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恋を失った私と、恋を知らない彼女  作者: 雄樹
第二章 恋を知らなかった貴女が…
29/45

第29話 幸せな朝。

 幸せ、というのはどういう状態のことをいうのだろう。

 人それぞれ、幸せの定義は違うだろうし、時代や場所によっても変わってくるとは思う。

 けれど。


「…う…ん…」


 朝、目が覚めた時、一番最初に目に入ってくるのが恋人の姿だったというのを、幸せと呼ばずして何と呼べばいいのだろう。

 8月の朝陽が部屋に入り込み、壁を白く照らしている。

 薄手の肌掛け布団の感触が心地よく、私は光を感じながら、ゆっくり目を開けた。


(…陽花里?)


 目の前で、すぅすぅと穏やかな寝息を立てて眠っている陽花里の姿が、そこにあった。近い。距離が、近い。

 同じベッドの上で、同じ肌掛け布団をかぶり、同じ空気を吸いながら彼女はそこで眠っていた。


(…)


 頭を働かせる。少し、痛い。お酒が入っているみたいだ…20歳を超えてから、お酒を飲むことが多くなったな、と思う。二日酔いになるたびにもう二度と飲まないと心に誓うのに、結局、その誓いが守られたことはないのだった。


(…そうか、昨夜は…)


 3人でトマト鍋を食べて、お酒を飲んで、楽しんで、それからいつの間にか…寝てしまったのだった。


「……ん」


 陽花里が少し動く。その顔を見ながら、まつげ長いな、と思う。ほっぺたが柔らかそう。手を伸ばせば届く位置で眠っている彼女にそっと手を伸ばす。

 暖かい。

 裸、じゃない。ちゃんと寝間着を着ている。同じように、私も寝間着を着ていた。お酒に酔いながらも、普段着でそのままベッドに倒れこむなんてことはしなかったみたいだった。


「陽花里」


 小さな声で名前を呼んで、そのまま布団をかぶったままで、そっと抱きしめた。

 陽花里が息をするたびに、身体が少し動き、その動きが私に伝わってくる。

 小さな身体は抱きしめるのにちょうどいいサイズで、抱き枕みたい、と恋人に対して少し失礼な感想が頭に浮かんできた。


「ひかり」


 もう一度、名前を呼ぶ。

 暖かくて、幸せ。

 心の奥が、溶けていくような気がした。

 だんだんと、少しずつ、この子のことを好きになってきているのが分かる。昨日より今日の方が好きになってきているし、おそらく、明日は今日よりももっと好きになっているだろう。


(ゆっくりと、でいいよね)


 焦らなくてもいい。私の、私たちのペースで、少しずつ恋人になっていけばいいんだ、と思う。

 それにしても…可愛いなぁ。

 よく寝てる。安心しきっている。


(…舐めて、ほしいな)


 陽花里を見ていたら、そんな思いが頭に浮かんできてしまった。陽花里は私の首筋を舐めるのが癖になっているのだけど…私も、舐められるのが好きになってきていたのだった。

 ちょっとだけ、なら。

 私より小さい陽花里。

 その頭の後ろ、ふわふわの髪の毛の後ろにそっと手を回し、 ぎゅっと抱き寄せて、引き寄せる。

 陽花里の口元が、ちょうど私の首筋に当たるくらいに。


(…私、ちょっと…変かも)


 自分の欲の為に、自分の彼女を好きに使っている。でも、いいよね。恋人同士、だしね。

 陽花里の寝息が、首筋に当たる。

 舐められているわけじゃないけど、ぞくぞくってした。

 甘い息が首筋を撫でるたびに、陽花里のあの小さい舌先の動きを思い出してしまい、なんともいえない気持ちになる。


「ふふっ」


 嬉しくなって、調子に乗ろうとした。

 よく寝ている陽花里を起こさないように、ちょっと悪戯をしようとした時。


「おはよう、凛」


 頭の少し上から、声がした。

 悪いことをして教師に捕まってしまった生徒みたいに、おそるおそる振り向いてみると、そこには私のふたご、葵の姿があった。


「朝から…いちゃいちゃしてるじゃない」


 口調が少し厳しい。というか、寂しそうだった。

 葵は寝間着姿ではなく、もう普段着に着替えていた。Tシャツにスキニーデニム。動きやすい恰好をしている。


「…私だって…凛の彼女、なのに」


 私と陽花里が寝ているベッドの横で、葵は1人、立っていた。見てみると、ベッドの下に布団が敷いてある。一応、1人暮らしをしていた私の使っているベッドはシングルベッドなので、3人並んで寝るには狭すぎるので、葵だけ別になって寝たんだったよね、と寝ぼけ頭で思い出してきた。


「凛…私も」


 かまって、欲しい。

 小さくそう言うと、葵はかがんで、顔を私に近づけてきた。

 綺麗な顔。

 ふたごだから、基本的に私と同じ顔なんだけど…ということは、私も綺麗な顔をしている、という事になる。照れる。


 私はベッドの上で横になりながら、そのままくるりと身体の向きを変えた。

 背中に陽花里を感じつつ、目の前でベッドの脇でしゃがみ込んでいる葵の姿を見る。


「葵も、おいで」

「…うん」


 嬉しそうに顔を近づけてくる。

 あ、キス、されるのかな、と思った。

 私と葵はキスをしたことがある。それは学生時代の戯れで…葵はともかく、私は何も感じずにしていたキスだったのだけど。


(今は、期間限定とはいえ、恋人同士だから)


 キスは、特別な意味のものに変わる。

 …

 私、まだ、陽花里とキス…していない。

 だから、このまま葵とキスをするのは…


「…ん」


 私の想いを感じたのか、ちょっとだけ葵は寂しそうな表情を浮かべると、唇ではなく、私の首筋にそっとキスをしてきた。

 そして、


 ぺろ。


 舐めてくる。陽花里みたいに。


「えへへ。先にマーキング、しちゃった」


 葵はそう言うと、立ち上がって背伸びをした。

 窓から差し込む光があたって、葵の身体のラインがはっきりとくっきりと見える。純粋に、綺麗だな、と思った。


「じゃぁ私、先に出るから、凛は陽花里と一緒にゆっくりしていて」

「…もう出るの?」

「夏休み中の大学生様と違って、役者志望のバイト生にはシフトというものがあるんだよ」


 少し皮肉が籠っているけど、でもカラっとした雰囲気で葵は言った。

 そして、軽くウィンクをしてくる。


「最近、私、調子いいんだ」

「調子いいって?」

「なんか、こう、指先の動きまで、全部頭のイメージ通りに動くっていうか…」


 無敵、っていう気がする。

 好きな子の彼女にしてもらったからかな。


 葵は腰に手を当てると、身体を右と左に揺れ動かす。


「夕方までバイトして、それから今夜は稽古してくるよ。月末の公演も近いし」

「葵、今度は何をやるんだっけ?」

「かぐや姫」


 ちゃんと黒髪のカツラ被るよ?今みたいなショートカットじゃなくね、と言いながら葵は笑う。


「私、今なら最強のかぐや姫を演じることが出来ると思う」

「すごい自信」

「凛のおかげだよ」


 凛が、私の彼女になってくれているって思うだけで、私はなんにでもなれるんだ。

 凛のことを想っていたら…心の中にぽっと蒼い炎が湧き上がってきた気がして、身体中が熱く燃え上がるんだ。


「最高のかぐや姫やるから、凛、身に来てね」

「もちろん」

「やった!」


 嬉しい。そう言いながら、葵はちょっとだけ、照れくさそうに頬に指をかける。そして、視線を私には合わせずに、壁を見ながら、ぽつりとつぶやく。


「…だから、凛から、頑張れ、って言ってほしいな」

「私から?」

「うん。彼女から」


 彼女からの応援が、私を強くしてくれるんだー。彼女から、ってのが大事なんだよ?と葵が言う。私は少し、おかしくなる。

 そんなに彼女彼女って強調しなくても…


(あ)


 期間限定、だからか。

 だから、今の間に、たくさん声をかけて欲しいのか。


「葵」

「うん」

「頑張れ」

「…うん」


 ちくり、と、胸が痛む。

 嬉しそうな葵を見ていて、私の中の何かが動く。いいのかな、と思い、いいのだろう、と納得させる。

 今想っていること。

 今感じていること。

 それをちゃんと、伝えてあげよう。


「葵」

「…うん」

「好き、だよ」

「やったぁ!」


 笑う。

 キラキラって、笑う。

 その姿が本当に輝いて見えて。

 私には少し…眩しすぎるような気がしてしまう。


「朝ごはん、作っておいたから、あとで陽花里と一緒に食べておいてね」


 葵はそう言いながら、肩にスポーツバッグをかついで、玄関へと向かっていった。

 私はまだベッドの中に横たわったまま、背中に陽花里の寝息を感じながら、手をふった。


 葵は靴を履いて、とんとんってして、そして一回だけ振り向いた。


「私がいない間、陽花里とえっちしていてもいいからね」

「しないわよっ」


 たぶん。


「いってきますー!」


 元気な葵の声がして、そして扉が閉まる音が聞こえた。


 時計を見る。

 まだ早い時間。

 …私も陽花里も大学生で、今は夏休み中だし、バイトもしていないから、焦る必要はまだない。もう少しゆっくり、このぬるま湯みたいな時間を楽しもう。


 長い人生の中で、こんなに贅沢な時間の使い方ができる時期なんて…もう二度と訪れないかもしれないのだから。



「ふふ」


 もう一度、ベッドの中で、身体の向きをかえる。

 陽花里と向き合う。

 私の…小さな可愛い彼女と、向き合う。


「よく寝てる…」


 可愛い。

 まだ起きない。すぅすぅって寝息。気持ちよさそう。

 眠り姫は、キスしたら目を覚ましてしまうかもしれない。

 だから、まだ気持ちよく寝てもらうために。


「…陽花里」


 私は、その柔らかい頬っぺたをつつきながら、その後、ちょっとだけ軽く、その頬に唇を当てたのだった。





■■■■■



 空だって飛べそう。

 たぶん飛べる。

 今の私なら、なんだってできる。


 凛のマンションを出た私は、8月の空の下で輝いていた。


 こんなに充実しているのは、生まれて初めてだ。

 こんなに幸せな気持ちになれるのも、生まれて初めてだ。


 たとえ期間限定だといっても。

 8月の終わりまで、もう数週間しかないといっても。


(20年間、ずっと片想いだったのだから)


 凛が、私の恋人でいてくれている、と思うだけで、私は世界で一番幸せな女の子だった。


 肩にかついだスポーツバッグを振り回すような勢いで、私は朝の東京を歩いていく。


 すれ違う人たちがみんな輝いているように見えるのは、たぶん私が太陽みたいに輝いているからだと思う。

 世界は、心の持ちようのひとつで、いくらでも変わってくるんだね。


 幸せ、だね。


 白くて、キラキラしていて、輝いていて。


 そう、思っていたのに。



(…っ?)


 黒点が、見えた。

 太陽に現れる黒点の染みのように、キラキラしているはずのこの世界の中で、そこだけ、光が届かない場所があるみたいに。


 そこだけ、黒点のように、温度が低くなっているみたいに。


 女、がいた。

 背の高い女。

 やつれているようにみえる。


 まるで。


 一晩中…誰かを探して、さ迷い歩いていたみたいに。




 すれ違う。

 思わず、身体を背けてしまった。

 触れると、何か大事なものが、吸い取られるような気がした。


(…?)


 どこかで、みたことがあるような気がする。

 どこだったかな…

 よく見れば、整った顔立ちしていたような気がするし、もしかしたら、印象が変わっているから、気が付かなかっただけかもしれない。


「ま、気にする必要もないか。それより、バイトバイト」


 終わった後は稽古もあるし、月末まで時間はあるようでない。

 この、人生ボーナスタイムを、凛の彼女でいられる時間を、大事に使わないと。


 嫌なものにかける時間なんて、私にはないのだ。



 そう思い、私は前を向いて、輝く太陽の下を歩き始めた。









 彩瀬色葉。


 私の、私たちの運命を変える黒点にこの時すれ違っていたことに。



 私は、気付いてもいなかったのだった。

 


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