第33話 盆踊り ~前編~
クーラーから出てくる冷たい風が、火照る私の身体を優しく冷やしてくれていた。時計の針はちょうど正午を刺していて、盆踊りがはじまる19時まであと7時間くらいあるな、とぼんやり考える。
(昨夜の、葵、変だったな…)
今はいない彼女のことを想う。
葵は今日、朝からバイトをした後、劇団で夕方まで稽古があるということで、朝早くから部屋を出ていた。
出ていくときの葵は「夜の盆踊りまでには帰ってくるから、待っててね」と、普段通りの笑顔だった。
昨夜の姿とはまったく違っていた。
昨夜の姿…私と陽花里とのキスをじっと見つめていた姿は、今までみたことがないあまりにも異質な雰囲気だったのだ。
(いや、違うか)
遠い昔、中学時代、クラスの文化祭で劇をした。その際に見せた葵の役者の姿…自分を捨て去り、役柄に憑かれたように演じ切っていたその姿。
(葵が、葵じゃないみたい)
あまりにも異質で。あまりにも本気で。あの情熱は…私には無いものだ。
「私って、何なんだろう」
ぽつりとつぶやくと、私はもたれかかっているソファに背中を預ける。
私の部屋には、大きなソファがひとつ置いてある。ちょうど3人でも座れるくらいの大きさで、色は少し淡い深緑。表面は柔らかくて、触っていると気持ちがいい。
そんなソファの上に、私は今、座ってはいなかった。
ソファを背もたれ代わりにして、直接床に座っていた。
足を少し開いていて、そこにちょこんと、陽花里が座っている。ちょうど私が足で挟んでいる格好だ。
「どうしたの、凛ちゃん?」
「ちょっと、昨夜のこと思い出していたの」
「昨夜のこと?」
「葵のこと」
「ふーん」
私のことじゃないの…と、ちょっと不満そうに頬を膨らます陽花里。私の彼女がこんなに嫉妬しやすい子だったなんて、付き合う前は知らなかった。今はこの嫉妬心がとても可愛いのだけど、これが行き過ぎると少し面倒になってくるのかな、それとも可愛いままなのかな、なんてことを考える。
「私のこと考えて」
そう言うと、陽花里は読んでいた本を床にそっと置いて、私に頭を預けてきた。陽花里は私より頭一つ分小さい子だから、ちょうどそのもふもふの栗色の髪の毛が私の顎を撫でる形となり、少しくすぐったかった。
「考えてるよ」
私は陽花里の肩をつかむと、ぐいっと私に引き寄せた。陽花里は何の抵抗もせず、私に身体を委ねる。柔らかい陽花里の身体を受け止めて、後ろから抱きしめる形で座る。
「陽花里と付き合い始めてから、いつも陽花里のこと考えてる」
「本当?」
「本当」
後ろから、私は陽花里の唇にそっと指を触れてみた。ぷにゅっと柔らかく、そして少ししっとりしている。
ぺろ。
舐められた。
陽花里、私を舐めるの、本当に好きだな…と思い、ぞくっとする嬉しさがこみあげてくる。
「陽花里は、大学卒業したら何になるつもり?」
なんとなく、聞いてみる。
私たちはもう大学3年生だ。もう就職のことを考える時期にきている、といえる。
「陽花里なら、官公庁だろうが、商社だろうが、メディア関連だろうが金融儀業界だろうが、どこにだって入ろうと思ったら入れるだろうね」
そうなのだ。陽花里は、本当に頭がいい。私も勉強はできる方だけど、陽花里と比べると本物と偽物の違いを痛感させられてしまうくらいの差がある。陽花里が天然のダイヤモンドなら、私は人工強化ガラスだ。
しかも可愛くて、性格もいい。
望めばなんだって手に入るはずの、特別な女の子、だと思う。
「…まだ決めていないけど、なりたいもの、ならあるよ」
「へー、そうなんだ。聞いてもいい?」
「…凛ちゃんの、お嫁さん…」
あはは。えへへ。照れる。
望めば何でも手に入れられる子が望んだのは、実は私でした。なんて。
心がくすぐられた気がして、ちょっと有頂天になってしまう。でもすぐに気を改める。嬉しいけど、でも、私と陽花里は女同士で、女同士は結婚なんて…できないのだ。
(でも)
その望みを…世間には認められていなくても、当人同士で叶えた人を、私は知っている。
知りすぎるくらい、知っている。
(未来)
私の…好きな人。
陽花里、っていう大事な彼女がいるのに、私のお嫁さんになりたいとまで言ってくれる子がいるのに、それでも、私はかつて愛した人のことを忘れることは出来ないのだった。
「凛ちゃん」
「ん?」
「いま…未来さんのこと、考えてる?」
どうして分かったのだろう。
最近の陽花里の勘はするどい。私の考えてること、当ててくることがよくある。それほどまでに、陽花里は私のことをいつもずっと考えてくれている、ということなのかもしれない。
「…うん」
「やっぱり」
なんか、分かるんだ。と、陽花里がつぶやいた。
好きな人が、好きな人のことを考えているの…伝わる、とも。
「ごめんね」
「ううん。謝らないで。謝っちゃ駄目だよ」
私、未来さんのことが忘れられない凛ちゃんを、そのまま全部ひっくるめて好きになったんだから。
「凛ちゃん、お願いがあるの」
「どんなお願い?」
「わがままなお願い」
「いいよ」
願いを口にする前に、願いを聞いてあげる、と答える。
「まだ何も言っていないよ」
「陽花里のお願いなら、なんでも聞いてあげる」
「…なら、もっと我儘いっちゃう」
2個、お願いしてもいい?と聞いてきたので、2個とも聞いてあげる、と答える。
私も大概、馬鹿だな、と思う。
さっきの話の続きで、いきなり「凛ちゃん、結婚して」とでも言われたら、私はどうするつもりだったのだろう?
でも、陽花里のお願いは違っていた。
違っていて…私の想いもよらない、本当に?と聞きたくなるようなお願いだった。
「未来さんの…写真…みたい」
しばしの、沈黙。
私はすぐに、答えることが出来なかった。未来の…写真。私の…好きな人の、写真。見たいの?言っているからには、見たいんだろうな。
恋のライバルと思っているのかな。競い合う相手ではないとは思うのだけど、思いたいのだけど。
でも、私は、陽花里に嘘はつかないって決めたから。陽花里の想いは…できるだけかなえてあげたい、って決めてるから。
「いいよ」
そういうと、陽花里に私のスマホを手渡した。
カメラのフォルダの中に、未来の写真は…たくさん保存している。出会った頃の写真から、つい最近、会いに行った時の写真まで。昔から何度もスマホを機種変更してきたけど、その都度、写真も全部データ移行して、大事に保管している。
(…そして時々、見返している)
ある意味、私の心の中の、一番深くて大事な部分。他の人には見せたくない聖域。私だけの大事な思い出。
(でも)
「本当に、いいの?」
「うん。陽花里になら」
見てもらいたい。
そういって、陽花里の後ろから手をのばして、渡したスマホのロックを外す。私の心も、同時に開かれたみたいな気がする。
「ここに…保存しているから」
全部、見ていいよ。
陽花里はこくんとうなづき、そして、小さな唇を少し震わせながら、いった。
「…もう一つのお願い事も、言っていい?」
「もちろん、いいよ」
未来の写真を見せるなんていう、私の一番恥ずかしい大事な想いを晒したんだから、これ以上恥ずかしいことなんてなにもないさー、あははー。
私、少し、ふっきれたかもしれない。
「あのね…」
ごくり、と陽花里が唾を飲み込む音が聞こえた。
私は今、陽花里を後ろから抱きしめて密着しているから、その喉の動きまでも全部伝わってくる。陽花里が緊張しているのが分かる。
「私の…」
「陽花里の?」
「…てほしい」
声が小さすぎて、よく聞こえなかった。陽花里、耳まで真っ赤にしている。何を恥ずかしがっているのだろう。「よく聞こえなかったから、もう一度言って」と尋ねる。
陽花里は、私のスマホをもってうつむいたまま、今度は大きな声で、答えた。
「私のブラ…外してほしい」
「え?」
「凛ちゃんに…」
「私の胸…触って…欲しいの」
■■■■■
どんな状況。どんな状況?なにこれ、なに?
私は頭が混乱していた。
たぶん、目もぐるぐる回っている。
動悸がすごい。吐く息が小刻みになっている。
現実のこと、とは思えない。
(ううん)
これは、現実のことだ。
目を、床にやる。
そこに落ちているのは…可愛らしい、ピンク色の、ブラジャー。
さっき、私が、震える手でホックを外して、とって、置いた、陽花里のブラジャー。
まだ暖かかった。当たり前だ。ずっと陽花里がつけていたものなんだから。
そして。
今。
私は…吸い付くような柔らかさを掌に感じていた。
ソファに背もたれして、床に座って、足の間に彼女が座っていて、その彼女のブラを外して、なおかつ直接…その胸を…触っている。
触られている彼女は私のスマホを手に持って、そして私が好きな、彼女ではない女の子の写真をずっと眺めている。
(なにこの状況)
理解が追い付かない。
ちらり、と壁を見る。壁にかけられた鏡が、恋人の胸を揉んでいる女の姿を映していた。というか、それが私だった。
「未来さん…こんな人だったんだ…」
真剣な目で、陽花里は私のスマホを眺めている。後ろから覗き見ると、中学時代の未来の姿がみえた。出会ってすぐの頃の写真だ。文芸部の部室にいる。この時にはすでに、未来のことが大好きだったな、と思い出す。
陽花里は指を動かし、写真をどんどんスライドしていく。私の目の前で、中学生だった未来が高校生になっていく。どんどん女の子から女へと、綺麗な子へと成長していくのがみえる。
(懐かしい)
(ずっと、一緒にいたから)
(ずっと、見ていたから…ずっと、好きだったから)
陽花里と一緒に、私も思い出を追憶していた。
見ながら、でも実は、私の意識は手のひらの方に集中していた。
柔らかい。
柔らかくて、大きくて、そして。
「あ」
私が思わず手を動かし、こすれてあたり、陽花里が今まで聞いたことのないような声をあげた。
私は思わず、びくっとして「ごめん」といい、陽花里は息をはきながら、「ううん、いいよ」と答える。
何しているんだろう。
何してるんだろう、私。
でも、手の動きは止まらない。
ゆっくりと、包み込むように、動かして。
ありていにいえば。
揉んでいく。
私が手を動かすたびに、陽花里が反応していく。陽花里がスマホを動かす手が、そのたびに止まる。
息が荒くなる。私も、陽花里も。
陽花里は…たぶん、嫉妬してる。たぶん、じゃないな。絶対、嫉妬してる。
未来を…私の好きな人を見て、表には出さないけど、尋常じゃないくらい、身を焦がすくらい嫉妬の炎に焼かれている。
(だから)
自分が、私のものだと、陽花里は私のものなんだと、伝えたいんだろうな。
「ん」
私の手に反応する陽花里の声。まるで私の手が陽花里に繋がっているみたいだ。これ以上はいけない。これ以上したら、もう帰れなくなる。
でも、私は。
陽花里の双丘の先を、指でこりっと、つまんだ。
「凛ちゃん…ちょっと…痛い」
「あ、ごめんね」
「ううん。もう少しゆっくりしてくれたら…嬉しい」
絶え絶えになりながら、それでも陽花里は、私に答えていく。
陽花里の手の中にあるスマホの中の未来は、もう高校3年生になっていた。そろそろ卒業。そうしたら…もう2年間は、写真がない。
「これで…どう?」
「凛ちゃん」
しびれる。どこかにいっちゃいそう、と陽花里はこたえる。
嬉しくなる。
もっと、してあげたくなる…ううん、違う。私が、したい。
もっと、もっと、もっと。
触りたい。
ことん。
スマホが落ちる音がした。
見てみると、そこに映っていたのは、この前みた、未来の姿。
私を…完全にふってくれた、あの夜の、未来の姿。
(これで全部、陽花里にみられた)
これで、終わり。
この変な、なんともいえない、たぶん一生忘れられない時間も、終わり。
「陽花里、終わろう」
これ以上いったら、もう戻れなくなる。
私はそう思って、そう伝えて、手を引こうとする。
その手が、止められる。
陽花里は、とろんとした瞳で、小さくいった。
「凛ちゃん…私の…」
おっぱい、好き?
何を言っているのだろう、この子は。
この彼女は…もう。
ちゃんといってあげなくてはいけない。
私たちは女の子同士で、いくら付き合っているとはいっても、ちゃんと節度をもたなくてはいけなくて。
自分の欲求だけをもとめていたら、それはただの動物でしかない。
私たちは大学生。
しかも、日本で一番難しい、最難関の大学に通っている。
だから私は、はっきりと、陽花里に対して。
エリートらしい、明晰で明快で完璧な答えを告げたのだった。
「大好き」
■■■■■
夕方。
もうすぐ、盆踊りが始まる。
そろそろ準備をしなくてはいけない。
喉がからからで、身体が水分を欲しているのが分かる。
時計をみると、もう18時。
19時から盆踊りが始まるから、もうあと1時間しかない。
私は足の間でとろんとしている陽花里からようやく手を離すと、天井を見つめた。
見知った天井が、今日はなぜか、別のものにみえた。
床に落ちた陽花里のブラジャーは、もうとっくに冷たくなっている。
「そろそろ、浴衣に着替えよう」
「…うん…」
まだ頭が溶けている陽花里は、うつろな、それでいて満足しきったような瞳で私をみると、ふにゃっと身を寄せてきた。
まだ立てない…といい、もう少しだけ休もうか、と答える。
そろそろ、葵が稽古を終えて帰ってくるはず。
こんな私たちの姿なんて見せられない。
汗と汗がくっついて、もうどちらの汗かは分からなくなっていたけど、シャワー浴びた方がいいかな、とぼんやり考えていた。
早くしないと、葵が帰ってくる。
葵が帰ってくる前に、準備しないと。
葵が。
葵が。
私のもう一人の彼女の、葵が。
その日。
結局。
葵は。
私の部屋に、帰ってこなかった。




