第23話 陽花里とデート
未来の家を出た後、実家に一晩とまり、翌朝一番で東京へと帰ることにした。
(帰る…地元に帰るじゃなくって、東京に、帰るんだ)
もう私の中では、地元ではなく、東京こそが生活の基盤となっているのだろう。お父さんとお母さんは名残惜しそうに見送ってくれた。2年間顔を出していなかったのだから、当たり前かもしれない。
私、親不孝ものかもしれない。
けど。
(幸せになっても、いいのよ?)
昨夜の水瀬先生の言葉を思い出す。
この2年間、私は漫然と、ただ毎日を生きていた。幸せに向かって歩いてはいなかった。けれど、やめよう。前に向かって、歩き出そう。
(私が幸せになるのが、一番の親孝行だよね)
そう思うことにする。
幸せになろう。
幸せになるために、まず今日、私がすべきことは。
新幹線に乗り込むと、私はスマホを取り出した。
『いま、新幹線にのりました。今から帰ります』
『陽花里、よかったら』
『今日…デート、しませんか?』
私を好きでいてくれる、私を幸せにしてくれる彼女に対し、メッセージを送ることだった。
■■■■■
4時間ほど新幹線に揺られ、その間、うつらうつらと眠っていた。
いろんな夢を見た。
幸せな夢、少しもの悲しい夢、なにがあったか忘れた夢。
東京につき、新幹線から出て、大きく背伸びをする。
空が見える。
8月の朝。
朝いちばんに実家を出たというのに、もう時刻は昼を過ぎている。私の地元から東京まで、やっぱり離れているんだな、とも思う。
暑い。
風が欲しい。
大きいキャリーをころころと引っ張りながら、新幹線のホームから在来線の方へと歩いていると、
「凛ちゃん、おかえり!」
声がした。
びっくりして、声の方を向くと、そこに天使が立っていた。
…天使、というのは、彼女目線の贔屓かもしれない。少し照れる。でも、本当に可愛い子が、そこに立っていたのだった。
「陽花里、どうしてここに?」
「えへへ、少しでも早く凛ちゃんに会いたくて、入場券かって駅内に入っちゃった」
そう言いながら、とててっという足音をたてつつ、嬉しそうに弾みながら陽花里が近づいてきた。
駅内にはたくさん人がいる。でも、そんなまわりの目なんて、陽花里はまったく気にしていないようだった。
「久しぶりの、凛ちゃんの匂い…」
「私、地元に2日間しか帰っていなかったんだけど」
「ううん。長かったよ」
凛ちゃんを待つのは、すごく、すごく長かった、と言いながら、陽花里は自然に私の手に絡みついてきた。
右手にキャリー、左手に陽花里。
「帰ってきてくれて、嬉しい」
「そりゃあ帰ってくるわよ…」
と言いながら、ふと、考える。私にとっては当たり前でも、陽花里にとっては当たり前じゃなかったのかもしれない。付き合ったばかりの自分の彼女が、自分とは違う別の好きな人のいるところに会いに行っていたのだから、もしかしたらもう帰ってこないかも、と思ってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「陽花里」
「なぁに、凛ちゃん」
「…匂い」
陽花里の匂い、思い出したよ、あっちで。
そう言いながら、なんか恥ずかしくなって、私は視線をそらして駅の天井を見つめた。陽花里の今の表情は見えないけど、でもたぶん、私の耳は真っ赤になっているだろうし、それを見られているんだろうな。
「えへへ」
嬉しそうな陽花里の声が聞こえてきた。同時に、捕まれていた右手が、さらに強く、ぎゅっと握られる。
「よかった…なら、もっともっと、私の匂い、凛ちゃんにマーキングしていかないといけないね」
そう言って身体をこすりつけてくる陽花里は、本当に子犬のようだった。ふわふわな毛並みの、可愛くてご主人様大好きな忠犬。
「…それに」
「それに?」
「私にも…凛ちゃんの匂い…つけてほしいな」
その陽花里の言い方が少しえっちだったから、私は思わず、赤面してしまったのだった。
■■■■■
さて、どこに行こう。
陽花里とデートをする、という目的がだけが先にあって、ではどこでデートをするか、という手段の方は決めていなかった。
陽花里の方も、行先すら決めずに駅内にまで入ってきたから分かるように、デート先なんて何も考えていなかった。
「どこに行きたい?」
「凛ちゃんの隣!」
「…今もいるじゃない」
「だからもう、デート始まっているの」
嬉しそうな陽花里。
そんな彼女をみていたら、私まで嬉しくなってしまう。
(人は、自分を好き、って言ってくれた人を、好きになっていくものだもの)
また、昨夜の水瀬先生の言葉が思い返される。
好き、っていう気持ちは伝染するし、嬉しい、という気持ちも伝染していくのだろう。陽花里と一緒にいると、私まで心が穏やかに、気持ちよくなってくる。
(こうやって、だんだんと、好きになっていくのかな)
なんてことを考えた。
あらためて、彼女の目線で、陽花里を見る。
(可愛い)
素直に、そう思う。
今日の陽花里はノースリーブのワンピースを着ている。淡い水色のワンピースは見ていて涼やかで、それにふわっとした陽花里の綺麗な髪の毛が舞うように包み込んでいて、可愛らしさを引き立てている。
(私の彼女、本当に可愛いな…)
そう思いながらじっと見つめていたら、陽花里が不思議そうな顔をしてのぞき込んできた。
「凛ちゃん、なに見てるの?」
「陽花里、可愛いなーって思って」
「…もうっ」
嬉しいっ、と言って、陽花里がぎゅっとくっついてくる。ノースリーブの肩にはうっすらと汗が見えて、それがまた陽花里の魅力を引き立てているような気がする。
「凛ちゃん、好き」
また、好きを伝えてくる。まだ再開してそれほど時間もたっていないのに、これで何度目だろうか。好きの気持ちを浴びすぎて、私の心のコップの容量が溢れてしまいそうになってしまう。
結局、いろいろ迷った結果、家の傍のデパートで買い物をすることにした。
「遊園地とか、水族館とか、動物園とか、いろいろあるけど…」
「凛ちゃんと一緒にいれるのが、一番幸せだよ」
「そうかな…」
「そうなの!」
本当に嬉しそうな陽花里。目を離すと、くるくる回っているような気がする。まるで踊っているみたいに。
家の最寄りの駅について、おりる。そこのコインロッカーにキャリーを預けると、ようやく身体が軽くなったような気がする。
「じゃぁ、いこうか」
「うんっ」
私の腕をしっかりと組んでくる陽花里。絶対に、この手は離さない、そんな風に全身で主張しているような気がする。
2人で歩きながら、ふと、ビルの窓にうつる私たちの姿を見てみた。
私より頭一つ分小さい陽花里。
私は、変じゃないかな?
私たち2人を見たら、みんなどう思うんだろう?仲のいい友だち同士に見えるのかな?姉妹…には見えないか。顔立ちも雰囲気も全然違うし。付き合っている恋人同士に見えるかな。まだ、見えないかな。
「凛ちゃん」
そんなことをぼーっと考えた私に、陽花里が声をかけてきた。
「ひとつ、お願いしていい?」
「もちろん、いいよ」
「あのね…私のこと、彼女なんだ、って私に言ってほしいの」
「いいけど…どうして?」
「私を…凛ちゃんのものだって、凛ちゃんの所有物なんだって、思いたいの」
可愛い顔で、可愛い声で、けっこうとんでもないことを言う。
私は陽花里を見つめてみる。陽花里は真剣な表情をしていた。
「凛ちゃんはね、自分では気づいていないかもしれないけど、モテるんだよ?」
「え…。ないない、それは気のせいだって」
「気のせいなんかじゃないもん。凛ちゃん、自分の事知らなすぎだよ」
ゼミのみんなからよく聞かれるの。いつも一緒にいるあのキリっとした人の事教えて、って。男の子からも、女の子からも、たくさん聞かれるんだよ?凛ちゃん、もっと気を付けて、と、陽花里が主張してくる。
(そんなことないのに)
陽花里の気のせいだよ、と言いたくなる。言いたくなりつつ…ふと、考える。そういえば私、いままで、未来のことばかり考えていたから、周りをほとんど見ていなかったかもしれない。
というか、未来以外に興味なかったし。
(陽花里)
改めて、自分の彼女を見る。可愛くて、天真爛漫で、そして、実は独占欲の強い彼女。こんな子が私のことを求めてくれているんだ、と思うと…やっぱり少し、嬉しくなる。心の気持ちいいところを触られているみたい。
「陽花里」
今度は、ちゃんと口に出す。
陽花里の肩に手をやって、私の方を振り向かせ、はっきりと伝える。
「陽花里は、私の彼女です」
「はい」
「陽花里は、私の所有物です」
「はい。私は凛ちゃんのものです」
「陽花里は…可愛いよ」
見ていて分かるくらい、陽花里の顔がぽっと紅く染まる。嬉しそうで、嬉しい。
「…凛ちゃんに会えるから、一番お気に入りのワンピース着てきたの…少しでも凛ちゃんから可愛いって思ってもらえたのなら…嬉しい」
「私の彼女は、可愛いんだね」
「…えへへ」
嬉しそうに顔を近づけてくる。もしも周りに人がいなかったら、たぶん陽花里、私のことを舐めてきただろうな…。陽花里、私のこと舐めるの、大好きだし。
(陽花里は、自分のことを私の所有物です、って言っていたけど)
同時に、たぶん、そのぶん、私を独占しようとしているんだと思う。
気が付いているのか、ついていないのかは分からないけど。
自分を差し出すことで、逆に相手をつなぎとめる枷としている。
(そんなに、自分に自信がないのかな)
こんなに可愛いのに。
そう思ってしまうこの思考誘導こそが、もうすでに陽花里に私がからめとられていっる証拠なのかもしれなかった。
(陽花里、自分では気づいていないかもしれないけど)
「魔性の女」
「?」
「あ、いや、なんでもないよ」
思わず口に出してしまっていた。陽花里は天然で、生まれながらの愛され子で、そして周りを夢中にさせてしまう何かを持っているのだった。
「凛ちゃん、あれ見て、可愛いアクセサリーあるよ!」
陽花里は嬉しそうにそう言うと、私を引っ張ろうとする。
そういえば、私は自分の鍵につけているけど、陽花里のスマホにはお揃いのタコのストラップがついている。
ああいうの、陽花里、好きだもんね。
「お揃いのもの、探そうよ!」
嬉しそう。
こうやって、どんどん、私と一緒のものを増やして…私を絡みとっていこうとしているんだ。無意識に、無自覚に。
「…やっぱり、陽花里は魔性の女だよ」
「なに?凛ちゃん」
「陽花里のこと、好きだな、って言ったの」
「…っ」
無言でばんばんと私を叩いてくる陽花里。ちょっと痛い。可愛いけど。
こうしてその日の遅くまで、私たちはいろんなお店によって、いろんなものを買って。
共通の宝物が、たくさん増えたのだった。
■■■■■
8月の夜は訪れるのがかなり遅い。
19時になっても、まだ周囲は明るかった。
「でも、そろそろ日が暮れるね」
私は増えたたくさんの買い物袋を抱えたまま、そっと、隣の陽花里に声をかけた。楽しいデートだった。なにより、陽花里がとても喜んでくれるのが嬉しかった。
(それに)
1時間に1回は、陽花里から「凛ちゃん、好き」と言ってもらえる。もっと多いかもしれない。全部、心から言ってくれているのが分かって、こそばゆい。
(でも、嬉しいな)
純粋に、そう思う。
私と同じようにたくさんの買い物袋を持って隣を歩いている陽花里を見る。にこにこしていて、幸せそうで、私の視線に気づいて、少し照れて視線をそらす。
「えい」
ついつい、その柔らかそうなほっぺをつついてしまう。
抵抗…してこない。
陽花里は私につつかれたまま、むしろ私に触られるのが嬉しそうで、私もついつい興がのってしまい…やめ時を見失ってしまう。
「…えいえい…えーい」
ぷにぷに。
気持ちいい。
陽花里のほっぺた、すべすべしていて、マシュマロみたいというか、お餅みたいというか、指先に陽花里の肌の感触を感じて、ちょっと楽しくなってくる。
「凛ちゃん」
ほっぺた触られながら、陽花里がいった。
「デート、もう少し、続けて欲しい…」
もうちょっと、一緒にいたい。
私も、同じ気持ちだった。
陽花里と、もう少し一緒に時間を過ごしたい。この子のことを…もっと…好きになりたい。
(首筋)
陽花里の首筋じゃない。私の首筋。
ふと、触る。別に陽花里にアピールしているわけじゃないけど…いや、もしかしたら、その気持ちが全くないわけじゃ…ないけど。
陽花里は、酔ったら、私の首筋を舐める癖がある。
そして私は…正直に言って…陽花里に舐められるのが…好き。
「お酒、飲みたいな」
私の気持ちを知ってか知らずか、たぶん察してくれたのか、陽花里がそう呟いた。私もこたえる。
「…うん。私も、飲みたい」
舐めて欲しい、とは言わない。言わないけど、陽花里と一緒にお酒を飲むということは、陽花里から舐めてもらえる、ということでもあり…この言葉は、陽花里に舐めてもらいたい、と言っているのも同然ではあった。
「お店、入ろうか」
「凛ちゃん」
「ん?」
「たしか、凛ちゃんのマンションの傍に…凛ちゃんが初めてお酒を飲んだバーがあるって言っていたよね」
ある。
忘れるわけがない。
バー『BLACK CAT』
私が20歳になって、生まれて初めてお酒を飲んだバーで…
(紫苑さんに、出会った場所)
「そこに、行きたい」
陽花里が、小さな声で、でも、はっきりとそう言った。
紫苑さんがそのバーで働いているということは、陽花里はもちろん知っている。
紫苑さんは、陽花里の憧れの人で。
紫苑さんは…陽花里と同じように、私に告白をしてきてくれて。
私は、陽花里を選び、紫苑さんは、選ばなかった。
ぞくり。
私は、私の隣を歩いている、この小さくて可愛らしい女の子に…私の彼女に。
女。
を感じてしまった。
独占欲を。
私の所有物でありたいと言いながら、本当に心からそう思いながら、その言葉で私を縛りながら、憧れの人に、憧れであるはずの人に、恋敵に、はっきりとその差を見せつけようとしている、女、の情念を。
怖い。
と、同時に。
嬉しい。
彼女になって、付き合って、それから陽花里は、いろんな面を私に見せてくれる。その一つひとつが純粋で、純粋だからこそ、切れ味がすごく、怖く、遠慮がなく、どうしようもなく、私の心を震わせていく。
「うん」
行こう、か。
いい店だよ。カクテルも本当に美味しいし。
私はそう言って、陽花里の手を引いて、BLACK CATへと向かった。
一度しか行ったことがない店。
私のお酒の初体験の店。
私の人生が変わるきっかけになった店。
そこに、彼女を引き連れて。
看板の前に立つ。
BLACK CAT
変わらない。
変わったのは、私の立場。
前に来たときは、1人。
今は、彼女連れ。
扉を開く。
薄暗い店内。
照明は最低限に抑えられていて、店内の調度品がほどよく見える。
足を踏み入れる。
甘いアルコールの匂い。
BGMは、ジャズ。
「いらっしゃいませ」
声がする。
男の人の声。
紫苑さんじゃ…無い。
私は少しだけ拍子抜けをして、それ以上に、ほっとしている自分を見つける。
「陽花里、座ろうか」
「うん」
2人で、カウンターに座る。
そして、それぞれお酒を頼む。
私は、ジントニック。
陽花里は、カシスオレンジ。
氷をたっぷり入れてステアしているマスターに向けて、私はなんとなく、声をかけてみた。
「今日は紫苑さんいないんですね」
「紫苑…ああ、風見のことですね」
40代半ば、くらいのその落ち着いた雰囲気のマスターは私に視線を向けることなく、ステアしながら、言葉を続けた。
「いい子だったんですけど、先日、うちを辞めたんです」
そう言って、ジントニックが差し出された。
氷がキラキラと輝き、添えられたレモンが清涼感を出している。
この日、私は、初めて。
紫苑さんが、この街から消えたのだと、知った。




