78 兄ちゃん①
「おい聞いたか! 三道ノルマ緩くなったってよ!」
「マジか。急にどしたん?」
「良かった……! もうついてけないかもって思ってた……! 良かった……!!」
リドゥたちが鍛錬に泣き喚いていた頃、ラネリアギルドは騒然としていた。ジユイが取り決めた『採調武三道』のノルマが一昨日突然緩和されたからだ。
網目の大きいざるでふるいにかけられそうになっていた低級冒険者の大勢が喜び、安堵しながらも「どんな心変わりだ?」と疑念を抱かずにはいられない。
「一体全体、どうなってるんだ?」
当然、彼等がどよめく受付広場を通り抜けるレイム上司も、疑念を抱く者の一人だった。
どれだけ冒険者の心身を優先した次善案を提示してきても首を縦に降らなかったジユイが一体何の真似なのか? 今日まで幾度も代案を白紙にされてきた身として問わずにはいられなかった。
だが、それは叶わなかった。ジユイが謎の重傷で倒れたというからだ。意識は昨日戻ったそうだが病室は彼が運び込まれてから厳重体制で、一度訪ねたものの一目見ることさえなく門前払いにされた。
頭をバリバリ掻きながらボヤく。
「早いところ面会解禁してほしいなぁ……」
リドゥが殺人を犯した──。そんな確信を得たくなかった確定事項の漏洩対応に追われていたところへ突如舞い込んだノルマ緩和指示と二龍大戦地への調査禁止令。重体で運ばれたジユイに、更にはレリアによる情報漏洩者への暴行処罰。これが一日の間で行われたものだから私はもちろん、ギルド全体がてんてこ舞いだった。
これを鎮める為にもせめて、ジユイが何故にノルマ緩和を決めたのか、その負傷は何によるものなのか? 早い段階で解消できそうなこの二つだけでも説明責任を果たしてほしい所存だが、如何せんジユイと会えないのでは対処しようがない。
つまるところ──、現状できることは無いに等しかった。
廊下の窓から外を眺める。空は清々しい程の青色なのに、ラネリアギルドは……──、ラネリアは先行きの見えない真っ暗闇に囚われてしまっている。
「なんだってこんなことになぁ……」
悪夢なら早く覚めてくれ──。思わず嘆いたそのときだった。
「レイムさん」
「──! 君は……」
振り返ると、エウィンが立っていた。
去年冒険者登録した新参者ながら二龍月前に犯罪冒険者を裁く暗殺組織『夜』へ加入。しかしながら人懐っこい性格で周囲からの人望も厚い期待の星だが、正直な話、今ばかりは彼を始め、誰にも会いたくなかった。
が、私は顔には出さずに平常心を取り繕って言葉を返す。
「エウィンくんじゃないか。何の用だい?」
「それなんすけど、時間大丈夫っスか? 長くなると思うんで……」
「構わないよ。ちょうど今時間が空いたところだ」
「じゃあ、言うっスね」
そう宣言して、彼は言葉を紡ぐ。
「レイム上司。僕に他地方のギルド、紹介してくださいっス」
「──……!」
心臓が杭を打ち込まれたように痛む。こんな若手にまで言わせてしまった。
「……一応、理由を聞かせてほしい」
「だって、明らかにおかしいじゃないっスか。今のギルド長になった途端リドゥ兄ちゃんが解雇されちゃうし、そんな兄ちゃんを駄目人間って馬鹿にするヤツもいるし、そしたら今度は兄ちゃんが人を殺した言うんすよ。今までも嫌なヤツって思いながら頑張ってきたっスけど、散々人の悪口言っといて図々しく後ろ指差してるヤツらが野放しになってるなんて思った途端……もう嫌っス……」
「そうか……」
今にも消え入りそうな声を零すエウィンに、レイム上司はそう返すしかなかった。
──キャパオーバー。
処罰するにはギリギリ『黒』にならない者が多すぎる現実に、彼は『夜』でありながら動けないストレスに嫌気が差してしまっていたのだ。
だから私は、彼を誘うことにした。
「だったら、私と一緒に来るかい? リドゥの一件が終わったら、私も他国へ越す予定なんだ」
「あ、そうだったんスか。というか、今すぐじゃあないんスね?」
「元はと言えば、私がリドゥの解雇を止められなかったのが始まりだ。リドゥを巡って結末がどうなろうと、決着は着けたいんだ」
「それ聞けて安心したっス。レリア先輩が慕ってる気持ちもよく分かりました」
「そうか。……ところで、さっきから兄ちゃんと呼んでいるが、リドゥとは兄弟なのかい? 彼に家族はいなかったはずだが……?」
「あぁ。これはっスね──、」
「レイム上司! 此処に居りましたか!」
振り返ると、ジユイの病室に張り付いている見張りが歩いてきていた。
「エウィンくん、ちょっと待っててくれ。どうした?」
「ジユイ殿がお呼びです。至急病室へ向かってください。お伝えしたいことがあるそうです」
「ギルド長が……?!」
これは僥倖! 病み上がりで悪いが、これを機にノルマ緩和が永続的なものと声明文を書かせて一旦の鎮静を図る!
「それと──、そこにいるエウィンさん。貴方も同行願います」
「僕っスか?」
エウィンは自身を指さす。話を振られると思ってなかったのだろう、戸惑いの表情だ。
「貴方かミーニャ殿を依頼受注前に来させるよう命じられています。ゴーダン殿は長期出張、レリア殿は謹慎中とのことなので」
ジユイは既にそこまで把握済みか。相変わらず一手が早いが、しかし何故その四人なんだ?
「それでは、私はミーニャ殿を探してきます。失礼しました」
そう言うだけ言って、見張りは受付広場へ行ってしまった。
一体何用だろう? レイム上司とエウィンは視線を交わした。