第32話 二等辺三角関係
お盆。
「陽花里、今年のお盆はどうするの?」
「今年は帰らない。凛ちゃんと一緒に過ごしたい」
私の問いかけに、陽花里はきっぱりと答えた。
8月13日から16日のお盆。私は毎年この東京のマンションで過ごしていたのだけど、陽花里はいつも実家のある島へと帰省していたのだった。
「いいの?お父さんとお母さん、陽花里に会えなくて寂しがるんじゃない?」
「それは…そうだと思うけど」
陽花里は少し言い淀んで、ちらりと私…ではなく、私の隣に座っている葵を見る。
「私が帰省したら、凛ちゃんと葵さんの2人っきりになっちゃう」
「そうだよ」
葵はベッドの上で足をぶらぶらさせながら、同じくベッドの上に座っていた私に抱き着いてきた。
「陽花里がいない間、私が彼女を独占しようと思ってたんだ」
「ちょ…葵」
「いいでしょ?彼女同士なんだから」
葵はそう言いながら私の頬っぺたに唇をよせてくる。私の唇、ではなく頬っぺたにするのは、少し遠慮しているからなのだろうか。
「だ、だめー!」
そんな光景を見て、陽花里が目をつむって私と葵の間に文字通り飛び込んできた。ふわっとした栗色の髪の毛が私にあたる。
私と葵も体制を崩し、ベッドに座っていた私たちは3人仲良く上半身をベッドの上に横たえる形になってしまった。
「ゆ、油断も隙もないんだから…」
「別に、いつだって、私は凛を狙っているから」
「狙うって…」
「言葉通りの意味だよ」
いつもなら、私を中心にして、両隣に陽花里と葵、という配置なのだけど。陽花里が飛び込んできた今日は変則的になっていて、私、陽花里、葵、という順番になっていた。
だからこの葵の声は、私にとっては陽花里の向こう側から聞こえてくる形になる。
「私が…私が凛と恋人でいれる時間は、期間限定だから…だから私は、どんな小さいチャンスでも逃したくないんだ」
はっきりと、そう言う。
言葉にブレがない。心から葵がそう想っているというのが分かる。伝わる。
(どんな言葉を返そう)
葵に、私の大事なふたごに、私の大切な人に、私の…彼女に、なんて伝えればいいのだろう。なんと答えればいいのだろう。
「葵」
私がその名前を呼んだ時、私の隣にいる陽花里の肩が、ぴくっと動いたのが分かった。見えた。
今は、陽花里の方が、葵よりも私に近い。手を伸ばせば先に届くのは、葵ではなく陽花里のほうだ。
「なに、凛」
そう言いながら、葵が手を伸ばしてきた。陽花里の身体越しに。柔らかくて小さい陽花里の身体の上で、私の伸ばした手をつなぐ。
私と葵はしっかりと手をつなぎ、それはまるで…2人で、間にいる陽花里を抱きしめているかのような形になった。
「明日の盆踊り、3人で行こう」
毎年お盆に近くの公園で開催される盆踊り。私は参加したことはないけど、太鼓や笛の音はよく聞いていた。お盆を過ぎると、夏ももう終わりに近づいてくると思って、少しもの悲しい気持ちになるのを覚えている。
「今年は…陽花里もいてくれるし、凛もいるし、3人で参加しよう」
「3人で?」
「そう」
私の…彼女と、彼女で。
変な関係。
普通じゃ…ない関係。
期間限定とはいえ…お互い公認の、二股関係。
女と、女と、女。
「浴衣、買わないとね」
葵が言う。
「私…凛ちゃんの浴衣姿…みたい」
陽花里が言う。
「じゃぁ今日、これから3人で、買いに行こう」
私が、提案する。
こうして。
お盆前の暑い一日に、私は彼女たちと一緒に浴衣を買いに出かけることになったのだった。
■■■■■
夕方。
私たち3人は買い物を終えて、大きな荷物を抱えて部屋に戻ってきていた。
遠くから、ひぐらしの声が聞こえてくる気がする。
(こんな東京の大都会のど真ん中にも、ひぐらしっているのかな)
そんなことを想った。
中学高校時代、私が住んでいた田舎の港町では、夏になるとひぐらしの声の大合唱に包まれていた。あまりにもうるさかったから、逆に静かに感じてしまっていたほどだった。
「可愛いの買えたね」
「うん、そうだね」
黄色い花柄の浴衣を手にした陽花里が、嬉しそうに言ってくるのを見ていると、心がほわっと暖かくなってくる。
3人でいろいろ悩んだ結果、柄は同じ花柄で、色合いだけが違う浴衣を選ぶことにした。
鮮やかな黄色の浴衣を選んだのが、陽花里。
なんとなく、陽花里には黄色のイメージがある。幸福を表す色だからかな。
「凛、私の浴衣、どう思う?」
「すごく、似合うと思うよ」
葵が手にしているのは、青い花柄。
そして、私は赤。
赤、青、黄と、綺麗に信号機の色が揃ってしまった。
「ほかにもいろいろ買ったね」
「お買い物、楽しかったね」
「本当に」
浴衣だけでなく、履物や小物、それに小さいバッグなど、いろいろな買い物をしてしまった。少しお金を使いすぎてしまったので、今月残りは節制生活を続けることにしなくては…
「じゃぁ、疲れたから、私、先にお風呂に入るね」
葵はそう言うと、ごくごく自然に私の部屋のお風呂にはいっていった。
ここは私の家で、葵の家じゃないんだけどね。
勝手知ったる我が家、といった趣だ。
「…」
「…」
先ほどまで3人でわいわい言っていたのに、ふいに私と陽花里の2人きりになってしまい、言葉が途切れてしまった。
葵のお風呂は長い。
いつも大抵、1時間近く入っている。
ここ最近、ずっと葵が一緒にいたから、なかなかこんなチャンスは訪れなかったのだけど。
隣を見る。
陽花里が、なぜか少し緊張した表情をしながら、手に先ほど買ってきた浴衣を持ったままで立っている。
夕方とはいえ、太陽の柔らかな光はまだ部屋に差し込んできている。黄色い花柄の浴衣が照らされ、陽花里のことがぼんやりとした大きな向日葵みたいに感じられた。
「…陽花里」
私は、陽花里の唇を見ながら、私の彼女の名前を呼んだ。
私は、駄目だ。
少しでも、機会があれば、あの唇を…求めるようになってしまっていた。
「うん」
陽花里は、拒まない。それどころか嬉しそうで、柔らかな表情になって、手にしていた黄色い浴衣をそっと床に置くと、私に近づいてきて、その麗らかな唇を少し開いて…
「凛、一緒にお風呂、入ろう!」
突然の声に、私は止まった。
陽花里も止まる。
お風呂場の扉が開く。
裸の葵が飛び出してきて、有無を言わさず、私の手をとるとお風呂場へと連れ去っていった。
「え、え、え、え」
慌てる私。ぽかんとその光景を眺めるだけの陽花里。
「たまにはいいじゃない」
強引に私の手を引っ張る葵が、嬉しそうにそう笑っていた。
■■■■■
「まったく…まったく強引なんだから、葵は」
「えへへー。ごめんね。許して、凛」
「もう…」
お風呂場。
水蒸気で白くもやがかかった狭い個室の中で、私と葵は生まれたままの姿になってお互いの身体を泡だらけにしながら洗いあっていた。
私と葵は、昔からよく一緒にお風呂に入っているから、特別なことではないのだけど。
(…せっかく、陽花里と…キス…できるところだったのに…)
彼女との短い逢瀬を邪魔されてしまった私は、少し膨れていた。
彼女、といえば、今一緒にお風呂に入っている葵も私の彼女、ではあるのだけど。
(でも)
葵の唇を見ても…キスしたい、という衝動が湧いてくることはない。同じ彼女のはずなのに、この違いは何なのだろう?
(昔から…生まれた時から、一緒にいるから、かな)
そう思う。私と葵はふたごで、お互いがお互いにとって大事な存在で、私は葵のことが好きで、大事で、大好きで。
いまは彼女…なんだけど、やっぱり、それでも。
(家族)
そうなんだ。やっぱり、そうなんだ。
私は、葵が好き。この気持ちに嘘はない。嘘はないけど…それでもやっぱり、愛情よりも、親愛の方が勝ってしまっているのだと、実感してしまう。
だって。
(陽花里)
もう一人の彼女のことを想うと、胸の鼓動が早くなって、それに…下腹部のあたりがじんわりと暖かくなっていくのが、分かるから。
「あー、凛、もしかして今…」
興奮、してる?
泡をお湯で洗いながらした葵が、私を見ながら悪戯っぽい声でそう言ってきた。
「何いってるの、葵?」
「私の裸みて、興奮してたでしょ?」
「馬鹿言わないの」
生まれてから今まで、なんど葵の裸を見てきたと思っているの?
それこそ数えきれないほど見てきたし…それに、葵と私は、ふたごだ。鏡に映る自分の裸を見ていたら、それはすなわち、葵の裸を見ているのと同じようなものだ。
「今さら葵の裸をみて、私が興奮するわけないでしょう?」
「そうなんだ」
「そうよ」
「…私は、興奮するよ」
葵は湯船に洗面器をつけると、お湯をすくい、そのまま私にお湯をかけてきた。泡が流され、私の生まれたままの姿があらわになる。
「私は…凛の裸見ていたら…興奮する」
「何を馬鹿なことを…」
「だって私、馬鹿だもん」
からん。
葵が手にしていた洗面器が、お風呂場の床に落ちる音がした。
「凛のことが…好きなんだもん。ふたごなのに、同じ身体なのに、我慢できないんだもん」
「葵…」
「馬鹿だって分かってるよ。でも、仕方ないじゃない…この気持ちはとめられないんだから…だから、凛が…」
期間限定とはいえ。
「私を…凛の彼女にしてくれたのが…嬉しかったの」
葵が、迫ってくる。
裸のままで、お湯で濡れた身体のままで。
私の手をとって、自らの胸に当てる。心臓がうごいているのが分かる。
「私のドキドキ…伝わってる?」
葵の告白。
変だけど、いびつだけど、それでも真摯な告白。
どう答えればいいのだろう。
私は逡巡しつつ、それでも、何かを言わなくちゃ、と口を開きかけた時。
お風呂場の扉が、開いた。
外の風が中に入ってくる。
葵が、まっすぐにその開いた扉を見つめていた。そこに浮かぶ表情は…私には推し量ることが出来なかった。
私は振り向き。
そして。
心臓が、跳ねる音を聞いた。
「ひ、陽花里…」
「私も…一緒に入る」
そう言いながら、恥ずかしいのだろう、顔どころか耳まで真っ赤に染めて、陽花里が、一糸まとわぬ姿で、中に入ってきた。
(はだか)
(陽花里の、はだか)
(はじめてみた)
お風呂場だから当然だ。お風呂場に服着て入ってくる馬鹿はいない。
けど。
でも。
心臓が張り裂けそう。心臓が耳の後ろにあるみたい。
どくどくしている。ドキドキしている。
(胸)
大きい。
陽花里、ちっちゃいのに。いつも並んで歩いていて、視線が私より頭一つ分下にくるのに。
なのに、私よりも、葵よりも、大きい。
小さい体に、大きな胸。
そのアンバランスさに、私の脳みそは焼け焦げになりそうになる。
自然と、見てはいけないと思いつつ、脳がそう指示を出しているのを感じつつ、それでも視線が下に向かってしまう。
つるつるな肌。
綺麗な肌。
お湯が、跳ねてる。
(おへそ)
見ちゃった。陽花里のおへそ、見ちゃった。
あ。
後ろに、私の後ろに葵がいるのに。さっきまでずっと葵の裸もおへそも全部見ていたのに。
違う。
どうしてこんなに…私、動揺しているんだろう。
息が聞こえる。
私の息。私、自分で自分の息が聞こえるくらい、息が荒くなっている。
視線はそのまま、下に、見ちゃいけないのに、下にいって。
見てしまう。
(ない)
陽花里の髪の毛はふわふわした綺麗な栗色で。私はその髪の毛が大好きで。栗色の陽花里の髪の毛が、本当に好きで…
「…あんまり見ないで…」
陽花里は消え去りそうなか細い声でそういうと、くるりと背中をむけて、ぺたんとお風呂場の床に座った。
すごく、勇気を出してきたんだろうな。
小刻みに震えている肩を見ていて、そう感じる。
「凛ちゃん…洗って」
私を、綺麗に。
葵さんに…していたみたいに。
陽花里がそう頼んできて、私はボディソープを手に取ると、陽花里を泡だらけにする。心臓ばくばくさせながら、手を触れる。
私の手が触れると、陽花里はぴくっと動く。それを見て、「あ、ごめん」と私は言って、手を止める。
そんな時間が続いて。
私が動かないのを見て、私の後ろにいた葵が、私にお湯をかける。
「凛…身体、冷えるから」
「うん、ありがとう、葵」
「しっかり、ちゃんと、ね」
「…うん」
ごしごし。
つるつる。
私は陽花里を洗い、葵は私を暖めてくれて、のぼせそうになる。
この空気に、頭がくらくらする。
ぼーっとして。
真っ白になって。
まるで、夢の中みたいで。
小さい湯船に入る。
3人では狭すぎるから、身体が密着してしまう。
私の後ろに、葵。
私の前に、陽花里。
2人の彼女に囲まれて、肌が密着して、吸い付いてしまいそうで。
柔らかくて、暖かくて。
心臓、鳴りっぱなしで。
それからお風呂をあがって着替えてベッドに横たわるまでの記憶が、私から綺麗さっぱり抜けてしまったのだった。
■■■■■
電気を消す。
暗くなる。
ベッドの上は、私と陽花里。
その下にひかれたお布団の上に、葵。
ここ最近の私たちは、こんな感じで寝ていた。
先ほどまでお風呂に入っていたから、身体がぽかぽかと暖かい。3人が3人とも、同じ匂いがする。同じシャンプーをつかって、同じボディソープを使った。3人で洗いあって、3人で綺麗になった。
(まだ、心臓、止まらない)
いや、心臓止まったら大惨事だけど。死んじゃうけど。
でもさっき…本当に…死ぬかと思ったけど。
ベッドの上でぎゅっと私にしがみついてくる陽花里の存在を感じ、その匂いを感じて、何とも言えない気持ちになる。
窓は閉めているから、風は入ってこない。
私たち3人の匂いだけが、この部屋の中を循環している。
「…凛」
声がした。
葵の声。
気が付くと、葵が布団から起き上がり、ベッドの上で寝ている私を陽花里を見ていた。私の彼女が…私を見ていた。
「なに、葵」
「凛と陽花里、もう」
キス、したよね?
葵は、小さな声で、そう聞いてきた。
陽花里が私の手の中で、びくっと震えるのが分かった。私はそのままぎゅっと陽花里を抱きしめると、葵の問いに答えを返す。
「うん。したよ」
「…何回?」
「何回も」
「…そう」
葵の声。
今まで聞いたことがないような、いろんな感情が込められた声。
私の大事な…ふたごの声。
「凛」
「なに、葵」
「お願いがあるの」
「うん」
「聞いてくれる?」
「なんでも、きいてあげる」
私にできることなら、なんでも。
嬉しい。
葵はそういって、そして。
私に、私も思っていないようなことを、お願いしてきた。
「キス、見せて」
「…!?」
「凛と…陽花里が…キスしてるところ…みたい」
何を、言うの?
何を、言っているの?
それは…本気、なの?
「うん。本当」
「お願い」
「凛」
「お願い」
「陽花里」
葵が言って、私と陽花里は、お互いを見つめあって、こくん、と頷いて、そっと身体を起こす。
ベッドの上に2人で座る。
見つめ合い、手を伸ばし。
陽花里の髪の毛に触れる。いつもどおり…ふわふわ。
唇を近づける。
陽花里の匂いが、より強く、届いてくる。
震えている。
葵。
私の、大事な、ふたご。
私の…いまの…もう一人の…恋人。
(ごめんね)
唇と唇が、触れあう。
陽花里の濡れている唇が、私を濡らしていく。
私も同じように…陽花里を濡らしていく。
もっと。
中に。
葵に見られている。
それが、私を、もっと大胆にさせた。
私の全部を…綺麗なところも、汚いところも、隠すことなく、あまねくすべてを、葵に…見てもらいたい。
見て、知ってもらいたい。
陽花里の中に入って。
陽花里も、私の中に入ってくれて。
柔らかい味がお互いの口内を行き来して。
濡れた口の中の暖かさで頭の奥まで痺れてきて。
それがさらに、スイッチとなって。
お互いを、激しく、求め合う。
私を、陽花里に。
陽花里を、私に。
欲しいから、もらって。
あげたいから、あげる。
どろどろになって。
混ざり合って。
境界線が無くなって。
「…それが、恋人同士の、キスなのかぁ」
涙。
陽花里とキスを求め合いながらちらりと横目でみた葵は、涙を流していた。
それは綺麗な一筋で。
零れた後が口元まで線を引いていて。
葵は、私の彼女は、期間限定の、私の彼女は。
ぺろりと舌を出すと、その涙をすすって。
笑みを浮かべた。
「…理解した」
それは、私の知らない、
役者の表情、だった。




