第21話 私の未来 ~前編~
電車に揺られながら、窓の外を見る。
海が見えた。
8月の太陽に照らされた海は、波が白く輝いている。綺麗な海…ではないかもしれない。普通の海。遠くの方に船がみえる。大きな船じゃない。漁船。生活感につつまれた海。私の…中学時代の思い出の海。
(そろそろ、つくかな)
東京から新幹線で移動して、それから地方線にのりかえて、かなり時間がたっている。もうお昼は過ぎて、少しお腹もすいてきていた。
心は穏やかだった。緊張も…たぶんしていない。
実家に帰る、という名目で、東京からここまで来た。いろいろと理由をつけて、高校を卒業してからの2年間、一度も帰ってはいなかった。
駅につく。
実家のある駅。
でも、ここでは降りない。
今回の私の旅の目的は…ここではない。
(懐かしいな)
目を閉じる。
電車がまた、動き始める。
私の通っていた高校は、地元の駅からこの電車で30分ほど離れた場所にあった。高校生活の3年間、私は毎日、この電車に乗っていた。
(未来)
私の好きな人の名前。
高校生活の3年間、一緒の電車で通学した。毎朝、この駅で待ち合わせて、一緒に乗って、隣に座って、いろいろ話をしながら通っていた。
もう2度と戻らない、大切な日々。
目を閉じると、あの頃のたわいのない会話を思い出すことができた。
未来の言葉は、今でも一言一句たがわず覚えている。あの頃の笑顔も、服も、匂いも、全部が全部、私の宝物だ。
(3年)
私は今、20歳。高校自体の3年間なんて、人生の7分の1でしかない。でもあの3年間があったからこそ、私は今、生きていけている…生きている意味があるんだ。
(待ち合わせは…未来の家)
未来の家。未来が、いま住んでいる家。それは…マンションで…私たちの高校時代の担任であった、水瀬先生のマンションで。
いま、未来は、水瀬先生と一緒に住んでいる。同棲、してる。
ちくり。
胸が痛い。好きな人が、別の人と暮らしている。それを考えるだけで、身が引き裂かれそうになる。そんな思いをしたくなかったから、高校を卒業してからの2年間、私は一度もここに帰ることが出来なかったのだ。
(未来)
あと30分、この想いと戦わなければいけないのだろうか。楽しい思い出、綺麗な思い出、かけがえのない思い出。その全部が宝物で…その全部が、私の胸を苦しめる。
息を吐く。
心臓の音が聞こえる。
汗が…落ちていく。
(…)
私は、そっと、指を見た。私の指。けっこう、白い。その指を、そっと、顔に近づける。匂いをかぐ。あの時の匂いなんて残っていないはずなのに、でも、存在を感じた。
(凛ちゃん、好きな子にあった時…私の匂い、思い出して)
はは。
陽花里。まだ…好きな子に会っていないのに、もうあなたのこと、思い出してるよ。
外を見る。
もう今は海が見えない。
目を閉じる。
高校時代の思い出がまた蘇ってくる。
素敵な、綺麗な、大切な思い出。
電車に揺られながら、私は少し…眠っていた。
■■■■■
電車がとまり、私は外に出る。
冷房がきいていた電車内とは違い、外の空気は8月の暑さに包まれていた。
「…暑い…」
口に出す。持っている荷物も重い。中には着替えが入っている。大きな鞄を引きずるようにして、私は歩いて駅の外へと向かった。
高校時代、何度も通った駅。
あの時、いつも隣に未来がいた。
私は時々、ちらちらと未来の横顔を眺めていて、そのたびに、暖かな幸せに浸されていたことを思い出す。
懐かしい。
「凛!」
この声。
思い出の中の声…と、同じ。
「凛!久しぶり!会いたかった!」
あれ…待ち合わせは…未来の…家じゃ…なかったかな。
まだ、心の準備が出来ていない。まだ、未来を見る勇気がない。声聞くだけで、もう駄目。2年間我慢した思いが、溢れてくる。
見る。
外を、見る。
ショートカットで、薄いTシャツ姿の未来が、大きく手を振りながら私を呼んでいるのが、見えた。
「未来」
好き…駄目…大好き。止まらない…止めて、この想いを。声、聞いちゃった。それだけで、心が溶けていく。
紫苑さんの歌。何度も心に刺さった、天才の歌。
でも、どんな天才のどんな素晴らしい傑作より…未来の、好きな人の何気ない声の方が…すごい。
駄目になる。
走る。
かける。
一瞬でも早く、近くに行きたい。
「久しぶり」
できるだけ落ち着いた声で言う。落ち着いて…いると思う。思いたい。
髪の毛が肌につく。私は昔、長い髪にしていたけど、高校時代のある時にばっさりと切ってから、それからは伸ばさないようにしている。黒髪。普通の黒髪。
「凛、やっぱり東京って感じがする」
「東京の感じって、いったいどんな感じなの?」
「なんか…都会?」
「ふふ」
他愛もない会話。2年ぶりにあったというのに、他に話すこと…ないのかな。できるだけ落ち着きながら、未来を見る。
…可愛い。
あの頃と比べて、背は伸びていない。少し大きめのTシャツが、ほどよく身体のラインを想像させてくる。
私より…大きい胸。
触りたい、と、本能的に想ってしまったから、そこをぐっと我慢する。
「凛、綺麗になったね」
「そんなこと…ないよ」
嬉しい。未来に褒められた…駄目。すごく嬉しい。顔に出さないようにしないと…私はクール。冷静。高校時代の自分を思い出さないと。生徒会長をつとめた、生徒の模範だったあの頃を。
「未来の方こそ…綺麗だよ」
これは本音。
嘘偽りない、心からの本心。
どんな芸能人よりも、未来の方が絶対に綺麗。私の一生でこんなに綺麗な人なんて…会えない。
(凛ちゃん、好きな子にあった時…私の匂い、思い出して)
あ。
戻れ。戻れ、私。
ふらつくな、私。
可愛い彼女の存在を思い出して、私はやっと、少し落ち着いて目の前の未来を見ることができた。
そして。
(指輪)
気づいてしまった。
未来の左手に…指輪がはめてあるのがみえる。
薬指。
ちくり。
痛い。痛い。痛い。
「…待ち合わせ、未来の家じゃなかったかしら」
「そうだったけど…待ちきれなくて、早く来ちゃった」
到着の時間がはっきり分からなかったから、もう1時間以上ここにいたよ、と言いながら、未来は笑った。道理で…未来、汗をすごくかいている。
(私を…待ってくれていたんだ)
近寄って、未来の匂いを感じる。
汗に混じって、未来そのものの存在を感じて、私の胸が高鳴っていくのを感じていた。
「凛」
「なに、未来」
「少し、高校見ていかない?」
私の想いを知ってか知らずか、未来は私を見ながら、笑った。
「もう中には入れないけど、でも、凛と過ごした高校を、一緒に見てみたいんだ」
「…いいわよ」
未来の想いを断るなんて出来ない。…ううん、本当は、未来が、私のことを考えてくれていた、と思うだけで、それだけで溶けそうになるくらい嬉しいのだから。
隣に立って、歩く。
高校時代を思い出す…あの時の未来は、セーラー服だった。私も同じ高校だから、同じセーラー服。お揃いの服。
(今は…違う)
20歳になった私と未来はお揃いのセーラー服ではなく、それぞれ別の、自分が着たい服を着ていた。一度離れた道は…もう2度と、交わらないんだろうな、と思い、寂しくなる。
「懐かしいね」
「…うん、懐かしい」
途中で、いろいろな話をした。
意味のない、他愛もない話。高校時代の思い出。
学園祭の思い出話になったので、この前、あの時にとった自主製作映画を映画館で見たよ、という話をした。
「えー、本当に?」
「うん。一部の間で…人気、あったみたい」
「題名、なんだったっけ?」
「『恐怖!双頭の巨大怪蛇ゴウランガ!南米アステカ文明の秘境に蛇島ククルカンの吸血鬼は実在した!!』」
「…神美羅先輩のセンスだね…」
「懐かしいね…」
神美羅先輩、というのは、高校時代に私たちが所属していた文芸部の先輩で、なんていうか、すごい人で。あの人に色々振り回されたのも、今ではいい思い出で。
「…いい、高校生活だったよね」
「うん。私の宝物」
2度と戻らない日々。
でも、あの3年間があったからこそ…今、私は生きていける。生きる意味がある。
「…到着!」
「…懐かしい」
高校の校門の前に立つ。
3年間、この門をくぐって通っていた。
ずっと、未来の隣を歩いていた。
高校を懐かしそうな目で見つめる未来を、私は隣で見ていた。
「夏休みなのに、人がいるね」
「運動部は部活しているみたい」
後輩たちの声が聞こえる。若いな、と思った。
「じゃぁ、そろそろうちに行こうか」
未来がそう言って、私は胸がとくん、と高鳴った。
嬉しい…ような、寂しい…ような、怖い…ような。
「つもる話もたくさんあるし♪」
私の想いを知ってか知らずか、未来は嬉しそうにそう言うと、手にしていた袋を少しかかげた。
「…それは?」
「凛が今日来るから、玲央くんのお店にいって買ってきたお菓子」
玲央くん、というのは未来の義理の兄の名前で、高校を卒業して洋菓子店で働いているのだった。
「楽しみ」
「うん、楽しみ」
2人で、歩く。
歩きながら…いろいろな話をした。
やはり、どうしても高校時代の思い出が中心になるけど…その中で時々、今、何をしているかという話題も出てくる。
私も未来も大学生。
未来は地元の大学で、私は東京の大学。
「凛は今も小説書いてる?」
「私は…趣味で、時々。未来は?」
「もちろん。何度も応募しているよ」
全然、どこにもひっかからないけどね、と言いながら未来は舌を出した。
昔から、未来の夢は小説家になることだった。難しい夢だろうけど、未来は絶対に…あきらめないと思う。
見た目からは想像できないけど、未来は、一度決めたことは決して曲げない子だった。8歳の頃に一目惚れした相手をずっと思い続け…ついにはその人と添い遂げることになるほど、想いを曲げない子だった。
(…やっぱり…好き)
私は…駄目だ。
未来の声が、姿が、匂いが、もうどうしようもなく私に突き刺さる。2年間、離れることで想いは薄れるかと思ったのに、そんなことは全くなかった。
むしろ…思いが募っている。
(凛ちゃん、好きな子にあった時…私の匂い、思い出して)
陽花里の笑顔を思い出す。
私の大事な彼女。幸せにしてあげたい子。
いじらしくて…一生懸命で…まっすぐで…
(まるで、高校時代の、私)
一人しか見ていなくて。
…けっして、想いが叶わなかった私。
「到着ー!」
未来の声がして、私は現実に戻された。
さっき、高校についた時も、到着、って言っていたな、と思い、ふふっと笑ってしまう。
大きなマンション。
ここに今、未来は住んでいる。
…高校時代、何度か、このマンションに来たことがある。
その時の目的は…担任の水瀬先生。
水瀬先生。
私たちの高校時代の担任で…12歳年上で…今、32歳で。
未来の…叔母で。素敵な女性で。
未来と、同棲している人。
未来を…とった人。
頭をふる。
何考えているの、私。
もう、心の整理はつけていたはずでしょう?
「凛?」
「あ、ごめんね、未来」
未来にうながされて、一緒にエレベーターに乗る。
2人きりの個室。
未来の匂いがより強く感じられて、ドキドキする。
近くによったら我慢できそうになかったから、エレベーターの個室の中で、少し距離をとって私は立つことにした。
エレベーターが止まり、先に未来が出て、私はその後ろに続く。
未来の後ろ姿。
背中を見る…視線が自然に落ちていき、未来の腰のあたりを見てしまっている自分にきがついて、頬を叩いて現実に戻る。
「ただいまー」
そう言いながら、未来は鍵を取り出す。
(鍵)
水瀬先生の家の前で、水瀬先生の鍵を出す未来。
現実のひとつ一つが、私の心を冷たくしていく。
「凛、どうぞ」
「うん…ありがとう」
うながされて、私も中に入る。
マンションの玄関は狭い。
靴を脱ぎながら、ふと、靴箱の上を見た。
写真、が飾ってある。
未来と…水瀬先生の写真。
ちくり。
心が、痛い。
すたすたと中に入っていく未来。
その動きがあまりにも自然なので…ああ、これが未来の日常なんだな、と分かってしまう。
「荷物を置いて、適当に座っていて。私、何か飲み物準備するね」
そう言いながら、未来はキッチンの奥へと入っていった。
私はテーブルに座る。
(いつもここに…未来、座っているのかな)
そう思いながら、部屋を見渡す。
普通の部屋。
普通のマンション。
でも、そのところどころに、2人で暮らしている、という痕跡がある。
大きなソファがある。
そこにクッションが2つ並べて置いてある。
壁に写真がかけてある。
お揃いのものが…多い気がする。
ふと、寝室に目を向けてしまった。
ベッドが、ある。
枕が、2つ。
ちくり。
痛い。
痛い。
胸が…苦しい。
未来は…水瀬先生と…同棲していて…
一緒に、住んでいて。
2人は…恋人で…
ベッドがあるということは…
つまり、そういうことで。
嫌。
こんなこと考える私が、嫌。
嫌。嫌。嫌。
「凛、オレンジジュースか紅茶、どっちがいいかな?」
「…お酒」
ぽつり、と、つぶやいてしまった。
つい、なんとなく。
考えることなく。
「お酒?」
「あ、ごめん、忘れて」
「そうかー、そうだね、私たち、もう20歳になったもんね」
そう言いながら、未来は少し悪戯っぽく笑った。
「沙織さん、時々晩酌するから…」
奥でごそごそ動いている音がする。
そして。
「えへへー。沙織さんのとっておき、2人で頂いちゃおう♪」
手に、ワインの瓶を持って出てくる。
「…いいの?」
「平気平気♪沙織さんまだ仕事だし、帰ってくるの遅いから…それまで2人で飲んじゃおう」
上機嫌な未来。
高校生だった私たちは…もういない。
今は、20歳の、成人で。
未来には…水瀬沙織、という年上の恋人がいて。
私には…三崎陽花里、という同い年の恋人がいる。
これは、浮気じゃない。
ただの、友達同士の…飲み会。
ふと、もう一度、未来の指を見る。
指輪…まだ、はめられている。
(外して…欲しいな)
と、思ってしまった。
そんなこと、思っちゃいけないのに。
当然、指輪は外されることなく。
未来は…幸せそうで。
未来は…あの人のもので。
(凛ちゃん、好きな子にあった時…私の匂い、思い出して)
注がれるワインの匂いの中に、私は、あの子の匂いが包まれていくのを感じていた。




