野犬から逃げて、雨宿りのために入った洞窟に閉じ込められたことを責められています
一体どうしてこんなことになったのか。
只野トオルは、走りながら考えていた。
学校帰りに土砂降りにあい、ビニル傘を買おうとコンビニに立ち寄ったが売り切れで、仕方ないから雑誌を立ち読みしながら雨宿りをしていた。
チリン
と、足元に小銭か何かの落ちる音がして、拾おうと屈んだら、地面が土だった。
「え?」
周りを見回すとそこはコンビニの店内どころか、100%自然の風景だった。
立ち上がって、改めて景色を観察する。
土と、草と、木々と、青い空と、白い雲と、太陽が二つ。
「ふたつ?」
思わず二度見してポカーンとしたら、後ろで唸り声がした。生き物?
振り返ると、姿勢を低くした野犬らしき生き物が、トオルに牙を剥いていた。
背中を見せて逃げるのは最悪だろうから、トオルは目を離さず静かに静かに後ずさった。
かなりの距離をかせぎ、木立がいい具合にトオルと野犬の視界を遮ってくれたあたりで、トオルは全力で駆けだした。
手入れもされていない林の中は走りづらかった。草に手足を擦られ、根に足をひっかけ、度々よろけながらも林を抜けた。野犬が追いかけてくる気配はなかった。
「助かった」
と、思ったが、この状況がどういうことか理解できない。
しみじみと途方に暮れようとしたところで雷鳴がとどろき、いつの間にか厚くなっていた灰色の雲から大粒の雨が落ちてきた。慌てて雨宿りできるようなところを探したが、雷が鳴っている今は大木の下は危険だ。どうしたものか。
ふと目を向けた先、岩と岩の間に、入り込めそうな隙間があった。あそこで雨宿りしよう。中に獣が住み着いているかもしれないと思ったが、獣臭さはなかった。あまり奥に行くのは怖かったので、入口から数メートルだけ進んだところで腰を下ろした。雨は激しさを増して、ザーザーいう音だけがトオルの頭の中を満たした。
いつの間にかトオルは眠っていた。
かすかに聞こえる声と物音に、トオルは目を覚ました。まだ夜中か。
目を覚ましたが何も見えない。自室のベッドの上ではなく、土の上で体育座りで眠っていた。なぜ。
ぼんやりした頭が覚醒し始め、コンビニから太陽が二つの異世界へ飛ばされたことを思い出した。野犬から逃げ、岩の隙間で雨宿りし、眠って目覚めたら入り口が塞がれていて、外から声が聞こえる。←今ここ
誰が入り口を塞いでトオルを閉じ込めたのか、そもそもここはどこなのか、なぜトオルがここに送られて来たのか、トオルはこれからどうすべきか、外の連中に殺されやしないか、生きて帰れるのか、帰れないまでも、生きていけるのか。
疑問は次から次へとあふれてくるが、絶望的な答えしか思いつけない。
外では打楽器が陽気に打ち鳴らされ、歌う声もいくつか重なった。
外の賑やかさが却ってトオルの孤独を浮き彫りにした。
不意に音楽が止んだ。
トオルは息を詰めた。
ここにトオルがいることに、誰か気づいているのだろうか。気づいていて入り口を塞いだのか、気付かずに塞いだのか。塞いだ人はいずれ開けるつもりなのか。ここにいて良いのか。逃げるにしても、今じゃないはず。
時間がじりじりと過ぎていった。
ズリッ
石と石がこすれるような音がした。
わずかな光が差した。
岩の隙間に大きな掌が差し込まれ、塞いでいた大きな岩を横にずらした。
岩をどかした大男と、膝を抱えて座り込んでいたトオルの目が合った。やたら目力の強そうな大男が、トオルを睨みつけた。
「オマエハ、誰ダ」
「あなたこそ、誰です」
「オマエニ、ナノルコトハ、デキナイ」
「聞いておいてそれかよ」
「ナゼ、ココニイル。イヤ、オマエニ、ヨウハナイ」
そう言って男は、穴の奥に進んでいき、しばらくすると戻ってきた。
「話ガキキタイ」
男は、トオルの二の腕を掴むと、穴から引きずり出して、焚火を囲んでいる男女の輪の中にトオルを座らせた。つい先ほど、『オマエニ、ヨウハナイ』と言ったくせに何の用だ、とトオルは思ったが、多勢に無勢、ここは大人しくしていることにした。
星も月もない暗闇の中で、焚火の明かりだけが辺りを照らしていた。
先ほどまで陽気に楽器を打ち鳴らしていたとは思えない暗い顔をした男女が、トオルのことを見つめている。
「ナゼ、アノ洞窟ニイタノカ」
「オマエゴトキガ、ハイリコンデイイ所デハナイ」
「オマエノセイデ、アノカタハ、ドコカニイッテシマッタノデハナイカ」
口々にトオルに文句を言う。
「野犬から逃げてここに来た」
「雷と雨がひどかったから、あそこで雨宿りしているうちに眠ってしまった」
「ほかに誰かがいたとは気づかなかった」
「自分で入り口を塞いだのではない」
ひたすら正直に答えるが、納得してもらえない。
「あのさ、そういうしつこさに嫌気がさしたんじゃないの」
つい正直に言ってしまった。
「ここに引きこもっていたのだって、引きこもりたくなるような理由があったんじゃないの? さっき俺を力づくで引きずり出したようにやるなら、また機会があれば引きこもるよ」
「ウッ」
心当たりがあるのか、男も女も言葉に詰まった。
「ところで、ここはどこだ。元居たところに戻りたいんだが」
「オマエガ、ドコカラキタノカ、シラヌ」
「人間ガクルトコロデハナイシナ」
「は?」
今度こそトオルは固まった。
「俺、死んでるのか?」
「イヤ、ソウイウワケデハナイ」
男たちの歯切れも悪い。
気まずい時間が流れた。月も星もない世界で、それ以上誰も口をきかず、焚火の爆ぜる音だけがしていた。
囲んでいた焚火が小さくなった頃、辺りがほのかに明るくなった。
トオルも皆と一緒に辺りを見回した。
先ほどトオルが出てきた洞穴から、光が漏れてくる。次第に明るさが増して、夜が明けたように光があふれた。
「「「「!」」」
男女に、声にならない歓喜が沸き上がった。
背後に光を纏った神々しい女性が、トオルに向かって手を差し出した。
抗うこともできずに手を伸ばして触れると、
「少しだけ、息抜きになった。悪かった。交替だ」
と、囁くように言った。
一瞬の後、トオルはコンビニの前の公園のベンチに座っていた。雨は上がっていて、すでにベンチも乾いていた。スマホで時間を見ると、雨宿りのためにコンビニに寄ったときから1時間もたっていなかった。その間に、トオルは知らない世界で野犬に追いかけられ、洞穴で眠り、見知らぬ男女から焚火の周りで責められた。
何だったんだろう。何ごともなく帰ってこれたことで、余計に現実味がない。
あの人がまた、洞窟に引きこもりたくなったら、また呼ばれるかもしれない。できれば、そんなことがなければいいな、とトオルは思った。
読んでいただき、ありがとうございました。