第31話 キスにはまる
陽花里と腕を組んで、街中を歩く。
8月の正午に太陽は高く頭のはるか上にあり、さんさんと照らすその光は暑く私たちを照らしていた。
(…暑いのは、8月だから)
ちりちりと肌が焼かれる感触を感じながら、自分でそう思い込む。
たしかに、太陽は暑い。風も吹いてきていないし、人ごみの中を歩いているから、暑さが増しているのも理解できる。
でも、本当に暑い理由は、太陽とは別のところにあった。
(陽花里の手)
私をぎゅっと掴んでいるその手が触れている箇所が、太陽よりも暑く感じられていた。ドキドキ、していた。
今朝、私たちは、初めてキスをした。
生まれて初めての、恋人同士の、キス。
(柔らかかった…)
陽花里の唇の感触を思い出してしまう。隣を見る。手を組んで私の隣を歩いている陽花里を見る。デートの為に、ベージュ色の、フリルが重なるワンピースを着ている陽花里。いつも以上に、ふわふわの栗色の髪の毛が揺れていた。
楽しそうにおしゃべりしている私の彼女。
私の視線は、いつの間にかその唇へと向かっていた。
(あの唇が)
私の唇に、触れたんだよね。
薄いリップの塗られた唇が、潤いをたたえ、何ともいえない色香を放っているように感じる。
「…凛ちゃん?」
そんな私の視線に気づいたのか、陽花里が私を見上げて語り掛けてきた。唇が動く。瑞々しく、ぷるんとしている。
「あ、ごめん、ちゃんと聞いていたよ、陽花里」
「本当に…?」
「ほんと、本当」
嘘。
本当は聞いていなかった。声は耳に入っていたけど、それが私の脳に届いてはいなかった。
私はずっと、陽花里の唇だけを見ていた。
どうしたんだろう。
私、いったいどうしちゃったんだろう。
「凛ちゃん」
「なに、陽花里」
「凛ちゃん、さっきからずっと…私の唇ばかり、見てるでしょ?」
「そんなこと…」
ないよ、と言おうとしたけど、いえなかった。
だって、陽花里の言った通りだから。さっきからずっと、私、陽花里の唇ばかりみていたから。
私はこくんとうなづき、そして恥ずかしくなって視線を逸らした。
気づかれてた。
やっぱり、バレバレだった。
そりゃそうだよね、と思う。朝からずっと…そのことばかり、頭の中をぐるぐるしていたんだもの。
勉強なんて手につかなかった。覚えていたこと、全部忘れてしまっていた。
(ううん。いっこだけ、覚えていることあった)
陽花里の唇の感触。
せっかく頑張る私の姿が好き、って陽花里が言ってくれたのに、これじゃ呆れられて私の事好きじゃなくなってしまうかもしれない。
「…私も、だよ」
ぼそっと、声がする。
透き通って、少し震えた、陽花里の唇から漏れてきた声。
「私も…って?」
「私も、凛ちゃんと同じ…」
さっきからずっと、朝のキスのことばかり、考えてた。
恥ずかしいから、そんなことばかり考えてるって凛ちゃんに気付かれないように、間を埋めるようにずっとおしゃべりしていたの。
「ふーん…そうなんだ」
「そうなの…私、こんな子なの…」
「…」
「…」
沈黙が流れる。
道行く人たちはこんな私たちに気を遣うわけもなく、無言であったり、友人と話ながらであったり、スマホをいじったりしながら、すれ違っていく。
暑い。
8月の外は、暑い。
汗もだらだらかいてしまう。
握られた手に汗がにじんでしまう気がして、私の汗で陽花里を濡らしてしまうのが悪い気がして。
それを言い訳にして。
「涼しいところ、行こうか」
さも気を使ったように、提案をする。
デートだから。恋人同士のデート中なんだから。涼しくて、ちょっと休憩できる場所によるのなんて、当たり前だよね。普通、だよね。
「…うん」
陽花里がうつむく。耳まで真っ赤になっている。
「どこ、寄る?」
「…2人きりになれる場所、がいい」
恥ずかしがりながらも、自分の中にある欲を、陽花里は隠そうとはしない。私に全部、さらけ出してくる。
「じゃぁ…カラオケにでも、行こうか」
「…うん」
太陽は空で燦燦と輝いていて、容赦なく私たちを焼いてくる。
空気は乾いていて、街はうるさく、人の流れは止まることが無い。
私たちは喧騒をさけて、2人だけの静かな世界を…目指すことにした。
手を握りながら。
想いを寄せ合いながら。
■■■■■
幕間① 彩瀬色葉の場合。
「紫苑、紫苑、紫苑、紫苑、紫苑」
「紫苑紫苑紫苑紫苑紫苑」
「しおん」
どこにいるの?
どうして、私から離れたの?
あそこなら、安全だったのに。
2人きりだったのに。
静かだったのに。
人込みから隔絶されて、私と紫苑だけの世界がやっと訪れていたのに。
(紫苑の才能)
(太陽みたいな、ギラギラした才能)
(実際に、私の脳を焼き尽くし、燃やし尽くし、消し炭みたいにした暴力的な才能)
私はその才能に恋焦がれていた。
愛していた。
むしろ憎しみすら覚えるくらい、愛していた。
(紫苑を)
(この才能を)
(とめどなく溢れてくるプロミネンスみたいな才能を)
世の中に放つ。
私と同じように、私がされたみたいに、私が望んだみたいに。
世界中の全ての人の脳を焼き尽くす。
それが私の願い、だと思っていた。
その為に家を出た。
我が家の力を使った方が、より効率的に紫苑を売り出せるとは分かっていたけど。
(私がやりたかった)
(私だけの力でやりたかった)
(私以外に紫苑の才能を弄んでもらいたくなかった)
順調に進んでいたはずだった。
少しずつ、少しずつ、私たちは有名になっていた。
金色の闇、という名前が、私たち2人のバンド名が、世の中に浸透していくのは悦びだった。
(間違ってなんかいない)
(私たちは…私は、正しかった)
それなのに。
いったいどこで、ずれが生じてしまったのだろう。
いつ、完璧だった歯車は狂ってしまったのだろう。
(金色の闇は、解散します!そして私たち4人で、新しいサークルを立ち上げます!)
あの時だ。
紫苑が、凛と陽花里の2人を引き連れて、紫苑のボロアパートにやってきた時だ。
(凛のことは嫌いじゃない)
(陽花里のことも嫌いじゃない)
むしろ、2人ともに、好感を持っている。
いい子だな、とも思っている。
一緒にいるぶんには、私たちの、私と紫苑の邪魔をしない限りは、まったく問題なんてありはしない。
カラオケ。
あの夜、4人でカラオケにいった時。
(凛、好きだよ)
(紫苑さん、他人の事好きにならない、って言ってませんでした?)
(うん、好きにならない、だからこの感情が何なのか、本当は分からない)
(でも、ぞくぞくするんだ。私をこんなにぞくぞくさせてくれるのは…凛だけなんだ)
紫苑が、そう告白し、
(初恋って、実らないんですよ…大抵は)
(私、陽花里とつきあってみることにします)
凛は、こう断った。
本当は、陽花里より、紫苑に惹かれていたくせに。
他の誰にも分からなくても、私にだけは分かる。
世界で一番、私が紫苑に惹かれていたんだから。
紫苑の才能に脳を焼かれていたんだから。
どうして、自分を、自分の心を騙そうとしたの、凛?
あの日以来、紫苑は壊れてしまった。
失恋したから、じゃない。
自分が恋をしたと、恋ができたのだと…恋をする普通の女の子なんだと、紫苑が知ってしまったから
紫苑が才能に満ち溢れていたのは、紫苑が壊れていたからだ。
ただしく狂っていたからだ。
自分には何もないから、渇望するから、手を伸ばすから、その想いが周囲を焼き尽くしていたんだ。
もともと壊れていた紫苑が…あらたに壊れてしまったら…壊れた箇所が、壊れてしまったら…
普通になってしまった。
弱くなってしまった。
歌えなくなり、何もできなくなり、私にかくまわれて、暗い部屋の中で震えていて。
(…可愛かったなぁ)
初めて、私は紫苑を手に入れた、と思えた。
紫苑の才能の奴隷となって悦んでいた私は、才能を失い、むき出しの生身となった紫苑をやっと包み込むことが、抱きしめることができたんだった。
(私は、紫苑の才能を世の中に広めるためだったら、何だってする)
そう思っていた。
嘘だった。
私はただ。
紫苑が、欲しかっただけなんだ。
「紫苑」
「どこにいるの、紫苑」
「どこに行ったの、紫苑」
「私を置いて…」
影を求めて街中を歩き回る。
冷たい。
寒い。
8月の外は暑いはずなのに、私は寒い。
太陽の表面、温度が低い場所が、黒点になるという。
私は、黒点になっていた。
寒くて、震えて、そして。
太陽を…私だけの太陽を探すだけの、黒点に。
■■■■■
カラオケに入る。
部屋に入る。
私と陽花里はお互い黙ったまま、口も開かず、部屋の中で隣通しで座った。
ワンドリンク制だから、何か頼まないといけない。
陽花里とみると、こくんとうなづいた。
タブレットでお酒を注文する。
昼間からお酒…私たちもずいぶん、駄目な大人になってしまったんだな、と実感する。
店員さんが来るのを待つ。
待つ間、その沈黙を埋めるように、歌を予約していく。
歌うため…じゃない。
私と陽花里はカラオケ店に来たけど、歌うために来たんじゃない。
2人きりに、なりたかったから。
他の人に、見られたくなかったから。
だから、早く店員さんがお酒を持ってきてくれないかな、と渇望する。
店員さんは、一度は、絶対に部屋にくる。注文された品を届けないといけないから。
一度来たら…あとは私たちが部屋を出るまで、清算するまで、呼ばない限りはもう入ってこない。
呼ぶつもりもない。
沈黙。
予約した音楽が流れるまで、私も陽花里も何もしゃべらなかった。ただ、視線をあわさず、手だけ握り、その手をぎゅっぎゅっとして、そこに相手がいるのだと感じていた。
「失礼しまーす」
軽い声で、店員さんが入ってくる。
私たちは、手を握ったまま。
見られているだろうし、女の子同士で手をつないでいるのを見て、何しているんだろう、って思われているかもしれない。普通なのかな?女の子同士で2人でカラオケに来て手を握っているなんて、普通なのかな。
なら店員さんも、不思議には思わないかな。
「ジントニックと、カルアミルクです」
店員さんはそういうと、カクテルを置いて「失礼しましたー」と言って部屋を出ていった。
いま、カラオケの個室の中で、ようやく私と陽花里は2人きりになれた。
テーブルに置かれたカクテルには目を向けず、私は陽花里を抱き寄せた。
陽花里は抵抗することなく…むしろ自ら、私に身体を委ねてくる。
「陽花里…」
「凛ちゃん…」
手を、陽花里のふわふわした栗色の綺麗な髪の毛のうしろに回すと、陽花里をこちらに向かせる。
薄暗い照明の中で、陽花里の顔が赤と青色に照らされる。
いつもより、少し神秘的な感じがした。
まつげ、長いな、と思う。
触れている身体が、2人ともドキドキと脈打っているのが分かる。
唇を見る。
濡れてる。
「ごめん陽花里、私、もう我慢できそうにないの…」
「…我慢しなくていいよ」
私だって、したいもん。
凛ちゃんと…キス、したいもん。
私の理性が砕ける音が聞こえた気がした。
陽花里の唇を、私の唇に、よせる。
陽花里は、目を閉じなかった。
今からキスされる自分を実感しながら、今からキスをしようとする私を見つめていた。
見られても、私は、
止まらなかった。
「陽花里」
「凛ちゃん」
唇が、触れる。
暖かくて、柔らかくて、濡れていて、陽花里の味がする。
気持ちいい。
痺れそう。
愛おしい。
好き。
その気持ちを、口に出すのではなく、声に出すのではなく、唇と唇を重ね合うことで、直接相手に届けていく。
私は、こんなに陽花里のことが好きになってしまったんだよ。
私も、もっともっと、凛ちゃんのことが、大好きになっちゃった。
して。
したい。
してほしい。
してあげたい。
私は陽花里を求めて、陽花里も私を求めてくれる。
それがとっても…気持ちよかった。
頭の奥が真っ白になる気がして、聞こえてくる心臓の音がどちらの心臓が発しているものなのかも分からなくなる。
私たちは混ざり合い、溶けあい、そして。
先ほど予約した曲が流れてきた。
心臓の音と一緒に耳に入ってくる。
何度も、聞いた曲。
陽花里が大好きで、私が…求めている曲。
紫苑さんの曲。
色葉さんと紫苑さんがつくった、金色の闇の曲。
もう二度と…作れない曲。
そんな2人の才能の残滓の曲を聞きながら。
私と陽花里の2人は、お互いをずっと求めあっていた。
とっても。
気持ち、いい。
■■■■■
幕間② 葵
「あれ?今日は詩織さん、稽古にきていないの?」
「なんかしばらく休むって連絡があったみたいですよ」
「そうなんだ…めずらしい」
発声練習と腹式呼吸の練習をある程度終わらせた後、詩織さんの姿がみえないことに気づいた私は他の劇団員に尋ね、そう答えをもらっていた。
(病気でもされたのかな)
心配。
詩織さんがいることはあまりにも当たり前の光景になっていたから、その不在に違和感を感じてしまう。
ぽっかりと穴があいたみたい。
太陽に出来た…黒点みたい。
(稽古が終わったら、ちょっと詩織さんのお店に顔出ししてみようかな)
詩織さんは自分のお店を持っていて、そこはお店兼自宅でもあるので、何度か行ったことがある。
お土産でも買って、少しだけ詩織さんを見ていこう。
(それから…遅くなるけど)
(凛の家に)
(行こう)
本当はすごく遅くなりそうだから、今日は凛の家に行くのはやめておくかな、と思っていたのだけど。
(でも、会いたい)
凛が私と恋人でいてくれるのは期間限定なんだから、その貴重な時間を少しでも無駄にしたくなかった。
(今頃、凛と陽花里…部屋で2人でいるんだろうな)
そう思うと、やっぱり胸が、ちくりと痛む。
(私がいない間、陽花里とえっちしていてもいいからね)
今朝、家を出る時、あんなことを凛に言ったけど…でもやっぱり、嫌、だなぁ。
凛と陽花里がえっちしているところ…想像したくないなぁ。
(…今夜、私、帰らないって思っているだろうから)
もしかして、本当に、2人がえっちしているところに…遭遇してしまうかもしれない。それは…辛い。
想像するだけで、心臓が無くなってしまいそうな気分になる。
「葵さん、顔色悪いですよ?」
「あ、ごめん、大丈夫だよ。ちょっと考え事していただけ」
「そうなんです?」
「うん、平気平気」
「よかった…最近の凛さん、なんか神懸っているから、何かに憑かれているのかと思いまいしたよ」
「あはは。そうかな?」
後輩の劇団員からの心配と賛辞を両方受け止める。
自分で言うのもなんだけど、最近の私は、すごい。
凛と付き合えているのだと思うだけで、無限に力が湧き出てくる。
「よーし、かぐや姫、頑張っちゃうぞー!」
「頑張ってくださいね、葵さん!」
今回は詩織さんから役奪ったんですから、と劇団員にいわれる。
そうなのだ。
いつも詩織さんが主役だけど、今回は私が主役。
8月末の公演。
ちょうど…私と凛との、期間限定の恋人関係が終わる時の、公演。
「悔いのない、最高のかぐや姫に、するんだから」
私の集大成。
私の全部を、出し切ってやる。
かぐや姫。
かぐや姫の物語の最後は、月に戻る。
愛を手にすることはないのだ。
…まるで私みたい、と、思った。
皮肉、だね。
■■■■■
夜。
私の部屋。
カラオケから帰って、2人で食事して、片づけして、テレビ見て、テレビ消して。
私が先にお風呂にはいって、その後、陽花里がお風呂に入る。
葵とはよく一緒に入るのだけど…陽花里とは、恥ずかしくてできない。
時計を見る。
もう遅い。
今日、葵、稽古に行くって言っていたな。
帰ってくるかな。
こないかな。
音がした。
陽花里がお風呂から出た音。
寝間着姿の陽花里。
ピンク色の寝間着。
陽花里のほっぺと同じ色してる。
ちょこん。
陽花里が、私の隣に座った。
私はベッドの上に腰掛けていたから、2人とも、ベットの上に腰掛けている状態になる。
湯上りの陽花里は暖かかった。
いい匂いがする。
私が使っているシャンプーとボディソープの匂い。
私と、同じ匂い。
「そ、そろそろ寝ようか」
「うん…」
「もしかしたら、葵、帰ってくるかもしれないし」
「そ、そうだね」
お布団、敷いておく?
陽花里が聞いてくる。
葵が帰ってきたら、すぐに横になれるように、という気遣いと共に、私と同じベッドでは眠らせない、という私に対する独占欲を隠そうともしていないのが、なんとも陽花里らしかった。
「布団は…いいや」
本当に帰ってくるかも分からないし。
ここ、私の家なんだけど…葵、わりと自由気ままに使っているし。
「電気、消すね」
「うん」
暗くなる。
もう月明りしか見えない。
なぜか、どきどきする。
すぐに横には…ならない。
「凛ちゃん」
声がする。
声を…待っていた。
「おやすみのキス…したい」
「うん」
私も。
したかった。
月明りが差し込んでくるベッド上で。
私は、陽花里の唇にそっと唇をよせる。
今朝、初めてキスしたばかりなのに。
もう…何回目になるのかな。
だって、するたびに、気持ちよくて、もっと好きになるんだもん。
私、こんなに、馬鹿、だったんだ。
抑制。
抑制、しなくちゃ。
流されないぞー。
唇を離し、陽花里をみつめる。
ぽぅっとした顔。月明りしかないのに、顔が真っ赤になっているのがよく分かる。
「凛ちゃん」
「もう一回」
「して」
「…うん」
こうして。
私たちが寝るのは、もうちょっと、遅くなってしまったのだった。




