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召喚された歴史学者

 静まり返った大学の書庫に、紙をめくる音だけが響いていた。

 蛍光灯の白い光に照らされ、机の上には古代史の資料が山のように積まれている。


 桐原慎一きりはら・しんいち――32歳、大学の非常勤講師。専門は古代文明とその記録方法。

 今日も彼は、擦り切れた羊皮紙の写しを前に、細かな筆跡を追っていた。


「……この書き方、戦争じゃなくて単なる“領土争い”の意味合いが強いな。

 後世の史家が意図的に“聖戦”に書き換えたのかもしれないな」


 慎一は赤鉛筆で余白に小さくメモを走らせる。

 ――歴史とは、勝者によって常に形を変える。だからこそ、研究者は事実を掘り起こし、虚構を削ぎ落とす必要がある。


 その瞬間だった。


 眩しい光に視界が覆われ、慎一は思わず目を瞑る。

 次に目を開いたとき、そこは大学の書庫ではなかった。


 高い天井、黄金の装飾、赤い絨毯。

 両脇には鎧姿の兵士が並び、祭壇の前で法衣をまとった神官が祈りを捧げていた。


「……な、なんだ、ここは……」


 慎一は思わず呟いた。背筋が凍る。

 背後から、威厳ある声が響く。


「異界の学識ある者よ。我らの呼びかけに応じ、よくぞ来てくれた」


 声の主は玉座に座る壮年の王だった。鋭い眼光で慎一を見据え、ゆっくりと言葉を続ける。


「汝の役目は、我らの勇者たちの軌跡を“正しく”記録すること。我が王国の歴史を後世へと伝えることだ」


 兵士たちが一斉に頭を垂れ、神官が「神の使徒」と唱和する。

 だが慎一の胸には、言いようのない不安が芽生えていた。



 慎一は与えられた部屋に通され、豪華な家具や書棚に囲まれながらも、緊張で手が震えていた。

 書棚には見たこともない古文書や巻物が並ぶ。


 文官が一冊取り出し、慎一に差し出す。


「これが貴殿の初めての任務です。我らが王国に都合よく編集された記録書の整備を行い、勇者たちの栄光を後世に残すことです。」


 慎一は巻物を手に取り、目を通す。

 文字の並びは確かに古めかしく難しい言い回しがされているが、この国の歴史を詳しく知らない慎一でもわかるような食い違いがある。


「……これ、明らかに後世の書き換えですよね。聖戦として描かれている部分は、実際には一方的な領土の侵略では?」


 文官は軽く肩をすくめ、冷ややかに笑った。


「学者殿、詮索は無用です。我らが求めるのは“人々を導く歴史”であり、事実そのものではありません」


 慎一は胸の奥で小さな怒りが込み上げるのを感じた。

 だが、ここで反発すれば自分の命が危ないことも同時に理解していた。



 日々、慎一は記録書の調査と修正作業に追われた。

 地図、巻物、王家の系譜――すべてが王国の都合に合わせて書き換えられている。


 ある地方の村から上がってきた報告書には、辺境の村同士の紛争が「魔族との聖戦」として描かれていた。

 しかし、現地調査の記録や周辺資料を照合すれば、それは単なる人間同士の領地の奪い合いだったことが明らかだ。


「……これじゃ、真実を伝えるどころか、歴史の冒涜だ……」


 慎一はため息をつき、巻物を机に広げた。

 ペンを握り、密かに自分だけの“裏記録”を書き始める。





 訓練場に通う日々。

 剣や魔法に秀でた若者たち――勇者候補たちを慎一は遠目で観察していた。


 ある者は自信満々に剣を振るい、ある者は火球を自在に操る。

 しかし、彼らの表情は決して安らかではない。


 恐怖に顔を歪める少年。

 無理に虚勢を張る少女。

 仲間と競い合い、笑い合う者たち。


 慎一は思った。


(この子たちを“神に選ばれし英雄”として記録するのか……? 本当の勇者とは何なのだろうな……)


 ある文官が鼻で笑った。


「あの少年を見てくださいよ。勇者どころか、ただの臆病な小僧ですよ。力を振るえぬ者など、いずれ脱落するでしょう」


 青ざめた顔で剣を握る少年を見ながらその男は笑って言った。


 慎一は反論しなかった。しかし心の中では、彼こそが真に記録すべき存在だと感じていた。




 夜、部屋で燭台の炎が揺れる中、慎一は筆を走らせる。

 表向きの記録には王の命に従い、「勇者たちは日々勇壮に訓練を重ね、神の導きに従う」と書き記す。


 しかし裏には、自分だけが知る真実を細かく記す。


「彼らは血の通った人間であり、恐怖や不安を抱え、笑い、泣き、迷う。

 王や神官の描く英雄像では決して語れない、彼らの物語をここに刻む」


 慎一は深く息を吐き、心の中で誓った。


「……俺は、この世界の影の記録者になる。

 王が何を望もうと、神官が何を命じようと――真実を残すために」


 その誓いは、異世界で生きる自分の運命を決定づけるものだった。



 その後も慎一は、勇者候補や城の人々の行動を注意深く観察した。

 日常の何気ない仕草、表情、言葉の端々――すべてが後世に伝えるべき“生の記録”となる。


 王城内での会話や宴席、訓練場での小さな衝突も、慎一の目には鮮明に映った。

 そして彼は、表向きの歴史と裏の記録を二重に書き残すという作業を毎日繰り返していった。


 この静かな日常こそが、後の王国史の真実を語る礎になるのだった。




 ある夜、窓の外に広がる星空を見上げながら慎一は思った。


(ここで何を学ぶか、何を残すか――それがこの世界での自分の使命なのだ)


 王の命に従うだけでなく、真実を記す者として、慎一の異世界での日々は静かに、しかし確実に始まった。

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