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恋を失った私と、恋を知らない彼女  作者: 雄樹
第二章 恋を知らなかった貴女が…
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第37話 8月18日②

 海に向かう電車の中、ちょうど2人分の場所が開いていたので、私と陽花里は隣同士で座っていた。

 陽花里が背負っていた大きなバッグは、電車内ではさすがに背負うことはできない。陽花里は大事そうに両手でバッグを抱えると、私と腕を組めない代わりに、私の肩に全身を預けてくる。


「…そのバッグ、中に何が入っているの?」

「えへへ。海につくまでのお楽しみだよ」


 そう言いながら、まるで子供みたいに、にこっと笑う。私も陽花里も同じ大学3回生のはずなんだけど、ちゃんとそう見えているだろうか。


(でも、可愛いから、いいか)


 陽花里の髪の毛から、いつものシャンプーの香りがそっと漂ってきて、電車の中の何ともいえない匂いの中に潤いを与えてくれていた。

 私も少し身体を陽花里にあずけて、そのままぼんやりと窓の外を流れていく景色を見つめていた。


 8月下旬の空は、夏の雲と秋の雲が同居していた。白くて大きな入道雲の向こう側に、小さな雲片が多数の群れをなしたいわし雲が連なっているのがみえる。


(夏も、もう終わるんだな)


 思えば、陽花里と同棲を初めてまだ1ヶ月たっていないのだった。もうずいぶん長い間一緒にいる気がするのに…それだけ、濃密な時間を過ごしている、ということだろうか。


 そう思いながら、隣で上機嫌に座っている陽花里をじーっと眺めていたら、私の視線に気が付いた陽花里が不思議そうに尋ねてきた。


「凛ちゃん?どうしたの?」

「ん。何でもないよ。ただ、陽花里を見ていただけ」


 そう答えた後、ちょっと悪戯心が湧き上がってきて、電車内の他の乗客に聞こえないように、陽花里の耳元に口をよせて、そっとつぶやいた。


「陽花里の水着姿、想像していただけだよ」


 とたんに、陽花里が真っ赤になる。

 今は夏なのに、私の隣にだけ、一足早い秋の紅葉が来たみたいだった。




■■■■■



 海水浴場について、まずはパラソルをレンタルすることにした。

 2人が入れる大きさのパラソルを借りて、海へと向かう。

 陽花里は自前の大きなバッグを持っているので、パラソルを抱えるのは自然と私の役目になる。


「ごめんね、凛ちゃん」

「気にしないで」


 私も楽しんでいるんだから。

 砂浜に出ると、とたんに目の前に広い海が広がる。私が住んでいたのは海辺の街だったけど、その生活に根差した海とは違う、ただ泳いで遊ぶために整理された海。


「人、いっぱいいるね」


 陽花里の声に、「そうだね」と答える。

 たしかに多いけど、それでも泳げないほどじゃない。8月ももう後半になってきたから、これでも少しはすいてきたのかもしれないな、と思った。


「陽花里、荷物置いて。このあたりにパラソル刺そう」

「うんっ」


 私がパラソルを刺し、陽花里はバッグを広げる。

 中からまずはレジャーシートが出てきて、パラソルの前に敷かれた。風で飛ばないように両端に私の荷物と陽花里のバッグを重しとして置いて、これで私たち2人だけの秘密基地が完成した。


「じゃぁ…脱ごうか」

「えへへ…凛ちゃんの水着姿…楽しみ…」


 私たちは、あらかじめ家で水着に着替えてから出発していた。水着を着る時は別々の部屋で着替えてきたので、お互い、どんな水着を着ているのかは知らない。現地についてからの楽しみ、にしていたのだった。


「「いっせーの、せっ」」


 同時に服を脱いで、水着姿があらわになる。


「凛ちゃん、大人っぽいー!」

「陽花里…思ったより…大胆…」


 私は黒を基調とした、落ち着いた無地の水着。ノースリーブのトップスに、ショートスカート。お腹は少しみえるくらいで、フレアは広がりすぎない自然な裾にしている。

 対して陽花里は、黄色い花柄模様の、フリルのついたビキニだった。背は低いのに、胸が大きい陽花里だから、胸の大きさを隠すような水着を着てくるかな、と思っていたのに、逆にそこを目立たせてくるような水着を着てくるとは思っていなかったから、びっくりする。


「えへへ…どうかな」

「すごく、可愛い」


 もっと上手い言い方があるのだろうけど、私の脳みそは豊富な語彙をあげることが出来なかった。純粋に、思ったことがそのまま口に出てしまう。


「嬉しい…」


 陽花里は私に飛びついてくると、顔を寄せてくる。近い。思わず衆人環視の中でキスしたくなっちゃうじゃない。我慢我慢。


「陽花里のおへそ…」

「なに、凛ちゃん」

「いや、陽花里、おへそ見えてるな、って」

「水着だから当たり前だよー」

「でも…」


 私以外に、あんまり、見せたくないな。

 ああ、私、なんか気持ち悪いこと言っている。ちょっと変態っぽかったかな。でも、仕方ないよね。そう思ってしまったんだから。


 そうやってお互い褒め合っていた時に、声をかけられた。

 見ると、2人組の男。

 見るからに爽やかで、みるからに遊び慣れていそうな2人だった。


「お姉さんたち、すごくかわいいね。水着、すごく似合ってる。あんまり可愛いから、思わず声かけちゃった。よかったら一緒に遊ばない?」


 人見知りの陽花里はびくっとして、私に抱き着いてくる。

 私は先ほどまで陽花里に向けていたどぎまぎした態度は鳴りを潜め、はぁとため息をつくと、できるだけ冷静に、でもちょっと冷淡に言葉を返す。


「有難うございます。でも私たちは2人で遊ぶつもりですので、どうか他をあたってください」

「そんなー、せっかくの海だよ。もったいないよ?いい出会いしようよ」


 ま、その出会いってのが俺たちなんだけどね、と言って男たちは笑う。

 この人たちは別に悪くない。でも、私と陽花里の世界に必要ではない。


「出会いなら、間に合っています」


 ぴしゃりとそう言う。これで諦めてくれるかな、と思っていたら、存外、しぶとい男たちだったみたいで、まだ食い下がってくる。


「えー。ひょっとして、お姉さんたちもう彼氏いるの?お姉さんくらい綺麗だったら分からなくもないなー。でも、ちょっとだけならいいんじゃない?絶対楽しませてあげるからさ」


 ああ。もう。面倒くさいなぁ。

 私は陽花里を抱き寄せると、男たちに見せつけるようにして、言ってやった。


「彼氏じゃなくって、彼女です。せっかく彼女と2人で楽しいデートしてるんですから、邪魔しないでください」


 そして、にこっと笑って、手を振る。

 もうこれ以上あなた方に話す言葉はありませんよー、と、言外に伝える。


「…なんだよ…変なの…」

「綺麗なのに、そっち側か…もったいねぇ…」


 そっち側って、何よ。と一瞬だけ嚙みつこうかと思ったけど、頭をふってやめておく。意味のない行動だし、それに、私と陽花里の関係は、普通、とはあまり言い難いものなのかもしれないし。


「…凛ちゃん、ありがとう…」

「どういたしまして」


 私はそう言うと、海で泳ぐ準備をしようか、と思って動こうとしたのだけど、陽花里がぎゅっと握りしめてくるからその場を動くことが出来なかった。


「陽花里?」

「凛ちゃん…好き」


 潤んだ瞳で、陽花里が訴えてくる。


「どうしよう…好き。大好きすぎて、たまんない…キス、してほしい…」

「え、え、陽花里?」

「駄目…凛ちゃん」

「えーっと」


 その。

 うん、私もずっと、何ならさっきの電車の中ですら、陽花里とキスしたいな、と思ってはいたけど、でも、どうしよう。

 私は焦って、どうしようもなくなって、あ、そうかと思って、荷物から大きなタオルを取り出した。


 それを私と陽花里で被る。


「これなら…」


 外から、見えないよ。

 と、言い終わるのも待たず、


「…っ」


 陽花里が、私の首に手を回して、少し背伸びをして、キス、してきた。

 そんなに激しくしたら、見えちゃうバレちゃうタオルめくれちゃう。

 私はあわてるけど、陽花里はそんなの関係なく、ただ、私を求めていた。


「…ぷはぁっ」


 長いキスが終わったと思ったら、また、再び、私を求めてくる。

 私は思わずその場にしゃがみ込んで、同じように陽花里もしゃがみ込んで、顔だけはタオルで隠しているけど、でも動きで全部バレちゃってるだろうな、と思って。


(陽花里…)


 もう、いいや。

 私だって、欲しかったんだから。


 陽花里を。

 陽花里の唇を。口内を、舌を。唾液を。

 全部全部求めて、あげて。


 私たちは海に入る前から、すでに溺れていたのだった。





■■■■■



「こんなの入れてたんだ。そりゃぁ、バッグもいっぱいになるはずだね」

「えへへー。凛ちゃんと一緒に遊びたかったの」


 家を出る時からずっと背負っていた陽花里のバッグの中に入っていたのは、大きなシャチの浮き輪だった。2人で膨らませて、そして笑いながら2人で抱えて海に飛び込む。


 煌めく波。

 青い空に、白い雲。


 黒いシャチに、黒い水着の私。

 黄色い水着の陽花里はこの海で一番輝いていて。


「楽しいね」

「うん、最高っ」


 私と陽花里は、心がお互いで満たされていて。


 夕方まで、体力尽きるまで、とことん遊びつくしたのだった。





■■■■■




 帰りの電車の中。

 さすがに疲れた私たち2人は、手を握り合って、ごとんごとんと揺れるリズムに身を委ね、うたた寝をしながら帰路についていた。


 夢の中でも、2人で海を泳いでいた。

 たぶん陽花里も、同じ夢を見てるだろうな、と思った。




■■■■■



 最寄りの駅を降りた時は、もうすっかり夜も更けていた。

 新月は、昨夜。

 今日の月は、細い線になっていて、また新しいサイクルが始まったんだな、と思えた。


 月明りの代わりに星明かりを浴びながら、私と陽花里は楽しかった海のデートを終えようとしていた。


 この時間になると、空気もだいぶひんやりとしてくる。

 まだぬるま湯のような暑さは残っているのだけど、それでも風が吹くたびに心地よい秋の訪れを感じることが出来る。


「…楽しかった、ね」

「うん」


 手をつなぐ。

 時々、ぎゅっと握ると、すぐに同じような力で答えてくる。それが楽しくて、思わず何度も繰り返してしまう。


 海水浴場にそなえてあったシャワーでよく海水は落としたはずなんだけど、それでもまだ、潮の香りが残っているような気がする。

 私の好きな陽花里の匂いの中にも、海の匂いが混じっている。


 足音が、響く。

 人通りも、少ない。


「…凛ちゃん…」


 今、どうせ2人しかいないのに、それでも誰かに聞かれちゃ駄目だから、と言った感じの小さな声で、陽花里が語り掛けてきた。


「なに、陽花里」


 自然と、私も陽花里の口調に合わせて、小さな声になる。

 まるで内緒話しているみたい、と、おかしくなる。


「あのね」


 海でね、男の人に絡まれたとき、ね


「あー、あの」


 ちょっとしつこかったよねー。陽花里が可愛いから、諦めたくなかったんだろうね。まったく。


「凛ちゃん、私のこと、彼女だって…」

「うん。だって」


 本当のことじゃない?

 陽花里、私の彼女なんだから。


「凛ちゃん」

「なぁに?」


 今夜の陽花里、なんか、ちょっと、変。海のデートがそんなに楽しかったのかな。私も、すっごく楽しかったけど、ね。


「凛ちゃん、私の…」


 おへそ、好き?


 私が飲み物を呑んでいたとしたら、間違いなく噴き出していたと思う。いきなり何てこと聞いてくるの。

 星明かりは薄暗いから、私の表情はちゃんと見えていない気がするけど、それでも見られたら恥ずかしいから、たぶん真っ赤になってるから、顔を合わせないように気を付けながら答える。


「な、なんのこと、かな」

「だって凛ちゃん…前、お風呂場でも…私のおへそ、見ていたし…」


 あー。うん。

 はい。

 見てました。ごめんなさい。


「…好き」


 白状する。彼女の、女の子のおへそが好きだなんて、なんか、ちょっと変態っぽくて、自分で言いながら少し引く。陽花里も引いているかな、飽きられちゃったかな、はは、と反省する。


「私もね」


 ん?


「凛ちゃんに…見てもらうの…好き」


 だから。

 いつも、ね。

 見せつけてるの、凛ちゃんに。


「…」

「…」

「そっか…」

「…うん」

「私たち、似た者同士、なのかな」

「…」


 陽花里は答えず、その代わり、私の手を引っ張った。

 表情は見えない。ふわふわの栗色の髪の毛からちょこんと覗いている、耳しか見えない。その耳がすでに、真っ赤になっていた。


「…もっと、見て欲しい…」


 凛ちゃんに、全部。

 おへそだけじゃなくって、全部。


「…」


 言葉を出せない。何を言っても、何を言おうとしても、私の今の気持ちを全部伝えることは、たぶんできない。

 だから、言葉の代わりに、私は陽花里をさらに抱き寄せた。

 歩きにくいくらい、くっつく。

 だから歩く速度が遅くなる。

 家にたどり着くのが、遅くなる。


 ゆっくり歩いて。

 そして、ついたら。

 その先、は?


 抱。























「あ、やっと帰ってきた」


 私のマンションの入口。

 二つの影が立っていた。




「今夜はもう、帰ってこないかと思ったよ」


 歌声みたいな声。

 透き通った…声。



 月明りは殆どない。

 星明かりもまばらで。


 闇がまるで、金色で照らされているようで。




 紫苑さんと、色葉さんが、そこに立っていた。



 金色の闇が、降りてくる。

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