80 兄ちゃん③
「レイムさん。暴れたところ止めてくれて、ありがとうございました……」
退室後にて──。
お互いに口を閉ざしたまま、気まずい空気で歩いていると、すっかり肩を落として隣に並ぶエウィンが不意にそう言ってきた。
「…………」
レイムは口を開けては閉ざすを繰り返す。正直な話、今の彼にどう声をかけるべきか考えあぐねていたが、それでも何か喋らなければと当たり障りなく言葉を紡ぐ。
「構わんよ。……でも、頭にくるのは痛いほど分かるが、向こう次第では即解雇だったし、それ以上の処罰も十分有り得た。そこは戒めとしてほしい」
「……ッスよね。……すいません。もう、兄ちゃん殺したって言われた途端、頭ん中真っ赤になって、もう色々なものがワーって込み上げてきて……色々考えた末に殴ってました。というより、殴れる理由を探してから殴ってたッス」
「そうか……」
また無言の時間が生まれる。これがどうも耐え難く、とにかく話題を──と、再度口を開く。
「エウィンくん……敢えて聞くが、どうしてリドゥと森で再会したこと、黙ってたんだい?」
「……だって、兄ちゃん、すげぇモンスターに心配されてたんスもん。あれだけで、兄ちゃんが此処と違って愛されてるって伝わってきましたよ。だから人間の都合で邪魔しちゃ駄目だって思ったんです。他の三人だって理由は違くても、無理に連れ戻しちゃなんないってのは共通認識ッス。なので見て見ぬふりしようって感じになりました」
「そうだったか……」
また会話が途切れる。他に障りなく聞いておくべきことはあったかと病室での会話を思い出していたら、今度はエウィンが声を出した。
「正直、悔しかったッスよ。兄ちゃんは僕を見てもなんも反応しなかったから、僕は顔も覚えられてない乞食の一人でしかないって分かっちゃって。でもモンスターたちはちゃんと愛されてんだって。まぁ、顔を覚えてなくても手を差し伸べてくれる兄ちゃんなら、愛されるのは当然ッスけどね」
「……その乞食の一人だったって、言おうとは思わなかったのかい?」
「何度も思いましたよ。でも、肝心の兄ちゃんは爆発に巻き込まれて気を失ってたしで再会を喜ぶどころじゃなかったし、意識が戻るなり真面目な空気になったもんだから結局言えず終いでした」
「…………そうか……」
この返答を最後に私は今度こそ言葉に詰まってしまう。自分はこんなに会話下手だったか?
我ながら情けない。まだまだこれからの若者が苦しんでいるのに何も言ってやれないで、何がレイム『上司』だ。
資源管轄課代表として、リドゥは誰よりも信頼できる冒険者だった。だが、それだけだ。
対して、エウィンからすればリドゥは、生命を繋ぎ、人生を切り開いてくれた大恩人。自分が彼の立場だったらとても足を向けて寝られない。
結局のところ、感情の『重み』が違う。ただの上司と部下でしかない自分と違い、彼にとっては人生の指標・こうでありたい理想像がリドゥだ。そんな彼を無慈悲に殺されたら取り乱すのも無理はないし、自分は何をしているんだと無力感にも苛まれるだろう。
とかなんとかゴタゴタ理屈を並べて、分かってやれない、だから何も言えなくたって仕方ない理由を欲してるだけじゃないか? 今まさに自分が信じられなくなってきた。
と、隣の若者を差し置いて頭を抱えたい衝動に駆られた、そのときだった。
「レイムさん。……質問、いいですか?」
「……なんだい?」
「レイムさん、リドゥ兄ちゃんに会いたいですか?」
そう言ってエウィンは、顔を上げて、こちらを真っ直ぐ見上げてきた。
「僕は会いたいです。死んでるなら死んでると自分の目で確認したいし、生きてるなら……やっぱちゃんとお礼言いたいです。貴方のおかげで生きれた乞食ですって」
エウィンは歩みを止めて、宣言する。
「俺、兄ちゃんの捜索に加えてもらえるよう、ギルド長に直談判してきます。ギルド長に協力してるようで癪ですけど、どんな結果であれ、リドゥ兄ちゃんとちゃんと向き合いたいです。レイムさんは、どうしたいですか?」
「──……」
彼は彼なりに真相に向き合おうとしている。それがどう転んでも惨い結果になると察した上で。それがどれだけ勇気のいることかは大人なりに分かっているつもりだ。
「……本気なんだね?」
「はい。どうせ泣く羽目になるなら、向き合った上で泣き明かします」
「……じゃあ、私も向き合ってみるとするよ。大勢のモンスターとの戦闘が予想される以上、色々と入り用だろうしね。声が掛かる前に志願しよう」
「決まりっすね。なら、さっさとそれ貼って戻りましょう」
「だな」
二人は確固たる決意を持って、足早に受付広場を目指した。