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第16話 水無月詩織という女?

 私はどうして、こんなところにいるのだろう?

 自問自答しながら、差し出されたグラスを手に取る。

 グラスの中には丸氷が入っている。そそがれたウィスキーは琥珀色で、店内の照明に照らされて時折輝いているようにみえる。

 グラスをかかげ、カウンターの向こう側を見る。綺麗な女性…が立っている。


「本当に来てくれるとは思わなかった」

「本当ですか?」

「本当よ…私は法螺はふくけど、嘘はつかないの」


 黒を基調としたドレス姿は身体のラインをしっかりと見せていて、マスターの肢体の美しさを際立たせている。

 肌もきめ細かく、清潔感があり、差し出された指先のマニキュアの中にパールのような輝きが時折みえる。

 100人が見たら、99人までが振り向くような美貌。華やかでいて、それでいて主張しすぎるほどではない。落ち着きのあるたたずまい。

 こんなに完璧な人が…男だなんて、信じられない。


「信じられない、って顔してるわね」

「今でも信じられません」

「そりゃぁ、努力してますから」


 水無月さんは、そう言って笑う。自然な笑い方だった。声をたてるわけでもなく、場を乱すわけでもない。ただ、春の風のような、さわやかな気持ちになれる笑顔。

 ここは、水無月さんのお店。

 客は、私1人。

 お店が開く時間より1時間も早く呼ばれた私は、たった一人のお客さんとして水無月さんの接客を受けていた。


 一週間前まで、この人の存在すら知らなかった。

 …いや、正確にいえば、葵から名前だけはきいていた。

 水無月詩織、という、劇団のエースがいる、と。その人は葵の憧れの人で、自分もあんな風になりたい、と。

 話を聞きながら、話半分でしか聞いていなかったんだと今になれば分かる。


(素敵)


 たしかに、目指したくなる。どうしてなんだろう?と、その理由を考えてみる。


 素敵な人、にはいろいろタイプがある。

 たとえば、陽花里。

 純粋で、生まれ持った善性がにじみ出ていて、愛されていて、愛さずにはいられない子。イメージ的には、可愛いわんこ。


 たとえば、紫苑さん。

 見る者全てを、引っ張りこむ強さ。目を逸らそうとしても、無理やり首根っこを掴んで引き寄せてくる。見て、私を見て、私を見ろ、と、自信と傲慢と、それに見合うだけのカリスマを兼ね備えている。


 たとえば、色葉さん。

 目立たず、出しゃばらず、それでも存在感がある。知的な雰囲気を漂わせていて、それでいて近づくと危険な香りもある。つかみどころのない魅力。


 でも、今目の前にいある水無月さんは。水無月詩織、という人には、違った魅力を感じ取ることが出来た。

 何が違うんだろう?そう思って、考えて、ひとつ、分かった。


 陽花里も、紫苑さんも、色葉さんも、それぞれ魅力的だけど、その魅力というのは…もって生まれた魅力だ。生まれた時にすでに備わっていて、向いている方向は別々だけど、スタート地点は同じだ。


(でも、水無月さんは…)


 美しい。綺麗。

 言葉でいえば簡単だけど、それを手にするためにこの人がどれだけの努力と対価を支払ってきたのだろうか。

 男。

 男として生まれたのに、誰よりも女になっている。

 なのに、当たり前のように、そこに立っている。


(あの日)


 一週間前。

 劇を見たあの日。


(どうして、紫苑さんは)


 一目で分かったんだろう。


「あの子は、怖いね」


 水無月さんも手にグラスを持っていた。私と同じ、グラスの中に丸氷を入れている。琥珀色のウィスキーが揺れている。少しずつ氷がとけて、滑らかになっている気がする。


「私も飲んじゃおう」

「…いただきます」

「乾杯」


 カラン、と音がする。

 丸氷は大きくて、グラスの中一杯に1個だけ入っているから、そんなに音はしない。どちらかといえば、カラン、ではなく、コツン、といった音だろうか。


「…美味しいです」

「高い酒だからね」

「え…」

「安心して、今日は私のおごりだから」


 ここは私の店だし、まだ開店していないから、今はあなたの貸し切り。だから今は商売じゃなくって、ただの私の楽しみ。私のお酒に付き合ってもらっているだけ。


 水無月さんはそう言いながら、楽しそうにお酒を飲んでいく。

 私も一口。

 熱い。

 もう少し丸氷が解けるまでまとうかな…そうすれば、飲みやすくなるかもしれない。


「今日はどうして、私を誘ってくれたんですか?」

「そうだねぇ…飲みたくなったから、じゃいけないかな」

「理解できません」


 私なんて、面白くもなんともないのに。

 紫苑さんみたいに才能があるわけでもなく、陽花里みたいに可愛いわけでもない。色葉さんみたいに大人、といった感じでもなく、葵みたいに水無月さんと一緒の劇団に所属しているわけでもない。

 ただ、あの日、あの場所にいただけの、ただの一般人でしかないのに。


「葵のことは気に入っているんだ」


 一口、飲む。

 水無月さんの頬が上気している。お酒にそんなに強くないのかな…それとも、このお酒が強いだけなのかな。


「私が死んだら、いつかあの子はうちの劇団のエースになるよ」

「…水無月さんには勝てないんですか?」

「勝てないねぇ…」


 笑う。


「私に勝つには、私を殺しにこないといけないのに、あの子は私に憧れているからね…私を殺しにきてはくれないんだ」


 殺すとか、殺されるとか、物騒な。

 たかが演劇…なんじゃないかな。こんなこと言っていたら、怒られるかな。


「たかが演劇だよ」


 あれ?

 私、喋っていたかな。少しずつお酒が回ってきているから、頭で思っているのか喋っているのか分からなくなってきてしまった。


「そんなたかが演劇に命を懸けることが出来ているから、私たちは狂っていて、観客を魅了することができるんだよ」


 それに、私はずっと、息ながら演劇しているみたいなものだからね、と、水無月さんは言った。

 何のことだろう?と思って、思いついたから、聞いてみる。


「男なのに、女のふりの演技をしているってわけですか?」

「違うね…私は女だよ。生まれてからずっと、今も、女。だけど身体がね…ついてきてくれていないんだ。たぶんどこかで間違えたんだね。だから私は、ずっと演劇をしているんだ…男のふりをしている劇をね。男が、女のふりをしているんじゃない…女が、男のふりをしていて、それでも隠しきれない女が出ている…劇さ。一生続く、私が死ぬまでカーテンが降りない、劇」


 分からないけど、分かる気がする。

 自分で、自分に言い聞かせているような。


 私も、自分に言い聞かせることがある…私は、未来が好き。だから未来の幸せが私の幸せ。それが本当。本当のはず。私は…間違っていない。


「あの、紫苑って子。化け物だね」

「化け物…ですか?」

「そう、化け物。あんた、よくあんなのの傍にいれるね」

「傍にいるというか、なんというか」


 いてくれ、と言われたというか。

 求めてもらえた、というか。

 少し自尊心をくすぐられた…のを、否定できない。私もたいがい、自分勝手で卑怯だな、とは自覚している。


「私ですら、私のことを女だと思っていたのに、初めて会ったあの日に、わざわざ私に向かって、男ですよね、だって」


 水無月さんはそう言うと、目を閉じた。目を閉じて、笑っている。店内に流れるBGMは、穏やかで。水無月さんの笑い声がその音にのって、多重奏をかなでていく。


「…むかつくね」

「分かります」


 紫苑さん、むかつくんですよね。

 なんかあの人のこと考えていると、むかむかしてくる。よし、飲もう。酒の肴は、紫苑さんへの悪口だ。人の悪口ほど甘いあてはこの世に存在しないんじゃないだろうか。


「才能が服を着て歩いているのに、その才能自体が、もっともっと、と貪欲に才能を求めているなんて、怖いよ」


 分かる気がする。

 紫苑さんは…怖い。あの人は純粋に私を求めてくれているけど、その理由は、「人を好きになるという感情を知りたい」ということから来ている気がする…私を求めているようでいて、本当は私を求めてなんかいないんじゃないだろうか?

 分からない。

 だから、むかつく。


「だから、今日は私を呼んでくれたんですか?紫苑さんのことが聞きたくて?」

「うんにゃ。それはただのきっかけ。理由は別にあるよ」


 あの日、紫苑さんは水無月さんに興味を持った。

 その興味の行く先は…たぶん、才能。

 水無月さんの演技…水無月さんの生き方…水無月さんの才能…そんな輝く才能をみて、それが…「欲しい」と思ったんだろう。

 私の時と…同じように。


「単純に、あんたが気に入ったから」

「え…」

「葵から話は聞いていて、興味は持っていたんだけど、実際に会ってみたら…葵が気に入る理由が分かったよ」


 おかわり、いる?と聞いてくる。

 いつの間にか、私のグラスは空になっていた。お願いします、という。水無月さんは笑って、また琥珀色のウィスキーを入れてくれる。


「あんた、いい女だね」

「私なんて…全然です」

「過度な謙遜は美徳じゃないよ。ちゃんと自信をもっていいんだよ。私は本当にいい女だと思わなかったら、お世辞でしかこんなこと言わないよ」

「…お世辞なら言うんですか」

「だって、それが商売だからね」


 笑う。

 少し低い笑い声。ちょっとだけ、男の人みたい。


「もしもあんたが男だったら、惚れていたかもしれない」

「水無月さんの恋愛対象は…男なんです?」

「異性を好きになるのは当たり前でしょう?」

「…ごめんなさい。私は…当たり前じゃない方なんです」


 私は、未来が好き。

 未来は女の子。私も女の子。

 女が女を好きなのは…当たり前じゃ、ないよね。


 …性別だけでいえば、水無月さんは…身体は男だから、女を好きになるのが普通なのかな。でも水無月さんは自分のことを女だと思っているから、異性といえば対象は女になって…ああ、なんかメンドクサイ。


「水無月さんは…」

「もう詩織でいいよ。気が合う相手には、私は自分のことを名前で呼ばせることにしているんだ」

「じゃぁ、詩織さん」

「なんだい?」

「恋人は、作らないんですか?」

「今はいないね…」


 あ、言っておくけど、私ちゃんとモテるからね?と詩織さんは言う。分かってます。分かりますよ。私の周り、モテる人多いような気がする…


「でもね」


 詩織さんは、遠い目をした。視点が定まっていないような気がする。うつろ、といえばいいのかな。とりあえずお酒を一口、飲む。


「本当に好きな人は…手に入らないんだ」


 やっぱり、この身体だからね、と、自嘲気味に笑う。

 どんなに綺麗でも。どんなに女らしくても。そこらへんの女より、努力して、頑張って、綺麗になって、磨いても、でも、結局、生まれ持ってのモノからは逃げることが出来ないし、目を逸らすことは出来ない。


「私のこと、綺麗だと思う?」

「思います」

 

 それは間違いない。劇団のエース、というのも納得だし、それを差し引いたとしても、魅力的で、女なのに惹かれてしまう。あ、私、詩織さんのこと、いま、普通に女、だと認識していた。


「ありがとう、でもね、私、昔はもっと綺麗だったのよ」


 今は24歳。まだまだ若いけど…でも、10代の時の方が綺麗だった。私の中で一番綺麗だったのは…たぶん、第二次性徴前。10歳の頃。


 あの頃は…男も女も…変わらなかったからね。


 戻れないの。


 詩織さんの言葉は、悲しそうだった。


「あなたの好きな人は、あなたのことを好きでいてくれてる?」

「…いいえ」


 胸が痛い。

 私の好きな人が好きな人は…私じゃ、ない。


「そう、辛いね」

「…いいんです」


 いいんです、って、思う。私は私で自分を騙しているのかもしれない。けど、いい。一生騙してやる。死ぬまで騙せれば、それは真実になるんだもの。


「一生、その子のことだけを想って生きていくの?」


 …聞きたくないことを、聞かれてしまった。

 見ていたけど、見ていなかったことを、目の前にはっきりと持ち出されて、目を逸らさないように固定される。

 だって、この人はちゃんと見ているもの。見て、それから、自分で選択しているもの。

 だから私に都合のいい逃げ道を用意してはくれなかった。


「…分かりません」


 だから、本当のことを答える。

 正確にいえば、分かりません、じゃなくって、考えていません、かもしれないけど。


 まだ会って一週間しか経っていないのに。

 というより、まだ二回目なのに。

 他の誰にも相談したことがないことを、この人には、詩織さんにはなぜか相談してしまう。


 パズルのピースが合うというのは、こういう気持ちなのかもしれなかった。


「…私のことを、好きって言ってくれる人が…いてくれて…その人を選べば…私は…」


 幸せに、なれるのでしょうか?


「さぁ、それは分からないけど…」


 適当な、耳障りのいい答えを返してくれない。ここで詩織さんが「幸せになれるよ」と言ってくれたら、それを免罪符にして、私も一歩前に迎えたかもしれないのに。

 責任を背負ってはくれない。詩織さんは厳しくて、優しい人だった。


「ただ、ひとつだけ言えるのは」


 グラスを傾ける。

 喉が、動く。

 琥珀色の液体を身体の中に入れていく。


「紫苑、といったね。あの才能の塊の女を選んだとしたら…」


 たぶん、あなた、破滅するよ?



 うん。

 そうでしょうね。

 なんとなく、予感してた。


 紫苑さんを選んだら、私は破滅する。

 そしてたぶん…紫苑さんも破滅する。

 両方壊れる。


 でも、怖いのは。

 壊れると分かっていても、紫苑さんは…止まる気がないだろう、と分かることだった。

 紫苑さんは、砂漠に落ちたスポンジだ。

 全ての水を吸い込んで、自分の中にため込んで、そしてそのまま太陽に焼かれて干からびて、影だけを砂の上に残すだけの人だ。


 その影があまりにも鮮烈だから、脳を焼かれる人が多い。

 色葉さんなんて、脳も脊髄もたぶん全部焼かれている。

 焼かれているどころじゃない、差し出している。


(私は…)


 未来さえ、幸せならもうそれでいいと思っていたけど、今も思っているけど。


(いま、未来は…幸せなんだから…)


 なら、これから先。

 自分の幸せを…求めても、いいのかな。


「そろそろ、店が開く時間だね」


 ほろ酔い加減の詩織さんが、そう言った。


「ここから先は商売になるから、もう出て行ってもらえるかな」

「…有難うございます。ごちそうさまでした」

「あれ?私、奢るって言ったかな?」

「払います」

「冗談だよ、冗談」


 可愛いねぇ、凛は。


 そう言いながら、お金を受け取るどころか、詩織さんは私の手を握ると、そっと、何かを手渡してきた。


「これは…?」

「私からの、プレゼント」


 詩織さんはそう言って、悪戯っぽく笑った。


「幸せになるかどうかは分からないけど、気持ちよくなってもいいんじゃない?」


 手の平を見る。

 それは、小さなカプセルだった。


「身体が気持ちよくなったら、心も気持ちよくなれるってものだよ」

「…」


 一応合法だから、捕まることはないと思うよ。


「使うか使わないか、誰に使うか、それとも自分で試してみるか、それは…凛にまかせるよ」


 カプセルは、2つ。

 この人は。

 たぶん、天使のような悪魔だ。

 …または、悪魔みたいな悪魔。




 こうして私は。

 悪魔から、媚薬を2つ、受け取ったのだった。


 綺麗で残酷な、美しい悪魔から。

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