聖女として召喚されたOLの話
光の中に立たされていた。
OLとして毎日の深夜残業に追われ、上司の顔色を伺いながら資料を作り続けていたはずの私――相原美咲は、目を開けた瞬間、ファンタジー世界の豪奢な玉座の間にいた。
「聖女よ! ついに我らの祈りが届いた!」
壮年の男が立ち上がり、両手を広げて私を迎えた。頭の王冠から彼が王だと予測する。
足元には豪華な絨毯。石壁をくり抜いた窓には聖人を描いたステンドグラス。
そして周囲には甲冑姿の騎士や、修道服を着た神官たち。
私は驚きで声も出なかった。
ただ、胸の奥にどす黒い嫌な予感が、薄く重く広がっていった。
召喚されてから数日が経った。その間に私の能力についてあれこれ調べられ、私は「治癒魔法」という力を持っていることが分かった。
倒れた兵士の傷口に手をかざすと、淡い光が溢れ、裂けた皮膚がみるみる塞がっていく。
「これぞ聖女の奇跡!」
「神の祝福だ!」
周囲が歓声を上げる。
私はただ、唖然とするしかなかった。
(……これ、本当に私の力なの? それとも、この世界の“聖女”という役割を押し付けられてるだけ?)
答えは分からない。けれど、私に治せるのなら放っておけなかった。
やがて私は戦場に連れて行かれるようになった。
王国の兵士たちが負傷すると、私は癒やす。
その様子を見た兵士たちは声を上げる。
「我らには聖女様がついている!我らは負けぬ!」
私は知っていた。
王国が私を「神の奇跡」として見せびらかし、戦意高揚のために利用していることを。
(前の会社と同じ……また私は、人を鼓舞する道具としてしか扱われないんだ)
上司は私のやった仕事量を差して、他のメンバーにも同じように仕事をするように求めた。
上司から褒められる度に、誇らしさよりも逃げ出したい気持ちに駆られていた。
胸の奥に虚しさが広がる。
けれどその一方で、兵士が「ありがとう」と涙を浮かべるのを見ると、心が少しだけ軽くなった。
ある日、美咲は捕虜収容所の前を通りがかった。
鉄柵の中には、獣人や亜人の兵士たちが鎖につながれ、血に塗れて倒れていた。
神官が言う。
「聖女様、彼らは敵兵です。放っておいて構わないものたちです」
だが、私は見過ごせなかった。
明らかにまだ子どもと言える小さくて痩せた獣人が、弱々しく母を呼ぶ声をあげていた。
私は周囲に悟られぬよう柵の隙間から手を伸ばし、小さく呟いた。
「……お願い、少しでも……」
淡い光が少年を包み、血が止まる。
その瞬間、彼の瞳がわずかに輝きを取り戻した。
胸の奥で、何かが温かく弾ける。
(これだ……これが、私にできる“救い”なんだ)
それから私は、戦場や収容所で、密かに敵兵や奴隷の治療を続けた。
表では「王国の聖女」。
裏では、こっそりと敵を癒やす存在。
罪悪感も恐怖もある。
見つかれば処刑されるかもしれない。
それでも止められなかった。
だって、誰かの「ありがとう」が、前の人生で一度も得られなかった報酬だから。
ある夜、奴隷小屋で小さな少女の手を握りながら、私は思った。
(……私は、聖女なんかじゃない。利用されるのも、もう嫌だ。でも……私に人を癒す力があるなら、私なりのやり方で人を救ってみせる)
少女の眠る顔を見つめながら、心に小さな決意が芽生えた。
まだ世界は敵と味方に分かれていて、私はその境界線の上に立たされている。
けれど、ほんの少しだけ。
誰かの未来を変える力を、自分は持っているのかもしれない。
夜の空に月が浮かぶ。
その光を浴びながら、私は静かに手を合わせた。
(私は……私のやり方で、生きていく)
鎖から彼らを解き放つことはできない。
戦争を終わらせることも、きっとできない。
それでも――ひとりひとりを救う小さな奇跡を積み重ねれば。
いつか、この世界が変わる日が来るかもしれない。