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恋を失った私と、恋を知らない彼女  作者: 雄樹
第二章 恋を知らなかった貴女が…
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第38話 8月18日③

 月は薄く、星は瞬き、金色の髪が舞っていた。


 黒を基調としたTシャツに、破れたデニム。服装が闇に溶け込み、その一種異様な金色の髪の毛だけがわずかな星の光を反射して煌めいている。


 不適で挑戦的で自信にまみれたその瞳はまっすぐと私を見据えていて、私は目を逸らすことが出来なかった。

 心を、見えない手でつかまれたような気がした。


「…紫苑、さん」

「久しぶり、凛」


 紫苑さんは一歩踏み出し、私は一歩後ずさった。

 陽花里が、心配そうに私の腕にしがみついている。柔らかなその感触が、私をギリギリ何とかこの場に押しとどめていた。


「どこに、行かれていたんです?」

「どこにも」


 どこにも行けなかったよ、と、紫苑さんは少し寂しそうに答えた。

 ただ、立ち止まっていたんだ。

 雨の中宿木を探して、休んで、酒を飲んで。

 見つめて、知って、語って。

 やっと外に出たら、雨はやんでいた。


「…どういう意味です?」

「好きって、ことだよ」


 紫苑さんは私を指さした。

 白皙の、陶磁器のような、白い指。

 怪しく、妖艶で。

 それでいて…疑いようもなく、純粋で一点の迷いもなく、清らかだった。


「凛、好きだ」


 告白。

 一度、はっきりと断った告白。

 あの時は…すぐに断ることが出来たのに。

 どうして今は…即答、できないのだろう。


「私は、恋を知らなかった」


 紫苑さんが、言う。


「その私に恋を教えたのは、凛、あなたよ」


 紫苑さんの語りは、止まらない。


「…私、付き合っている人がいます」

「知ってるわ」

「私、陽花里が好きです」

「知ってるわ」

「それなのに?」

「それが」


 恋をやめる理由には、ならないでしょう?


「私はね、凛」


 紫苑さんはそう言うと、にっこりと笑った。


「今日は、あなたにそれだけを伝えに来たの」


 自信が、そこには譲れない気持ちがあるのが見て取れた。風が吹いて、紫苑さんの金髪を揺らす。整った顔。揺るぎない意志。

 それはまるで、一枚の絵画のようだった。


「凛ちゃんは…渡しません」


 沈黙を破ったのは陽花里だった。

 私の腕を握り締めたまま、震えながら、それでもはっきりと紫苑さんを睨みつけている。


「私は…私が、凛ちゃんの…彼女ですから」

「そうね」


 紫苑さんは言う。


「その通りだわ」


 そして、笑う。


「今は…ね」


 紫苑さんのその言葉を聞いて、私は我に返る。なにをやっているんだ、私は。大事な彼女に…ここまでさせておいて。ここまで言わせておいて。

 私が、はっきりと、ここで伝えなければならない。

 紫苑さん、何を言っているんですか?冗談はやめてください、と。


「しお…」

「はいはい、そこまで」


 パンパンと手を叩き、先ほどまで不自然なほどに口を開いていなかった色葉さんが、私と紫苑さんの間に割って入った。

 相変わらず、背が高い。

 オレンジ色の派手な色彩のワイドパンツを履いていて、いつもと違う雰囲気がする。なんというか…少し、吹っ切れたかのような、生まれ変わったような服装。


「紫苑も、今日は別に喧嘩を売りに来たわけではないでしょう?」

「まぁ、そうね」


 今日は凛に、改めて私の想いを伝えに来ただけだから、と言うと、色葉さんの肩に手を回した。


 私と陽花里、紫苑さんと色葉さん。

 私のマンションの前で、細い星明かりの下で、二組が相対して、お互いを見つめあう。


「月末の公演」

「…?」

「見に来るんでしょう、凛?」


 紫苑さんの言葉に、一瞬、脳がついていかなかった。月末?公演?葵のかぐや姫のこと?どうして、紫苑さんが。


「それを知っているんです?」

「私も参加するから」


 紫苑さんはそう言って、また、笑う。笑って、笑って、また笑って、そして涙目になりながら、私を見つめてきた。


「凛の彼女、主演やるよ」

「私の…彼女?」

「葵」


 あら、そうなんでしょう?葵本人から聞いたわよ。

 いまあなた、彼女2人、いるんだよね?


「私と色葉は、劇音楽。葵の公演を…葵の告白を、後ろから支えてあげる…ことになっている」


 まぁ、吞み込むけど。公演も告白も何もかも、呑み込んでやるつもりだけど。

 それを葵も理解していて、逆に私たちを呑み込み返すつもりでいるけど。


「葵は、他でもない、凛、あなたの為に演じるつもりよ」


 そして、私も。


「凛、あなたの心を、奪うつもりで、やるわ」


 だから。

 絶対来てよ、ね?


 紫苑さんの瞳が、すっと細くなる。笑っているのに、目が笑っていない。本気。

 少し、怖くて、ぞくぞくする。

 ぞくぞくして…それが…悪い気は、しなくて。

 私が何かを言おうと口を開きかけた時。


「はいはい、だから、そこまで。それ以上言ったら、本番での楽しみが無くなってしまうでしょう?」


 色葉さんはがそう言って、紫苑さんの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。張り詰めていた空気が緩み、綺麗な金髪を乱された紫苑さんは不服そうな顔を色葉さんにむけた。


「色葉、やめてよ。せっかく久々に凛の前に来たんだから、ちゃんと髪整えていたのに」

「あんたの武器は別にその外見じゃないでしょう?」


 そういうと、色葉さんは私たちの方に向きなおし、紫苑さんの頭から手を離すと、自らの腰に手を当てた。


「悪かったわね。電話とかじゃなく、ちゃんと顔を見てから話をした方がいいと思ったから、凛のマンションの前で待ち伏せさせてもらったわ…こんなに遅くなるとは思っていなかったけどね」

「…」

「今日のところは私が紫苑をちゃんと連れて帰るから、まぁ、このあたりでお開きにしましょう」


 そう言って、色葉さんは私に手招きをする。

 私はそれに応じ、陽花里に「ちょっと待っててね」とだけいって、1人で色葉さんの傍に近づく。

 色葉さんは上機嫌そうに私の耳元に口をもってくると、小さい声で、他の2人には聞こえないように、語り掛けてきた。


「…私は、覚悟を決めたわよ」


 覚悟…覚悟とは、いったい何の話だろう?

 色葉さんは、あと一言。

 聞こえるか聞こえないかの小さな声で、囁くように、私の耳に、ナイフを突きつけた。


「あなた…本当は…」


 紫苑のこと、好きでしょう?


 どうしようもなく、心の底が、求めているでしょう?

 私には…私だけには、分かるわよ。

 どうしようもなく、同類、だからね。


 そして、ぽんと私の肩を叩く。


「紫苑、行くわよ」

「はいはい」

「はいは1回!」

「はーい」


 夜の街の中。

 最後に、私の心の中に金色の闇を残しながら、紫苑さんと色葉さんの2人は去っていった。


 その背中が見えなくなるまで…暗いから、すぐに見えなくなったのだけど…私は呆けたように見つめていた。

 やがてその姿が暗闇の中に消え、痕跡が無くなってから初めて、私は大きな息を吐いた。


「…凛ちゃん…」


 大丈夫?と、心配そうな潤んだ瞳で私をのぞき込んでくれる陽花里。

 暖かいその体温が伝わり、私をちゃんと、こちら側の世界に引き戻してくれる。


 どんな嵐に遭遇したとしても、私には、帰るべき港の方向を教えてくれる灯台の光がある。その光は柔らかくて、暖かくて、安心で、私をほっとさせてくれるのだけど。


 視線は。

 港の反対側を。怖くて暗くて恐ろしい深い海の先を、まるで紫苑の花言葉である「遠くにある人を想う」ように、甘美な何かを探し求めて見つめ続けてしまうのだった。












■■■■■




 深夜。

 8月18日、23時50分。


 この日、私は、結局。

 陽花里を…抱けなかった。



 陽花里は、勇気を出して、私を誘ってくれたのだけど、私はどうしても、ベッドの中ではだけた陽花里の胸を、その先を、触ることが出来なかった。


「…ごめんね」

「ううん、いいよ」


 凛ちゃんが我慢できなくなったら、いつでも、私は大丈夫だからね。

 私は平気だから、だから、凛ちゃん、気にしないで。



 そう言って、軽いキスだけをして、私と陽花里は同じベッドで横になっていた。

 最初は向かい合って抱き合って眠っていたのに、気が付けば、背中合わせになっていた。



「…ん」


 声が、聞こえる。

 押し殺したような、かすかな、声。

 寂しそうで、切なそうで、そしてその中に、少しの乱れが籠った、声。


(陽花里…)


 気づかないようにしようとしたけど…

 分かってしまった。


(自分で…)


 してる。

 私と背中合わせになって、身体が密着しているから、陽花里の少しの動きも全部伝わってしまう。分かってしまう。

 陽花里が…指を動かしているのが、分かってしまう。

 私に気づかれないように気を付けているのが分かる。

 でも、無理。

 時々、ぴくっと、陽花里が動いてしまうのが、伝わってくる。


「ん」


 声が。

 どうしようもなく漏れてしまう声が、聞こえてきてしまう。


 隣に私がいるのに。

 隣に私がいるから?


(ごめんね)


 私のせいだよね。

 私が…あの時…はっきり、言えなかったから。

 だから、不安になってるだろうに。

 不安を…払拭したかただろうに。


 勇気を出してくれたのに。

 私に勇気が…足りなかったから。


 一人で自分を慰めている陽花里を背中越しに感じながら、私も、自分で、自分を触る。

 私も、慰める。


 2人で同じベッドで寝ているのに。

 2人とも、欲しいのに。


 身体は、こんなに近いのに。


「あ」


 陽花里がはてたのを感じた時、私も白くなる。

 身体の痙攣を、陽花里に気づかれないように抑える。

 震えて、目を開けて。

 時計を見る。


 時計の針は、ちょうど真上を刺していて。


 長かった8月18日が、やっと、終わった。

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