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恋を失った私と、恋を知らない彼女  作者: 雄樹
第二章 恋を知らなかった貴女が…
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第41話 嵐の前の海の底 ~後編~

 色とりどりの魚が私の周りを泳いでいる。


 赤い魚、青い魚、黄色い魚、他にもたくさん。


 海の中を自由気ままに泳いでいるようにみえるその魚たちは、まるで海というキャンパスに絵の具で線を引いているかのようだった。




 私は海の中にいた。




 海の中にいるのに、息が苦しくない。


 だから、これは夢なんだな、と分かった。


 明晰夢、というものだろうか。夢の中で自分が夢の中にいるとはっきり分かるなんて、なんだかとても不思議な気持ちだった。




 悪い気分ではない。


 むしろ、とても楽しくて、すがすがしい気持ちだった。




 海の中は綺麗で、暖かくて、安心できて。


 ずっとこの中にいたいと思った。




(私、ここ、知ってる)


(ずーっと昔に、ここにいた気がする)


(昔って、いつ頃だろう)


(…生まれる前?)




 とにかく、海面を目指そう。


 夢の中の海の中で、私は手と足を動かし、上へ、上へと泳いでいった。




 なんて気持ちのいい海なんだろう。


 ずっとここにいれれば、幸せなんだろうな。


 なのにどうして…私はこの海から出たい、と思ってしまうのだろう。




(あ)




 白い。白い光。




 顔が、海面に出た。




 空が見える。


 夜空だった。


 満天の夜空だった。




(星が…綺麗)




 空一面に、星が煌めいていた。


 どこもかしこも星だらけ。


 月の影はない。星しかない。




 空を一直線に流れる川が見えた。星の川。天の川。




 ミルキーウェイは星の集まる白い川で、その先は海に繋がっているような気がする。




 私は空と海の間にいて、海面に横になり、しばらくそのまま漂っていた。




(こんなに綺麗な海も空も、私は知らない)




 東京に出る前、私が住んでいたのは海辺の街だったから、いつも海を見ていたけど、ただの生活の一部でしかなかった。


 夢の中だから、違う海を見ているのかな。




 それにしても、長い夢。


 夢だと分かっているのに、なかなか醒めないものなんだな、と思った。




 私は泳ぐことにした。


 沖に行くか、陸を目指すか。


 なんとなく、陸を目指すことにする。




 夢の中で、夢と分かりながら、海の中を泳ぐのはとても変な気持ちだった。


 気が付いたら、私は砂浜に立っていた。


 白い足が、しっかりと砂を踏みしめている。




 誰もいない。


 ここは、島だった。


 私の知らない島。記憶にない島。


 広くて綺麗な海と、一面に広がる星空に囲まれている、小さな島。




 寂しい。




 ここは、寂しい。




 私は、一歩足を踏み出した。


 とたんに風景が溶けて、気が付いたら、掲示板の前に立っていた。




(さすが夢)




 なんでもありだ。


 さっきまで裸足だったのに、いつの間にか靴を履いている。


 星空ではなく、太陽が私を照らしている。




(ここはどこだろう?)




 どうせ夢の中なのだから、どこにいようとも問題はないのだろうけど。右を見る。左を見る。人が、たくさんいる。


 みんな大学生にみえる。


 私はおろおろとしてしまい、どうしよう、と思いながら、また掲示板を見る。




(入学オリエンテーションの案内)




 あれ?この掲示板。


 これは…私、見た覚えがある。


 いつだっただろう…あ、そうだ。


 私が、大学にはいった時…はじめて…




 陽花里と、出会った日。




「…なにか、困ってますか?」




 声を、かけられた。


 聞いたことがある声のようであり、聞いたことがないような声でもあり。振り向いてみると、そこには…私が立っていた。




「とっても!とっても困ってます!!東京って、怖いところですね…みんな速足で私を置いてどんどん先に行くし、もうこのまま島に帰ろうか…と思っていたところだったんです」




 自然と、言葉が出る。これは…私がかつて…聞いた言葉だ。




「島、ねぇ。私は白鷺凛。今年入学したばかりの新入生よ」


「あ、わ、私は…三崎陽花里ですっ。今年入学したばかりの新入生で、島から9時間かけてやってきました…」


「9時間…それはなんていうか…大変だったわね」




「有難うございます…白鷺さん。白鷺さんにお会いできなかったら、私、もうこの東京砂漠で迷子になったままだったかもしれません…」


「凛でいいわよ。私、ふたごの姉妹がいたから、昔からずっと下の名前で呼ばれているからそっちの方が慣れてるの」


「そうですか…では、あの…凛、ちゃん…」




 




「えへへー。凛ちゃんが私の東京でのお友達、第一号ですね」






(あ)


(夢だ)


(これは、たしかに、夢だ)


(私の夢で…そして)


(陽花里の夢だ)




(私が、陽花里と出会った時の、夢だ)




 心が暖かい。


 心が溶けていく。


 あの日、あの時、あの場所で。


 陽花里は。




(なにが、お友達第一号、よ)




 夢の中で、苦笑する。




 あの子、私を初めて見た瞬間から、




 私に、一目惚れ、してたんじゃないの。








■■■■■





「…ちゃん」


「…凛ちゃん」


「大丈夫?」




 私を呼ぶ声がする。


 まだ頭の中に白いもやが漂っていて、思考がうまく巡らない。




(ここはどこだろう?)




 少なくとも、海の中じゃないことだけは分かる。


 ちゃんと息、出来ているから。




 背中に柔らかいものを感じる。どうやらベッドの上らしい。


 私はゆっくりと瞳を開けて、そして心配そうに私をのぞき込んでくる、私の彼女の姿が目に入ってきた。




「…陽花里、おはよう」


「…おはよう、じゃないよ…」




 心配したんだから、と言いながら、陽花里は私に覆いかぶさってきた。


 重みを感じ、ああ、これは夢じゃないんだな、現実なんだな、と実感した。




「私、いったい…」


「凛ちゃん、あの時」




 紫苑さんの歌声を聞いてから、おかしくなって。私が何を言っても聞いてくれなくて、ふらふらしながら倒れて、頑張って何とか起こしたんだけど、もう目がうつろで。


 心ここにあらず、ってなってたから、デート中止にして、そのまま2人で帰ったんだよ?




「覚えていない?」


「まったく」




 本当に、記憶がない。


 紫苑さんの歌を聞いたところまでは覚えている。歌が私の中に入り込んで、それはとても…気持ちがよくて。


 気が付いたら、ベッドの上に横たわっていた。




「…頭痛い…」


「お水、とってくるね」




 慌ててキッチンへと小走りにかけていく陽花里の後ろ姿と、その揺れるふわっとした栗色の髪の毛をぼんやりと眺める。




(何か、夢を見ていた気がするのだけど…)




 どんな夢だったかは、思い出せない。


 悪くない夢だったような気はするのだけど。




「はい、凛ちゃん。起き上がれる?」


「ありがとう、陽花里。ちょっと待ってて…ね」




 小さなコップに水を汲んできてくれた陽花里を見ながら、ゆっくりと上半身を起こす。頭が痛い。くらくらする。血がうまく回っていない気がする。




「大丈夫?」


「なんとか」




 本当はあまり大丈夫じゃないのだけど、そう言ったら陽花里がもっと心配するだろうから、強がる。


 渡してもらったコップを手に取るとき、ちょっとだけ、陽花里の指があたった。




「…美味しい」


「よかった…」




 飲み終えたコップを陽花里に手渡すと、私はもう一度ベッドの上に横になった。


 陽花里はコップを片付けると、すぐに私の傍に戻ってくる。


 そのままベッドに手をのせて、まだ心配そうに私をのぞき込んでくる。




「もう大丈夫だよ」


「本当に?」


「たぶん」




 なら大丈夫じゃないじゃない、と、陽花里は少しだけ怒ったように頬を膨らませる。ついつい、そのほっぺを横たわりながらぷい、と突いたら、「もうっ」と言われて、軽く頭を小突かれた。ひどいなぁ、私、弱っているのに。




「凛ちゃん…」


「なに、陽花里」


「…月末の、葵さんの、公演…」




 キャンセル、しよ?




 陽花里はそう言うと、私の手を握りしめてきた。




「こんな状態じゃ…いけないよ」


「陽花里」


「無理しなくていいよ。何かあったら大変だもん。また別の機会があるよ」


「陽花里」


「また凛ちゃんが倒れでもしたら…私…」


「陽花里」




 私は、手を握ったまま、陽花里の瞳をじっと見つめる。潤んでる。心配してる。それは分かる。分かるけど…でも、ちゃんと言わなくちゃいけない。




「陽花里が、私を心配してくれているのは分かるよ。嬉しい。でもね、陽花里が一番心配しているのは、本当に私の体調だけ?他に…ない?」




 沈黙。


 陽花里は目を見開いたまま、瞬きもしない。


 ベッドが少し、きしむ音がした。


 時計の針の音だけが、小さく聞こえてくる。


 永遠とも思える一瞬の時間が過ぎたあと、陽花里は、私の胸に覆いかぶさってきた。栗色の髪の毛がふわっと舞い上がり、私の鼻腔を刺激した。




「ごめん、ある」




 少し震えながら、陽花里は私の胸の上で、私に顔も表情も見せないようにしたままで言葉を続ける。




「凛ちゃんが…獲られそうで…怖い」




 震えてる。握りしめる手の力が強くなっている。絶対にこの手は離さない、と伝えてくるようだった。




「ごめんね。私の我儘だって分かってるんだけど、でも、不安なの」


「…別に、我儘じゃないよ」


「ううん。わがままだよ」




 私は凛ちゃんの彼女で、葵さんも今は、期間限定だけど、凛ちゃんの彼女で…そして紫苑さんは、まだ凛ちゃんの彼女じゃない。




「…今月末さえ乗り切れば」




 葵さんは、凛ちゃんの彼女じゃなくなるから。


 凛ちゃんの彼女は、私だけになるから。




「だから」




 凛ちゃんを、紫苑さんに会わせさえしなければ…




「私が、私だけが、凛ちゃんの彼女でいられるもん」




 卑怯でもいい。わがままでもいい。


 凛ちゃんを、私のものにしたい。私だけのものにしたい。


 誰にも絶対…渡したくない。




「凛ちゃんには、私だけじゃなくって、葵さんや紫苑さんや、いろんな選択肢があるけど」




 私は、凛ちゃんだけなの。


 凛ちゃんしか、選択肢がないの。




「監禁したい」




 凛ちゃんを縛って、動けなくして、監禁して、そのまま月末を過ごして、誰にも会わせなくしたら、凛ちゃんはずっと私だけのものになるから。身の回りのことは、全部私がしてあげる。


 食事も、睡眠も、性欲のはけ口だって、下の世話だって、全部私がしてあげる。逃がさない。逃がしたくない。私の、私だけのものになって…




「陽花里」




 そんなことしたら、私、陽花里のこと、嫌いになるよ?




「…だよね」




 だから、出来ない。したくても、出来ない。


 凛ちゃんを手に入れるためなら私は何だってするけど、でも、凛ちゃんに嫌われることだけは耐えられない。




「だから、私は凛ちゃんを止めれないの。私に出来るのは、凛ちゃんにお願いすることだけ」




 凛ちゃん。


 お願い。




「行かないで。公演に行くの、キャンセルして。ずっと、私と一緒にいて」




 私を全部あげるから。


 私を好きにしていいから。


 凛ちゃん、大好き。


 好き…




 私は、陽花里の背中をゆっくり撫でる。


 陽花里は気持ちよさそうな顔をして、そして。




「ごめん、陽花里」




 私の言葉で…とまる。




「私は、公演に行くよ。葵を見て、紫苑さんを聞いてくるよ」




 約束だから、というのもあるけど、でも、それ以上に。




「私が、葵を見たいし…」




 紫苑さんを、聞きたいんだ。


 あの歌声を…もう一度。


 直接、この耳で。





「…分かってた」




 知ってた。止まらないって、凛ちゃんは私の言葉で繋ぎとめられないって、私の鎖と錨は…もう朽ちて海底に沈んでしまったのだって、分かってた。




「ごめんね、ごめんね、陽花里」




 こんなことなら…


 あの日…


 凛ちゃんから、紫苑さんのライブチケットを見た時、断ればよかった。


 行かなきゃよかった。


 凛ちゃんを紫苑さんに…会わせなければよかった。





 私の胸が濡れる。


 陽花里の涙がとめどなく溢れてきている。




 それを感じながら、私が出来るのは。




「ごめんね」




 と言いながら、陽花里の背中をさすってあげることだけだった。











 そして。




 8月31日。







 かぐや姫の公演が始まる。

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