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恋を失った私と、恋を知らない彼女  作者: 雄樹
第二章 恋を知らなかった貴女が…
25/45

第25話 誰が彼女をそうさせたか

 飛べない鳥。

 泳げない魚。

 歌えない紫苑さん。


 色葉さんからその事実を知らされた私は、絶句したまま、ただ、陽花里の手を握り締めていた。

 震えている。

 陽花里の、私の彼女の震えが私に伝わってくる。

 ううん。

 震えているのは、私の方かもしれない。私の震えが、陽花里に伝わっているのかもしれない。


(あの歌声を)


 私の心を震わせた、あの唯一無二のほとばしる才能が…私のせいで…消えてしまった、なんて。


「あのね、一応言っておくけど」


 顔を真っ青にして、重く沈んでいる私たちを見ながら、少しため息をつきつつ、色葉さんが語り掛けてきた。


「この件について、凛たちが責任を感じる必要はまったくないんだからね」

「…でも」

「でも、じゃない」


 色葉さんは手を伸ばし、私の額にデコピンをする。

 ぺしっと、いう乾いた音がして、私は額に少しの痛みを感じた。


「紫苑が、勝手に恋をして、勝手に歌えなくなって、勝手に雲隠れしただけだよ。誰が悪いわけでもないし、それでもあえて犯人を仕立て上げないと気が済まないというなら、それは紫苑が悪いだけで、凛や陽花里が悪いわけじゃない」


 キーボードの前に座ったままの色葉さんは、上を、天井をみあげた。

 その姿が綺麗だな、と、こんな時にも関わらず、私はそう感じてしまった。


「本当に…馬鹿なんだから…」


 誰に語り掛けているわけでもない。たぶん、独り言。

 色葉さんは、ここにはいない人のことを想っているのだろう。


「と、いうわけで」


 いったん首を大きく後ろにのけぞらせたあと、反動をつけて色葉さんは私たちの方に身体を向けてきた。

 先ほどまで流していた涙は、もう見えない。

 笑顔を、作っていた。


「この話は、これでおしまい。気にするな、と言ってもどうせ無理だろうから、ならせめて、もう少し時間をおいてあげて。どう?できる?」

「…善処します」


 ここで、はいともいいえとも言えない、玉虫色の言葉しか返せないのが、つくずつ私だよな、と思ってしまう。

 私の不満が表情に出ていたのだろう、色葉さんはゆっくりと、また私の額に向けて手を伸ばしてきた。


(また、デコピンされる)


 そう思い、目を閉じる。

 待つ。

 額に、何も痛みはやってこなかった。


 目を開けると、私と色葉さんの間に、陽花里が立っていた。

 小さい体で、ぷるぷると震えながら、それでも全力で私を守ろうとしていた。


「凛ちゃんを…いじめないであげて…ください…」


 弱弱しい声。

 そもそも、色葉さんは陽花里にとっての憧れの人で。そんな人の前に、私の為だけに立ちふさがってくれている。

 あはは。

 こんな時なのに、私は嬉しくなってしまい、後ろから陽花里を抱きしめた。

 陽花里は力を抜けて、私と一緒に、すとんと椅子の上に座り込む。

 …正確に言うなら、椅子に座った私の膝の上に、その小さな身体を預けてくる形になった。


「凛、いい彼女を手に入れたね」

「私にはもったいないくらいの、いい彼女です」

「凛ちゃんより素敵な人なんて、いないよ…」


 後ろから、ぎゅっと抱きしめてみる。

 暖かくて、柔らかい。ふわっふわの髪の毛が私を包み込んでくれる気がする。


(…いい匂い)


 陽花里の匂い。フローラルな匂い。陽花里のつかっているシャンプーの匂い。その中に少しだけ陽花里の汗の匂いも混じっていて、私の心の奥が、少し濡れそうになる。


「紫苑のことは、私が一番、知っている」


 暗いスタジオ。ついている照明は最低限で、私たち3人の姿はぼんやりとしか見えないかもしれない。

 そんな中で、色葉さんが言葉を続けていく。


「紫苑のいいところも、駄目なところも、駄目駄目なところも、目を覆いたくなるようなずぼらさも、殴ってやりたくなるような無神経さも、性格の悪いところも、放っておいたら三日間何も食べないような生きる気力の希薄さも、全部ぜんぶ、私が一番よく知っているんだ」


 いいところも、と言いながら不満の方がその何倍も出てくるのは、それだけ紫苑さんと色葉さんの付き合いが長いから、なんだろうな。

 文句を言っている時の方が、色葉さん、なんか嬉しそうに見えるから。


「紫苑には才能しかない。私が心から惚れたのは、人生賭けたいって思えたのは、その才能。だから、いま、その才能を失った紫苑に残っているのは…」


 色葉さんは、目を閉じる。

 穏やかな、表情になる。


「何もないから、空っぽだから。むき出しの紫苑しか残っていないから、仕方ないから、昔からの幼馴染の私が、面倒をみてあげるよ」


 だから。

 あなたたちは、紫苑のことは忘れて。

 青春を、謳歌しなさい。


 色葉さんは目を開けると、黙ったままの私と陽花里をみつめて、悪戯っ子みたいな表情を浮かべた。


「凛、もう陽花里と、ちゃんとセックスした?」

「な…っ」


 なんてこと、いうの、このひと。


「その顔は…ほほう。まだしていないみたいだね」

「あ、あの、その、い、いろは、さん?」

「抱きたくないの?」

「いや、だから、その」


 先ほどまでの、あの重苦しい時間は、いったいどこに行ったの?

 色葉さん、あえて話題を逸らそうと、空気を換えようとしてくれているのだとは思うけど…それはそれとして、どうしてこんな話題をふってくるの?


「今だって陽花里のこと後ろから抱きしめているのに、そんなに密着していながら、ムラムラしてこないの?」

「い、色葉さん!」

「…凛ちゃん、そうなの?」

「え、ひ、陽花里?」

「私、魅力、ないかな…」

「そんなことないっ」


 あー、もう。

 なんでこんな場所で、なんでこんな時に、なんでこんなこと言わないといけないの。


「陽花里は十分、魅力的だよ」

「…どれくらい?」

「どれくらいって…」

「…む、ムラムラ、する?」


 陽花里、色葉さんの悪い影響を受けちゃっているじゃないか。色葉さん、ちゃんと責任とってくださいよね。

 そう思いながら、息を吸う。陽花里の匂いを、身体の中にいれる。さっきからずっと、陽花里の匂いに包まれていて、だからかな、変な答えを返してしまったのは。


「ムラムラは…しないけど…」

「…しないんだ…」

「ドキドキは…する」


 胸が、動く。心臓が、ドキドキしている。

 くっついていたら、私の音が、私の心が漏れて伝わってしまいそうで、恥ずかしくて離したくなるけど…でも、やっぱり離さない。ぎゅってする。


「私、ね。陽花里が私を想ってくれているほど、それにこたえられるくらいの想いを、まだ抱けていないんだと思う」


 正直に、離す。


「でも、ね。毎日、ちょっとずつ、少しずつ、陽花里のこと、ちゃんと好きになってきているから、だから、いろいろ、もうちょっと、待ってくれると…嬉しい」


 言いながら、こんな台詞、2人っきりの時に言いたかったな、とも思う。私と陽花里のやりとりをニヤニヤしながら聞いている色葉さんの姿が目に入り、その想いはさらに強くなる。

 どうしてこの人、ここにいるの?と思いつつ、でもこの人がきっかけを作ってくれなかったら、こんな言葉もでなかったんだよな、と二律背反した思いに囚われてしまう。


(そもそも)


 色葉さん、私の気持ち、というか、私が陽花里に抱いている感情をかなり正確に把握しているような節があったし。

 あー。もう。

 紫苑さんを探しにきてどうしてこういう事になったのかは分かんないけど、でも一度動き出した船からは下船することはできないのだから、なら、いけるところまで行ってしまおう。


「陽花里」

「はい、凛ちゃん」

「私ね、陽花里のこと、好き。好きに、なってきてる」

「…嬉しい」

「だから、こうくっついていたら、ドキドキしてくるの」

「私も、凛ちゃんとくっついているだけで、ドキドキするよ」

「…陽花里、は」


 聞いていいのかな。色葉さんもいるのに。

 でも、うん。

 こんな機会、今しかないかもしれないから。

 だから。

 聞いて、しまおう。


「私の彼女、だよね」

「うん。私、凛ちゃんの彼女だよ。凛ちゃんだけの彼女だよ」

「…陽花里の中の彼女っていうのは…」


 どういう、関係?

 一緒にいれるだけで、幸せな関係?

 手を握るだけ?

 キス、までしたい?

 胸、触りたい?

 それとも、その先まで…?


「私は、ね」


 陽花里は私に後ろから抱かれたまま、ゆっくりと身体をこちらに向けて、そして、いつも通り甘えてきて、いつも通り…私の首筋を


 ぺろ。


 と、舐めると、顔をうつぶせにして、耳を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに答えた。


「えっちしたい、って思う方の、彼女」


 こんなに可愛い子が。いつもにこにこ笑っている子が。

 まるで童話から抜け出してきたフランス人形のような、綺麗な子が。


「…時々、凛ちゃんのこと想って、私、自分で、してるの」


 こんなことを言う。

 陽花里が、人間なんだって、感じてしまう。

 偶像なんかじゃない、ドラマの向こうの手が届かない存在なんかじゃない。


 私と同じように、息をして。

 私と同じように、血が流れていて。

 私と同じように、ドキドキして、悩んでいて。

 私と同じように…自分で自分を慰めることがある、普通の女の子。



「はいはい、いちゃいちゃはここまでー」


 ぱんぱんと手を叩きながら、色葉さんが私たち2人を現実へと引き戻してくれた。


 とたんに、くっついているのが恥ずかしくなる。

 私と陽花里はぱっと離れると、視線を合わせるのが恥ずかしくなって、お互い異なる壁を眺めていた。

 それでも、手だけは握っている。

 暖かさとドキドキは、ちゃんと伝わっている。


「紫苑のことを心配するな、っていうのは無理だろうけど、でも、紫苑のことは、しばらくは私に任せてもらえると嬉しいな」

「…はい」


 他に方法があるわけもない。

 私に出来ることがあるわけでもない。

 何かをしてあげたいけど、でも、その「してあげたい」と思うこと自体が傲慢な考え方にすぎないと思ってしまう。


「だから、あのろくでもない女の事はしばらく忘れて…」


 色葉さんは私と陽花里の背中をおして、スタジオの外に連れ出していく。

 その手は、やはり暖かい。

 色葉さんも、ちゃんと人間なんだ、って思ってしま。


「凛と陽花里は、私の見えないところで、ちゃんといちゃいちゃしなさいね」


 そして最後に、とんでもない爆弾だけを残していった。




■■■■■



 スタジオを出て。

 陽花里と一緒に、長い距離をかえる。

 もうすっかり夜。

 あたりは暗い。


 いつもなら先に陽花里のマンションに行くのだけど、今日はなぜか、私のマンションの方に先に来てしまった。


 手はつないだまま。

 心も…つながったまま。


 なんとなく。

 ちょっとそこのコンビニにでも寄る?みたいな軽いニュアンスで。


「…陽花里、ちょっと、私の部屋…寄っていく?」


 と聞いてみる。

 聞いてしまった。


 さっきスタジオであんな話をしていたのに。

 それで部屋に誘うなんて…そんなの、もう。


 誘っているみたい、じゃない。


「…うん」


 陽花里はうつむいたまま、それでもしっかり、私の手を握り締めていた。

 心臓が血を流し、それが全身に伝わり、手のひらを通じて私と陽花里の血管まで繋がっているような気がする。

 ドキドキが伝わる。


「じゃぁ…いこう、か」


 それから黙ったまま、マンションの扉をあけて、エレベーターにのる。

 ボタンを押し、エレベーターが動く。

 中は2人きり。

 息を吸うと、陽花里の匂いが胸にはいってくる。


 エレベーターの扉が開き、私が先に出る。

 陽花里は手をつないだまま、私に連れられるように、後ろを歩いていく。

 

 部屋の前にくる。

 鍵を開けようとして、そして、ふと思う。


 鍵は出さずに、ノブを回す。


 ゆっくりと、開く。

 鍵は、かかっていなかった。


(家を出た時は)


 かけていた。

 今は、かかっていない。


 と、いうことは。



 部屋の奥から、音楽が聞こえてくる。

 私の部屋のパソコンから、スピーカーを通じて、音が流れてくる。


 よく知っている音楽。

 いま、ずっと私たちは求めている、探している音楽。


 才能を失った人が、才能を失う前に残した音楽。

 紫苑さんの音楽。


 それを聞きながら、一歩、中に入る。


「おかえり、凛」


 声がする。

 予想した声。

 予想通りの声。



「ただいま」

「これはこれは…」


 彼女連れ?と、冷めた言葉で私の部屋から投げかけられた声の持ち主は。


「そうだよ。私の彼女、家に連れ込んじゃった…悪いかな?葵?」




 私の大事なふたごで、私のことを大好きな…葵、だった。

 



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