)


 分からないけど、ただ。

 アルバムの残りは、ほぼほぼ全部、陽花里の写真に満ち溢れているということだけは分かった。


 いつの間にか、私は床に座っていた。

 中学の時と、高校の時のアルバムは、また綺麗に並べて棚に戻している。

 大学になったからのアルバムだけは、開いたままで床に何冊も置いていた。私はそのアルバムに包まれて、背中を壁にあてて、もう朝…というには少し時間のたちすぎた時計の針が奏でる正確な音を聞きながら、その音の中に私の心音も混ざりこみ、そして、やっと、ようやく。


「私、陽花里を、ふったんだ」


 と、理解した。



■■■■■



 あ、ちょっと、いま、やばい。

 自分の中の情緒のバランスが、少し崩れているのが分かった。

 たぶん、いま、お昼。

 ずっと目を開いているから、ちゃんと自分が生きているのは分かる。

 テーブルの脚の位置は変わっていないのに、そこから伸びる影の位置が少しずつ動いているのが分かった。


 影が伸びて、アルバムに線を作り、横切っていく。

 私は座ったまま。


 スマホに手を伸ばす。

 ストラップが付いている。

 タコのストラップ。


 私はそのストラップを慎重に外すと、目の前に持ってきてみた。


(細かいところまで、リアルに作っている…)


 足の数を数えてみる。当たり前だけど、8本だった。

 ひっくり返して裏側を見てみる。小さな吸盤まで綺麗にみっちり作りこまれている。


(ふふ…)


 なんか、おかしくなる。

 今頃、陽花里も同じようにタコのストラップみているかな…見ていないかな。でも何となく、今この時間、陽花里も同じような行動をしているんじゃないかな、という変な自信があった。


 私はタコのストラップを、スマホではなく家のカギにつけることにした。

 もしもスマホが無くなったとしても、私は迷いながらも動くことが出来るけど、家のカギを失くしてしまったら、帰るべき場所に戻ることは出来ない。

 特に理由はないのだけど、しいてあげるとするなら、それが理由だった。


 ぴこん。


 スマホから音がなった。見てみると、メッセージがひとつ。

 宛先を見る前から、陽花里からだろうな、と思っていた。

 手を伸ばして、スマホをとる。画面をみると、やっぱりそうだった。


『おはよう、凛ちゃん』

『昨日はごめんね』

『明日からもまた、よろしくね』


 連続で3行、そんなメッセージが続いた後。


『えへへー。ぴーす』


 私とお揃いにしたタコのストラップを嬉しそうに顔の傍に持ってきて、ピースしている自撮り写真を送ってきていた。


(可愛いな)


 と、思う。

 何が可愛いって…絶対、たくさん沢山、目が真っ赤になるくらい泣きはらしたはずなのに、それが分からないくらいの笑顔の写真を送ってきてくれた、ということだ。


 何度も顔を洗って、念入りに化粧をして、気付かれないように角度を変えて、光を調整して、でもタコのアピールは忘れないで、そのすべてが、全部私を気遣ってくれての行動で。


 こんな可愛い友人なんて、私の人生で、これから先、けっしてできることはないだろう。

 大切にしたい。大事にしたい。

 いとおしいから、手放したくない。

 

 この子が、陽花里のことが大切だから、ありのままの私で答えよう。

 そもそも私は嘘をつくのが苦手なんだけど…ね。

 中途半端な気持ちで、うわべだけつくろって付き合う…なんて出来ない。

 今はその気持ちを受け入れることはできなくても、いつか、そのうち、変わる日も、変えられる日も、くるかもしれない。


 大学3年生の明晰な頭脳をフル回転させて送った返事が


『おはよう、陽花里。私の方こそ、明日もよろしくね』


 という、面白みも何もない、無味乾燥の一文だけだった。

 小説書くのを趣味にしている私だけど…これはさすがに、無い、なぁ。




■■■■■



「凛ー、何してる…って、暗っ」


 夕方。

 いや、夜。


 合鍵の回る音と、扉が開く音。

 そして私のふたごのびっくりした声が、順番に聞こえてきた。


「あー、おかえり、葵」


 ここは私が住んでるマンションで、葵が住んでいるのは別の場所。でも、たいていうちに転がり込んでいるし、葵用の布団も寝間着も着替えも歯ブラシも全部うちにあるし、もう「おかえり」でいいや、となげやりに思った。


「電気つけないの?」

「手が届かない」

「立てば?」

「立てない」

「なんで?」

「立ちたくない」

「そっかー」


 葵は私の代わりに電気に手を伸ばしてはくれなかった。

 逆に、私の言葉を頼りに部屋の奥まで入ってきて、私の状況を眺めていた。


「何してるの?」

「何してるんだろうね」

「質問に質問で返されても困るんだけど…」

「葵、私の代わりに考えて」

「それじゃぁ、ね…」


 朝と変わらず、私はアルバムに包まれたまま、ぼーっと座っていた。

 葵はそんな私の隣にくると、手でちょちょいっとアルバムを横によけると、すとんと私の隣に座った。


「私の帰りを待っていた、ということで」

「…うん、それでいっか」

「寂しかった?」

「ずっと待っていたよ」

「どれくらい?」

「うーん。3分くらい?」

「たぶんそれ、私が部屋の扉を開けてからの時間だよね」


 私はシュレディンガーの猫かい。開けるまで存在の確定しないっていう。

 そうぶつぶつ呟きながら、葵はいきなり私に抱き着いてきた。

 2人でそのまま床に倒れこむ。

 床は硬いから、少し体も痛い。


「痛いよ、葵」

「少しだけ、我慢して、凛」


 葵はそういうと、一緒に倒れこんだ私をぎゅーっと抱きしめてくれて、そのまま優しく背中をぽんぽんと叩いてくれた。


「よく頑張ったね」

「…私、頑張ってない」

「…頑張ったよ」


 ふたごなんだから、私には、分かるよ。

 そう言って、そしてそれから先は何も言わないでいてくれたから。


 この日、私はやっと。


 泣くことが、出来たのだった。



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