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剣道少年、異世界に召喚される

 午後7時少し過ぎ。冬の終わりを告げる冷たい風が、駅前の街路樹の間を吹き抜けていた。

 高校三年生の高橋瞬たかはし・しゅんは、剣道の道着を背中に背負い、バイト先でもらったコンビニ袋を手に、自転車にまたがる。

 制服の袖口やマフラーの先が風に揺れ、手袋の隙間から冷気が染み込む。


 瞬は、県大会で準優勝した剣道部のエースで、大学の体育系学部への推薦もすでに決まっていた。進学を目前に控え、周囲は受験勉強に追われていたが、瞬は部活とバイトで日々を過ごしていた。来る大学生活に向けて、少しでもこづかいを増やしておきたかった。


「今日も疲れたな……」


 ペダルを漕ぎながら、バイト先の些細な失敗を思い出す。棚の在庫を間違えたこと、レジで小銭を落として先輩に叱られたこと、缶コーヒーを一つ落としてヘコませてしまったこと。

 どれも些細なミスだが、帰宅途中のこの時間にはじわりとストレスが重なる。


 頭の隅には部活の後輩との会話も浮かんでいた。


「先輩、進学が決まったからって毎日来なくてもいいですよ」

「たまには本読んだりとかどうっすか? 俺、最近ネットで異世界転生モノ読むのハマってるんすよ」


 瞬は後輩との会話を思い出して笑った。自分は本を読むタイプではないが、こういうジャンルの人気は耳に入っていた。


「まあ、現実に転生なんてあるわけないけどな……」


 そう思いながら冬の街を抜ける。街灯の光が路面に反射し、いまにも凍りそうな水たまりが月光にきらめく。

 夜の静けさと冷たい風が、どこか現実離れしているようにも感じられた。


 その時、背後から突然、強烈な光が瞬を包みこんだ。街灯の光とは比べものにならないほどの白さで、視界が完全に奪われる。

 眩しさに目を固く閉じ、息を飲む。体が宙に浮くような感覚。心臓が跳ね、手足の感覚が一瞬消える。



 光が消えたとき、瞬の目に映ったのは、見渡す限りの草原だった。街路もアスファルトも、見慣れた街の風景が消えていた。冷たい風に代わり、草の匂い、遠くの水音、鳥のさえずりが五感を満たす。


「え、えぇっ……?」


 自転車から転げ落ち、手足を地面に押し付ける。胸の鼓動は速まり、息が荒くなる。周囲には風の音しかなく、人の気配はない。


 どのくらいそうしていただろうか。やっと頭が回転し始め、顔を上げると、遠くに甲冑をまとった兵士たちの行列が見えた。馬に乗る者もいる。現実世界ではありえない光景に、瞬の思考は混乱していた。


「もしや……貴方様が勇者様でしょうか?」


 甲冑の男が戸惑う瞬に近づき、深く頭を下げた。言葉遣いも丁寧で、声は落ち着いている。

 男は瞬を城へ案内すると告げると、後に続いている兵士の列に向かって号令の声を上げた。

 その城は遥か草原の先にそびえ、ここからでは高い塔の一部しか見ることができない。毎日部活で走り込んでいた瞬でも、歩みを速めないと今日中に辿り着くのは難しそうだと覚悟を決めた。


 城門をくぐり、城の中に入ると目に飛び込んできたのは、大広間いっぱいに煌びやかな装飾と紋章入りの旗。天井にはシャンデリアが吊るされ、壁沿いには鎧や武具が並ぶ。目を奪われる景色に、瞬は息を呑んだ。


「こんな世界、漫画でしか見たことない……」


 ここまで休まず速足で歩いてきて脚は棒のように疲れていたが、その疲れも目の前の光景に吹き飛んだ。

 奥の広間のその中心に座るのは中年の王。深い紫色のローブに金の刺繍、頭には小さな王冠。王が瞬に視線を向け、ゆっくりと口を開く。


「この国と人類を守るため、其方には先鋒として戦ってもらう」


 突然の宣言。心臓がドクンと跳ねる。ファンタジー小説のような展開――後輩が話していたあの世界が、目の前に現れたのだ。そう思ったと同時に、瞬は難しい説明を待たず、心の中で決めた。


「自分が選ばれたなら、やれることをやろう」




 城の一室をあてがわれ、瞬は騎士たちと訓練を始めることになった。

 城内での生活は、現実世界の学生生活とはまるで異なる。部屋は広く、大きなベッドに豪華な家具、窓からは城下町と広大な草原が見渡せる。城のメイドに言えば、食事はいつでも部屋まで届けられる。


 最初こそ異世界の料理に胸が躍ったが、見た目の豪華さに反して味は意外と庶民的で、瞬は早々にハンバーガーの味を懐かしく思った。


 訓練場では、他の兵士たちとともに剣の稽古を受ける。剣道とは違うが、踏み込み、間合い、受けの反応、一連の動きは瞬の身体に染み込んでいる。

 周囲の兵士たちは、瞬の動きを見て驚き、小声で囁いた。


「速いな……」

「見たことのない剣術だ。さすが勇者だな」


 その囁き声に瞬は少し照れながらも、言われた通り打ち込みを繰り返す。

 だが模擬戦は剣道とは異なり、動きの自由度や戦場の広さが加わる。

 城近くの森での討伐訓練では、木々の間を縫い、敵を想定した木の板を斬る。斬った板の音、風を切る感覚、踏み込む地面の感触――現実感が増すとともに、いつか板ではないものを斬らねばならないという恐怖も伴った。


 しかし訓練を繰り返すうち、瞬の体は反射的に動き、走りながら剣を振ることが自然にできるようになっていった。

 勢いをつけて板を叩き斬る爽快感に、瞬は心底夢中になった。



 そんな中、いよいよ瞬の隊が遠征に出ることになった。

 国の端、魔の国との国境。

 その付近にある魔族の村が目的地だ。


 夜、兵士たちと共に焚き火を囲む。酒の香り、木の煙、笑い声が夜空に溶ける。瞬も輪に入り、剣道部での稽古話を披露する。聞き慣れない話に兵士たちは興味津々で、矢継ぎ早に質問が飛んだ。


「国境付近の村が魔族に襲われたらしい」


 誰かが話し出す。瞬は多くを聞かずとも、それは自分たちの任務と関係する出来事だと直感した。


 揺れる炎を見つめながら、瞬は腰の剣の柄を握りしめた。使命感、正義感、緊張感が混ざり合う。自分が勇者として選ばれた意味を噛み締めながら、静かに決意を固めた。




 遠征隊は目的の村の近くの草原に到着した。遠くに屋根や灯りが見え、木々のざわめきが冬の残雪を踏む音と共に夜に響く。瞬は竹刀を握っていた頃の緊張感を思い出す。今は命がかかっている。重みと恐怖が違う。


 村の入り口付近、小さな羽が背中から生えた人影が見えた。人間とは異なる容貌――魔族の子どもだ。瞬に気づき、慌てて走り去っていった。

 村から少し距離を取った森の中に野営の陣を敷く。

 今夜はそれぞれ早めの夕食を摂り、休む。いよいよ明日が本番だ。


 夜明け前、襲撃の準備を整え、槍や剣が朝日に光る。


 瞬は剣を握り、並ぶ兵士たちの列に加わる。胸には使命感と正義感、そして漠然とした緊張が混ざる。


「これも人類の未来のためだ」

 瞬は心の中で呟いた。誰かがやらなければいけない。自分が勇者として選ばれたんだ――そう思いつつも、人間とは違うとはいえ、命があるものに剣を向ける恐怖は拭いきれない。


 屋根の向こうから朝の光が差す。物語はまだ始まったばかりだと告げるように、静かな朝が広がった。


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