今はエルフの弓兵だけど、元はサバゲー好きの会社員でした
最初に感じたのは、風だった。
深く青い森を渡る風が頬を撫で、草木の匂いと混じり合って胸いっぱいに広がる。
視界に映るのは、緑濃い木々の間からこぼれる柔らかな光。
思わず息をのんだ。
(ここは……どこだ?)
青年は身を起こした。
細身でしなやかな体。耳に触れると、驚くほど長く尖っている。
――鏡を見なくてもわかる。自分は、エルフになっているのだ。
前世の記憶が突然鮮明に蘇った。
都内で働く普通の会社員。趣味はサバイバルゲーム。
仕事帰りや休日に仲間とフィールドに集まり、BB弾を撃ち合う時間が唯一の楽しみだった。
(まさか……異世界転生? 本当にあるのかよ……)
現実離れした状況にもかかわらず、奇妙に腑に落ちるものがあった。
何より、今の身体には「自然の一部である」という感覚が染み渡っている。
森のざわめき、鳥の羽ばたき、土の温もりが、まるで自分自身の延長線上にあるかのように。
その日から、彼――ライネルとしての人生が新たに始まった。
ライネルはエルフの里で育った。
仲間たちは皆、木々と共に暮らし、森を守ることを誇りとしていた。
少年期から弓を与えられ、森の獣を狩り、枝を渡って走る訓練を積む。
ライネルは特に弓の腕が冴えていた。
前世で培ったサバゲーの感覚――遮蔽物を意識する癖、視界を読む勘、風の流れを感じる習慣――それらが自然と役に立った。
「ライネル、よくあの的を射抜いたな!」
「お前の弓は森一番だ。将来は里を守る弓兵になるに違いない」
仲間たちにそう言われるたび、ライネルは胸を張った。
かつては都会の片隅で「ただの趣味」と笑われたスキルが、今は仲間の役に立つ。
それが何より誇らしかった。
しかし、平和な日常は長くは続かなかった。
ある日、森の北の境界で木々が切り倒されているのを里の警備担当の者が発見した。
人間の兵士と労働者が、鉄の斧で森を伐り、道を通そうとしていたのだ。
「またか……」
族長が苦々しくつぶやく。
エルフと人間の関係は長年不安定だった。
森は人間にとって木材と鉱石の宝庫。
一方エルフにとっては生きる世界そのもの。
利害は常に衝突し、時に小競り合い起こしてきた。
だが近年、人間の王国は領土を広げるために軍を送り込み、伐採の規模も大きくなっていた。
「森は我らの命だ。このままでは根こそぎ奪われてしまう」
族長の言葉に、若き弓兵たちの目が燃える。
ライネルもその一人だった。
やがて森の境界で人間との戦闘が始まった。
ライネルは木の上から弓を構える。
前世のサバゲーを思い出す。敵の配置、動線、遮蔽物――すべてが戦術に通じる。
「今だ!」
放たれた矢が兵士の兜を弾き飛ばす。
仲間も次々に矢を射かけ、人間たちは慌てふためきながら後退した。
勝利の歓声が上がる。
だが、ライネルの胸は重かった。
(これは……ゲームじゃない。相手は人間だ。血も流れるし、命も消える)
倒れた兵士の呻き声が耳に残る。
サバゲーの「ヒット!」と叫んで退場する軽さは、ここにはなかった。
最初こそ小さな勝利を重ねたが、やがて状況は悪化していった。
人間の軍勢は数で圧倒的だった。鉄の鎧と盾を持つ兵士が列をなし、火を放って森を焼き払う。
森のあちこちが黒焦げとなり、鳥も獣も姿を消した。
仲間の弓兵が倒れるたび、ライネルの心は引き裂かれるように感じた。
「なぜ……こんなことに」
子どもの頃から共に育った幼馴染が、目の前で力尽きるのを見たとき、ライネルは弓を握る手を震わせた。
ある夜。敗走の末に一人、森の奥深くへと迷い込んだライネルは、泉のほとりで膝をついていた。
「もう、守りきれないのか……?」
そのときだった。
水面がふわりと光を帯び、澄んだ声が響いた。
《嘆くな、森の子よ》
目を見開く。
そこには小さな光の粒が舞い、やがて人の形を成した。
《森は死なぬ。人が斧で伐ろうとも、火で焼こうとも。根は深く、命は巡る。
だが、守ろうとする心なくば、再び芽吹くこともできぬ》
「あなたは……森の精霊……?」
《そう呼んでもよい。ライネル、お前の矢はまだ折れていない。
希望は、この森に残っておる》
涙が頬を伝った。
絶望に沈んでいた胸に、小さな灯がともる。
翌朝、ライネルは仲間のもとへ戻った。
誰もが傷だらけの里では、皆、疲弊しきっていた。
「森はもう終わりだ」と嘆く声があがる。
だがライネルは弓を掲げた。
「いや、まだだ! 森は生きている。俺たちが信じ続ける限り、必ず再び息を吹き返す!」
仲間たちの視線がライネルに集まり、その目には光が宿る。
森は傷ついても、完全には死なない。
守ろうとする心がある限り、未来は閉ざされない。
ライネルは矢筒を背負い、再び戦いに身を投じた。
その瞳にはもう、迷いはなかった。
森の上を、風が渡っていく。
精霊の言葉が胸に響く。
《希望は、この森に残っておる》
ライネルは静かに矢を番えた。
たとえ全人類が敵になろうとも、この森を守り抜いてみせる。