第34話 盆踊り ~後編~
もう盆踊りが始まる時間なのに、葵が帰ってこない。
私も陽花里も2人とも浴衣に着替え、準備は万端になっているのに、ただ時間だけが過ぎていく。
遠くから笛と太鼓の音が聞こえてくる。
気持ちが焦り、何度もスマホに連絡が来ていないかの確認をする。
「…葵、どうしたんだろう」
遅くなるのなら仕方がない。でも連絡がないと不安になる。
葵はまるで猫みたいに気ままな性格なので、私の知らない間に部屋に来て、知らない間に出ていくことがよくある。けど、私と約束をして、約束を破ったことなんて今まで一回も無かったのだ。
(何よりも)
どんなことよりも、私のことを一番最優先にする。それが、葵、という私のふたごだった。
「葵さん、バイト先でなにかあったのかな?」
不安と心配で沈んでいる私を支えようとしてくれているのか、陽花里がそっと私の傍にきて、身体をくっつけて、背中を撫でてくれた。
「交通事故とかに会っていなければいいんだけど…」
私は、浴衣姿のまま、ベッドにぺたんと座り込んだ。私の重みでマットレスが少しくぼむ。
同じように陽花里も私の隣に座り込み、2人で肩を寄せ合いながら、スマホを見つめる。
もう19時を回っている。盆踊りは始まっている。
太陽は沈み、空は暗くなり、街の街灯や店舗の照明がその存在感を強めている。
その時、スマホが光った。
メッセージの着信。宛名は…葵。
『ごめんね』
『稽古が長引いて、今日は終わりそうにない』
『楽しみにしていたけど、盆踊り、私、参加できそうにない』
『今夜は私の分まで楽しんできて』
ほっと、胸を撫でおろす。安心感が頭からつま先まで抜けていく。息を吐きだし、気持ちが軽くなり、隣に座っている陽花里をみつめる。
「葵、お芝居の稽古が終わらないみたい」
「何事もなくてよかったね、凛ちゃん」
「うん…よかった」
安心したけど、少し、寂しい。
部屋の片隅に置いてある葵の分の浴衣を見つめる。
青い浴衣。本当なら、私と陽花里と葵の3人で出かけるはずだったのに。
「凛ちゃん、どうしたの?」
「あ、ごめん、考え事してた」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
私は立ちあがり、陽花里に手を差し伸べる。
「2人で、盆踊り、楽しもうね」
「うんっ」
陽花里は私の手をとり、立ち上がった。
黄色い花柄の浴衣が、薄暗闇の中でも淡く光っているような気がする。私の浴衣は赤い花柄。3人で赤、青、黄の花柄の浴衣を揃えたから「信号機みたいだね」と笑っていたのに、今夜の信号機には青色が無くなってしまった。
赤は、「止まれ」
黄は、「止まれるなら、止まれ」
青は、「進め」
私と陽花里の浴衣の花柄は、赤と黄色。本当なら止まらないといけないはずの色なのに。
「行こう、陽花里」
「うん、凛ちゃん!」
私たちは手をつなぎ、迷うことなく、進み始めてしまった。
■■■■■
盆踊りの会場に続く道のりには、人がたくさん溢れていた。
普段着の人も多いけど、浴衣姿の人も多い。
男も、女も、カップルも、たくさんいる。
「親子連れの人も多いね」
「夏、だしね」
私と陽花里は手をつないだまま、ゆっくりと雰囲気を楽しみながら歩いていた。
少し離れた先の方から、太鼓と笛の音が流れてくる。
「楽しそう」
「盆踊りの本来の意味は、帰ってきた先祖の霊を供養し、慰め、そして再び送り出すための仏教的・民俗的な行事のはずなんだけどね…」
そんなもの形骸化していて、今はただ、なんとなくみんな、楽しんでいるだけだね、と私は苦笑しながら言った。
みんな、といっても、その「みんな」の中に私たちだって含まれているのだ。
上から目線でかっこよさそうなことを言ってみたけど、なんのことはない、私もただ、陽花里と楽しみたい、と思っているだけなのだから。
「ほら、みて、凛ちゃん。屋台も出ているよ」
「本当、ただのお祭りだよね」
お祭りなら、楽しまないと損だ。
私は陽花里に連れられて、ふらふらと屋台に寄り道しながら進んでいた。
「葵も、一緒に来れればよかったのに」
ぽつりと、つぶやく。
陽花里が少しだけ、頬を膨らませた。
「葵さんがいなくて、寂しい?」
「寂しいよ」
「…私がいるのに?」
「陽花里がいるのに…だよ」
ぷーっと、また陽花里は頬を膨らませる。もちもちの頬っぺたがぷるんとしていて、ついつい突きたくなってしまう。そして実際に、触る。
「もー、凛ちゃんっ」
「あはは、ごめんね、陽花里」
でも、葵がいなくて寂しいのは本当だ。
3人で来たかった。
陽花里は私の大事な彼女で、葵も、今は期間限定で私の彼女だ。私は両手に花で、彼女に囲まれたかった…のではなく。
(やっぱり)
(葵のこと)
(彼女、とは…)
どうしても、思えないな、と実感してしまう。
これは別に、葵よりも陽花里の方が好き、というわけじゃない。
私は2人とも、とても…大事に想っている。
ただ、その向きが、方向が、ベクトルが、違っているだけなんだ。
「家族、だもんね」
「凛ちゃん、なにか言った?」
「ううん。独り言」
ふりむく陽花里を見ていると、心の奥が暖かくなるのを感じる。とめようもない情動が湧き上がってきて、人目が無ければ私はたぶん抱き着いている。
陽花里のことは、欲しい、と思う。同時に陽花里に対して、私をあげたい、って思う。
そうやって、混ざり合いたいって思う気持ちが、恋、っていうものなんだろうな、と思う。
(でも、葵は)
生まれた瞬間から、家族で。私で。姉で、妹で。
好きだよ。すごく好き。大好きで、大切。でもこの気持ちは…恋慕じゃなくって、親愛だと思う。
私はたぶん、一生、葵のことは大好きだと思う。夜の闇の波のように、穏やかで優しくて深い気持ちは続くのだろう。
(期間限定の恋人)
恋人期間が終わっても、私は、葵のことをずっと、大切で大事な家族として、つなぎとめておくんだろうな。
それは葵にとって、一番残酷な話なのかもしれないけど…でも、ごめんね。
私は家族を、失いたくないの。
(家族以上、恋人未満)
そんな関係が…私と葵との終着点なのかな、と、祭りばやしを聞きながら私はぼんやりと思っていた。
■■■■■
「見て見て、凛ちゃん、すごい人!」
楽しそうに笑いながら、陽花里が光に向かって駆けていった。
黄色い花柄が舞っているようにみえる。
「走ると危ないよ」
「転ばないから大丈夫ー!」
両手を広げて、くるくる回っている。まだ盆踊りに参加していないのに、1人だけで踊っているみたいで、少しおかしい。
「凛ちゃん、笑ってるー」
「ごめんね、あんまり陽花里が可愛かったから」
怒る陽花里をなだめる。私は人混みをかき分けながら近づいて行って、陽花里をぎゅっと抱きしめる。
ふんわりとした香りが私を包み込む。陽花里の匂い。私の心をくすぐる匂い。
「陽花里の地元の島でも盆踊りとかあったの?」
「あー、凛ちゃん、私の島、馬鹿にしたー」
「してないよ。ただ、単純に聞きたかっただけだよ」
「あるには、あったよ」
でも、人が少ない島だったから、今日みたいにこんな大きなやぐらじゃなかったし、笛の音も太鼓の音もなくって、録音した音楽流していただけだったし、そもそも踊るのも私くらいしかいなかったから。
「ずーっと、ちっちゃなやぐらの周りを、1人でくるくる踊っていたよ」
「バターになっちゃいそうだね」
「私がバターになったとしたら」
凛ちゃん、私を食べてくれる?
いろんな光に照らされながらそう尋ねてきた陽花里がちょっと煽情的にみえて、大人びてみえて、今日ずっと触っていた…陽花里の胸の感触を思い出してしまって、どきっとしてしまった。
「食べるよ」
全部、食べる。溶けた陽花里は全部私の中にいれる。
誰にも…渡さない。
私の答えが嬉しかったのか、陽花里は満面の笑みを浮かべて、近寄ってくる。
「狼さん、私を食べて♪」
「いつのまにか赤ずきんちゃんになっちゃったね…」
そう言って、陽花里の手をとる。
ぷにっとした、柔らかい手。握ると、握り返してくれる、私の恋人の手。
「一緒に踊ろう、陽花里」
「うん、凛ちゃん!」
私は陽花里とともに、大きなやぐらに近づいていく。紅白でいろどられた大きなやぐらの上には、太鼓がおいてあり、その太鼓を法被をきた男の人がリズミカルに叩いているのがみえる。
たくさんの提灯で飾られていて、その紅白の提灯は空に線となって広がっている。
夜の中に提灯が連なっている光景は、太鼓の音と相まってとても幻想的なものに感じられる。
「…凛ちゃん」
「なに?」
「手、つないだままじゃ…踊れない」
「あ、そうか、ごめんね」
盆踊りはダンスじゃない。私はあわてて手を離す。でも、そう言った陽花里の方が、残念そうな目をしながら離した手を見つめていた。
「…もっとずっと、凛ちゃんと手を握っていたかった」
「あははっ」
もう、この子は。
私の彼女は。
「踊って、疲れたら、休憩して、その時にまた手を握り合おうよ」
「そう…だね」
私たち、これからもずっと、手を握り合えるんだもんね。
陽花里は笑いながら、踊りの輪の中に加わっていった。私もつづけて、陽花里の後ろで踊る。
島でずっと踊っていたというだけあって、意外にも、陽花里の踊りはなかなか様になったものだった。
(なんか、いいな)
踊りながら、私は思う。
踊りと言う非日常の中にいるからこそ、日常の大切さを再確認できる。
踊った後、私たちは手を握ることが出来る。ちゃんと帰れる場所がある。
盆踊りは先祖の供養のためにするはずだけど、私は別に、先祖のことなんて考えていなかった。ただ、目の前にいる、陽花里のことを、陽花里との未来のことだけを考えていた。
(私は、幸せになりたい)
わがままな想い。でも、隠せない私の心。
特別じゃなくていい。唯一じゃなくていい。
ただ、普通に、当たり前のような、幸せが欲しい。
(陽花里となら)
幸せに、なれる。
幸せに、してあげることが出来る。
(普通がいい)
それが一番の高望みなのかもしれないけど。
私たちは女同士だから、普通、じゃないのかもしれないけど。
煌めきながら踊る陽花里の姿を見て、汗を見て。
この子が帰りたい、って思える場所に私がなれているのが嬉しくて。
この子の元に帰りたい、って思っている自分を見つけて嬉しくなって。
(これが、好き、っていうことなんだろうな)
もう隠せない想いが湧き上がっているのを自覚して、自分の感情に、そう名前をつけた。
好き。
当たり前で、普通で、ありふれていて。
そして、それは、奇跡みたいな、暖かい言葉だった。
私は、陽花里が、大好きです。
■■■■■
「普通じゃ、いられない」
「普通なんていらない」
「全部…全部、私の色で染め上げてしまいたい」
湧き上がる情動が身を焦がす。
手の先、指の先、爪の先の細胞の一個一個までが燃え盛っているような気がする。
灰になったその先にまだ光が輝いているように感じられて、私はハイになっていた。恍惚としていた。
「…葵、まだ止めないの?」
「やめれるわけないじゃないですか、詩織さんっ」
尊敬している人の言葉に答える。
まだいける。私はまだまだ、先にいける。
今止まるなんて…もったいない。
行きつくところまで、私は行ってしまいたい。
稽古場の照明が私の汗を照らす。私は汗まみれで、まさに滝のような汗を流していて、身体中の水分が全て抜け出していってしまいそうだった。
時間の感覚が分からなくなる。
全部溶けて、どうでもよくなってくる。
身体が動く。
イメージ通りに身体を動かすことができるこの快感は、他にたとえようのない快楽だ。
見て。
私を見て。
私の全部を見て焼き付けて死んで。
私の中にある最後のストッパーが、人としての最後の残り火が、稽古の合間にできた一瞬の隙に私を操り、スマホを開かせた。
『ごめんね』
『稽古が長引いて、今日は終わりそうにない』
『楽しみにしていたけど、盆踊り、私、参加できそうにない』
『今夜は私の分まで楽しんできて』
送信して、スマホを投げて、スマホが床を回りながら滑っていき壁に当たるのを聞いて、そしてその全てを忘れる。
動く。
稽古を続ける。
私は生きながら、別の人間に変わることが出来る。
楽しいなんて言葉じゃ言葉が足りない。
苦しいなんて言葉じゃ軽すぎる。
喜びも怒りも悲しみも楽しみも。
全部全部、まとめて潰して私の糧にする。
「あはははははははははははははは」
詩織さんが笑っている。
私を見つめるその瞳と同じ瞳を、たぶん今の私はしていると思う。
狂気。
狂気の中にある炎。
「いいね、葵」
「もっと、もっと」
「もっと」
焼き尽くそう。
音が。
音が聞こえてくる。
暴力的に、心に突き刺さってくる声。
声には色が乗っている。
赤。
青。
黄色。
他にも、たくさんの、いろんな感情の乗った色。
(詩織さんが連れてきた)
この声。
色が溢れている声。
突き刺さる声。
全ての色が混ざり、混ざった色は…黒になる。
黒が、深淵が、私の身体に入り込んできて、私を突き動かしていく。
「あははははははははっ」
「どうせ私たちは、全部失っているんだから」
「普通じゃいられないんだから」
「だから、私たちは、みんなで」
化け物になろう!
詩織さんが叫び。
私が応え。
そして。
詩織さんが連れてきた。
金髪の女。
風見紫苑の歌声が、
私たちを、飲み込んでいった。




