9 風導②
「モケ……?」
「あ、起きた」
風導を治癒し、様子を見てから数十分──。
疎覚えのレシピで回復液を作り始めて三回目の失敗を経た頃合いで、僕は風導の声を聞いた。
顔を上げて振り返ると、風導は辺りをキョロキョロ見回して現状を探っているようだった。そりゃそうだ。最後に見た森の景色から起きた途端洞窟に変化していたら誰だってそうなる。
「…………モケ!?」
風導は「なんで傷治ってんの!?」的な驚きの声をあげると、自身の顔をペタペタと触る。致命傷が気絶している間に完治していたのだから無理もない反応だ。
「モ?」
あ、目が合った。
そろそろ話しかけようかとしたそのとき、ちょうどこちらを向いた風導と視線を交わす。
「「………………」」
一人と一匹の間に静寂が生まれる。
──が、風導は「モ?」と身体を傾け、こちらをまじまじと観察する。
きっと「なんで此処に人間?」と首を傾げたつもりなのだろう。
だが、それも当然だ。この森は恐らく人間が来なくなって長いだろうから、『人間を知らない』もしくは『人間を最後に見て久しい』生物の方が大半を占める筈なのだ。
そして、風導の反応を見る限り、風導は後者だ。
なら話は早い。リドゥは作業を中断して「ちょっとごめんよ」と風導を抱き寄せる。
「あちゃあ……」
風導の眉間を掻き分けてみると、傷は塞がってはいるものの、痕になってしまっていた。
流石に時間が開きすぎていたか。即効性回復液と謳ってはいるものの、リドゥが買っていたのは下級回復液。傷を負ってから使うまでの時間が長いと外見まで完治できなくなってしまうことがあるのだ。
でもまぁとにかく、失血の心配はもうないだろうし、この様子だと脳への影響もなさそうだ。
良かったな。風導。
「モケ……?」
「あぁ、失礼。おまえさん、さっきまで酷い傷を負ってたんだよ。痕までは治せなかったが、間に合って良かった」
「…………モケッ!」
風導は明るい声でツタの手をうにうに動かす。嬉しいそうでなにより。
そんじゃ帰すか。
見てて愉しい気持ちを抑えて僕は風導を床に下ろし、入口の方へ回り道させる。
「ほんじゃ、住処に帰りなさい。道中気を付けてな」
「モケッ!? モケケ、モッケケ!」
風導はリドゥに向き直り必死に何かを訴える。しかし、僕にはモンスターの言語が理解らない。
それでも、何を言いたいのかはなんとなく分かった。
「もしかして……何かお返ししたいのかい? 自意識過剰じゃなければだけど」
「モケッ!」
風導はピッ──と天井を指差すようにツタの手を上げる。天井には今朝干し肉を煮込んだ際の焚き火煙が未だ滞留していたのだが──、
「おぉ……!」
風導がポーズを取るや否や、何処からともなく風が吹き、天井に滞留した煙は外へ出ていった。
心做しか拠点内の空気もまるまる入れ替わった気さえする。これで換気問題は解決だ。思わぬお礼にガッツポーズを取る。
が、ここで僕は眉間を摘んだ。
──天井高くしなくて良かったじゃん……。
干し肉といい燻製といい換気といい、最近の行動がとことん裏目に出ている。自分の考えなしに泣きたくなってきた。
……まぁ、それはいい。基本ぶっつけ本番修復不可能なのが僕の『採掘』だ。一つや二つの失態で一々悔やんでは切りがない。
それよりも今、気にするべき問題は──、
「換気ありがとう風導さん。ついでと言ってはなんだけど、一つ嫌なことを聞かせてくれないかい?」
「モケ?」
「その傷、何によるものだい?」
「モ……」
聞くや否や、風導は言葉を失った。
風導の微笑ましさにすっかり忘れていたが、こいつの傷はモンスターによるものかもしれないのだ。コミュニケーションを取ってくれるなら情報源として有難いことこの上ない。
だが、こちらが言葉を理解できないのでは情報の意味がない。
ということで、「ちょっと待ってて」と僕は一度外に出て、『採掘』した石のプレートに土を敷きつめて風導のもとへ戻る。
それに拾ってきた枝木で『これでやり取りしよう』と絵で伝えてみる。
無事に説明が通じてくれたのか、風導は枝木を受け取るなり、ゆっくりながらも描いてくれた。
描かれた絵を言葉に直して読み解くと──、
①いつからか、手負いの大型モンスターが森にやってきた。
②大型は傷を治そうと、木の実・生物を見境なく食べ始めた。
③同胞も何人か喰われてしまった。
④自分も喰われそうになったが、同胞が咄嗟に吹かしてくれた風に飛ばされ、深手を負いながらも逃げ延びた。
⑤その同胞は踏み潰された。
⑥同胞を弔うためにも……大型をとっちめたい。
ここで顔を上げてみると、風導は大粒の涙を零していた。
風導は決意の表情を固めて鳴き叫ぶ。
「モケ! モケケモッケケ、モッケピロピロ!!」
こればかりは絵を介さなくても言いたいことは分かる。風導は大型を倒すための同志を募っているのだ。
正直、自信はない。恥ずかしながらもリドゥは、冒険者一年目にして『採掘』が戦闘に役立たないと実感するなり資源採取・採掘に徹してきたが故にモンスター戦闘は素人に等しいのだ。
答えはもちろん──、
「分かった。そいつ一緒にやっけつよう!」
実際、大型討伐は風導だけの問題じゃあない。今も森を荒らしているとすればいずれ拠点に襲撃てもおかしくないのだ。ならば同じ志を持つ者同士で先手を打つべきだ。
「モッケケ〜〜!!」
「ということでレッドドッグ。僕が死んだらこの拠点あげるよ」
「ガゥ?」
「モ?」
急に何の話だ? と言いたげに鳴いたレッドドッグに風導が目を向けると、両者の目が合った。
「ガゥ」
「モケーーーーーー!!?!?!」
風導はレッドドッグの姿を認めるなり仰天し、資材置き場(かつての物干し部屋)へ転がるように逃げていった。
レッドドッグに気付いてなかったんだねぇ……。